おさん

15話 二の九

1,380字 約3分 2022年6月22日 公開

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 参太が墓地を出ようとすると、傍(かたわ)らの雑木林の中から伊三があらわれた。

「びっくりさせるな」参太は本当に驚かされた、「どうした、どこから跟(つ)けて来たんだ」

「ずっとさ」伊三は鼻をこすった、「飯田屋までいってみて、いないんで今朝はやく引返して来たんだ」

「飯田屋へ泊ったのか」

「宿屋なんかに泊りゃあしねえさ、寝るところなんざどこにでもあるよ」

 参太は歩きだしながら云った。ゆうべの男はどうした。酔いつぶれて道ばたへ寝ちまったよ。どうしておれをみつけだした。引返して来て小網町まで来ると、うしろ姿が見えたんだ。声をかければよかったのに、おれもおまえが来るかと待っていたんだぞ。迷ったんだよ。なにを迷った。黙っていっちゃおうか、それとも別れを云ってからにしようかってさ。おまえゆうべなにか云ったな、なにか頼みがあるっていうようなことを云やあしなかったか。もういいんだよ、忘れちゃってくれよ。話すだけ話してみろ、ゆうべは危ねえところをおまえのおかげで助かった、礼と云うときざだが、おれにできることなら力になるぜ、話してみろよ、と参太は云った。

「話してもむだなんだがな」と伊三は考えぶかそうに云った、「おれねえ、ほんとのこと云うともう十二になるし、いいかげんにおちつこうかと思ったんだ」

「そう気がつけばなによりだ」

「おじちゃんのこと好きだしさ」と伊三は続けた、「できるなら弟子(でし)にしてもらってさ、半人なみでもいいから職人になりてえって思ったんだよ」

「それが本気ならよろこんで」

「いけねえんだ」と伊三は首を振って遮(さえぎ)った、「それがだめなんだ、おれが女は嫌いだって云ったのを覚えてるだろ」

「聞いたようだな」

「女がおじちゃんを待ってるんだ」

 参太はぞっと総毛(そうけ)立った。おさんが待っている、というふうに聞えたからだ。参太は立停って伊三を見た。

「誰が、――待ってるって」

「箱根からいっしょに来た女さ」と伊三は逃げ腰になりながら答えた、「飯田屋へいって訊いてみたらさ、おじちゃんは帰らねえかって、番頭が云っているところへあの女の人が出て来たんだ」

「あれとはちゃんと別れたぜ」

「おれを見てあの女の人はどなりつけた、おまえまだあの人にくっついてるのかい、承知しないよってさ」伊三は黄色い歯をみせて、おとなびた含み笑いをした、「あたしたちに近よるんじゃない、わかったかいってさ、おっかねえ顔だったぜおじちゃん」

「あの女とは初めから話がついてるんだ、これから帰ってはっきりきまりをつける、あいつのことなんか心配するなよ」

「だめだな」伊三はまた首を振った、「おれはずっと街道ぐらしをしてきたから、人間の善し悪しはわかるんだ、なまいき云うようだけどさ、あの人はおじちゃんからはなれやあしねえよ、みててみな、どんなことをしたってはなれやあしねえから」

「ちょっと待て、まあ待てったら」

「おれ、やっぱり仙台へいってみるよ」伊三はうしろさがりに遠のきながら云った、「そのほうがまだ性に合ってるらしいからね、あばよ、おじちゃん」

 参太は黙って見ていた。伊三はもういちどあばよと云い、くるっと向き直って、千住のほうへ駆けだした。彼の足もとから、白っぽい土埃(つちぼこり)が舞い立ち、小さなその躰はみるみるうちに遠ざかっていった。

「おふさが待っているか」と参太は口の中で呟いた、「――にんげん生きているうちは、終りということはないんだな」

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