ポラーノの広場

4話 ポラーノの広場(4)

6,296字 約13分 2002年1月4日 公開

読み方を変える
字の大きさ
行の間隔
1行の長さ
書体
配色
組み方

 ところがその次の次の日のひるすぎでした。わたくしが役所の机で古い帳簿から写しものをしていますと給仕が来てわたくしの肩をつっついて、

「所長さんがすぐ来いって。」と云いました。

 わたくしはすぐペンを置いてみんなの椅子の間を通り、間の扉をあけて所長室にはいりました。

 すると所長は一枚の紙きれを持って扉をあける前から恐い顔つきをして、わたくしの方を見ていましたが、わたくしが前に行って恭(うやうや)しく礼をすると、またじっとわたくしの様子を見てからだまってその紙切れを渡しました。見ると、

イ警第三二五六号 聴取の要有之本日午後三時本警察署人事係まで出頭致され度(た)し

イーハトーヴォ警察署

一九二七年六月廿九日

第十八等官レオーノ・キュースト殿

とあったのです。

 ああ、あのデストゥパーゴのことだな、これはおもしろいと、わたくしは心のなかでわらいました。すると所長はまだわたくしの顔付きをだまってみていましたが、

「心当りがあるか。」と云いました。

「はい、ございます。」わたくしはまっすぐ両手を下げて答えました。

 所長は安心したようにやっと顔つきをゆるめて、ちらっと時計を見上げましたが、

「よし、すぐ行くように。」と云いました。

 わたくしはまたうやうやしく礼をして室を出ました。それから席へ戻って机の上をかたづけて、そっと役所を出かけました。巨きな桜の街路樹の下をあるいて行って、警察の赤い煉瓦造りの前に立ちましたら、さすがにわたくしもすこしどきどきしました。けれども何も悪いことはないのだからと、じぶんでじぶんをはげまして勢よく玄関の正面の受付にたずねました。

「お呼びがありましたので参りましたが、レオーノ・キューストでございます。」

 すると受付の巡査はだまって帳面を五六枚繰っていましたが、

「ああ失踪(しっそう)者の件だね、人事係のとこへ、その左の方の入口からはいって待っていたまえ。」と云いました。

 失踪者の件というのは何のことだろう、決闘の件とでも云うならわかっているし、その決闘なら刃の円くなった食卓ナイフでやったことなのだ、デストゥパーゴが血を出したかどうかもわからない、まあ何かの間違いだろうと思いながら、わたくしは室へ入って行きました。そこはがらんとした、窓の七つばかりある広い室でしたが、その片隅みにあの山猫博士の馬車別当が、からだを無暗(むやみ)にこわばらして、じつに青ざめた変な顔をしながら腰かけて待って居りました。

「やあ、じいさん、今日は、あなたも呼ばれたんですか。」わたくしはそばへ行ってわらいながら挨拶(あいさつ)しました。

 するとじいさんは、こんな悪者と話し合ってはどんな眼にあうかわからないというように、うろうろどこか遁げ口でもさがすように立ちあがって、またべったり坐りました。

「あなたのご主人はいらっしゃらないのですか。」わたくしはまたたずねました。

「いらっしゃらないともさ。」じいさんはやっと云いましたが、それからがたがたふるえました。

「いったいどうしたんですか。」わたくしはまだわらってききました。

「いま調べられてるんだよ。」

「誰が。」わたくしはびっくりしてたずねました。

「ロザーロがさ。」

「ロザーロ、どうして?」もうわたくしはすっかり本気になってしまいました。

「ファゼーロが居なくなったからさ。」

「ファゼーロ?」思わずわたくしは高く叫びました。

 ああ、あの晩ファゼーロが帰る途中で何かあったのだな、……。

「話しすることはならん。」

 いきなり奥の扉が、がたっとあきました。

「召喚(しょうかん)人はお互話しすることはならん。おい、おまえはこっちへはいって居ろ。」

 じいさんは呼ばれてよろよろ立って次の室へ行きました。そう云われて見ると、なるほど次の室ではロザーロが誰かに調べられているらしく、さっきからしずかに何か繰り返し繰り返し云って居るような気もしました。わたくしはまるで胸が迫ってしまいました。

