22話 八(3)
読み方を変える
について一言する必要がある、敵は主人が昨日の権幕を見てこの様子では今日も必ず自身で出馬するに相違ないと察した。その時万一逃げ損じて大僧がつらまっては事面倒になる。ここは一年生か二年生くらいな小供を玉拾いにやって危険を避けるに越した事はない。よし主人が小供をつらまえて愚図愚図理窟を捏ね廻したって、落雲館の名誉には関係しない、こんなものを大人気もなく相手にする主人の恥辱になるばかりだ。敵の考はこうであった。これが普通の人間の考で至極もっともなところである。ただ敵は相手が普通の人間でないと云う事を勘定のうちに入れるのを忘れたばかりである。主人にこれくらいの常識があれば昨日だって飛び出しはしない。逆上は普通の人間を、普通の人間の程度以上に釣るし上げて、常識のあるものに、非常識を与える者である。女だの、小供だの、車引きだの、馬子だのと、そんな見境いのあるうちは、まだ逆上を以て人に誇るに足らん。主人のごとく相手にならぬ中学一年生を生捕って戦争の人質とするほどの了見でなくては逆上家の仲間入りは出来ないのである。可哀そうなのは捕虜である。単に上級生の命令によって玉拾いなる雑兵の役を勤めたるところ、運わるく非常識の敵将、逆上の天才に追い詰められて、垣越える間もあらばこそ、庭前に引き据えられた。こうなると敵軍は安閑と味方の恥辱を見ている訳に行かない。我も我もと四つ目垣を乗りこして木戸口から庭中に乱れ入る。その数は約一ダースばかり、ずらりと主人の前に並んだ。大抵は上衣もちょっ着もつけておらん。白シャツの腕をまくって、腕組をしたのがある。綿ネルの洗いざらしを申し訳に背中だけへ乗せているのがある。そうかと思うと白の帆木綿に黒い縁をとって胸の真中に花文字を、同じ色に縫いつけた洒落者もある。いずれも一騎当千の猛将と見えて、丹波の国は笹山から昨夜着し立てでござると云わぬばかりに、黒く逞しく筋肉が発達している。中学などへ入れて学問をさせるのは惜しいものだ。漁師か船頭にしたら定めし国家のためになるだろうと思われるくらいである。彼等は申し合せたごとく、素足に股引を高くまくって、近火の手伝にでも行きそうな風体に見える。彼等は主人の前にならんだぎり黙然として一言も発しない。主人も口を開かない。しばらくの間双方共睨めくらをしているなかにちょっと殺気がある。
「貴様等はぬすっとうか」と主人は尋問した。大気である。奥歯で囓み潰した癇癪玉が炎となって鼻の穴から抜けるので、小鼻が、いちじるしく怒って見える。越後獅子の鼻は人間が怒った時の恰好を形どって作ったものであろう。それでなくてはあんなに恐しく出来るものではない。
「いえ泥棒ではありません。落雲館の生徒です」
「うそをつけ。落雲館の生徒が無断で人の庭宅に侵入する奴があるか」
「しかしこの通りちゃんと学校の徽章のついている帽子を被っています」
「にせものだろう。落雲館の生徒ならなぜむやみに侵入した」
「ボールが飛び込んだものですから」
「なぜボールを飛び込ました」
「つい飛び込んだんです」
「怪しからん奴だ」
「以後注意しますから、今度だけ許して下さい」
「どこの何者かわからん奴が垣を越えて邸内に闖入するのを、そう容易く許されると思うか」
「それでも落雲館の生徒に違ないんですから」
「落雲館の生徒なら何年生だ」
「三年生です」
「きっとそうか」
「ええ」
主人は奥の方を顧みながら、おいこらこらと云う。
埼玉生れの御三が襖をあけて、へえと顔を出す。
「落雲館へ行って誰か連れてこい」
「誰を連れて参ります」
「誰でもいいから連れてこい」
