吾輩は猫である

23話 九(1)

8,018字 約16分 1999年9月21日 公開

読み方を変える
字の大きさ
行の間隔
1行の長さ
書体
配色
組み方

 主人は痘痕面(あばたづら)である。御維新前(ごいっしんまえ)はあばたも大分(だいぶ)流行(はや)ったものだそうだが日英同盟の今日(こんにち)から見ると、こんな顔はいささか時候後(おく)れの感がある。あばたの衰退は人口の増殖と反比例して近き将来には全くその迹(あと)を絶つに至るだろうとは医学上の統計から精密に割り出されたる結論であって、吾輩のごとき猫といえども毫(ごう)も疑を挟(さしはさ)む余地のないほどの名論である。現今地球上にあばたっ面(つら)を有して生息している人間は何人くらいあるか知らんが、吾輩が交際の区域内において打算して見ると、猫には一匹もない。人間にはたった一人ある。しかしてその一人が即(すなわ)ち主人である。はなはだ気の毒である。

 吾輩は主人の顔を見る度に考える。まあ何の因果でこんな妙な顔をして臆面(おくめん)なく二十世紀の空気を呼吸しているのだろう。昔なら少しは幅も利(き)いたか知らんが、あらゆるあばたが二の腕へ立ち退(の)きを命ぜられた昨今、依然として鼻の頭や頬の上へ陣取って頑(がん)として動かないのは自慢にならんのみか、かえってあばたの体面に関する訳だ。出来る事なら今のうち取り払ったらよさそうなものだ。あばた自身だって心細いに違いない。それとも党勢不振の際、誓って落日を中天(ちゅうてん)に挽回(ばんかい)せずんばやまずと云う意気込みで、あんなに横風(おうふう)に顔一面を占領しているのか知らん。そうするとこのあばたは決して軽蔑(けいべつ)の意をもって視(み)るべきものでない。滔々(とうとう)たる流俗に抗する万古不磨(ばんこふま)の穴の集合体であって、大(おおい)に吾人の尊敬に値する凸凹(でこぼこ)と云って宜(よろ)しい。ただきたならしいのが欠点である。

 主人の小供のときに牛込の山伏町に浅田宗伯(あさだそうはく)と云う漢法の名医があったが、この老人が病家を見舞うときには必ずかごに乗ってそろりそろりと参られたそうだ。ところが宗伯老が亡くなられてその養子の代になったら、かごがたちまち人力車に変じた。だから養子が死んでそのまた養子が跡を続(つ)いだら葛根湯(かっこんとう)がアンチピリンに化けるかも知れない。かごに乗って東京市中を練りあるくのは宗伯老の当時ですらあまり見っともいいものでは無かった。こんな真似をして澄(すま)していたものは旧弊な亡者(もうじゃ)と、汽車へ積み込まれる豚と、宗伯老とのみであった。

 主人のあばたもその振わざる事においては宗伯老のかごと一般で、はたから見ると気の毒なくらいだが、漢法医にも劣らざる頑固(がんこ)な主人は依然として孤城落日のあばたを天下に曝露(ばくろ)しつつ毎日登校してリードルを教えている。

 かくのごとき前世紀の紀念を満面に刻(こく)して教壇に立つ彼は、その生徒に対して授業以外に大(だい)なる訓戒を垂れつつあるに相違ない。彼は「猿が手を持つ」を反覆するよりも「あばたの顔面に及ぼす影響」と云う大問題を造作(ぞうさ)もなく解釈して、不言(ふげん)の間(かん)にその答案を生徒に与えつつある。もし主人のような人間が教師として存在しなくなった暁(あかつき)には彼等生徒はこの問題を研究するために図書館もしくは博物館へ馳けつけて、吾人がミイラによって埃及人(エジプトじん)を髣髴(ほうふつ)すると同程度の労力を費(つい)やさねばならぬ。この点(てん)から見ると主人の痘痕(あばた)も冥々(めいめい)の裡(うち)に妙な功徳(くどく)を施こしている。