 ファゼーロが居ない、ファゼーロが居ない、あの青い半分の月のあかりのなかで争って勝ったあとのあの何とも云われないきびしい気持をいだきながら、ファゼーロがつめくさのあおじろいあかりの上に影を長く長く引いて、しょんぼりと帰って行った、そこには麻の夏外套のえりを立てたデストゥパーゴが三四人の手下を連れて待ち伏せしている、ファゼーロがそれを見て立ちどまると向うは笑いながらしずかにそばへ追って来る、いきなり一人がファゼーロを撲りつける、みんなたかって来て、むだに手をふりまわすファゼーロをふんだりけったりする、ファゼーロは動かなくなる、デストゥパーゴがそれをまためちゃくちゃにふみつける、ええ、もう仕方ない持ってけ持ってけとデストゥパーゴが云う、みんなはそれを乾溜工場のかまの中に入れる、わたくしはひとりでかんがえてぞっとして眼をひらきました。

(ああ、あのときなぜわたくしはそのままうちへ帰ってねむったろう、なぜそんなわたくしが立っても居てもいられないはずの時刻に、わけもわからない眠りかたなどしていたろう。それにあのやさしいうつくしいロザーロがいま隣りの室でおどされたり鎌(かま)をかけられたりしているのだ。)

 わたくしはたまらなくなってその室のなかをぐるぐる何べんもあるきました。窓の外の桜の木の向うをいろいろの人が行ったり来たりしました。わたくしはその一人一人がデストゥパーゴかファゼーロのような気がしてたまりませんでした。鳥打帽子を深くかぶった少年が通るとファゼーロが遁げてここをそっと通るのかと思い、肥った人を見るとデストゥパーゴがわざとそんな形にばけて、様子をさぐっているのだと思いました。突然わたくしは頭がしいんとなってしまいました。隣りの室でかすかなすすり泣きの声がして、それからそれは何とかだっと叫びながらおどかすように足をどんとふみつけているのです。わたくしはあぶなく扉をあけて飛び込もうとしました。するとまたしばらくしずかになっていましたが間もなく扉のとってが力なくがちっとまわって、ロザーロが眼を大きくあいてよろめくようにでてきました。

 わたくしは何といっていいかわからなくてどぎまぎしてしまいました。するとロザーロがだまってしずかにおじぎをして私の前を通り抜けて外へ出て行きました。気がついて見るとロザーロのあとからさっきの警部か巡査からしい人が扉から顔を出して出て行くのを見ていたのです。わたくしがそっちを見ますと、その顔はひっこんで扉はしまってしまいました。中ではこんどは山猫博士の馬車別当が何か訊かれているようすで、たびたび、何か高声でどなりつけるたびに馬車別当のおろおろした声がきこえていました。わたくしはその間にすっかり考えをまとめようと思いましたが、何もかもごちゃごちゃになってどうしてもできませんでした。とにかくすっかり打ち明けて係りへ話すのがいちばんだと考えて、もうじっとすわって落ち着いて居りました。すると間もなくさっきの扉が、がじゃっとあいて馬車別当がまっ青になってよろよろしながら出てきました。

「第十八等官、レオーノ・キュースト氏はあなたですか。」さっきの人がまた顔を出して云いました。

「そうです。」

「では、こっちへ。」

 わたくしははいって行きました。そこには、も一人正面の卓に書類を載せて鬚(ひげ)の立派な一人の警部らしい人が、たったいまあくびをしたところだというふうに目をぱちぱちしながら、こっちを見ていました。

