23話 九(1)
読み方を変える
主人は痘痕面である。御維新前はあばたも大分流行ったものだそうだが日英同盟の今日から見ると、こんな顔はいささか時候後れの感がある。あばたの衰退は人口の増殖と反比例して近き将来には全くその迹を絶つに至るだろうとは医学上の統計から精密に割り出されたる結論であって、吾輩のごとき猫といえども毫も疑を挟む余地のないほどの名論である。現今地球上にあばたっ面を有して生息している人間は何人くらいあるか知らんが、吾輩が交際の区域内において打算して見ると、猫には一匹もない。人間にはたった一人ある。しかしてその一人が即ち主人である。はなはだ気の毒である。
吾輩は主人の顔を見る度に考える。まあ何の因果でこんな妙な顔をして臆面なく二十世紀の空気を呼吸しているのだろう。昔なら少しは幅も利いたか知らんが、あらゆるあばたが二の腕へ立ち退きを命ぜられた昨今、依然として鼻の頭や頬の上へ陣取って頑として動かないのは自慢にならんのみか、かえってあばたの体面に関する訳だ。出来る事なら今のうち取り払ったらよさそうなものだ。あばた自身だって心細いに違いない。それとも党勢不振の際、誓って落日を中天に挽回せずんばやまずと云う意気込みで、あんなに横風に顔一面を占領しているのか知らん。そうするとこのあばたは決して軽蔑の意をもって視るべきものでない。滔々たる流俗に抗する万古不磨の穴の集合体であって、大に吾人の尊敬に値する凸凹と云って宜しい。ただきたならしいのが欠点である。
主人の小供のときに牛込の山伏町に浅田宗伯と云う漢法の名医があったが、この老人が病家を見舞うときには必ずかごに乗ってそろりそろりと参られたそうだ。ところが宗伯老が亡くなられてその養子の代になったら、かごがたちまち人力車に変じた。だから養子が死んでそのまた養子が跡を続いだら葛根湯がアンチピリンに化けるかも知れない。かごに乗って東京市中を練りあるくのは宗伯老の当時ですらあまり見っともいいものでは無かった。こんな真似をして澄していたものは旧弊な亡者と、汽車へ積み込まれる豚と、宗伯老とのみであった。
主人のあばたもその振わざる事においては宗伯老のかごと一般で、はたから見ると気の毒なくらいだが、漢法医にも劣らざる頑固な主人は依然として孤城落日のあばたを天下に曝露しつつ毎日登校してリードルを教えている。
かくのごとき前世紀の紀念を満面に刻して教壇に立つ彼は、その生徒に対して授業以外に大なる訓戒を垂れつつあるに相違ない。彼は「猿が手を持つ」を反覆するよりも「あばたの顔面に及ぼす影響」と云う大問題を造作もなく解釈して、不言の間にその答案を生徒に与えつつある。もし主人のような人間が教師として存在しなくなった暁には彼等生徒はこの問題を研究するために図書館もしくは博物館へ馳けつけて、吾人がミイラによって埃及人を髣髴すると同程度の労力を費やさねばならぬ。この点から見ると主人の痘痕も冥々の裡に妙な功徳を施こしている。
もっとも主人はこの功徳を施こすために顔一面に疱瘡を種え付けたのではない。これでも実は種え疱瘡をしたのである。不幸にして腕に種えたと思ったのが、いつの間にか顔へ伝染していたのである。その頃は小供の事で今のように色気もなにもなかったものだから、痒い痒いと云いながら無暗に顔中引き掻いたのだそうだ。ちょうど噴火山が破裂してラヴァが顔の上を流れたようなもので、親が生んでくれた顔を台なしにしてしまった。主人は折々細君に向って疱瘡をせぬうちは玉のような男子であったと云っている。浅草の観音様で西洋人が振り反って見たくらい奇麗だったなどと自慢する事さえある。なるほどそうかも知れない。ただ誰も保証人のいないのが残念である。
