15話 二の九
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参太が墓地を出ようとすると、傍らの雑木林の中から伊三があらわれた。
「びっくりさせるな」参太は本当に驚かされた、「どうした、どこから跟けて来たんだ」
「ずっとさ」伊三は鼻をこすった、「飯田屋までいってみて、いないんで今朝はやく引返して来たんだ」
「飯田屋へ泊ったのか」
「宿屋なんかに泊りゃあしねえさ、寝るところなんざどこにでもあるよ」
参太は歩きだしながら云った。ゆうべの男はどうした。酔いつぶれて道ばたへ寝ちまったよ。どうしておれをみつけだした。引返して来て小網町まで来ると、うしろ姿が見えたんだ。声をかければよかったのに、おれもおまえが来るかと待っていたんだぞ。迷ったんだよ。なにを迷った。黙っていっちゃおうか、それとも別れを云ってからにしようかってさ。おまえゆうべなにか云ったな、なにか頼みがあるっていうようなことを云やあしなかったか。もういいんだよ、忘れちゃってくれよ。話すだけ話してみろ、ゆうべは危ねえところをおまえのおかげで助かった、礼と云うときざだが、おれにできることなら力になるぜ、話してみろよ、と参太は云った。
「話してもむだなんだがな」と伊三は考えぶかそうに云った、「おれねえ、ほんとのこと云うともう十二になるし、いいかげんにおちつこうかと思ったんだ」
「そう気がつけばなによりだ」
「おじちゃんのこと好きだしさ」と伊三は続けた、「できるなら弟子にしてもらってさ、半人なみでもいいから職人になりてえって思ったんだよ」
「それが本気ならよろこんで」
「いけねえんだ」と伊三は首を振って遮った、「それがだめなんだ、おれが女は嫌いだって云ったのを覚えてるだろ」
「聞いたようだな」
「女がおじちゃんを待ってるんだ」
参太はぞっと総毛立った。おさんが待っている、というふうに聞えたからだ。参太は立停って伊三を見た。
「誰が、――待ってるって」
「箱根からいっしょに来た女さ」と伊三は逃げ腰になりながら答えた、「飯田屋へいって訊いてみたらさ、おじちゃんは帰らねえかって、番頭が云っているところへあの女の人が出て来たんだ」
「あれとはちゃんと別れたぜ」
「おれを見てあの女の人はどなりつけた、おまえまだあの人にくっついてるのかい、承知しないよってさ」伊三は黄色い歯をみせて、おとなびた含み笑いをした、「あたしたちに近よるんじゃない、わかったかいってさ、おっかねえ顔だったぜおじちゃん」
「あの女とは初めから話がついてるんだ、これから帰ってはっきりきまりをつける、あいつのことなんか心配するなよ」
「だめだな」伊三はまた首を振った、「おれはずっと街道ぐらしをしてきたから、人間の善し悪しはわかるんだ、なまいき云うようだけどさ、あの人はおじちゃんからはなれやあしねえよ、みててみな、どんなことをしたってはなれやあしねえから」
「ちょっと待て、まあ待てったら」
「おれ、やっぱり仙台へいってみるよ」伊三はうしろさがりに遠のきながら云った、「そのほうがまだ性に合ってるらしいからね、あばよ、おじちゃん」
参太は黙って見ていた。伊三はもういちどあばよと云い、くるっと向き直って、千住のほうへ駆けだした。彼の足もとから、白っぽい土埃が舞い立ち、小さなその躰はみるみるうちに遠ざかっていった。
「おふさが待っているか」と参太は口の中で呟いた、「――にんげん生きているうちは、終りということはないんだな」