下女は「へえ」と答えたが、あまり庭前の光景が妙なのと、使の趣が判然しないのと、さっきからの事件の発展が馬鹿馬鹿しいので、立ちもせず、坐りもせずにやにや笑っている。主人はこれでも大戦争をしているつもりである。逆上的敏腕を大に振っているつもりである。しかるところ自分の召し使たる当然こっちの肩を持つべきものが、真面目な態度をもって事に臨まんのみか、用を言いつけるのを聞きながらにやにや笑っている。ますます逆上せざるを得ない。
「誰でも構わんから呼んで来いと云うのに、わからんか。校長でも幹事でも教頭でも……」
「あの校長さんを……」下女は校長と云う言葉だけしか知らないのである。
「校長でも、幹事でも教頭でもと云っているのにわからんか」
「誰もおりませんでしたら小使でもよろしゅうございますか」
「馬鹿を云え。小使などに何が分かるものか」
ここに至って下女もやむを得んと心得たものか、「へえ」と云って出て行った。使の主意はやはり飲み込めんのである。小使でも引張って来はせんかと心配していると、あに計らんや例の倫理の先生が表門から乗り込んで来た。平然と座に就くを待ち受けた主人は直ちに談判にとりかかる。
「ただ今邸内にこの者共が乱入致して……」と忠臣蔵のような古風な言葉を使ったが「本当に御校の生徒でしょうか」と少々皮肉に語尾を切った。
倫理の先生は別段驚いた様子もなく、平気で庭前にならんでいる勇士を一通り見廻わした上、もとのごとく瞳を主人の方にかえして、下のごとく答えた。
「さようみんな学校の生徒であります。こんな事のないように始終訓戒を加えておきますが……どうも困ったもので……なぜ君等は垣などを乗り越すのか」
さすがに生徒は生徒である、倫理の先生に向っては一言もないと見えて何とも云うものはない。おとなしく庭の隅にかたまって羊の群が雪に逢ったように控えている。
「丸が這入るのも仕方がないでしょう。こうして学校の隣りに住んでいる以上は、時々はボールも飛んで来ましょう。しかし……あまり乱暴ですからな。仮令垣を乗り越えるにしても知れないように、そっと拾って行くなら、まだ勘弁のしようもありますが……」
「ごもっともで、よく注意は致しますが何分多人数の事で……よくこれから注意をせんといかんぜ。もしボールが飛んだら表から廻って、御断りをして取らなければいかん。いいか。――広い学校の事ですからどうも世話ばかりやけて仕方がないです。で運動は教育上必要なものでありますから、どうもこれを禁ずる訳には参りかねるので。これを許すとつい御迷惑になるような事が出来ますが、これは是非御容赦を願いたいと思います。その代り向後はきっと表門から廻って御断りを致した上で取らせますから」
「いや、そう事が分かればよろしいです。球はいくら御投げになっても差支えはないです。表からきてちょっと断わって下されば構いません。ではこの生徒はあなたに御引き渡し申しますからお連れ帰りを願います。いやわざわざ御呼び立て申して恐縮です」と主人は例によって例のごとく竜頭蛇尾の挨拶をする。倫理の先生は丹波の笹山を連れて表門から落雲館へ引き上げる。吾輩のいわゆる大事件はこれで一とまず落着を告げた。何のそれが大事件かと笑うなら、笑うがいい。そんな人には大事件でないまでだ。吾輩は主人の大事件を写したので、そんな人の大事件を記したのではない。尻が切れて強弩の末勢だなどと悪口するものがあるなら、これが主人の特色である事を記憶して貰いたい。主人が滑稽文の材料になるのもまたこの特色に存する事を記憶して貰いたい。十四五の小供を相手にするのは馬鹿だと云うなら吾輩も馬鹿に相違ないと同意する。だから大町桂月は主人をつらまえて未だ稚気を免がれずと云うている。
