火山の話

3話 二、火山のあらまし(2)

4,090字 約8分 2012年4月14日 公開

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 歴史年代(れきしねんだい)噴火(ふんか)した實例(じつれい)()つてゐながら、現在(げんざい)噴火(ふんか)休止(きゆうし)してゐるものと、活動中(かつどうちゆう)のものとあるが、前者(ぜんしや)休火山(きゆうかざん)()づけて活火山(かつかざん)區別(くべつ)してゐる(ひと)もあるけれども、本篇(ほんぺん)(おい)ては全部(ぜんぶ)これを活火山(かつかざん)()づけて必要(ひつよう)のあつた場合(ばあひ)休活(きゆうかつ)區別(くべつ)をなすことにする。(たゞ)こゝに(ことわ)りを(よう)することは噴火(ふんか)といふ言葉(ことば)使(つか)(かた)である。文字(もんじ)からいへば()()くとなるけれども、これは()える()()すのではない。勿論(もちろん)(きは)めて(まれ)場合(ばあひ)には噴出(ふんしゆつ)せられた瓦斯(がす)()えることがないでもないが、一般(いつぱん)()(おも)はれてゐるのは赤熱(せきねつ)した鎔岩(ようがん)である。(たゞ)しこれが赤熱(せきねつ)してゐなくとも噴火(ふんか)たることに(かは)りはない。(たと)へば粉末(ふんまつ)となつた鎔岩(ようがん)(すなは)火山灰(かざんばひ)のみを()()(とき)でもさうである。(しか)しながら(たん)蒸氣(じようき)瓦斯(がす)(また)硫氣(りゆうき)噴出(ふんしゆつ)するだけでは噴火(ふんか)とはいはないで、蒸氣孔(じようきこう)(また)硫氣孔(りゆうきこう)状態(じようたい)にありといつてゐる。箱根山(はこねやま)(かたち)からいへば複式火山(ふくしきかざん)經歴(けいれき)からいへば死火山(しかざん)外輪山(がいりんざん)金時(きんとき)明神(みようじん)明星(みようじよう)鞍掛(くらかけ)三國(みくに)諸山(しよざん)中央火口丘(ちゆうおうかこうきゆう)冠岳(かんむりだけ)駒ヶ岳(こまがだけ)二子山(ふたこやま)神山(かみやま)(とう)、さうして最後(さいご)活動場所(かつどうばしよ)大涌谷(おほわくだに)であつて、こゝには(いま)なほ蒸氣孔(じようきこう)硫氣孔(りゆうきこう)(のこ)つてゐる。

