偉大なる夢

18話 女工員

4,768字 約10分 2021年10月28日 公開

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 五十嵐博士変死事件の半月ほどのち、老博士の遺志を継ぐ学者達の研究室は、不吉な××温泉村の別荘を引きはらって、そこから自動車で一時間半の高原地帯にある大和航空機製作所内に移転した。同製作所は、大東亜戦争勃発以来各地に新設せられたこの種工場のうち、もっとも大規模で優秀なものの一つで、そこの奥まった一棟が、五十嵐博士超高速航空機試作工場に当てられていたのである。

 学者達は、それぞれ社宅をあてがわれて、そこから試作工場附属の設計製図室にかよい、以前からそこではたらいていた数十名の製図技手を使用して、設計の仕事をすすめて行くのであった。

 五十嵐新一はこの移転を機会に一先ず東京に帰ることになった。その後も病状思わしからぬ母夫人を、いつまでも山中にとどめておくわけには行かなかったからである。しかし、彼は父の遺志をつぐひとびとに深い関心を寄せていたことはいうまでもなく、帰京後もなんとか都合をつけて、しばしばこの工場をおとずれていたのである。

 望月憲兵少佐も東京に引上げた。無論犯人の捜査を断念したわけではない。むしろその捜査を徹底的におこなわんがためにこそ東京に帰ったのである。

 少佐がどの方向に捜査の探針を動かしているかは誰も知らなかったが、帰京後の少佐が、その時間の大部分をこの事件のために費していたことは間違いなかった。

 南京子は兄博士のそばを離れなかった。彼女は一行とともに大和航空機製作所にうつり、兄博士を説き伏せて、そこの女工員となった。附近の村々からあつまった娘さんたちにまじって、油まみれになって、工作機械にとりついている。

「やがて兄さん達の研究が完成して、試作機の製作が始まったら、わたし、その試作工場に廻してもらいます。そしてわたしの手で五十嵐先生の飛行機を造るのです。ニューヨークやワシントンを爆撃する飛行機を造るのです」

 京子は身をもって兄博士の精進をうながしたのである。

 移転後一ヶ月が経過した。その間、表面においてはこれという出来事もなかった。南博士達の仕事は遅々(ちち)として進まなかった。五十嵐博士をうしない、その設計ノートまでも盗み去られた設計班は、羅針盤をうしなった船のごときものであった。正しい進路を採って急速に船を進めることは殆んど不可能といってもよかった。

 ある日、五十嵐新一が工場を訪れた。人々が彼を歓迎したことはいうまでもない。仲間だけの晩餐会が開かれたりした。新一は数日滞在の予定であった。彼は到着の翌日、昼食後の休みの時間を、京子と二人だけで、裏山の林の中に過した。

 葉の落ちつくした雑木林に、暖い陽光の降り注ぐ小春日和であった。二人はよく乾いた深い落葉を踏みながら、肩を並べて歩いた。

「僕はいつもびっくりさせられます。あなたはその手で僕の父の飛行機を造ろうとしているのですね。敵の都を爆撃する飛行機に、あなたの魂を封じこめて置こうというのですね」

 京子は新一の讃美に応えて目を伏せた。

「わたし、そうしないではいられませんでしたの。たとえお父さまのお考えになったようなすぐれた飛行機でなくても、普通の爆撃機や戦闘機にしても、日本の女は誰でもわたしと同じことを考えるだろうと思いますわ。その一部分にでも自分の指を触れておきたい、魂を封じておきたいと考えないではいられないと思いますわ。今わたしと一緒に働いている、この近くの村の娘さん達も、みんなそういっています。こうしてわたし達が手を触れ、魂をこめ、汗を流して造った飛行機に、空の勇士がお乗りになって、地球のどこかの空で、敵の飛行機と一騎討ちをなさることを考えると、娘さん達は胸がドキドキするっていうんです。

