死線を越えて 01 死線を越えて

49話 四十八

5,152字 約10分 2022年7月10日 公開

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 栄一は無理をして毎金曜日の朝四時頃から、神戸で最も浮浪労働者の集まる弁天浜へ伝道に出かけた。それは一人でも栄一の熱心に感じてイエスの方へ向けるものがあるかと思ふ伝道心からであつた。

 彼はまだ日の出ない初夏の朝を、とぼ/\と十字架のついた提灯を持つて貧民窟から十五六町もある弁天浜へ出かけて行くのであつた。

 朝毎に彼にはインスピレーシヨンが新たであつた。彼は恵の中に生長することを覚えた。南の空には天狼星が、彼の為めに光つて居るやうに見え、また桝星さんが彼の為めに、朝の空に据ゑられてあるのかと考へる程、朝の空に感謝した。

 彼は自らが迷へる魂を尋ねるものとして置かれた悲痛な自覚を感ぜざるを得なかつた。彼には世界の外の人が感じるやうに、自己が充実して居るか否かを尋ねる暇は無かつた。世界の今歩んで居る道は明かに誤つて居るのである。彼はそれを感じる。貧民窟を出る時にそれを感じる。貧民窟へ帰る時にそれを感じる。強く胸を抉ぐられたやうに――或時は泣き出したくなるやうに貧民窟の実在することに就いて悲しく思ふ。そして彼が朝早くから弁天浜の沖仲仕に伝道に行かねばならぬと云ふ自覚を与へたものは矢張り同じ感じからであつた。社会主義を叫んでも世の中の人はたゞおびえて耳に入れようとはしないし、それかと云つて彼等を捨てゝ置くわけにも行かない。それで彼は最善の努力をして、死ぬか生きるか発狂するかの程度まで、イエスの福音を伝道せんとして居るのである。弁天浜へ行くと夜はもう余程明かるい。ニツケル会社の小頭のやうな男がやつて来て、

『まだ誰れも来て居らんな……(栄一を一寸見て)や、新見さん、えらい、御熱心だんな』と云うてまた向うへ行つてしまふ。

 栄一は茫然防波堤に立つて見て居ると、防波堤の内側には二百三百と糞尿汲取の荷車が多くの男女に曳かれて集つて来て、それを一々大きな和船に積み込んで居る。海はその為めに屎尿色に濁つて居る。悪い臭ひがプンとしてくる。栄一はこれ等の労働者を気の毒に思ふ。肥汲人夫は非常におとなしく一言も声を出さないで蟻のやうに大勢のものが細い『あぶみ』をあつちらこつちらと行き来して居る。それが実に崇高に感ぜられる。

 それに比較して、仲仕の方は集まつてくるとすぐそこで賭博が始まる。幾十円かの銀貨が胴取の前に置かれる。六十人七十人のものがその胴を中心にして「丁半」をやつて居る。

 その間に栄一はトラクトを凡ての人に分け大きな声で讃美歌を唱つて、説教を始めるのである。新川の貧民窟から出て来た人も幾人かあるから、或人々の間にはよく栄一のことが知れて居るので、話を有難がつて聞くものも無いではないが、多くのものは無頓着であつた。栄一は自分に自分の努力を笑ひたかつた。なぜ、こんなにまでして、イエスの福音を伝へなければならないであらうかと、また自分ながら自分を不憫に思うた。

 芥船(ごみぶね)が出て行く。沖へ行く艀が人夫で一杯になつて出て行く。川崎の方では造船所の槌が喧(かまび)すしい。小さいランチが港の中を勢よく走り廻る。大きな外国船が這入つてくる。美しい白い波をたてて、四五百噸級の汽船が港を出て行く。朝日がハツキリと港の凡ての上を照す。陰と陽が判然と区別がついて、幾千となく弁天浜の側に群がつて居る和船の舷側(ふなべり)の木目が黄金色に色彩られる。その日の射して来た光景と、栄一が今見て居る仲仕の賭博を打つて居る有様と自分の説いて居る千九百年前の物語の間に何の連絡も無いやうに見えて悲しい。

 日が昇るに従つて、海の上が黒ずんで見える。何とはなしに悲しくなつてくる。それに近頃は不景気である為めに沖行の人夫が要るより以上に若い者が多く集るので、仕事にあぶれたものが、何にもせずに、ぼんやり防波堤の上に佇んで居るのもあれば、『仕方が無いわい、賭博でもしようかい!』と自棄を起すものもあり、さうかと思ふと、『桟橋の方へ廻れ、むかうの方では買うてくれるかも知れん』と云うて立ち去るものもある。栄一には此失業者の声が如何にも悲しく聞えた。大抵は本船まで仲仕について行つて伝道するのであるけれども、そんな日に限つて、彼はすぐ貧民窟へ引帰してくる。そして世話をして居る病人と一緒に、教ヶ島の炊いてくれた朝のお粥を啜つて、また疲れた身体を休める暇もなく、保険会社へ足を運ぶのであつた。