 もっとも主人はこの功徳を施こすために顔一面に疱瘡(ほうそう)を種(う)え付けたのではない。これでも実は種え疱瘡をしたのである。不幸にして腕に種えたと思ったのが、いつの間(ま)にか顔へ伝染していたのである。その頃は小供の事で今のように色気(いろけ)もなにもなかったものだから、痒(かゆ)い痒いと云いながら無暗(むやみ)に顔中引き掻(か)いたのだそうだ。ちょうど噴火山が破裂してラヴァが顔の上を流れたようなもので、親が生んでくれた顔を台なしにしてしまった。主人は折々細君に向って疱瘡をせぬうちは玉のような男子であったと云っている。浅草の観音様(かんのんさま)で西洋人が振り反(かえ)って見たくらい奇麗だったなどと自慢する事さえある。なるほどそうかも知れない。ただ誰も保証人のいないのが残念である。

 いくら功徳になっても訓戒になっても、きたない者はやっぱりきたないものだから、物心(ものごころ)がついて以来と云うもの主人は大(おおい)にあばたについて心配し出して、あらゆる手段を尽してこの醜態を揉(も)み潰(つぶ)そうとした。ところが宗伯老のかごと違って、いやになったからと云うてそう急に打ちやられるものではない。今だに歴然と残っている。この歴然が多少気にかかると見えて、主人は往来をあるく度毎にあばた面(づら)を勘定してあるくそうだ。今日何人あばたに出逢って、その主(ぬし)は男か女か、その場所は小川町の勧工場(かんこうば)であるか、上野の公園であるか、ことごとく彼の日記につけ込んである。彼はあばたに関する智識においては決して誰にも譲るまいと確信している。せんだってある洋行帰りの友人が来た折なぞは、「君西洋人にはあばたがあるかな」と聞いたくらいだ。するとその友人が「そうだな」と首を曲げながらよほど考えたあとで「まあ滅多(めった)にないね」と云ったら、主人は「滅多になくっても、少しはあるかい」と念を入れて聞き返えした。友人は気のない顔で「あっても乞食か立(たち)ん坊(ぼう)だよ。教育のある人にはないようだ」と答えたら、主人は「そうかなあ、日本とは少し違うね」と云った。

 哲学者の意見によって落雲館との喧嘩を思い留った主人はその後書斎に立て籠(こも)ってしきりに何か考えている。彼の忠告を容(い)れて静坐の裡(うち)に霊活なる精神を消極的に修養するつもりかも知れないが、元来が気の小さな人間の癖に、ああ陰気な懐手(ふところで)ばかりしていては碌(ろく)な結果の出ようはずがない。それより英書でも質に入れて芸者から喇叭節(らっぱぶし)でも習った方が遥(はる)かにましだとまでは気が付いたが、あんな偏屈(へんくつ)な男はとうてい猫の忠告などを聴く気遣(きづかい)はないから、まあ勝手にさせたらよかろうと五六日は近寄りもせずに暮した。

 今日はあれからちょうど七日目(なぬかめ)である。禅家などでは一七日(いちしちにち)を限って大悟して見せるなどと凄(すさま)じい勢(いきおい)で結跏(けっか)する連中もある事だから、うちの主人もどうかなったろう、死ぬか生きるか何とか片付いたろうと、のそのそ椽側(えんがわ)から書斎の入口まで来て室内の動静を偵察(ていさつ)に及んだ。

 書斎は南向きの六畳で、日当りのいい所に大きな机が据(す)えてある。ただ大きな机ではわかるまい。長さ六尺、幅三尺八寸高さこれにかなうと云う大きな机である。無論出来合のものではない。近所の建具屋に談判して寝台兼(けん)机として製造せしめたる稀代(きたい)の品物である。何の故にこんな大きな机を新調して、また何の故にその上に寝て見ようなどという了見(りょうけん)を起したものか、本人に聞いて見ない事だから頓(とん)とわからない。ほんの一時の出来心で、かかる難物を担(かつ)ぎ込んだのかも知れず、あるいはことによると一種の精神病者において吾人がしばしば見出(みいだ)すごとく、縁もゆかりもない二個の観念を連想して、机と寝台を勝手に結び付けたものかも知れない。とにかく奇抜な考えである。ただ奇抜だけで役に立たないのが欠点である。吾輩はかつて主人がこの机の上へ昼寝をして寝返りをする拍子(ひょうし)に椽側へ転げ落ちたのを見た事がある。それ以来この机は決して寝台に転用されないようである。