いくら功徳になっても訓戒になっても、きたない者はやっぱりきたないものだから、物心がついて以来と云うもの主人は大にあばたについて心配し出して、あらゆる手段を尽してこの醜態を揉み潰そうとした。ところが宗伯老のかごと違って、いやになったからと云うてそう急に打ちやられるものではない。今だに歴然と残っている。この歴然が多少気にかかると見えて、主人は往来をあるく度毎にあばた面を勘定してあるくそうだ。今日何人あばたに出逢って、その主は男か女か、その場所は小川町の勧工場であるか、上野の公園であるか、ことごとく彼の日記につけ込んである。彼はあばたに関する智識においては決して誰にも譲るまいと確信している。せんだってある洋行帰りの友人が来た折なぞは、「君西洋人にはあばたがあるかな」と聞いたくらいだ。するとその友人が「そうだな」と首を曲げながらよほど考えたあとで「まあ滅多にないね」と云ったら、主人は「滅多になくっても、少しはあるかい」と念を入れて聞き返えした。友人は気のない顔で「あっても乞食か立ん坊だよ。教育のある人にはないようだ」と答えたら、主人は「そうかなあ、日本とは少し違うね」と云った。
哲学者の意見によって落雲館との喧嘩を思い留った主人はその後書斎に立て籠ってしきりに何か考えている。彼の忠告を容れて静坐の裡に霊活なる精神を消極的に修養するつもりかも知れないが、元来が気の小さな人間の癖に、ああ陰気な懐手ばかりしていては碌な結果の出ようはずがない。それより英書でも質に入れて芸者から喇叭節でも習った方が遥かにましだとまでは気が付いたが、あんな偏屈な男はとうてい猫の忠告などを聴く気遣はないから、まあ勝手にさせたらよかろうと五六日は近寄りもせずに暮した。
今日はあれからちょうど七日目である。禅家などでは一七日を限って大悟して見せるなどと凄じい勢で結跏する連中もある事だから、うちの主人もどうかなったろう、死ぬか生きるか何とか片付いたろうと、のそのそ椽側から書斎の入口まで来て室内の動静を偵察に及んだ。
書斎は南向きの六畳で、日当りのいい所に大きな机が据えてある。ただ大きな机ではわかるまい。長さ六尺、幅三尺八寸高さこれにかなうと云う大きな机である。無論出来合のものではない。近所の建具屋に談判して寝台兼机として製造せしめたる稀代の品物である。何の故にこんな大きな机を新調して、また何の故にその上に寝て見ようなどという了見を起したものか、本人に聞いて見ない事だから頓とわからない。ほんの一時の出来心で、かかる難物を担ぎ込んだのかも知れず、あるいはことによると一種の精神病者において吾人がしばしば見出すごとく、縁もゆかりもない二個の観念を連想して、机と寝台を勝手に結び付けたものかも知れない。とにかく奇抜な考えである。ただ奇抜だけで役に立たないのが欠点である。吾輩はかつて主人がこの机の上へ昼寝をして寝返りをする拍子に椽側へ転げ落ちたのを見た事がある。それ以来この机は決して寝台に転用されないようである。
机の前には薄っぺらなメリンスの座布団があって、煙草の火で焼けた穴が三つほどかたまってる。中から見える綿は薄黒い。この座布団の上に後ろ向きにかしこまっているのが主人である。鼠色によごれた兵児帯をこま結びにむすんだ左右がだらりと足の裏へ垂れかかっている。この帯へじゃれ付いて、いきなり頭を張られたのはこないだの事である。滅多に寄り付くべき帯ではない。
まだ考えているのか下手の考と云う喩もあるのにと後ろから覗き込んで見ると、机の上でいやにぴかぴかと光ったものがある。吾輩は思わず、続け様に二三度瞬をしたが、こいつは変だとまぶしいのを我慢してじっと光るものを見つめてやった。するとこの光りは机の上で動いている鏡から出るものだと云う事が分った。しかし主人は何のために書斎で鏡などを振り舞わしているのであろう。鏡と云えば風呂場にあるに極まっている。現に吾輩は今朝風呂場でこの鏡を見たのだ。この鏡ととくに云うのは主人のうちにはこれよりほかに鏡はないからである。