吾輩はすでに小事件を叙し了り、今また大事件を述べ了ったから、これより大事件の後に起る余瀾を描き出だして、全篇の結びを付けるつもりである。すべて吾輩のかく事は、口から出任せのいい加減と思う読者もあるかも知れないが決してそんな軽率な猫ではない。一字一句の裏に宇宙の一大哲理を包含するは無論の事、その一字一句が層々連続すると首尾相応じ前後相照らして、瑣談繊話と思ってうっかりと読んでいたものが忽然豹変して容易ならざる法語となるんだから、決して寝ころんだり、足を出して五行ごとに一度に読むのだなどと云う無礼を演じてはいけない。柳宗元は韓退之の文を読むごとに薔薇の水で手を清めたと云うくらいだから、吾輩の文に対してもせめて自腹で雑誌を買って来て、友人の御余りを借りて間に合わすと云う不始末だけはない事に致したい。これから述べるのは、吾輩自ら余瀾と号するのだけれど、余瀾ならどうせつまらんに極っている、読まんでもよかろうなどと思うと飛んだ後悔をする。是非しまいまで精読しなくてはいかん。
大事件のあった翌日、吾輩はちょっと散歩がしたくなったから表へ出た。すると向う横町へ曲がろうと云う角で金田の旦那と鈴木の藤さんがしきりに立ちながら話をしている。金田君は車で自宅へ帰るところ、鈴木君は金田君の留守を訪問して引き返す途中で両人がばったりと出逢ったのである。近来は金田の邸内も珍らしくなくなったから、滅多にあちらの方角へは足が向かなかったが、こう御目に懸って見ると、何となく御懐かしい。鈴木にも久々だから余所ながら拝顔の栄を得ておこう。こう決心してのそのそ御両君の佇立しておらるる傍近く歩み寄って見ると、自然両君の談話が耳に入る。これは吾輩の罪ではない。先方が話しているのがわるいのだ。金田君は探偵さえ付けて主人の動静を窺がうくらいの程度の良心を有している男だから、吾輩が偶然君の談話を拝聴したって怒らるる気遣はあるまい。もし怒られたら君は公平と云う意味を御承知ないのである。とにかく吾輩は両君の談話を聞いたのである。聞きたくて聴いたのではない。聞きたくもないのに談話の方で吾輩の耳の中へ飛び込んで来たのである。
「只今御宅へ伺いましたところで、ちょうどよい所で御目にかかりました」と藤さんは鄭寧に頭をぴょこつかせる。
「うむ、そうかえ。実はこないだから、君にちょっと逢いたいと思っていたがね。それはよかった」
「へえ、それは好都合でございました。何かご用で」
「いや何、大した事でもないのさ。どうでもいいんだが、君でないと出来ない事なんだ」
「私に出来る事なら何でもやりましょう。どんな事で」
「ええ、そう……」と考えている。
「何なら、御都合のとき出直して伺いましょう。いつが宜しゅう、ございますか」
「なあに、そんな大した事じゃ無いのさ。――それじゃせっかくだから頼もうか」
「どうか御遠慮なく……」
「あの変人ね。そら君の旧友さ。苦沙弥とか何とか云うじゃないか」
「ええ苦沙弥がどうかしましたか」
「いえ、どうもせんがね。あの事件以来胸糞がわるくってね」
「ごもっともで、全く苦沙弥は剛慢ですから……少しは自分の社会上の地位を考えているといいのですけれども、まるで一人天下ですから」
「そこさ。金に頭はさげん、実業家なんぞ――とか何とか、いろいろ小生意気な事を云うから、そんなら実業家の腕前を見せてやろう、と思ってね。こないだから大分弱らしているんだが、やっぱり頑張っているんだ。どうも剛情な奴だ。驚ろいたよ」
「どうも損得と云う観念の乏しい奴ですから無暗に痩我慢を張るんでしょう。昔からああ云う癖のある男で、つまり自分の損になる事に気が付かないんですから度し難いです」