 怖いような、嬉しいような、神々しいような、何ともいえない気持なんです。みんな憑かれたようになっているんです。こんなにはたらきたい気持になったことは、生れてから一度も無かったというんです。みんな本当に一生懸命なんです」

 京子は涙ぐんでいた。しばらく言葉が途絶え、サクサクと落葉を踏む音ばかりが耳立ったが、やがて彼女はふと何か重大なことを思い出した様子で、真剣な表情になって話し出した。

「この前、滝にうたれているところを、あなたに見られてしまいましたわね。残念なことにあれは七日しか続けられませんでした、こちらへ移ることになったものですから。でも、その七日の間に、わたし、色々なことを見たり聞いたりしましたのよ。

 滝にうたれて一心になって祈っていますと、初めは寒くって、痛くって、本当に苦しいのですけれど、しばらくすると、その苦しさが分らなくなってしまうんです。そして鳥の声が美しく聞えて来るのです。不思議なことに、神通力でも(さず)かったように、色々なことが見えたり聞えたりして来るのです。

 新一さん、わたし、あの滝の下で、あなたのお父さまとも度々お会いしましたのよ」

「エッ、父とですって」

「エエ、お父さまの魂とお会いしたのかも知れません。でも、わたしには、お父さまは生きていらっしゃるとしか考えられませんでした。お父さまは、拳を握りしめて、悪人め悪人めと誰かをお呪いになって、飛行機はきっと完成させて見せる。完成させないでおくものか、と何度も何度もくり返しておっしゃったのです。

 それから、わたし、望月さんがどういうお方であるかということが、あすこにいる間にハッキリ分って来ました。あの方は、わたしがそれまで考えていたよりも、ズッと奥深くて、偉い方です。わたし達の知らないことを非常にたくさん御存じなのです。あの方はきっと犯人を探し出して、あなたのために復讐して下さるに違いありません。わたしにはそれがよく分るのです」

「ウン、それは僕も信じている。僕は出来る限り、あの人のお手伝いをする決心でいるのですよ。しかし、今のところ状態は悪くなるばかりです。君はまだ聞いていないでしょうね、韮崎という被疑者が獄中で変死したことを」

「アラ、そんなことがありましたの」

 京子はびっくりして立止った。

「むろんあいつは敵の中の一人に過ぎない。外にまだ私を洞窟におしこめたけだものみたいな奴だとか、そのほかにも同類があるらしい。望月少佐は今度の事件を、大規模な敵国間諜団の仕業といっていたくらいです。しかし、我々が捕え得たのは、今のところ韮崎一人なのです。そのたった一人の大切な韮崎が、何も自白しない前に、毒を飲んでしまったのです。

 彼がその毒物をどうして手に入れたかは不明です。どこかに隠して持っていたのかも知れません。あるいは彼の自白を恐れる同類が、外部から何らかの手段で毒の入った飲食物を与えて殺したのかも知れません。僕はどうもあとの考えかたの方が本当らしく思われるのです。実に恐るべき相手ですよ」

「マア、何ということでしょう。あいつらはあなたのお父さまをあんな目に(あわ)せ、大切なノートを盗み、その上たった一人の被疑者を殺してしまいましたのね。あいつらはこれで完全に目的を果したというわけですのね。

 新一さん、わたしは滝にうたれている間に、悪者たちのひそひそ話をハッキリこの耳で聞きましたのよ。わたし、顔を見ることは出来ませんでした。みんな西洋の泥棒のように覆面をしていたからです。場所もどこだかよく分りません。暗い地下室のような感じでした。暗くてよく分らなかったけれど、そこに、覆面の奴が五六人もあつまって、ひそひそ相談をしていたのです」

 京子は立止って、目を細くして、どことも知れぬ空間を見つめながら、声を低めて、異様なことを語りはじめた。彼女には何かしら神秘な霊媒とでもいうような特殊の感覚が備わっているのではないかと思われたのである。