 日本(につぽん)()ける活火山(かつかざん)兩大關(りようおほぜき)(ひがし)(ほう)淺間山(あさまやま)とすれば、西(にし)阿蘇山(あそざん)である。(なか)にも阿蘇(あそ)はその外輪山(がいりんざん)雄大(ゆうだい)なことに(おい)世界第一(せかいだいゝち)といはれてゐる。(すなは)ちその直徑(ちよつけい)東西(とうざい)四里(より)南北(なんぼく)五里(ごり)(およ)び、こゝに阿蘇(あそ)一郡(いちぐん)四萬(しまん)(ひと)()まつてゐる。(たゞ)噴火(ふんか)はこの火口(かこう)全體(ぜんたい)から(おこ)つたのではなく、周圍(しゆうい)土地(とち)陷沒(かんぼつ)によつて()(ひろ)がつたものだといふ。この(ひろ)外輪山(がいりんざん)(なか)(いく)つかの中央火口丘(ちゆうおうかこうきゆう)があるが、それが所謂(いはゆる)阿蘇(あそ)五岳(ごがく)である。これ()(おも)東西線(とうざいせん)南北線(なんぼくせん)とに竝列(へいれつ)してゐるが、中央(ちゆうおう)交叉點(こうさてん)(あた)場所(ばしよ)現在(げんざい)活火口(かつかこう)たる中岳(なかだけ)(たか)千六百四十米(せんろつぴやくしじゆうめーとる))がある。この中岳(なかたけ)火口(かこう)(まへ)(しる)した(とほ)り、南北(なんぼく)連續(れんぞく)した數箇(すうこ)(いけ)から成立(なりた)ち、(おも)なものとして、北中南(きたなかみなみ)(みつ)つを區別(くべつ)する。阿蘇(あそ)はこの百年(ひやくねん)ぐらゐの(あひだ)平均(へいきん)十一年目(じゆういちねんめ)活動(かつどう)繰返(くりかへ)してゐるが、それはその(みつ)つの(いけ)のいづれかゞ活氣(かつき)(てい)するに()るものである。(しか)しながら、(まれ)には(ほか)場所(ばしよ)から()()すこともある。火口(かこう)(いけ)休息(きゆうそく)状態(じようたい)にある(とき)は、大抵(たいてい)濁水(だくすい)(たゝ)へてゐるが、これが硫黄(いおう)(ふく)むために乳白色(にゆうはくしよく)ともなれば、熱湯(ねつとう)となることもある。活動(かつどう)(さき)んじて池水(ちすい)涸渇(こかつ)するのが通常(つうじよう)であるけれども、突然(とつぜん)爆發(ばくはつ)して池水(ちすい)氾濫(はんらん)せしめたこともある。このために阿蘇郡(あそぐん)南半(なんぱん)たる南郷谷(なんごうだに)(みづ)(あつ)めて(なが)れる白川(しろかは)文字通(もじどほ)乳白色(にゆうはくしよく)となり、魚介(ぎよかい)死滅(しめつ)せしめることがある。北方(ほつぽう)阿蘇谷(あそだに)(みづ)黒川(くろかは)(あつま)り、兩方(りようほう)相會(あひかい)する(ところ)外輪山(がいりんざん)(やぶ)外方(がいほう)(なが)()る。(すなは)ちこの外輪山(がいりんざん)(やぶ)()火口瀬(かこうせ)である。箱根山(はこねやま)でこれに相當(そうとう)する場所(ばしよ)湯本(ゆもと)早川(はやかは)須雲川(すぐもがは)相會(あひかい)する(ところ)である。阿蘇(あそ)活動(かつどう)(みぎ)(ほか)一般(いつぱん)火山灰(かざんばひ)()ばし、これが酸性(さんせい)()びてゐるので、農作物(のうさくぶつ)(がい)し、これを(しよく)する牛馬(ぎゆうば)をも(いた)めることがある。阿蘇(あそ)火山灰(かざんばひ)はこの地方(ちほう)で『よな』と(とな)へられてゐるが、被害(ひがい)(たん)阿蘇(あそ)のみに(とゞ)まらずして、大分縣(おほいたけん)にまでも(およ)ぶことがある。これは空氣(くうき)上層(じようそう)には通常(つうじよう)西風(にしかぜ)があるので、下層(かそう)風向(かざむ)きの如何(いかん)(かゝは)らず、(こま)かな火山灰(かざんばひ)大抵(たいてい)大氣中(たいきちゆう)上層(じようそう)()り、東方(とうほう)(はこ)ばれるに()るからである。

阿蘇火口の平面圖

 阿蘇(あそ)日本(につぽん)活火山中(かつかざんちゆう)(もつと)(のぼ)(やす)(やま)であらう。國有鐵道(こくゆうてつどう)宮地線(みやぢせん)坊中驛(ぼうぢゆうえき)(また)宮地驛(みやぢえき)から緩勾配(かんこうばい)斜面(しやめん)(のぼ)ること一里半(いちりはん)ぐらゐで山頂(さんちよう)(たつ)することが出來(でき)る。頂上(ちようじよう)(ちか)くに茶店(ちやみせ)宿屋(やどや)數軒(すうけん)あり、冬季(とうき)でも登攀(とうはん)不可能(ふかのう)でない。(たゞ)しある意味(いみ)()ける世界第一(せかいだいゝち)のこの火山(かざん)(おい)(ひと)觀測所(かんそくじよ)をも(ゆう)しないことは、外國(がいこく)學者(がくしや)(たい)しても(はづ)かしく(おも)つてゐたが、(いま)京都帝國大學(きようとていこくだいがく)觀測所(かんそくじよ)がこゝに設立(せつりつ)されてゐる。

 つぎは(ひがし)大關(おほぜき)たる淺間山(あさまやま)(たか)二千五百四十二米(にせんごひやくしじゆうにめーとる)單式火山(たんしきかざん))を(のぞ)いて()ることにする。この(やま)阿蘇(あそ)同樣(どうよう)噴火(ふんか)記録(きろく)(ふる)く、回數(かいすう)(すこぶ)(おほ)いが、阿蘇(あそ)噴火(ふんか)のだら/\として女性的(じよせいてき)なるに(たい)し、これは男性的(だんせいてき)であるといつても(しか)るべきである。休息(きゆうそく)間隔(かんかく)比較的(ひかくてき)(とほ)いが、一度(いちど)活動(かつどう)(はじ)めるとなか/\(はげ)しいことをやる。(げん)明治四十一年頃(めいじしじゆういちねんごろ)から(はじ)まつた活動(かつどう)(おい)ては鎔岩(ようがん)西方(せいほう)數十町(すうじつちよう)距離(きより)にまで()()ばし、小諸(こもろ)からの登山口(とざんぐち)七合目(しちごうめ)にある火山觀測所(かざんかんそくじよ)にまで(たつ)したこともある。(とく)天明三年(てんめいさんねん)西暦(せいれき)千七百八十三年(せんしちひやくはちじゆうさんねん))の噴火(ふんか)激烈(げきれつ)であつて、現在(げんざい)鬼押出(おにおしだ)しと()づけてゐる鎔岩流(ようがんりゆう)()したのみならず、熱泥流(ねつでいりゆう)火口壁(かこうへき)(もつと)(ひく)場所(ばしよ)から一時(いちじ)多量(たりよう)(あふ)れさせ、北方(ほつぽう)上野(かうづけ)(くに)吾妻川(あづまがは)沿()うて百數十村(ひやくすうじつそん)(うづ)め、千二百人(せんにひやくにん)死者(ししや)(しよう)ぜしめた。最初(さいしよ)活動(かつどう)(おい)ては火口内(かこうない)鎔岩(ようがん)が、火口壁(かこうへき)(へり)まで(すゝ)み、一時(いちじ)流出(りゆうしゆつ)氣遣(きづかは)れたけれども、つひにそのことなくして、鎔岩(ようがん)水準(すいじゆん)(ふたゝ)低下(ていか)してしまつたのである。