主人が毎朝顔を洗ったあとで髪を分けるときにもこの鏡を用いる。――主人のような男が髪を分けるのかと聞く人もあるかも知れぬが、実際彼は他の事に無精なるだけそれだけ頭を叮嚀にする。吾輩が当家に参ってから今に至るまで主人はいかなる炎熱の日といえども五分刈に刈り込んだ事はない。必ず二寸くらいの長さにして、それを御大そうに左の方で分けるのみか、右の端をちょっと跳ね返して澄している。これも精神病の徴候かも知れない。こんな気取った分け方はこの机と一向調和しないと思うが、あえて他人に害を及ぼすほどの事でないから、誰も何とも云わない。本人も得意である。分け方のハイカラなのはさておいて、なぜあんなに髪を長くするのかと思ったら実はこう云う訳である。彼のあばたは単に彼の顔を侵蝕せるのみならず、とくの昔しに脳天まで食い込んでいるのだそうだ。だからもし普通の人のように五分刈や三分刈にすると、短かい毛の根本から何十となくあばたがあらわれてくる。いくら撫でても、さすってもぽつぽつがとれない。枯野に蛍を放ったようなもので風流かも知れないが、細君の御意に入らんのは勿論の事である。髪さえ長くしておけば露見しないですむところを、好んで自己の非を曝くにも当らぬ訳だ。なろう事なら顔まで毛を生やして、こっちのあばたも内済にしたいくらいなところだから、ただで生える毛を銭を出して刈り込ませて、私は頭蓋骨の上まで天然痘にやられましたよと吹聴する必要はあるまい。――これが主人の髪を長くする理由で、髪を長くするのが、彼の髪をわける原因で、その原因が鏡を見る訳で、その鏡が風呂場にある所以で、しこうしてその鏡が一つしかないと云う事実である。
風呂場にあるべき鏡が、しかも一つしかない鏡が書斎に来ている以上は鏡が離魂病に罹ったのかまたは主人が風呂場から持って来たに相違ない。持って来たとすれば何のために持って来たのだろう。あるいは例の消極的修養に必要な道具かも知れない。昔し或る学者が何とかいう智識を訪うたら、和尚両肌を抜いで甎を磨しておられた。何をこしらえなさると質問をしたら、なにさ今鏡を造ろうと思うて一生懸命にやっておるところじゃと答えた。そこで学者は驚ろいて、なんぼ名僧でも甎を磨して鏡とする事は出来まいと云うたら、和尚からからと笑いながらそうか、それじゃやめよ、いくら書物を読んでも道はわからぬのもそんなものじゃろと罵ったと云うから、主人もそんな事を聞き噛って風呂場から鏡でも持って来て、したり顔に振り廻しているのかも知れない。大分物騒になって来たなと、そっと窺っている。
かくとも知らぬ主人ははなはだ熱心なる容子をもって一張来の鏡を見つめている。元来鏡というものは気味の悪いものである。深夜蝋燭を立てて、広い部屋のなかで一人鏡を覗き込むにはよほどの勇気がいるそうだ。吾輩などは始めて当家の令嬢から鏡を顔の前へ押し付けられた時に、はっと仰天して屋敷のまわりを三度馳け回ったくらいである。いかに白昼といえども、主人のようにかく一生懸命に見つめている以上は自分で自分の顔が怖くなるに相違ない。ただ見てさえあまり気味のいい顔じゃない。ややあって主人は「なるほどきたない顔だ」と独り言を云った。自己の醜を自白するのはなかなか見上げたものだ。様子から云うとたしかに気違の所作だが言うことは真理である。これがもう一歩進むと、己れの醜悪な事が怖くなる。人間は吾身が怖ろしい悪党であると云う事実を徹骨徹髄に感じた者でないと苦労人とは云えない。苦労人でないととうてい解脱は出来ない。主人もここまで来たらついでに「おお怖い」とでも云いそうなものであるがなかなか云わない。「なるほどきたない顔だ」と云ったあとで、何を考え出したか、ぷうっと頬っぺたを膨らました。そうしてふくれた頬っぺたを平手で二三度叩いて見る。何のまじないだか分らない。