「あはははほんとに度し難い。いろいろ手を易え品を易えてやって見るんだがね。とうとうしまいに学校の生徒にやらした」
「そいつは妙案ですな。利目がございましたか」
「これにゃあ、奴も大分困ったようだ。もう遠からず落城するに極っている」
「そりゃ結構です。いくら威張っても多勢に無勢ですからな」
「そうさ、一人じゃあ仕方がねえ。それで大分弱ったようだが、まあどんな様子か君に行って見て来てもらおうと云うのさ」
「はあ、そうですか。なに訳はありません。すぐ行って見ましょう。容子は帰りがけに御報知を致す事にして。面白いでしょう、あの頑固なのが意気銷沈しているところは、きっと見物ですよ」
「ああ、それじゃ帰りに御寄り、待っているから」
「それでは御免蒙ります」
おや今度もまた魂胆だ、なるほど実業家の勢力はえらいものだ、石炭の燃殻のような主人を逆上させるのも、苦悶の結果主人の頭が蠅滑りの難所となるのも、その頭がイスキラスと同様の運命に陥るのも皆実業家の勢力である。地球が地軸を廻転するのは何の作用かわからないが、世の中を動かすものはたしかに金である。この金の功力を心得て、この金の威光を自由に発揮するものは実業家諸君をおいてほかに一人もない。太陽が無事に東から出て、無事に西へ入るのも全く実業家の御蔭である。今まではわからずやの窮措大の家に養なわれて実業家の御利益を知らなかったのは、我ながら不覚である。それにしても冥頑不霊の主人も今度は少し悟らずばなるまい。これでも冥頑不霊で押し通す了見だと危ない。主人のもっとも貴重する命があぶない。彼は鈴木君に逢ってどんな挨拶をするのか知らん。その模様で彼の悟り具合も自から分明になる。愚図愚図してはおられん、猫だって主人の事だから大に心配になる。早々鈴木君をすり抜けて御先へ帰宅する。
鈴木君はあいかわらず調子のいい男である。今日は金田の事などはおくびにも出さない、しきりに当り障りのない世間話を面白そうにしている。
「君少し顔色が悪いようだぜ、どうかしやせんか」
「別にどこも何ともないさ」
「でも蒼いぜ、用心せんといかんよ。時候がわるいからね。よるは安眠が出来るかね」
「うん」
「何か心配でもありゃしないか、僕に出来る事なら何でもするぜ。遠慮なく云い給え」
「心配って、何を?」
「いえ、なければいいが、もしあればと云う事さ。心配が一番毒だからな。世の中は笑って面白く暮すのが得だよ。どうも君はあまり陰気過ぎるようだ」
「笑うのも毒だからな。無暗に笑うと死ぬ事があるぜ」
「冗談云っちゃいけない。笑う門には福来るさ」
「昔し希臘にクリシッパスと云う哲学者があったが、君は知るまい」
「知らない。それがどうしたのさ」
「その男が笑い過ぎて死んだんだ」
「へえー、そいつは不思議だね、しかしそりゃ昔の事だから……」
「昔しだって今だって変りがあるものか。驢馬が銀の丼から無花果を食うのを見て、おかしくってたまらなくって無暗に笑ったんだ。ところがどうしても笑いがとまらない。とうとう笑い死にに死んだんだあね」
「はははしかしそんなに留め度もなく笑わなくってもいいさ。少し笑う――適宜に、――そうするといい心持ちだ」
鈴木君がしきりに主人の動静を研究していると、表の門ががらがらとあく、客来かと思うとそうでない。
「ちょっとボールが這入りましたから、取らして下さい」
下女は台所から「はい」と答える。書生は裏手へ廻る。鈴木は妙な顔をして何だいと聞く。
「裏の書生がボールを庭へ投げ込んだんだ」
「裏の書生? 裏に書生がいるのかい」
「落雲館と云う学校さ」