「そこへお掛けなさい。」

 わたくしは警部の前に会釈して坐りました。

「君がレオーノ・キュースト君か。」警部は云いました。

「そうです。」

「職業、官吏、位階十八等官、年齢、本籍、現住、この通りかね。」警部はわたしの名やいろいろ書いた書類を示しました。

「そうです。」

「では訊(たず)ねるが、君はテーモ氏の農夫ファゼーロをどこへかくしたか。」

「農夫のファゼーロ?」わたくしは首をひねりました。

「農夫だ。十六歳以上は子どもでも農夫だ。」警部は面倒くさそうに云いました。

「君はファゼーロをどこかへかくしているだろう。」

「いいえ、わたくしは一昨夜競馬場の西で別れたきりです。」

「偽(うそ)を云うとそれも罪に問うぞ。」

「いいえ。そのときは二十日の月も出ていましたし野原はつめくさのあかりでいっぱいでした。」

「そんなことが証拠(しょうこ)になるか。そんなことまでおれたちは書いていられんのだ。」

「偽だとお考えになるならどこなりとお探しくださればわかります。」

「さがすさがさんはこっちの考えだ。お前がかくしたろう。」

「知りません。」

「起訴するぞ。」

「どうでも。」二人は顔を見合せました。

「では訊ねるが君はどういうことでファゼーロと知り合いになったか。」

「ファゼーロがわたくしの遁げた山羊をつかまえてくれましたので。」

「うん。それはいつ、どこでだ。」

「五月のしまいの日曜、二十七日でしたかな。」

「うん。二十七日。どこでだ。」

「あれは何という道路ですか。教会の横から、村へ出る道路を一キロばかり行った辺です。」

「うん。おまえは二十七日の晩ファゼーロと連れだって村の園遊会へ闖入(ちんにゅう)したなあ。」

「闖入というわけではありませんでした。明るくていろいろの音がしますので行って見たのです。」

「それからどうした。」

「それからわたくしどもが酒を呑まんと云いますとテーモが怒ったのです。」

「テーモはお前とはいつから知り合いか。」

「ファゼーロと知り合いになったときです。そのときテーモはファゼーロが仕事に行く時間をわたくしが邪魔したといって革むちをわたくしの顔の前で鳴らしました。」

「それだけか。」

「はい。」

「園遊会でそれからどういうことになったか。」

 わたくしはそこであのポラーノの広場での出来事を全部話しました。一人はそれをどんどん書きとりました。警部が云いました。

「きみはファゼーロの居ないことをさっきまで知らなかったか。」

「はい。」

「何か証拠を挙げられるか。」

「はい、ええ、昨日と今日役所での仕事をごらん下さればわかります。わたくしはあれですっかりかたが着いたと思ってせいせいして働いていたのであります。」

「それも証拠にはならん。おい、君、白っぱくれるのもいい加減にしたまえ。テーモ氏から捜索願が出ているのだ。いま君がありかを云えば内分で済むのだ。でなけぁ、きみの為にならんぜ。」

「どうも全く知らないのです。まあ、あなたがたもご商売でしょうが、わたくしの声や顔付きをよくごらんください。これでおわかりにならんのですか。」わたくしは少ししゃくにさわって一息に云いました。

 すると二人はまた顔を見合せました。ええもうなるようになれとわたくしはまた云いました。

「なぜわたくしより前にデストゥパーゴを呼び出してくださらんのです。誰が考えてもファゼーロの居ないのはデストゥパーゴのしわざです。まさか殺しはしますまいが。」

「デストゥパーゴ氏は居らん。」

 わたくしはどきっとしました。ああファゼーロは本気かあるいは間ちがって殺されたのかもしれない。警部が云いました。

「お前の申し立てはいろいろの点でテーモ氏の申し立てとちがっている。しかしわれわれはそれは当然だろうと考える。いま調書を読むから君の云ったところとちがった所がないかよくききたまえ。」一人は読みはじめました。