この時吾輩は何だかこの顔に似たものがあるらしいと云う感じがした。よくよく考えて見るとそれは御三の顔である。ついでだから御三の顔をちょっと紹介するが、それはそれはふくれたものである。この間さる人が穴守稲荷から河豚の提灯をみやげに持って来てくれたが、ちょうどあの河豚提灯のようにふくれている。あまりふくれ方が残酷なので眼は両方共紛失している。もっとも河豚のふくれるのは万遍なく真丸にふくれるのだが、お三とくると、元来の骨格が多角性であって、その骨格通りにふくれ上がるのだから、まるで水気になやんでいる六角時計のようなものだ。御三が聞いたらさぞ怒るだろうから、御三はこのくらいにしてまた主人の方に帰るが、かくのごとくあらん限りの空気をもって頬っぺたをふくらませたる彼は前申す通り手のひらで頬ぺたを叩きながら「このくらい皮膚が緊張するとあばたも眼につかん」とまた独り語をいった。
こんどは顔を横に向けて半面に光線を受けた所を鏡にうつして見る。「こうして見ると大変目立つ。やっぱりまともに日の向いてる方が平に見える。奇体な物だなあ」と大分感心した様子であった。それから右の手をうんと伸して、出来るだけ鏡を遠距離に持って行って静かに熟視している。「このくらい離れるとそんなでもない。やはり近過ぎるといかん。――顔ばかりじゃない何でもそんなものだ」と悟ったようなことを云う。次に鏡を急に横にした。そうして鼻の根を中心にして眼や額や眉を一度にこの中心に向ってくしゃくしゃとあつめた。見るからに不愉快な容貌が出来上ったと思ったら「いやこれは駄目だ」と当人も気がついたと見えて早々やめてしまった。「なぜこんなに毒々しい顔だろう」と少々不審の体で鏡を眼を去る三寸ばかりの所へ引き寄せる。右の人指しゆびで小鼻を撫でて、撫でた指の頭を机の上にあった吸取り紙の上へ、うんと押しつける。吸い取られた鼻の膏が丸るく紙の上へ浮き出した。いろいろな芸をやるものだ。それから主人は鼻の膏を塗抹した指頭を転じてぐいと右眼の下瞼を裏返して、俗に云うべっかんこうを見事にやって退けた。あばたを研究しているのか、鏡と睨め競をしているのかその辺は少々不明である。気の多い主人の事だから見ているうちにいろいろになると見える。それどころではない。もし善意をもって蒟蒻問答的に解釈してやれば主人は見性自覚の方便としてかように鏡を相手にいろいろな仕草を演じているのかも知れない。すべて人間の研究と云うものは自己を研究するのである。天地と云い山川と云い日月と云い星辰と云うも皆自己の異名に過ぎぬ。自己を措いて他に研究すべき事項は誰人にも見出し得ぬ訳だ。もし人間が自己以外に飛び出す事が出来たら、飛び出す途端に自己はなくなってしまう。しかも自己の研究は自己以外に誰もしてくれる者はない。いくら仕てやりたくても、貰いたくても、出来ない相談である。それだから古来の豪傑はみんな自力で豪傑になった。人のお蔭で自己が分るくらいなら、自分の代理に牛肉を喰わして、堅いか柔かいか判断の出来る訳だ。朝に法を聴き、夕に道を聴き、梧前灯下に書巻を手にするのは皆この自証を挑撥するの方便の具に過ぎぬ。人の説く法のうち、他の弁ずる道のうち、乃至は五車にあまる蠧紙堆裏に自己が存在する所以がない。あれば自己の幽霊である。もっともある場合において幽霊は無霊より優るかも知れない。影を追えば本体に逢着する時がないとも限らぬ。多くの影は大抵本体を離れぬものだ。この意味で主人が鏡をひねくっているなら大分話せる男だ。エピクテタスなどを鵜呑にして学者ぶるよりも遥かにましだと思う。
