弓町より

7話 (七)

1,458字 約3分 2011年2月6日 公開

読み方を変える
字の大きさ
行の間隔
1行の長さ
書体
配色
組み方

 記載報告といふ事は文芸の職分の全部でない事は、植物の採集分類が植物学の全部でないと同じである。然し此処ではそれ以上の事は論ずる必要がない。兎もかく(ぜん)言つたやうな「人」が(ぜん)言つたやうな態度で書いたところの詩でなければ、私は言下に「少くとも私には不必要だ」と言ふ事が出来る。さうして将来の詩人には、従来の詩に関する智識乃至詩論は何の用をもなさない。――譬へば詩(抒情詩)はすべての芸術中最も純粋なものであるといふ。或時期の詩人はさういふ言を以て自分の仕事を恥かしくないものにしようと(つとめ)たものだ。然し詩は総ての芸術中最も純粋な者だといふ事は、蒸溜水は水の中で最も純粋な者だと言ふと同じく、性質の説明にはなるかも(しれ)ぬが、価値(かちよく)必要の有無の標準にはならない。将来の詩人は決してさういふ事を言ふべきでない。同時に、詩及詩人に対する理由なき優待を自ら峻拒すべきである。一切の文芸は、他の一切のものと同じく、我等にとつては或意味に於て自己及び自己の生活の手段であり方法である。詩を尊貴なものとするのは一種の偶像崇拝である。

     ~~~~~~~~~~~~~~~

 詩は所謂詩であつては可けない。人間の感情生活(もつと適当な言葉もあらうと思ふが)の変化の厳密なる報告、正直なる日記でなければならぬ。従つて断片的でなければならぬ。――まとまりがあつてはならぬ。(まとまりのある詩即ち文芸上の哲学は、演繹的には小説となり、帰納的には戯曲となる。詩とそれらとの関係は、日々の帳尻と月末若くは年末決算との関係である。)さうして詩人は、決して牧師が説教の材料を集め、淫売婦が或種の男を探すが如くに、何等かの成心を()つてゐては可けない。

     ~~~~~~~~~~~~~~~

 粗雑な言ひ方ながら、以上で私の言はむとするところは(ほぼ)解る事と思ふ。――いや、も一つ言ひ残した事がある。それは、我々の要求する詩は、現在の日本に生活し、現在の日本語を用ひ、現在の日本を了解してゐるところの日本人に依て歌はれた詩でなければならぬといふ事である。

 さうして私は、私自身現在の諸詩人の詩に満足するか否かを言ふ代りに、次の事を言ひたい。――諸君の真面目な研究は外国語の智識に乏しい私の(うら)やみ且つ敬服するところではあるが、諸君は其研究から利益と共に或禍ひを受けて居るやうな事はないか。仮に(もし)、独逸人は飲料水の代りに麦酒(ビール)を飲むさうだから我々もさうしようといふやうな事……とまでは無論行くまいが、些少でもそれに類した事があつては諸君の不名誉では(ある)まいか。もつと率直に言へば、諸君は諸君の詩に関する智識の日に/\進むと共に、其智識の上に或る偶像を(こしら)へ上げて、現在の日本を了解することを閑却しつゝあるやうな事はないか。両足を地面(ぢべた)に着ける事を忘れてはゐないか。

 又諸君は、詩を詩として新らしいものにしようといふ事に熱心なる余り、自己及び自己の生活を改善するといふ一大事を閑却してはゐないか。換言すれば、諸君の嘗て排斥したところの詩人の堕落を再び繰返さんとしつゝあるやうな事はないか。

 諸君は諸君の机上を飾つてゐる美しい詩集の幾冊を焼き捨てゝ、諸君の企てた新運動の初期の心持に立還つて見る必要はないか。

     ~~~~~~~~~~~~~~~

 以上は現在私が抱いてゐる詩についての見解と要求とを大まかに言つたのであるが、同じ立場から私は近時の創作評論の殆んど総てについて色々言つて見たい事がある。

(完)

[「東京毎日新聞」明治四十二年十一月三十、十二月二、三、四、五、六、七日]

目次に戻る

感想を書く

目次