 机の前には薄っぺらなメリンスの座布団(ざぶとん)があって、煙草(たばこ)の火で焼けた穴が三つほどかたまってる。中から見える綿は薄黒い。この座布団の上に後(うし)ろ向きにかしこまっているのが主人である。鼠色によごれた兵児帯(へこおび)をこま結びにむすんだ左右がだらりと足の裏へ垂れかかっている。この帯へじゃれ付いて、いきなり頭を張られたのはこないだの事である。滅多(めった)に寄り付くべき帯ではない。

 まだ考えているのか下手(へた)の考と云う喩(たとえ)もあるのにと後(うし)ろから覗(のぞ)き込んで見ると、机の上でいやにぴかぴかと光ったものがある。吾輩は思わず、続け様に二三度瞬(まばたき)をしたが、こいつは変だとまぶしいのを我慢してじっと光るものを見つめてやった。するとこの光りは机の上で動いている鏡から出るものだと云う事が分った。しかし主人は何のために書斎で鏡などを振り舞わしているのであろう。鏡と云えば風呂場にあるに極(き)まっている。現に吾輩は今朝風呂場でこの鏡を見たのだ。この鏡ととくに云うのは主人のうちにはこれよりほかに鏡はないからである。主人が毎朝顔を洗ったあとで髪を分けるときにもこの鏡を用いる。――主人のような男が髪を分けるのかと聞く人もあるかも知れぬが、実際彼は他(ほか)の事に無精(ぶしょう)なるだけそれだけ頭を叮嚀(ていねい)にする。吾輩が当家に参ってから今に至るまで主人はいかなる炎熱の日といえども五分刈に刈り込んだ事はない。必(かなら)ず二寸くらいの長さにして、それを御大(ごたい)そうに左の方で分けるのみか、右の端(はじ)をちょっと跳(は)ね返して澄(すま)している。これも精神病の徴候かも知れない。こんな気取った分け方はこの机と一向(いっこう)調和しないと思うが、あえて他人に害を及ぼすほどの事でないから、誰も何とも云わない。本人も得意である。分け方のハイカラなのはさておいて、なぜあんなに髪を長くするのかと思ったら実はこう云う訳(わけ)である。彼のあばたは単に彼の顔を侵蝕(しんしょく)せるのみならず、とくの昔(むか)しに脳天まで食い込んでいるのだそうだ。だからもし普通の人のように五分刈や三分刈にすると、短かい毛の根本から何十となくあばたがあらわれてくる。いくら撫(な)でても、さすってもぽつぽつがとれない。枯野に蛍(ほたる)を放ったようなもので風流かも知れないが、細君の御意(ぎょい)に入らんのは勿論(もちろん)の事である。髪さえ長くしておけば露見しないですむところを、好んで自己の非を曝(あば)くにも当らぬ訳だ。なろう事なら顔まで毛を生やして、こっちのあばたも内済(ないさい)にしたいくらいなところだから、ただで生(は)える毛を銭(ぜに)を出して刈り込ませて、私は頭蓋骨(ずがいこつ)の上まで天然痘(てんねんとう)にやられましたよと吹聴(ふいちょう)する必要はあるまい。――これが主人の髪を長くする理由で、髪を長くするのが、彼の髪をわける原因で、その原因が鏡を見る訳で、その鏡が風呂場にある所以(ゆえん)で、しこうしてその鏡が一つしかないと云う事実である。

 風呂場にあるべき鏡が、しかも一つしかない鏡が書斎に来ている以上は鏡が離魂病(りこんびょう)に罹(かか)ったのかまたは主人が風呂場から持って来たに相違ない。持って来たとすれば何のために持って来たのだろう。あるいは例の消極的修養に必要な道具かも知れない。昔(むか)し或る学者が何とかいう智識を訪(と)うたら、和尚(おしょう)両肌を抜いで甎(かわら)を磨(ま)しておられた。何をこしらえなさると質問をしたら、なにさ今鏡を造ろうと思うて一生懸命にやっておるところじゃと答えた。そこで学者は驚ろいて、なんぼ名僧でも甎を磨して鏡とする事は出来まいと云うたら、和尚からからと笑いながらそうか、それじゃやめよ、いくら書物を読んでも道はわからぬのもそんなものじゃろと罵(ののし)ったと云うから、主人もそんな事を聞き噛(かじ)って風呂場から鏡でも持って来て、したり顔に振り廻しているのかも知れない。大分(だいぶ)物騒になって来たなと、そっと窺(うかが)っている。

