おさん

10話 二の五

2,165字 約4分 2022年6月22日 公開

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「外は白んできたわ」と云いながら、おふさがはいって来た、「眠ってるの」

 参太は枕の上で振向いた。おふさは掛け夜具を捲(まく)って、彼の横へ身をすべらせ、頬ずりをしてから顔をはなした。

「朝顔が咲くのを見たわ」おふさは夜具の中で参太の手を引きよせた、「手洗鉢(ちょうずばち)の脇の袖垣(そでがき)に絡(から)まってるの、なにか動くようだからひょいと見たのよ、そうしたら朝顔の蕾が開くところだったの」

「九月に朝顔が咲くのか」

「小さいの、これくらい」おふさは片手を出し、拇指と食指で大きさを示した、「それがまるで生きてるみたいに、いやだ、生きてるんだわね」おふさはくすっと笑った、「くるくるっと、こういうふうにほぐれるの、巻いている蕾がくるくるっとほぐれて、先のところにほころびができるの、着物のやつくちみたいに、ひょっとほころびができたと思うと、それがぱらぱらっとほどけて、ぽあーっと咲くの、――なにが可笑(おか)しいのよ」

「初めがくるくる、中がぱらぱら、そしてぽあーか、まあいいよ」

「かなしかったわ」とおふさは溜息(ためいき)をついて云った、「――九月の朝顔、時候はずれだから見る人もないでしょ、花も小さいし、実もならないかもしれないのに、蕾であってみればやっぱり咲かなければならない、そう思ったら哀れで哀れでしようがなかったわ」

 参太は二た呼吸ほど黙っていて、「人間のほうがよっぽど」と云いかけたまま、寝返りを打っておふさに背を向けた。

「ねえ」暫くしておふさが云った、「こっちへ向いて」

「一と眠りするんだ」

 おふさは彼の背中へ抱きつき、全身をすりよせた。

「だってもう今日で別れるのよ」

「神奈川の宿で約束したろう、江戸にはかみさんがいる、今夜が最後だって」

「女房の待っている土地では浮気はできないって、そうよ、約束はしたわ」とおふさは囁(ささや)いた、「もし本当におかみさんが待っているなら、ね」

 参太はじっとしていた。

「あんたあたしのこと嫌いじゃないでしょ」

「いまなんて云った」

「あたしのこと嫌いじゃないでしょって」

「そのまえにだ」と参太は遮(さえぎ)った、「――おまえなにか知ってるのか」

「だれ、あたし、――」おふさは彼の肩から顔をはなした、「知ってるってなにをよ」

「おれのかみさんのことだ、本当にかみさんが待っているならって、妙なことを云ったようだぜ」

「どこが妙なの、いやな人」おふさは含み笑いをした、「本当に待ってるかどうかって、そのくらいのこと訊いたっていいじゃないの、あたしあんたが好きなんだもの」

「あとを云うな」参太はまた強く遮って云った、「初めから女房持ちだと断わってある、いっしょに旅をするのも江戸まで、江戸へはいったらすぐに別れるって、自分の口から云った筈だぜ」

「あたしは覚えのいいほうよ」

「ここは芝の露月町だ」

「この宿は飯田屋、よく覚えてるでしょ」とおふさは云った、「あんたこそ思いだしてよ、あたしいま、今日でお別れだって云ったじゃありませんか」

 参太は黙った。

「ほんとのことを云うと、あたし男嫌いだったの」おふさはそっと参太の躯からはなれながら云った、「何人もの男と世帯を持ったような話をしたけれど、あれはみんな嘘、――十六のとし嫁にいって半年でとびだしたっきり、男はあんたが初めてだったのよ」

 参太はなにも云わなかった。

「あたしが口で云うより、あんたのほうでそれを勘づくと思ったわ」とおふさは続けた、「あんたはずいぶん女を知っているんでしょ、だからあたしがどんな話をしても、あんたにはからだで嘘がみぬけると思ったのよ」

 参太はちょっとまをおいて訊いた、「どうしてそんなことを云いだすんだ」

「ほんとのことを聞いてもらいたかったの、これっきり別れるんですもの、ほんとのあたしを知っておいてもらいたかったのよ」

「親きょうだいのないのも嘘か」

「兄が一人いるわ、調布というところでお百姓をしているの」

「そこへ帰るんだな」

「あたし嫁にやられた家からとびだしたのよ、そんな土地へのこのこ帰れると思って、――まっぴらだわ、そんなこと死んでもごめん蒙(こうむ)るわ」

 参太は口をつぐんだ。宿の者が起きたのだろう、表をあける音がし、勝手と思われるあたりで、人の声が聞え始めた。

「大磯で泊ったときのこと、覚えてる」とおふさが囁いた、「あたしが、こんなこと初めてよ、って云ったこと、あんたを怒らせたのが悲しくなって、廊下へ泣きに出ていったこと、――恥ずかしい、ばかだわあたし、こんなこと決して云うまいときめていたのに、どうしたんでしょ、ああ恥ずかしい」そして参太の背中へ顔を押しつけながら云った、「お願いだから聞かなかったことにして、ね、いまのこと忘れちゃってちょうだい、お願いよ」

 参太がやわらかに云った、「覚えていろの忘れちまえだの、おまえはむずかしいことばかり云うぜ」

「あんたのせえよ」夜具の中から云うため、おふさの声は鼻にこもったように聞えた、「あんたに会うまではこんなことはなかったわ、本当に、こんなだらしのないところを見せたことはなかったのよ」

「早くいい相手をみつけるんだな」背中を向けたまま参太が云った、「おまえはいいかみさんになるよ」

「あんたはだめなのね」

「もういちど云うが」

「女房持ち」とおふさが云った、「――あたしこうみえても芯の強いほうよ」

「大事にするんだな」と参太が云った、「おれはもう一と眠りするぜ」

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