 凡ての伝道は無効では無かつた。沖から栄一を頼つてくるものも二三あつた。その中でも添田と云ふ十九の青年は有望であると思うた。それで、栄一は一層伝道心を増して、月曜日の晩には必ず中山手八丁目のニツケル商会の沖人夫合宿舎に伝道に行つた。

 夏の夕に喧嘩は頗る多くあつた。裏の筋では毎晩のやうに悲鳴が聞えた。父親が妻の連れ子と関係をつけたと云うて、大喧嘩を始める。酒を飲んで喧嘩する。賭博の為めに兄弟喧嘩する。その喧嘩に仲裁に這入つてまた喧嘩を大きくする。昼の中は皆のものが仕事に出て居るので静かであるが、夕刻になると帰つてくるのでいつも一大紛擾が起るのである。それで暑くて寝られない夏の夕よりか、喧嘩する為めに八釜敷くて眠れないことの方が遥かに多くあつた。

 夏は貧民窟ではとても寝られなかつた。太陽が日中屋根を照らしたほとぼりが、夜になつて低い天井を通じて放射されるのでとても堪らない上に燈火が消えると、南京虫が、ぞろぞろ這ひ出てくるのである。で、またランプに火をつけて南京虫を取ると、毎晩四十匹五十匹と取るのであつた。それで栄一は戸の上に寝たが、南京虫はまた戸についてしまつた。机の上に寝た。また机について居る。それで彼は発狂する程悲しかつた。然し南京虫に弱つて居るのは、栄一だけでは無かつた。家内のものの凡てがさうであつた。最も苦しんだのが笑子であつた。笑子は南京虫に噛れた後を掻いた為めに腫物が出来た。内山も南京虫に噛まれた所と疥癬の腫物とが一緒になつて、目も当てられぬやうな皮膚をして居る。三公は最も南京虫に悩まされた一人であつた。夜中に泣いて居ることが屡々である――『南京虫が噛み付いて寝られない!』と云うて――。不良少年の松蔵と伊豆は平気であつた。おしづは黙つて居た。一つはおしづは身体が不自由であるからあまり小言を云ふと世話をしてくれないと云ふことを心配して居たのである。

 栄一は幾日も寝られなかつた。眠むられない程悲しいことは無かつた。それで栄一は神経衰弱のやうに身体の衰へて行くことを感じた。

 そこへダンテの研究者として友人間に知られて居る時田文雄と云ふ白金時代の同窓で東京下谷明星教会の牧師をして居た友人が尋ねて来てくれた。今度大阪で結婚するので下つて来たと云うて居た。栄一も淋しい時でもあるしするから、白金を去つて後の話を色々と物語つた。兎に角、結婚式までに三日もあるからその間共に語らうと云ふことになつたが、さて夜寝ることになると時田は煩悶して居るのである。あちらの戸板を、こちらに運んだり、こちらの戸板には南京虫が多いからと云うて、あちらのものと換へたり、夜中に真暗の中を戸板をがた/\させ乍ら『寝られない、寝られない』と煩悶して居る。

 然し時田は三日間兎に角辛抱した。そして三日目の晩に彼は真面目臭つた顔をして、貧民窟からフロツクコートを着て、結婚式の式場である、大阪中の島二丁目北教会へ出て行つた。栄一は一寸用事が有つたので、少し遅れて貧民窟を出たが、式場で、南京虫に噛れて煩悶して居た昨夜の時田が真面目になつて居るのを見て、一人で噴き出しさうに可笑くなつた。

 勿論こんな中へ義母お久を迎へ入れる勇気は無かつた。それで五月の末か、六月の末に貧民窟へお久を迎へる積りだと云うてやつたがその望みは絶えた。それで、秋の小口に神戸に来て下さいと書いて送つた。

 八月に這入つて、おしづは全快して一人で歩けるやうになつた。それで木賃宿へ行くことになつた。そして自分よりも三十も年上の仲仕と一緒になつた。

 八月は栄一に取つては随分急しかつた。彼は貧民窟の子供を須磨か明石に連れて行きたいと思つて有志から寄附を募つた。そして恰度八月十六日に八十人ばかりの子供を連れて明石まで遊びに行つた。その日は栄一に取つては悦びの日であつた。松蔵は得意になつて、多くの子供を世話して居た。甚公も、虎市も、花枝も、数さんも皆うれしさうに明石の海岸で転び廻つた。たゞ一つ困つたのは女の児が裸体のまゝ平気で水浴することであつた。それを恥しいとも何とも考へないのであるから、栄一も弱つてゐたのであつた。