淺間の噴火(菜花煙)

 このついでに(しる)して()きたいのは、飛騨(ひだ)信濃(しなの)國境(こつきよう)にある硫黄嶽(いおうだけ)一名(いちめい)燒岳(やけだけ)(たか)二千四百五十八米(にせんしひやくごじゆうはちめーとる))である。この(やま)近時(きんじ)淺間山(あさまやま)交代(こうたい)活動(かつどう)する(かたむ)きを()つてゐるが、降灰(こうはひ)のために時々(とき/″\)災害(さいがい)桑園(そうえん)(およ)ぼし、養蠶上(ようさんじよう)損害(そんがい)(かうむ)らしめるので、土地(とち)(ひと)迷惑(めいわく)がられてゐる。

 近頃(ちかごろ)噴火(ふんか)(もつと)もよく記憶(きおく)せられてゐるのは櫻島(さくらじま)(たか)一千六十米(いつせんろくじゆうめーとる))であらう。その大正十二年(たいしようじゆうにねん)噴火(ふんか)(おい)ては、(やま)東側(ひがしがは)西側(にしがは)とに東西(とうざい)(はし)二條(にじよう)裂目(さけめ)(しよう)じ、各線上(かくせんじよう)五六(ごろく)(てん)から鎔岩(ようがん)流出(りゆうしゆつ)した。この状態(じようたい)はエトナ(しき)(しよう)すべきである。(たゞ)櫻島(さくらじま)はかういふ大噴火(だいふんか)百年(ひやくねん)(あるひ)二三百年(にさんびやくねん)間隔(かんかく)(もつ)繰返(くりかへ)すので、(したが)つて鎔岩(ようがん)流出量(りゆうしゆつりよう)(おほ)く、前回(ぜんかい)場合(ばあひ)(いち)(ろく)立方粁(りつぽうきろめーとる)計算(けいさん)せられてゐるが、エトナは西暦(せいれき)千八百九年(せんはつぴやくくねん)乃至(ないし)千九百十一年(せんくひやくじゆういちねん)十回(じつかい)(おい)合計(ごうけい)〇・六一立方粁(りつぽうきろめーとる)しか()してゐない。かくて櫻島(さくらじま)毎回(まいかい)多量(たりよう)鎔岩(ようがん)()すので(しま)(おほ)きさも次第(しだい)()して()くが、今回(こんかい)東側(ひがしがは)()鎔岩(ようがん)(つひ)瀬戸海峽(せとかいきよう)(うづ)め、櫻島(さくらじま)をして大隅(おほすみ)一半島(いちはんとう)たらしめるに(いた)つた。かうして鎔岩(ようがん)(あら)された損害(そんがい)(おほ)きいが、それよりも火山灰(かざんばひ)のために荒廢(こうはい)した土地(とち)損害(そんがい)地盤沈下(じばんちんか)によつて(うしな)はれた附近(ふきん)水田(すいでん)(あるひ)鹽田(えんでん)損害(そんがい)はそれ以上(いじよう)であつて、鹿兒島縣下(かごしまけんか)()ける全被害(ぜんひがい)千六百萬圓(せんろつぴやくまんえん)計上(けいじよう)せられた。

 櫻島噴火(さくらじまふんか)(いちじる)しい前徴(ぜんちよう)(そな)へてゐた。數日前(すうにちぜん)から地震(ぢしん)頻々(ひんぴん)(おこ)ることは慣例(かんれい)であるが、今回(こんかい)一日半前(いちにちはんぜん)から(はじ)まつた。(また)七八十年前(しちはちじゆうねんぜん)から土地(とち)次第(しだい)隆起(りゆうき)しつゝあつたが、噴火後(ふんかご)(もと)どほりに沈下(ちんか)したのである。その(ほか)温泉(おんせん)冷泉(れいせん)がその温度(おんど)(たか)め、(あるひ)湧出量(ゆうしゆつりよう)()し、(あるひ)(あら)たに湧出(ゆうしゆつ)(はじ)めたようなこともあつた。