「ああそうか、学校か。随分騒々しいだろうね」
「騒々しいの何のって。碌々勉強も出来やしない。僕が文部大臣なら早速閉鎖を命じてやる」
「ハハハ大分怒ったね。何か癪に障る事でも有るのかい」
「あるのないのって、朝から晩まで癪に障り続けだ」
「そんなに癪に障るなら越せばいいじゃないか」
「誰が越すもんか、失敬千万な」
「僕に怒ったって仕方がない。なあに小供だあね、打ちゃっておけばいいさ」
「君はよかろうが僕はよくない。昨日は教師を呼びつけて談判してやった」
「それは面白かったね。恐れ入ったろう」
「うん」
この時また門口をあけて「ちょっとボールが這入りましたから取らして下さい」と云う声がする。
「いや大分来るじゃないか、またボールだぜ君」
「うん、表から来るように契約したんだ」
「なるほどそれであんなにくるんだね。そうーか、分った」
「何が分ったんだい」
「なに、ボールを取りにくる源因がさ」
「今日はこれで十六返目だ」
「君うるさくないか。来ないようにしたらいいじゃないか」
「来ないようにするったって、来るから仕方がないさ」
「仕方がないと云えばそれまでだが、そう頑固にしていないでもよかろう。人間は角があると世の中を転がって行くのが骨が折れて損だよ。丸いものはごろごろどこへでも苦なしに行けるが四角なものはころがるに骨が折れるばかりじゃない、転がるたびに角がすれて痛いものだ。どうせ自分一人の世の中じゃなし、そう自分の思うように人はならないさ。まあ何だね。どうしても金のあるものに、たてを突いちゃ損だね。ただ神経ばかり痛めて、からだは悪くなる、人は褒めてくれず。向うは平気なものさ。坐って人を使いさえすればすむんだから。多勢に無勢どうせ、叶わないのは知れているさ。頑固もいいが、立て通すつもりでいるうちに、自分の勉強に障ったり、毎日の業務に煩を及ぼしたり、とどのつまりが骨折り損の草臥儲けだからね」
「ご免なさい。今ちょっとボールが飛びましたから、裏口へ廻って、取ってもいいですか」
「そらまた来たぜ」と鈴木君は笑っている。
「失敬な」と主人は真赤になっている。
鈴木君はもう大概訪問の意を果したと思ったから、それじゃ失敬ちと来たまえと帰って行く。
入れ代ってやって来たのが甘木先生である。逆上家が自分で逆上家だと名乗る者は昔しから例が少ない、これは少々変だなと覚った時は逆上の峠はもう越している。主人の逆上は昨日の大事件の際に最高度に達したのであるが、談判も竜頭蛇尾たるに係らず、どうかこうか始末がついたのでその晩書斎でつくづく考えて見ると少し変だと気が付いた。もっとも落雲館が変なのか、自分が変なのか疑を存する余地は充分あるが、何しろ変に違ない。いくら中学校の隣に居を構えたって、かくのごとく年が年中肝癪を起しつづけはちと変だと気が付いた。変であって見ればどうかしなければならん。どうするったって仕方がない、やはり医者の薬でも飲んで肝癪の源に賄賂でも使って慰撫するよりほかに道はない。こう覚ったから平生かかりつけの甘木先生を迎えて診察を受けて見ようと云う量見を起したのである。賢か愚か、その辺は別問題として、とにかく自分の逆上に気が付いただけは殊勝の志、奇特の心得と云わなければならん。甘木先生は例のごとくにこにこと落ちつき払って、「どうです」と云う。医者は大抵どうですと云うに極まってる。吾輩は「どうです」と云わない医者はどうも信用をおく気にならん。
「先生どうも駄目ですよ」
「え、何そんな事があるものですか」
「一体医者の薬は利くものでしょうか」
甘木先生も驚ろいたが、そこは温厚の長者だから、別段激した様子もなく、
