二つの絵 芥川竜之介の回想

19話 二つの繪 帝國ホテル

5,433字 約11分 2017年7月24日 公開

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「どうもやうすが變です、」

 春の一日(昭和二年)下宿のはやい夕飯を食べ終るところに、いつもとちがつたやうすで一人で廊下に立つて、さう言つてゐる芥川夫人をみた。

「夕方どこにゆくとも言はずにぶらつと出かけていつたのですが、どこにいつたのかわからないのです、」

 少しせきこみがちに言ひながら夫人が坐つた。

「まあ、」と僕が膳をさげさせようとしたそのときに、開いてゐた入口の障子のところに麻素子さんの顏がのぞいた。

「まあ、」

「まあ、」

「いまお宅にあがらうと思つてゐたのですが、」

「わたしもいまお宅にあがらうと思つてゐたところなんです、」

と、言つてゐる麻素子さんと芥川夫人をみて、僕はそのやうすにとまどつた。麻素子さんは僕を下宿に訪ねてきたことのない人であるし用件がわからない。芥川夫人は「どこにいつたんだかわからないんですよ、」と麻素子さんに言つてゐる。

「心あたりもありますから搜しに出かけてみませう、」と僕が芥川夫人に言ふと、

「では、どうかよろしく、」

と言つて、夫人はそのままいそいで歸つていつてしまつた。

 僕の心あたりといふのは、帝國ホテルと淺草の待合春日(春日とよが女將であつた)の二ヶ所であつた。(芥川は時には、この二ヶ所で原稿を書いてゐた。)

 麻素子さんと僕は芥川夫人に一足後れて下宿を出た。

 雨があがつてゐたのか降つてゐたのか、麻素子さんは傘を持つてゐた。十五六間ほど歩いたところで麻素子さんは、文子さん(芥川夫人)にはただ一人の友達である立場、その人の夫の芥川に困惑してゐるいまの氣持がわかるかといふことを言ひだした。(その時、僕は麻素子さんに、あなたでなくとも、どの婦人にでも取縋らうとするのが、いまの芥川ではなからうか、と言つたと憶えてゐる。)

 僕は麻素子さんにさういふことを言ひだされても、格別驚きはしなかつたので、田端の驛の裏出口、芥川の家、さうしてまた近くと聞いてゐる麻素子さんの家、それぞれの丁度なかばあたりで、「あなたは、」と麻素子さんに聞いてゐた。

「わたし……」と麻素子さんは一寸立止つて、

「わたしも今日は有樂町の家に行きます、」と言つた。

 驛に下りる石段で、霞に烟る三河島の一帶、(數ヶ月後に、死體となつた芥川を燒いた火葬場の烟突が三本見える。)淺草方面のほんのりと見える灯、それを見たら、心あたりとしてゐる春日、帝國ホテル、もし、この二ヶ所のうちで芥川を捉へられないとすると、鎌倉の小町園まで行つて(ここの女將のことは宇野の書いた「芥川龍之介」にでてくる)きつと捉へるが、十二時までに間に合ふか(僕は、芥川が十二時までは生きてゐると考へてゐた、)一寸考へさせられた。

「さつき、文子さんの前では言へなかつたのですが、芥川さんの行つたさき、ほんとはわたし知つてます、帝國ホテルにゐます、……」

と麻素子さんが言つてくれた、(麻素子さんは落ちついた人である。僕にそこまでとは氣づかせてゐなかつた。)その麻素子さんをたよりにして僕は、有樂町までの切符を買つた。麻素子さんは、省線のなかでまた麻素子さんの立場を言つてゐた。さうして有樂町の驛で降りると、有樂町の家に歸らずに、僕を案内して、正面の入口からでなく、側面の小さい出入口をえらんでそこから僕をホテルに導いていれた。(僕はよく勝手を知つてゐる麻素子さんを一寸疑つたが、あとで芥川から彼女の父がホテルの支配人とは知合ひであると説明された。)帳場のところまで麻素子さんに案内されて、僕がその場の人に芥川が泊つてゐるかどうかと聞くと、

「さきほどおみえになりまして、また、どちらかへお出かけになりました。」「お歸りになるにはなります。」と帳場の人が言つた。

 僕は麻素子さんを信用し、帳場の人の言ふことを信用して、麻素子さんとホテルのそとにでた。

 麻素子さんは僕と歩いてゐる、芥川といつしよに死にはしない。僕はそこらで時間をつぶしませうと麻素子さんとそとにでたが、芥川はいづれ麻素子さんと死ぬつもりで戻つてくるであらうが、もう見こしがついた芥川の居どころを一刻もはやく、芥川の家に知らせたくなつてきて、時間は大丈夫だから、僕はひとまづ田端に知らせにゆくが、あなたは、と、ホテルの近邊と聞いてゐた彼女の兩親の家のことを考へて言つた。