「ちがいありません。」私はファゼーロのことを考えながら上の空で答えました。

「ここへ署名したまえ。」

 わたくしは書類のはじへ書きました。もうどうしても心配で心配でたまらなくなったのです。

「では帰ってよろしい。明日また呼ぶから。」警部は云いました。

 わたくしはたまらなくなりました。

「ファゼーロはどうしたんです。なぜデストゥパーゴをつかまえんのです。」

「それを君が云うことはならん。」

「だってファゼーロはどうしたんです。」

「そんなに心配なら君もさがしたまえ。さあ帰り給え。」

 二人はもう疲れて早くやめたいという風でした。わたくしはもうあかりのついていた警察署を夢中で飛びだしました。すると出口の桜の幹に、その青い夕方のもやのなかに、ロザーロがしょんぼりよりかかって、かなしそうに遠いそらを見ていました。わたくしは思わずかけよりました。

「あなたはロザーロさんですね。わたくしはどこへさがしに行ったらいいでしょう。」

 ロザーロが下を見ながら云いました。

「きっと遠くでございますわ。もし生きていれば。」

「わたくしがいけなかったんです。けれどもきっとさがしますから。」

「ええ。」

「デストゥパーゴはいないんですか。」

「いないんです。」

「馬車別当は?」

「見ませんでした。」

「あなたのご主人は知っていないんですか。」

「ええ。」

「捜索願をわざと出したのでしょう。」

「いいえ。警察からも人が来てしらべたのです。」

「あなたはこれから主人のとこへお帰りになるんですか。」

「ええ。」

「そこまでご一緒いたしましょう。」

 わたくしどもはあるきだしました。わたくしはいろいろ話しかけて見ましたが、ロザーロはどうしてもかなしそうで一言か二言しか返事しませんので、わたくしはどうしてももっと立ち入ってファゼーロと二人のことに立ち入ることができませんでした。そしてこの前山羊をつかまえた所まで来ますと、ロザーロは、

「もうじきですから。」と云ってじぶんからおじぎをして行ってしまいました。

 わたくしはさびしさや心配で胸がいっぱいでした。そしてその晩から毎晩毎晩野原にファゼーロをさがしに出ました。日曜日にはひるも出ました。ことにこの前ファゼーロと別れた辺からテーモの家までの間に何か落ちてないかと思ってさがしたり、つめくさの花にデストゥパーゴやファゼーロのあしあとがついていないかと思って見てまわったり、デストゥパーゴの家から何か物音がきこえないかと思って幾晩も幾晩もそのまわりをあるいたりしました。

 前の二本の樺の木のあたりからポラーノの広場へも何べんも行きました。そのうちにつめくさの花はだんだん枯れて茶いろになり、ポラーノの広場のはんの木には、ちぎれて色のさめたモールが幾本かかかっているだけ、ミーロにさえも会いませんでした。警察からはあと呼び出しがありませんでしたので、こっちから出て行ってどうなったかきいたりしましたが警察ではファゼーロもデストゥパーゴも、まだ手がかりはないが心配もなかろうというようなことばかり云うのでした。そしてわたくしも、どういうわけか、なれたのですか、つかれたのですか、ファゼーロはファゼーロで、ちゃんとどこかにいるというような気がしてきたのです。

       五、センダード市の毒蛾

 そしてだんだん暑くなってきました。役所では窓に黄いろな日覆(ひおおい)もできましたし隣りの所長の室には電気会社から寄贈になった直径七デシもある大きな扇風機も据(す)えつけられました。あまり暑い日の午後などは所長が自分で立って間の扉をあけて、

「さあ諸君、少し風にあたりたまえ。」なんて云ったものです。

 すると大扇風機から風がどうどうやって来ました。尤(もっと)も私の席はその風の通り路からすこし外れていましたから格別涼しかったわけでもありませんでしたが、それでも向うの書類やテーブルかけが、ぱたぱた云っているのを見るのは実際愉快なことでした。それでもそんな仕事のあいまに、ふっとファゼーロのことを思いだすと、胸がどかっと熱くなってもうどうしたらいいかわからなくなるのでした。とにかくその七月いっぱいに私のした仕事は、

一、北極熊剥製(はくせい)方をテラキ標本製作所に照会の件

一、ヤークシャ山頂火山弾運搬費用見積(みつもり)の件

一、植物標本褪色(たいしょく)調査の件

一、新番号札二千三百枚調製の件

目次に戻る

目次