「利かん事もないです」と穏かに答えた。
「私の胃病なんか、いくら薬を飲んでも同じ事ですぜ」
「決して、そんな事はない」
「ないですかな。少しは善くなりますかな」と自分の胃の事を人に聞いて見る。
「そう急には、癒りません、だんだん利きます。今でももとより大分よくなっています」
「そうですかな」
「やはり肝癪が起りますか」
「起りますとも、夢にまで肝癪を起します」
「運動でも、少しなさったらいいでしょう」
「運動すると、なお肝癪が起ります」
甘木先生もあきれ返ったものと見えて、
「どれ一つ拝見しましょうか」と診察を始める。診察を終るのを待ちかねた主人は、突然大きな声を出して、
「先生、せんだって催眠術のかいてある本を読んだら、催眠術を応用して手癖のわるいんだの、いろいろな病気だのを直す事が出来ると書いてあったですが、本当でしょうか」と聞く。
「ええ、そう云う療法もあります」
「今でもやるんですか」
「ええ」
「催眠術をかけるのはむずかしいものでしょうか」
「なに訳はありません、私などもよく懸けます」
「先生もやるんですか」
「ええ、一つやって見ましょうか。誰でも懸らなければならん理窟のものです。あなたさえ善ければ懸けて見ましょう」
「そいつは面白い、一つ懸けて下さい。私もとうから懸かって見たいと思ったんです。しかし懸かりきりで眼が覚めないと困るな」
「なに大丈夫です。それじゃやりましょう」
相談はたちまち一決して、主人はいよいよ催眠術を懸けらるる事となった。吾輩は今までこんな事を見た事がないから心ひそかに喜んでその結果を座敷の隅から拝見する。先生はまず、主人の眼からかけ始めた。その方法を見ていると、両眼の上瞼を上から下へと撫でて、主人がすでに眼を眠っているにも係らず、しきりに同じ方向へくせを付けたがっている。しばらくすると先生は主人に向って「こうやって、瞼を撫でていると、だんだん眼が重たくなるでしょう」と聞いた。主人は「なるほど重くなりますな」と答える。先生はなお同じように撫でおろし、撫でおろし「だんだん重くなりますよ、ようござんすか」と云う。主人もその気になったものか、何とも云わずに黙っている。同じ摩擦法はまた三四分繰り返される。最後に甘木先生は「さあもう開きませんぜ」と云われた。可哀想に主人の眼はとうとう潰れてしまった。「もう開かんのですか」「ええもうあきません」主人は黙然として目を眠っている。吾輩は主人がもう盲目になったものと思い込んでしまった。しばらくして先生は「あけるなら開いて御覧なさい。とうていあけないから」と云われる。「そうですか」と云うが早いか主人は普通の通り両眼を開いていた。主人はにやにや笑いながら「懸かりませんな」と云うと甘木先生も同じく笑いながら「ええ、懸りません」と云う。催眠術はついに不成功に了る。甘木先生も帰る。
その次に来たのが――主人のうちへこのくらい客の来た事はない。交際の少ない主人の家にしてはまるで嘘のようである。しかし来たに相違ない。しかも珍客が来た。吾輩がこの珍客の事を一言でも記述するのは単に珍客であるがためではない。吾輩は先刻申す通り大事件の余瀾を描きつつある。しかしてこの珍客はこの余瀾を描くに方って逸すべからざる材料である。何と云う名前か知らん、ただ顔の長い上に、山羊のような髯を生やしている四十前後の男と云えばよかろう。迷亭の美学者たるに対して、吾輩はこの男を哲学者と呼ぶつもりである。なぜ哲学者と云うと、何も迷亭のように自分で振り散らすからではない、ただ主人と対話する時の様子を拝見しているといかにも哲学者らしく思われるからである。これも昔しの同窓と見えて両人共応対振りは至極打ち解けた有様だ。