「覆面の男達は外国語で喋べっていましたが、不思議にもわたしにはその意味がよく分りました。男達は日本の主だった飛行機工場に爆弾を持ち込んで、重要施設を破壊することを相談しました。種々様々の流言蜚語(ひご)を放つことを打合せました。イエ、そればかりではありません。もっと恐ろしいことがあるのです。その内の首領らしい覆面の男が重々しい口調でこんなことを云ったのです。

 アメリカ合衆国の空軍部隊は、おそくも三ヶ月以内に、日本本土の大空襲を決行する。空襲は雨天または曇天(どんてん)の夜間を期し、敵戦闘機の襲撃を避けるため、雲の上の高空より爆撃をおこなう予定である。

 その際、東京、大阪、名古屋三都市の重要施設の所在を、密かに電波によって上空に信号し、爆撃の目標をあたえるのが我々の任務なのだ。我々はその光栄の日を一日千秋の思いで待ち構えているのだというのです。東京にも名古屋にも大阪にも、そういう電波発信装置が、もうちゃんと用意されているというのです。首領はそれを実行する場合の手筈について詳しい指示を与えたのです。

 新一さん、これは夢ではありません。わたしはそれを信じているのです。ですから、なんとかしてそれまでにこの間諜共を残らず捕えなければなりません。望月さんにこのことをあなたからお伝えして頂きたいのです。京子がそれを見たんだとお伝えして頂きたいのです。

 わたしは以前から、もっといろいろなことを見たり聴いたりしているのです。それが皆ほんとうだったのです。わたし、あなたのお父さまにああいうことが起るのを知って居りました。わたしの耳に誰かがそれをたびたびささやいたのです。でも、それをあなたにお知らせすることは出来ませんでした。そんなことは云えなかったのです。わたし、独りで心配して居りましたの」

「あなたは不思議な人ですね。小さい時からそういうことがあったんですってね。あなたの兄さんがいっていました。予言者みたいな奴だって」

 二人は又ゆっくり歩き出していた。黙って足下を見ながら歩いた。落葉が足の下でカサカサと鳴った。一つの意味を持った大気のようなものが、二人を包んで、だんだんその密度を増して行くように感じられた。新一は永い躊躇のあとで、やっとそのことを口にした。

「京子さん、僕はさっき兄さんとあなたのことを話し合って来たのですよ。兄さんはかならずしも不賛成ではないような口ぶりでした。僕は実はそのことを話すために、わざわざやって来たんです」

 京子は顔を上げないで、足下を見たまま歩いていた。歩調は少しも乱れなかった。しかし俯向いた顔が真赤になっているのを隠すことは出来なかった。

「僕は東京の母のところにいても、そのことの外は考えられなかったのです。もうじっとしていられなくなったのです。あなたに逢って、それをお話ししないではいられなくなったのです。不思議なことに、いつか滝にうたれているあなたを見た時から、僕のこの感情は一層烈しくなったのです。僕はあなたを尊敬したのです。敬慕したのです。むろんあなたもそれはお分りになっているでしょう」

「エエ、わたし……」

 京子はやはり顔を上げないで幽かに答えた。耳たぶが、火のように燃えていた。

「京子さん、あなたの本当の気持を聞かせて下さい。僕はそれを聞く為にやって来たのです」

 新一はそういって立止った。京子も歩くのをやめた。二人はいつの間にか相向い合って立っていた。京子は上気した顔を上げて、非常な努力をして新一の眼を見た。二人はむさぼるようにお互の目を見つめ合った。

 京子は口を利けなかった。しかし、その目がすべてを語っていた。二人は十分お互の感情を了解することが出来た。その感情の波は共鳴作用によって、見る見る振幅を増し、あたりの大気をブルブルと震わせ、果ては怒濤(どとう)のごとき力をもって二人を圧倒し去るのであった。

 二人は手をとって、向い合って、幼児のように、そこに立ちつくしていた。感動の涙が胸の底から溢れて来るように感じられた。京子の目からは美しい液体が、頬を伝ってとめどもなく流れた。

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