「それぢやあ、わたしもいつしよにまゐりませう。」

と、急に麻素子さんも僕といつしよに田端に逆戻りした。

 芥川の門を潜つて、夫人、伯母、養母、義ちやんの顏をみた。僕はその人達よりも一と足さきに階段をのぼつていつた。僕は二階の芥川の書齋の隅によせられてしまつてゐる机の上の袋にはいつた部厚な物、ただそれだけがのせてあつたその机の上の物に注目した。

(芥川夫人は忙しく書齋の隅々に目をつけてゐたやうすであつた。といふのは、芥川はいつも遺書のやうなものを書いてゐて、夫人が、やたらそこらへんにおいておくので、女中達が掃除のときに讀んでしまつてゐるらしく、ほんとに困つてしまふんです、と言つてたやうに、さういふ物を書物の間に挾むとか、道具の蔭に隱しておくなぞはよくあつたことであるから、)

 僕は机の上のハトロン封筒の表に思ひがけなく、小穴隆一君へ、と書いてあるのを手にとつて中をみた。封筒の中には「或阿呆の一生」の原稿だけであつた。「或阿呆の一生」は、後に、〔僕はこの原稿を發表する可否は勿論、發表する時や機關も君に一任したいと思つてゐる。君はこの原稿の中に出て來る大抵の人物を知つてゐるだらう。しかし僕は發表するとしてもインデキスをつけずに貰ひたいと思つてゐる。僕は今最も不幸な幸福の中に暮してゐる。しかし不思議にも後悔してゐない。唯、僕の如き惡夫、惡子、惡親をもつたものたちを如何にも氣の毒に感じてゐる。ではさやうなら、僕はこの原稿の中で少くとも意識的には自己辯護をしなかつたつもりだ。最後に僕のこの原稿を特に君に托するものは君の恐らくは誰よりも僕を知つてゐると思ふからだ。(都會人と言ふ僕の皮を剥ぎさへすれば)どうかこの原稿の中に僕の阿呆さ加減を笑つてくれ給へ。昭和二年六月二十日 芥川龍之介 久米正雄君 となつてゐたものだが、僕がここに久米宛の手紙まで引用したのは、芥川が闇中問答を葛卷に與へてゐたとおなじやうな目的で、はじめは僕に「或阿呆の一生」の原稿を渡さうとしてゐたことを言つておきたいからだ。おなじやうな目的、「最後の會話」の章參照〕

 僕は芥川の書齋で、夫人に、芥川が帝國ホテルに宿をとつてゐたこと、十二時頃ホテルに歸つてなにか書置を書くとして二時頃自殺を決行、僕のこの推察には誤まりはなからうこと、時間はまだ間にあふ點、さうして、芥川の身をほんたうに不安に考へてゐるならば、芥川を自分のものだと思ふのなら、とにかくホテルに僕とまたいつしよにいつてみないかと言つた。僕は麻素子さんの前で、とにかく自分のものと思ふならに力をいれてゐたやうだ。(芥川はあとで僕に、女房にでも自分のものだと、さういつた考へを持たれて生きてゐるのは、自分はいやなんだ。と言つてゐた、)

 が、夫人は返事をしなかつたのである。

 僕は鵠沼にゐるとき、「子供の着物を買ひに行くが、いつしよに散歩に横濱に行かないか、」

「東京だと年寄がやかましくて、女中にやる盆暮の安反物さへなかなかの面倒だ。」と言つてゐた芥川夫妻を知つてゐるので、夫人を默らせてゐる年寄達に憤慨した。

「では、下で年寄達がなんと申しますか、一應年寄にたづねてみます、」

 僕が義ちやんと三人でゆきませうといつたときに、夫人ははじめて口をきつてさう言つた。が、夫人が下にいつてから相當待たされたので、僕は、その間二階で、死にたがつてゐる芥川を日頃よろしくと言つてをりながら年寄達は何事だと腹を立ててゐた。

 ――やうやく僕達三人は坂を下つて動坂の電車通りにタクシを拾ひに出た。

 麻素子さんは芥川の家に近い彼女の兄の家に泊つた。

 街も既に寢靜つてゐた。

 ――號室、3の字があつた室であつた。

「おはいり、」

と、大きな聲で呶鳴つたのは芥川である。

 僕達はドアを開けて、ベッドの上に一人ふてくされてゐる芥川をみた。

「なんだ、お前まできたのか、歸れ!」

 三人が三人ともまだ全部室のなかにはいらないうちに、芥川は「おはいり、」と言つたその時よりも大きな聲で義ちやんに呶鳴つた。

「歸れといふなら歸りますよ、」

「そんなら、なぜまた自分がこんな人騷がせをするんです、」

と、こみあげて泣きだしてゐた義ちやんは、つづけてさう呶鳴り返すと、一歩足を室に踏みいれただけで、田端に戻つて行つた。

 芥川と芥川夫人、僕の三人になつた。

「麻素子さんは死ぬのが怖くなつたのだ。約束を破つたのは死ぬのが怖くなつたのだ。」

 ベッドに仰向けになつたままの芥川は呶鳴るやうなうつたへるやうな調子で起きあがつた。

(一寸、舞臺を眺めてゐるやうな思ひででもある。)