 かくとも知らぬ主人ははなはだ熱心なる容子(ようす)をもって一張来(いっちょうらい)の鏡を見つめている。元来鏡というものは気味の悪いものである。深夜蝋燭(ろうそく)を立てて、広い部屋のなかで一人鏡を覗(のぞ)き込むにはよほどの勇気がいるそうだ。吾輩などは始めて当家の令嬢から鏡を顔の前へ押し付けられた時に、はっと仰天(ぎょうてん)して屋敷のまわりを三度馳(か)け回ったくらいである。いかに白昼といえども、主人のようにかく一生懸命に見つめている以上は自分で自分の顔が怖(こわ)くなるに相違ない。ただ見てさえあまり気味のいい顔じゃない。ややあって主人は「なるほどきたない顔だ」と独(ひと)り言(ごと)を云った。自己の醜を自白するのはなかなか見上げたものだ。様子から云うとたしかに気違の所作(しょさ)だが言うことは真理である。これがもう一歩進むと、己(おの)れの醜悪な事が怖(こわ)くなる。人間は吾身が怖ろしい悪党であると云う事実を徹骨徹髄に感じた者でないと苦労人とは云えない。苦労人でないととうてい解脱(げだつ)は出来ない。主人もここまで来たらついでに「おお怖(こわ)い」とでも云いそうなものであるがなかなか云わない。「なるほどきたない顔だ」と云ったあとで、何を考え出したか、ぷうっと頬(ほ)っぺたを膨(ふく)らました。そうしてふくれた頬っぺたを平手(ひらて)で二三度叩(たた)いて見る。何のまじないだか分らない。この時吾輩は何だかこの顔に似たものがあるらしいと云う感じがした。よくよく考えて見るとそれは御三(おさん)の顔である。ついでだから御三の顔をちょっと紹介するが、それはそれはふくれたものである。この間さる人が穴守稲荷(あなもりいなり)から河豚(ふぐ)の提灯(ちょうちん)をみやげに持って来てくれたが、ちょうどあの河豚提灯(ふぐちょうちん)のようにふくれている。あまりふくれ方が残酷なので眼は両方共紛失している。もっとも河豚のふくれるのは万遍なく真丸(まんまる)にふくれるのだが、お三とくると、元来の骨格が多角性であって、その骨格通りにふくれ上がるのだから、まるで水気(すいき)になやんでいる六角時計のようなものだ。御三が聞いたらさぞ怒(おこ)るだろうから、御三はこのくらいにしてまた主人の方に帰るが、かくのごとくあらん限りの空気をもって頬(ほ)っぺたをふくらませたる彼は前(ぜん)申す通り手のひらで頬(ほっ)ぺたを叩きながら「このくらい皮膚が緊張するとあばたも眼につかん」とまた独(ひと)り語(ごと)をいった。