「うん迷亭か、あれは池に浮いてる金魚麩のようにふわふわしているね。せんだって友人を連れて一面識もない華族の門前を通行した時、ちょっと寄って茶でも飲んで行こうと云って引っ張り込んだそうだが随分呑気だね」
「それでどうしたい」
「どうしたか聞いても見なかったが、――そうさ、まあ天稟の奇人だろう、その代り考も何もない全く金魚麩だ。鈴木か、――あれがくるのかい、へえー、あれは理窟はわからんが世間的には利口な男だ。金時計は下げられるたちだ。しかし奥行きがないから落ちつきがなくって駄目だ。円滑円滑と云うが、円滑の意味も何もわかりはせんよ。迷亭が金魚麩ならあれは藁で括った蒟蒻だね。ただわるく滑かでぶるぶる振えているばかりだ」
主人はこの奇警な比喩を聞いて、大に感心したものらしく、久し振りでハハハと笑った。
「そんなら君は何だい」
「僕か、そうさな僕なんかは――まあ自然薯くらいなところだろう。長くなって泥の中に埋ってるさ」
「君は始終泰然として気楽なようだが、羨ましいな」
「なに普通の人間と同じようにしているばかりさ。別に羨まれるに足るほどの事もない。ただありがたい事に人を羨む気も起らんから、それだけいいね」
「会計は近頃豊かかね」
「なに同じ事さ。足るや足らずさ。しかし食うているから大丈夫。驚かないよ」
「僕は不愉快で、肝癪が起ってたまらん。どっちを向いても不平ばかりだ」
「不平もいいさ。不平が起ったら起してしまえば当分はいい心持ちになれる。人間はいろいろだから、そう自分のように人にもなれと勧めたって、なれるものではない。箸は人と同じように持たんと飯が食いにくいが、自分の麺麭は自分の勝手に切るのが一番都合がいいようだ。上手な仕立屋で着物をこしらえれば、着たてから、からだに合ったのを持ってくるが、下手の裁縫屋に誂えたら当分は我慢しないと駄目さ。しかし世の中はうまくしたもので、着ているうちには洋服の方で、こちらの骨格に合わしてくれるから。今の世に合うように上等な両親が手際よく生んでくれれば、それが幸福なのさ。しかし出来損こなったら世の中に合わないで我慢するか、または世の中で合わせるまで辛抱するよりほかに道はなかろう」
「しかし僕なんか、いつまで立っても合いそうにないぜ、心細いね」
「あまり合わない背広を無理にきると綻びる。喧嘩をしたり、自殺をしたり騒動が起るんだね。しかし君なんかただ面白くないと云うだけで自殺は無論しやせず、喧嘩だってやった事はあるまい。まあまあいい方だよ」
「ところが毎日喧嘩ばかりしているさ。相手が出て来なくっても怒っておれば喧嘩だろう」
「なるほど一人喧嘩だ。面白いや、いくらでもやるがいい」
「それがいやになった」
「そんならよすさ」
「君の前だが自分の心がそんなに自由になるものじゃない」
「まあ全体何がそんなに不平なんだい」
主人はここにおいて落雲館事件を始めとして、今戸焼の狸から、ぴん助、きしゃごそのほかあらゆる不平を挙げて滔々と哲学者の前に述べ立てた。哲学者先生はだまって聞いていたが、ようやく口を開いて、かように主人に説き出した。
