42話 四十一
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栄一はつゞけて発熱して居た。会社が退ける頃、ガツクリ疲れて、重い足を貧民窟の方へ運ぶ時に、自分の身体で無いやうな気がした。それで貧民窟へ帰ると、すぐ洋服を着たまま、上り口に打倒れて、熱の下るのを待つのであつた。検温器で計ると、三十八度近く出て居るのが普通であつた。それで病気がなほり切つて居らないのだと云ふことを、よく自覚して居た。そしてこんな時に一寸風邪をひいて、嚔をすると、血粒が気管支から出るので、自分にも気味が悪かつた。掌でその血粒を受けて、それを見詰めて、自分の運命を考へると、段々淋しく、臆病になる。死が目の前に見えるやうだ。自分は近い中に死ぬ。自分は世界に何物をも残して居らない。貧民窟改良問題は勿論のこと、著作も、思想も、信仰も、芸術も、何一つとして纒つたものを残して居らぬ。然し毎日繰返して同じやうに午後に熱が出る。愈々今度床に就かねばならぬやうになれば誰れが世話してくれるのだらうと思ふと心細い。いやその時には、内山が世話してくれると思ふけれども、それも頼り無い。金は誰れがくれるかと思ふと、人生の孤独に泣きたくなる。
『アヽ、之だ、貧民が立ち上れないのは! 貧民は貧乏だから貧民になると云ふよりか、孤独だから貧民になるのだ、貧民の苦しみは大きな都会に知人が無いと云ふことだ』と一人自己の境遇から割出して、貧民に同情してみた。
一月の末から二月一杯、栄一は路傍説教の為めに全く喉を傷めて、善い声が出なかつた。栄一は或は口頭結核にやられたのでは無いかと心配した。
彼は貧民窟の六畳敷の上り口の所で引繰返つて寝て居る時に色々そんなことを心配し乍ら考へるのが常であつた。そしてそんな時に限つて、阿波の田舎の継母は今頃、どうして居るだらうとか、大阪の叔父の所へ行つて居る二人の兄弟のことや、遠く台湾に行つて、近い中に帰つてくると云ふて来て居る笑子のことを思ひ出して、自分の一家の離散した悲惨な運命を考へ乍ら、泣くのが普通であつた。『たうとう、己も貧民になつた』と自分に云うてみることもあつた。そして、『アヽ、笑子でも居てくれゝばなア、病気の時には世話をして貰ふのだがなア』とも云つてもみた。こんな時に限つて、その後、一通の手紙を寄越さ無い田宮鶴子の事を思ひ出すのであつた。然し栄一は田宮鶴子にはもう望を託して居らなかつた。
然しこんなに、しよげ込んで居るかと思ふと、すぐに跳ね起きて、黙つて、下の二畳敷長屋へ出かけて行つて、路次の隅々から子供を集めて、広場へ連れて出て、わいわい騒いで居ることを見るのが普通であつた。
貧民窟の子供は一体に美しい。それで、美しい赤ん坊を抱き締めて、自分一人で『神は愛だ』と悦び興じて淋しい冬の夕暮を賑やかに送ると、何時の間にか熱は醒めて居るのである。それで、栄一は発熱してくると、下熱剤の代りにと云つて、二畳敷の子供の処へ遊びに行つた。繩飛び、鬼ごつこ、隠れん坊、けんけん、子供の要求する遊びはなんでもした。そんなにして遊んで居ると、大勢集つて来て、暮の五時半頃には、百人位ゐの子供が集ることは珍らしくなかつた。あまり大勢になると、今度は歌を唱はせて、西洋の学生がよくやる、グース・ステツプの真似をしたり、『猫が鼠取りや、いたち」は底本では「いたち」]を追つかける』と云ふ文句を大勢で繰返し乍ら列を組んで『子盗り』の遊びもした。いつしか列の中には、甚公、虎市、花枝、数さん、熊蔵、そして、近頃親しくなつた、清ちやんなどまでが這入つて居ることなどもあつた。男の子も、女の子も、みな新見が好きで、彼に触られたいばかりに、わざ/\いたづらをするものもあつた位である。
日曜学校は大勢で、関西学院から来る竹田さんも、八尾さんも、橋田さんも弱つてしまつてゐた。殊に下の二畳敷から来る子供等は下駄を穿かずにやつて来て、そのまゝ上にあがつて話を聞いて居る中に、自分が下駄を穿いて来たのか穿いて来なかつたのか忘れて了つて、そこにある下駄を黙つて穿いて帰るものもあると云ふ仕末には日曜学校の先生達も閉口して居た。彼等の多くは塵箱から拾つて来た古下駄――それも大抵は片ちんばの下駄を穿いて来て、どれがどれやら、自分のものを知らないものだから、そこに百二三十の古下駄が並ぶ度毎に、下駄番に一人の先生が附き切りで有つても、授業が済んで帰ると云ふ段になると、目茶苦茶である。薩張りどれが自分の下駄だか見当がつかない。それで喧嘩が起る、擲り合ひが始まる、日曜学校が何の為めにあるのだか薩張りわからない。寧ろ日曜学校が無い方が、彼等に静かな気分を養はさすだけ、善いのではあるまいか、と思ふ程であつた。
それにこんなに、混雑して居る上に、この附近で最も不良少年だと知られて居る、喧嘩安の親戚に当る岩沼松蔵と云ふ十二になる餓鬼大将が、日曜学校のお祈の最中に障子の間から石を投げ込んだり、犬を連れて来て吠えさしたり、五六人の子供を外に呼び出して、
『アーメン、ソーメン、冷素麺』
と、繰返し、繰返し云はせてみたり、罪も無い子供の下駄を隠したりなどするので、栄一は遂に岩沼の後を追つ駆けて行つてみたが、矢張り駄目である。それで日曜学校をほんとにやつてこの附近の子供を真から底から感化しようと思へば、先づ岩沼を栄一の宅へ引取つて世話をするより外に道は無いと考へたので、喧嘩安に話して、遂に松蔵をも引取つて世話することにした。それで新見の家族は今や六人の家族となつた。
ウイリアムス博士は毎月十五円づつ補助してくれた。それのみならず、米国より観光に来た紐育市第五街の有名なプレスビテリアン教会のピアソン牧師夫人を貧民窟に連れて来て、新見に紹介した。ピアソン夫人は、栄一のして居る事業に非常に感心して、五百五十円のチエキを書いて、ウイリアムス博士に渡しておいて帰つて行つてしまつた。そして再び支那朝鮮の伝道状態を視察した後に帰つてくるからその時に悠然会ふことにすると伝言をして朝鮮へ渡つた。栄一はこの五百五十円を心より感謝した。そしてイスラエルが荒野でマナを拾うたやうに喜んだ。それは五百五十円で五六人の貧民を充分二年間位ゐは養ふことが出来るからである。早速今迄のお粥と梅干を、普通の飯に変更した。そして昼飯を廃して二食しか食はずに居た彼は再び三食に帰ることにした。その時に栄一は心より主の祈りの中にある――
『我等に日用の糧を今日も与へ給へ』
と、祈る意味が初めてわかるやうに思つた。
金が這入つたので夜具を買うた。古蒲団を十枚許り買うた。そして内山と別れて寝ることにした。そして、伊豆も今迄借蒲団で毎晩二銭づつ払つて居るのが可愛相だと思つたので、三公と伊豆とに三枚づつ与へたが、さうすると、まだ蒲団が足らない。それで不良少年松蔵と栄一とがどうしても一緒に寝なければならぬことになつた。