 もう夜中である。

 三人のこころが迷つたとき、(夫人が泊つてゆくか、僕が歸るか、別の室をとるかと思つてゐるとき、)

「わたしは歸ります。」

と言つて、芥川夫人が廊下へ消えていつた。

 芥川と二人になつた僕は、ただ眠かつた。喉がかわいて無性に水が飮みたくなつてしまつた。僕は空いてゐるはうのベッドへはいつて、義足をはづして仰向けになつた。スチームが強かつたので、毒がはいつてゐて明日の朝は芥川といつしよに冷たくなつてゐても、もう仕方がないとあきらめて、枕もとの水壜を手にとつた。水はごくんと音をたてて喉にはいつた。

「もつと早くホテルに來て早く死んでしまふつもりであつたが、家を出るとき堀辰雄がきて、いま東京中を自動車で乘廻す小説を書いてゐるのだが、金がなくて車を乘りまはせないと言つてゐたから、ついでだからいつしよに東京中乘りまはしてゐて遲くなつた。」

「眠れないなら藥をやらうか、」

 僕はうとうとしてて芥川がさう言つてるのを聞いた。

 芥川は、帝國ホテルは、種々の國際的人物が宿泊する關係上、時たま自殺者があつても、表沙汰にならないといふことを關係者側の人からの又聞きの又聞きで聞いたといふ。それで帝國ホテルで死ぬことにしたといつてゐた。麻素子さんが教へたと言つてゐた。

 ベッドのなかで義足をはづして横になつたときに、睡眠藥をのんで向ふむきになつて毛布をかぶつた芥川をみた。しかし僕はただもう眠つてしまつてゐた。目がさめたときに、芥川のかぶつてゐる毛布が動いた。僕は救はれた氣がした。僕らは何時間眠つてゐたのだらうか、

「おはいり、」

 芥川の聲でボーイがはいつてきた。ボーイの顏をみたら、朝だ、といふ氣が急にした。ボーイは見慣れざる客の僕をみたやうである。ボーイが立去ると芥川は小さい聲で、「僕は食堂に出る着物ぢあないんだ。」と言つた。僕は、父が何年か着ふるした服を着てゐるので、夜でなければ堂々と室外に出てゆけぬだらうと息苦しくなつてきた。

 けふもまた逃れられない僕だと觀念した。窓の向側(現在、東京寶塚劇場の側)の建物には陽があたつてゐる。金目のかかつた建物かは知らないが、薄暗い室で、朝餐か晝食かわからない物を食べ終ると、芥川はカフェをすすりながら向側の建物に目をやつて、

「向ふのあの室ではもう、阿部章藏が僕らがここにかうしてゐる事をなにも知らず働いてゐるだらう。」(阿部章藏は水上瀧太郎のこと、)

と言つた。僕は窓の下を歩いてゐる人達がただ羨しかつた。たばこに火をつけると芥川は、「日本の文壇を根本的に批評していくには、どうしても日本にゐては自分には出來ない。(この言葉は「饒舌録」による谷崎潤一郎との間の論戰によるものか、但しこの論戰? は僕には、芥川が單に谷崎との舊交の思出に親しんでゐたといふやうに思はれる。芥川はよく谷崎の逞しさをいつて、芥川流に僕を勵ましてゐたものである。)巴里の魔窟のなかに暮してでなければ駄目だ。(巴里の魔窟に住むで亂倫不逞の生活をして、弱い性格をくろがねのやうにたたきあげるといふ言葉は、幾度か彼の口からでた。彼は彼の顏を寫眞になどしない國で、無頼の徒の間に伍して暮さうといふのである。)谷崎は今日既に駑馬として終り、佐藤春夫はこれまた過渡期の人間である。自分も顧みれば既に過渡期の人として過ぎてきた。自分の仕事といふものは既に行きづまつてしまつた。自分は仕事の上では今日までは如何なる人々をも恐れてはゐなかつた。また、さうしてやつてきた。智惠では決して人に負けないと信じてきてゐたが、ここに唯一人自分にとつて恐るべきは志賀直哉の存在だ。恐るべき存在は志賀直哉であつた。志賀直哉一人だ。志賀直哉の藝術といふものは、これは智惠とかなんとかいふものではなく、天衣無縫の藝術である。自分は天下唯一人志賀直哉に立ち向ふ時だけは全く息が切れる。生涯の自分の仕事も唯一人志賀直哉の仕事には全くかなはない、」とゐずまひをただして暗然たるかと思ふと、かつて、かたはらの雜誌をとつて、「この小説の冒頭の會話だけでも、既に僕らにはかういふ新時代の會話が書けない。」と僕に言つてゐたその作者の、佐佐木茂索がその後なにも書いてゐないのを嘆いてゐた。

 芥川は夫人が迎へにきた時まで、何時間かの時間を、すさまじい必死で一人でしやべりつづけてゐた。夫人とかはつて、すぐホテルを出た僕の顏をあたためてくれたのは午後の遲い日ざしであつた。

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