 八月の伝染病もいやであつた。コレラが同じ町内にある木賃宿の坂本屋にあつて、昨日は三十六人和田の岬に隔離せられたとか、今日はチブスで、裏の筋の散髪店のおかみさんが東山伝染病院に送られるのだとか、そんな話を毎日聞いた。然し新見はそれを少しも恐れなかつた。岩沼松蔵の盲目の母がコレラで避病院に送られたのを見舞に行つた。二畳敷を廻つてコレラの注意をした。栄一は死線を越えたものには、伝染病はよう伝染しないと云ふ自信を持つて居る。それで毎日午後四時過ぎからと、日曜日には勉めてそんな病家を訪問した。

 盆が過ぎてすぐ内山自身が一つの葬式を出してやつてくれと栄一に依頼した。それは栄一の居るすぐ下の筋の乞食のおつたの亭主が長の患ひで死んだのだが、金が無いからと云ふので有つた。それで栄一はそれを心持ちよく引受けて棺桶から何からすつくり買うて来て自分も手伝つて棺に収めて野辺送りをしたのであつた。

 おつたはそれから内山を非常に尊敬して毎日やつて来た。内山に云はすと、おつたは数年前に痘瘡をしない前は新川での美人であつたと云ふ。然し今は目茶々々のそれは醜い女で、毎日身体の前後に赤ン坊二人をくゝりつけて乞食に出るのが本業であつた。それで見るからに心持の悪い女で、年の頃も四十か五十かのやうに見える位で有つたが、内山は二十四であると云うて居る。何にしてもお葬式のことからおつたと内山の親密になり加減はたゞ事では無かつた。その中にまた内山は先の亭主の葬式から二週間もたゝないにかゝはらず栄一にも一つおつたの葬式をしてくれと云ふ。おつたの赤ン坊が死んだのである。それで栄一はよく三ノ宮筋で乞食して居るおつたが二人の赤ン坊を身体の前後に運んで居るを見て居るので『どちらの子だね』と尋ねると、『一人しか無いんです』と内山は弁解して居る。

『それでも、いつでも二人の子を背負ふて居るぢや無いかね』と云ふと、

『先生、ありや乞食するに都合が善いやうに近処で借りて行くのです』

『それぢや、おつたには児は一人しか無いのかね?』

『実云へば、その一人の児と云ふのも貰ひ児です――亭主の薬代に困つて貰つた児です』と内山は答へる。

 それで栄一は凡てを了解した。貧民窟にもう九ヶ月も住んでゐても、なか/\貧民窟のことはわからないと栄一は今更乍ら吃驚した。それで栄一は、またその貰ひ児のお葬式を出してやつた。

 春日野の墓地から帰つてくると、おつたがやつて来て、是非耶蘇に入れてくれと申込んで来た。栄一はその意味が充分わからないので、内山を呼んで聞いてみると、

『先生な、誠に済みませんがな、おつたを御内の下女代りに置いてやつて下さいませんか、もうあんなに一人ぼつちになりましたので行く処がありまへんのでな』と云ふ。

 栄一はその図々しいのに吃驚したので、

『うちは女の人を入れることは出来ないよ――おしづの時でも君は無理矢理に引張り込んでしまつたのだから、僕は困つてしまつたが、おつたは真平ら御免だね』と答へたが、よく聞いて居ると、内山とおつたは亭主が死んで、二三日してすぐ一緒になつて居るのである。それで同棲を申出でて居るのであると云ふことが知れた。それを知つて、鈍い内山に何時そんな機敏なことが出来たかと思ふと、不思議に考へられるが、よく考へると、栄一が海上保険に出て居る留守の中に一緒になつたとしか考へられ無い。

 それで栄一は仕方が無いから、内山を出して了はうかと思つたが、また一面から考へると貧民生活には内山は手引きのやうなもので、この後内山のやうな男が居らなくなると、どんなにゆすられるかも知れぬと思ふと、少し位ゐのことは許してやりたくなつたのと、家を一軒持たすとなると、金の四五十円も呉れと云ふであらうが、栄一にはその余分の金が無いし、一先づおしづの這入つて居た家を二人の為めに貸してやることにした。それで一家の人々は益々増加して、七人となつた。そして内山とおつたが台所に使つて居る隣の室に、台所には笑子が寝ることになり、花枝さんの家を一軒置いて隣の二軒の家を打貫いた家には栄一、松蔵、伊豆、三公の四人が寝ることになつた。

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