「ぴん助やきしゃごが何を云ったって知らん顔をしておればいいじゃないか。どうせ下らんのだから。中学の生徒なんか構う価値があるものか。なに妨害になる。だって談判しても、喧嘩をしてもその妨害はとれんのじゃないか。僕はそう云う点になると西洋人より昔しの日本人の方がよほどえらいと思う。西洋人のやり方は積極的積極的と云って近頃大分流行るが、あれは大なる欠点を持っているよ。第一積極的と云ったって際限がない話しだ。いつまで積極的にやり通したって、満足と云う域とか完全と云う境にいけるものじゃない。向に檜があるだろう。あれが目障りになるから取り払う。とその向うの下宿屋がまた邪魔になる。下宿屋を退去させると、その次の家が癪に触る。どこまで行っても際限のない話しさ。西洋人の遣り口はみんなこれさ。ナポレオンでも、アレキサンダーでも勝って満足したものは一人もないんだよ。人が気に喰わん、喧嘩をする、先方が閉口しない、法庭へ訴える、法庭で勝つ、それで落着と思うのは間違さ。心の落着は死ぬまで焦ったって片付く事があるものか。寡人政治がいかんから、代議政体にする。代議政体がいかんから、また何かにしたくなる。川が生意気だって橋をかける、山が気に喰わんと云って隧道を堀る。交通が面倒だと云って鉄道を布く。それで永久満足が出来るものじゃない。さればと云って人間だものどこまで積極的に我意を通す事が出来るものか。西洋の文明は積極的、進取的かも知れないがつまり不満足で一生をくらす人の作った文明さ。日本の文明は自分以外の状態を変化させて満足を求めるのじゃない。西洋と大に違うところは、根本的に周囲の境遇は動かすべからざるものと云う一大仮定の下に発達しているのだ。親子の関係が面白くないと云って欧洲人のようにこの関係を改良して落ちつきをとろうとするのではない。親子の関係は在来のままでとうてい動かす事が出来んものとして、その関係の下に安心を求むる手段を講ずるにある。夫婦君臣の間柄もその通り、武士町人の区別もその通り、自然その物を観るのもその通り。――山があって隣国へ行かれなければ、山を崩すと云う考を起す代りに隣国へ行かんでも困らないと云う工夫をする。山を越さなくとも満足だと云う心持ちを養成するのだ。それだから君見給え。禅家でも儒家でもきっと根本的にこの問題をつらまえる。いくら自分がえらくても世の中はとうてい意のごとくなるものではない、落日を回らす事も、加茂川を逆に流す事も出来ない。ただ出来るものは自分の心だけだからね。心さえ自由にする修業をしたら、落雲館の生徒がいくら騒いでも平気なものではないか、今戸焼の狸でも構わんでおられそうなものだ。ぴん助なんか愚な事を云ったらこの馬鹿野郎とすましておれば仔細なかろう。何でも昔しの坊主は人に斬り付けられた時電光影裏に春風を斬るとか、何とか洒落れた事を云ったと云う話だぜ。心の修業がつんで消極の極に達するとこんな霊活な作用が出来るのじゃないかしらん。僕なんか、そんなむずかしい事は分らないが、とにかく西洋人風の積極主義ばかりがいいと思うのは少々誤まっているようだ。現に君がいくら積極主義に働いたって、生徒が君をひやかしにくるのをどうする事も出来ないじゃないか。君の権力であの学校を閉鎖するか、または先方が警察に訴えるだけのわるい事をやれば格別だが、さもない以上は、どんなに積極的に出たったて勝てっこないよ。もし積極的に出るとすれば金の問題になる。多勢に無勢の問題になる。換言すると君が金持に頭を下げなければならんと云う事になる。衆を恃む小供に恐れ入らなければならんと云う事になる。君のような貧乏人でしかもたった一人で積極的に喧嘩をしようと云うのがそもそも君の不平の種さ。どうだい分ったかい」
主人は分ったとも、分らないとも言わずに聞いていた。珍客が帰ったあとで書斎へ這入って書物も読まずに何か考えていた。
鈴木の藤さんは金と衆とに従えと主人に教えたのである。甘木先生は催眠術で神経を沈めろと助言したのである。最後の珍客は消極的の修養で安心を得ろと説法したのである。主人がいずれを択ぶかは主人の随意である。ただこのままでは通されないに極まっている。