 こんどは顔を横に向けて半面に光線を受けた所を鏡にうつして見る。「こうして見ると大変目立つ。やっぱりまともに日の向いてる方が平(たいら)に見える。奇体な物だなあ」と大分(だいぶ)感心した様子であった。それから右の手をうんと伸(のば)して、出来るだけ鏡を遠距離に持って行って静かに熟視している。「このくらい離れるとそんなでもない。やはり近過ぎるといかん。――顔ばかりじゃない何でもそんなものだ」と悟ったようなことを云う。次に鏡を急に横にした。そうして鼻の根を中心にして眼や額や眉(まゆ)を一度にこの中心に向ってくしゃくしゃとあつめた。見るからに不愉快な容貌(ようぼう)が出来上ったと思ったら「いやこれは駄目だ」と当人も気がついたと見えて早々(そうそう)やめてしまった。「なぜこんなに毒々しい顔だろう」と少々不審の体(てい)で鏡を眼を去る三寸ばかりの所へ引き寄せる。右の人指しゆびで小鼻を撫(な)でて、撫でた指の頭を机の上にあった吸取(すいと)り紙(がみ)の上へ、うんと押しつける。吸い取られた鼻の膏(あぶら)が丸(ま)るく紙の上へ浮き出した。いろいろな芸をやるものだ。それから主人は鼻の膏を塗抹(とまつ)した指頭(しとう)を転じてぐいと右眼(うがん)の下瞼(したまぶた)を裏返して、俗に云うべっかんこうを見事にやって退(の)けた。あばたを研究しているのか、鏡と睨(にら)め競(くら)をしているのかその辺は少々不明である。気の多い主人の事だから見ているうちにいろいろになると見える。それどころではない。もし善意をもって蒟蒻(こんにゃく)問答的(もんどうてき)に解釈してやれば主人は見性自覚(けんしょうじかく)の方便(ほうべん)としてかように鏡を相手にいろいろな仕草(しぐさ)を演じているのかも知れない。すべて人間の研究と云うものは自己を研究するのである。天地と云い山川(さんせん)と云い日月(じつげつ)と云い星辰(せいしん)と云うも皆自己の異名(いみょう)に過ぎぬ。自己を措(お)いて他に研究すべき事項は誰人(たれびと)にも見出(みいだ)し得ぬ訳だ。もし人間が自己以外に飛び出す事が出来たら、飛び出す途端に自己はなくなってしまう。しかも自己の研究は自己以外に誰もしてくれる者はない。いくら仕てやりたくても、貰いたくても、出来ない相談である。それだから古来の豪傑はみんな自力で豪傑になった。人のお蔭で自己が分るくらいなら、自分の代理に牛肉を喰わして、堅いか柔かいか判断の出来る訳だ。朝(あした)に法を聴き、夕(ゆうべ)に道を聴き、梧前灯下(ごぜんとうか)に書巻を手にするのは皆この自証(じしょう)を挑撥(ちょうはつ)するの方便(ほうべん)の具(ぐ)に過ぎぬ。人の説く法のうち、他の弁ずる道のうち、乃至(ないし)は五車(ごしゃ)にあまる蠧紙堆裏(としたいり)に自己が存在する所以(ゆえん)がない。あれば自己の幽霊である。もっともある場合において幽霊は無霊(むれい)より優るかも知れない。影を追えば本体に逢着(ほうちゃく)する時がないとも限らぬ。多くの影は大抵本体を離れぬものだ。この意味で主人が鏡をひねくっているなら大分(だいぶ)話せる男だ。エピクテタスなどを鵜呑(うのみ)にして学者ぶるよりも遥(はる)かにましだと思う。

 鏡は己惚(うぬぼれ)の醸造器であるごとく、同時に自慢の消毒器である。もし浮華虚栄の念をもってこれに対する時はこれほど愚物を煽動(せんどう)する道具はない。昔から増上慢(ぞうじょうまん)をもって己(おのれ)を害し他を※屋がことごとく頭を下げて恐れ入らねばならぬ。当人は昂然(こうぜん)として吾を軽侮(けいぶ)嘲笑(ちょうしょう)しているつもりでも、こちらから見るとその昂然たるところが恐れ入って頭を下げている事になる。主人は鏡を見て己(おの)れの愚を悟るほどの賢者ではあるまい。しかし吾が顔に印せられる痘痕(とうこん)の銘(めい)くらいは公平に読み得る男である。顔の醜いのを自認するのは心の賤(いや)しきを会得(えとく)する楷梯(かいてい)にもなろう。たのもしい男だ。これも哲学者からやり込められた結果かも知れぬ。