鏡は己惚の醸造器であるごとく、同時に自慢の消毒器である。もし浮華虚栄の念をもってこれに対する時はこれほど愚物を煽動する道具はない。昔から増上慢をもって己を害し他を※屋がことごとく頭を下げて恐れ入らねばならぬ。当人は昂然として吾を軽侮嘲笑しているつもりでも、こちらから見るとその昂然たるところが恐れ入って頭を下げている事になる。主人は鏡を見て己れの愚を悟るほどの賢者ではあるまい。しかし吾が顔に印せられる痘痕の銘くらいは公平に読み得る男である。顔の醜いのを自認するのは心の賤しきを会得する楷梯にもなろう。たのもしい男だ。これも哲学者からやり込められた結果かも知れぬ。
かように考えながらなお様子をうかがっていると、それとも知らぬ主人は思う存分あかんべえをしたあとで「大分充血しているようだ。やっぱり慢性結膜炎だ」と言いながら、人さし指の横つらでぐいぐい充血した瞼をこすり始めた。大方痒いのだろうけれども、たださえあんなに赤くなっているものを、こう擦ってはたまるまい。遠からぬうちに塩鯛の眼玉のごとく腐爛するにきまってる。やがて眼を開いて鏡に向ったところを見ると、果せるかなどんよりとして北国の冬空のように曇っていた。もっとも平常からあまり晴れ晴れしい眼ではない。誇大な形容詞を用いると混沌として黒眼と白眼が剖判しないくらい漠然としている。彼の精神が朦朧として不得要領底に一貫しているごとく、彼の眼も曖々然昧々然として長えに眼窩の奥に漂うている。これは胎毒のためだとも云うし、あるいは疱瘡の余波だとも解釈されて、小さい時分はだいぶ柳の虫や赤蛙の厄介になった事もあるそうだが、せっかく母親の丹精も、あるにその甲斐あらばこそ、今日まで生れた当時のままでぼんやりしている。吾輩ひそかに思うにこの状態は決して胎毒や疱瘡のためではない。彼の眼玉がかように晦渋溷濁の悲境に彷徨しているのは、とりも直さず彼の頭脳が不透不明の実質から構成されていて、その作用が暗憺溟濛の極に達しているから、自然とこれが形体の上にあらわれて、知らぬ母親にいらぬ心配を掛けたんだろう。煙たって火あるを知り、まなこ濁って愚なるを証す。して見ると彼の眼は彼の心の象徴で、彼の心は天保銭のごとく穴があいているから、彼の眼もまた天保銭と同じく、大きな割合に通用しないに違ない。
今度は髯をねじり始めた。元来から行儀のよくない髯でみんな思い思いの姿勢をとって生えている。いくら個人主義が流行る世の中だって、こう町々に我儘を尽くされては持主の迷惑はさこそと思いやられる、主人もここに鑑みるところあって近頃は大に訓練を与えて、出来る限り系統的に按排するように尽力している。その熱心の功果は空しからずして昨今ようやく歩調が少しととのうようになって来た。今までは髯が生えておったのであるが、この頃は髯を生やしているのだと自慢するくらいになった。熱心は成効の度に応じて鼓舞せられるものであるから、吾が髯の前途有望なりと見てとって主人は朝な夕な、手がすいておれば必ず髯に向って鞭撻を加える。彼のアムビションは独逸皇帝陛下のように、向上の念の熾な髯を蓄えるにある。それだから毛孔が横向であろうとも、下向であろうとも聊か頓着なく十把一とからげに握っては、上の方へ引っ張り上げる。髯もさぞかし難儀であろう、所有主たる主人すら時々は痛い事もある。がそこが訓練である。否でも応でもさかに扱き上げる。門外漢から見ると気の知れない道楽のようであるが、当局者だけは至当の事と心得ている。教育者がいたずらに生徒の本性を撓めて、僕の手柄を見給えと誇るようなもので毫も非難すべき理由はない。
主人が満腔の熱誠をもって髯を調練していると、台所から多角性の御三が郵便が参りましたと、例のごとく赤い手をぬっと書斎の中へ出した。右手に髯をつかみ、左手に鏡を持った主人は、そのまま入口の方を振りかえる。八の字の尾に逆か立ちを命じたような髯を見るや否や御多角はいきなり台所へ引き戻して、ハハハハと御釜の蓋へ身をもたして笑った。主人は平気なものである。悠々と鏡をおろして郵便を取り上げた。第一信は活版ずりで何だかいかめしい文字が並べてある。読んで見ると