 かように考えながらなお様子をうかがっていると、それとも知らぬ主人は思う存分あかんべえをしたあとで「大分(だいぶ)充血しているようだ。やっぱり慢性結膜炎だ」と言いながら、人さし指の横つらでぐいぐい充血した瞼(まぶた)をこすり始めた。大方(おおかた)痒(かゆ)いのだろうけれども、たださえあんなに赤くなっているものを、こう擦(こす)ってはたまるまい。遠からぬうちに塩鯛(しおだい)の眼玉のごとく腐爛(ふらん)するにきまってる。やがて眼を開(ひら)いて鏡に向ったところを見ると、果せるかなどんよりとして北国の冬空のように曇っていた。もっとも平常(ふだん)からあまり晴れ晴れしい眼ではない。誇大な形容詞を用いると混沌(こんとん)として黒眼と白眼が剖判(ほうはん)しないくらい漠然(ばくぜん)としている。彼の精神が朦朧(もうろう)として不得要領底(てい)に一貫しているごとく、彼の眼も曖々然(あいあいぜん)昧々然(まいまいぜん)として長(とこし)えに眼窩(がんか)の奥に漂(ただよ)うている。これは胎毒(たいどく)のためだとも云うし、あるいは疱瘡(ほうそう)の余波だとも解釈されて、小さい時分はだいぶ柳の虫や赤蛙の厄介になった事もあるそうだが、せっかく母親の丹精も、あるにその甲斐(かい)あらばこそ、今日(こんにち)まで生れた当時のままでぼんやりしている。吾輩ひそかに思うにこの状態は決して胎毒や疱瘡のためではない。彼の眼玉がかように晦渋溷濁(かいじゅうこんだく)の悲境に彷徨(ほうこう)しているのは、とりも直さず彼の頭脳が不透不明(ふとうふめい)の実質から構成されていて、その作用が暗憺溟濛(あんたんめいもう)の極に達しているから、自然とこれが形体の上にあらわれて、知らぬ母親にいらぬ心配を掛けたんだろう。煙たって火あるを知り、まなこ濁って愚(ぐ)なるを証す。して見ると彼の眼は彼の心の象徴で、彼の心は天保銭(てんぽうせん)のごとく穴があいているから、彼の眼もまた天保銭と同じく、大きな割合に通用しないに違ない。

 今度は髯(ひげ)をねじり始めた。元来から行儀のよくない髯でみんな思い思いの姿勢をとって生(は)えている。いくら個人主義が流行(はや)る世の中だって、こう町々(まちまち)に我儘(わがまま)を尽くされては持主の迷惑はさこそと思いやられる、主人もここに鑑(かんが)みるところあって近頃は大(おおい)に訓練を与えて、出来る限り系統的に按排(あんばい)するように尽力している。その熱心の功果(こうか)は空(むな)しからずして昨今ようやく歩調が少しととのうようになって来た。今までは髯が生(は)えておったのであるが、この頃は髯を生やしているのだと自慢するくらいになった。熱心は成効の度に応じて鼓舞(こぶ)せられるものであるから、吾が髯の前途有望なりと見てとって主人は朝な夕な、手がすいておれば必ず髯(ひげ)に向って鞭撻(べんたつ)を加える。彼のアムビションは独逸(ドイツ)皇帝陛下のように、向上の念の熾(さかん)な髯を蓄(たくわ)えるにある。それだから毛孔(けあな)が横向であろうとも、下向であろうとも聊(いささ)か頓着なく十把一(じっぱひ)とからげに握(にぎ)っては、上の方へ引っ張り上げる。髯もさぞかし難儀であろう、所有主たる主人すら時々は痛い事もある。がそこが訓練である。否(いや)でも応でもさかに扱(こ)き上げる。門外漢から見ると気の知れない道楽のようであるが、当局者だけは至当の事と心得ている。教育者がいたずらに生徒の本性(ほんせい)を撓(た)めて、僕の手柄を見給えと誇るようなもので毫(ごう)も非難すべき理由はない。

 主人が満腔(まんこう)の熱誠をもって髯を調練していると、台所から多角性の御三(おさん)が郵便が参りましたと、例のごとく赤い手をぬっと書斎の中(うち)へ出した。右手(みぎ)に髯をつかみ、左手(ひだり)に鏡を持った主人は、そのまま入口の方を振りかえる。八の字の尾に逆(さ)か立(だ)ちを命じたような髯を見るや否や御多角(おたかく)はいきなり台所へ引き戻して、ハハハハと御釜(おかま)の蓋(ふた)へ身をもたして笑った。主人は平気なものである。悠々(ゆうゆう)と鏡をおろして郵便を取り上げた。第一信は活版ずりで何だかいかめしい文字が並べてある。読んで見ると

目次に戻る

目次