 霧島火山群(きりしまかざんぐん)東西(とうざい)五里(ごり)(わた)(ふた)つの活火口(かつかこう)(おほ)くの死火山(しかざん)とを(ゆう)してゐる。その(ふた)つの活火口(かつかこう)とは(ほこ)(みね)(たか)千七百米(せんしちひやくめーとる))の西腹(せいふく)にある御鉢(おはち)と、その一里(いちり)ほど西(にし)にある新燃鉢(しんもえばち)とである。霧島火山(きりしまかざん)はこの(ふた)つの活火口(かつかこう)交互(こうご)活動(かつどう)するのが習慣(しゆうかん)のように()えるが、最近(さいきん)までは御鉢(おはち)活動(かつどう)してゐた。(たゞ)享保元年(きようほがんねん)西暦(せいれき)千七百十六年(せんしちひやくじゆうろくねん))に()ける新燃鉢(しんもえばち)噴火(ふんか)は、霧島噴火史上(きりしまふんかしじよう)(おい)(もつと)(はげ)しく、(したが)つて最高(さいこう)損害記録(そんがいきろく)(あた)へたものであつた。

 磐梯山(ばんだいざん)(たか)千八百十九米(せんはつぴやくじゆうくめーとる))の明治二十一年(めいじにじゆういちねん)六月十五日(ろくがつじゆうごにち)()ける大爆發(だいばくはつ)は、當時(とうじ)天下(てんか)耳目(じもく)聳動(しようどう)せしめたものであつたが、クラカトアには比較(ひかく)すべくもない。この(とき)磐梯山(ばんだいざん)大部分(だいぶぶん)蒸氣(じようき)膨脹力(ぼうちようりよく)によつて()()ばされ、堆積物(たいせきぶつ)溪水(たにみづ)(ふさ)いで二三(にさん)湖水(こすい)(つく)つたが、東側(ひがしがは)(なが)()した泥流(でいりゆう)のために土地(とち)のみならず、四百餘(しひやくよ)村民(そんみん)をも()めてしまつたのである。

磐梯山の爆發(平面竝に斷面圖)

 肥前(ひぜん)温泉岳(うんぜんだけ)(たか)千三百六十米(せんさんびやくろくじゆうめーとる))は時々(とき/″\)小規模(しようきぼ)噴火(ふんか)をなし、少量(しようりよう)鎔岩(ようがん)をも流出(りゆうしゆつ)することがあるが、寛政四年(かんせいよねん)四月一日(しがついちにち)西暦(せいれき)千七百九十二年(せんしちひやくくじゆうにねん)五月二十一日(ごがつにじゆういちにち)噴火(ふんか)場所(ばしよ)から一里程(いちりほど)(はな)れてゐる眉山(まゆやま)崩壞(ほうかい)を、(みぎ)磐梯山(ばんだいざん)爆發(ばくはつ)(おな)現象(げんしよう)のように誤解(ごかい)してゐる(ひと)がある。この崩壞(ほうかい)結果(けつか)有明灣(ありあけわん)大津浪(おほつなみ)(おこ)し、沿岸地方(えんがんちほう)(おい)合計(ごうけい)一萬五千人(いちまんごせんにん)ほどの死者(ししや)(しよう)じた大事件(だんじけん)もあつたので、原因(げんいん)輕々(かる/″\)しく斷定(だんてい)することは(つゝし)まねばならぬ。磐梯山破裂(ばんだいざんはれつ)(あと)には(おほ)きな蒸氣孔(じようきこう)(のこ)し、火山作用(かざんさよう)(いま)もなほ(さか)んであるが、眉山(まゆやま)場合(ばあひ)には(ごう)右樣(みぎよう)痕跡(こんせき)(とゞ)めなかつたのである。

 磐梯山(ばんだいざん)(ちか)吾妻山(あづまやま)(また)()一切經山(いつさいきようやま)(たか)千九百四十九米(せんくひやくしじゆうくめーとる))がある。この(やま)活火山(かつかざん)であることは明治二十六年(めいじにじゆうろくねん)(いた)るまで()られなかつたが、この(とし)突然(とつぜん)噴火(ふんか)(はじ)めたゝめ死火山(しかざん)でなかつたことが證據立(しようこだ)てられた。この(さい)調査(ちようさ)(むか)つた農商務技師(のうしようむぎし)三浦宗次郎氏(みうらそうじろうし)同技手(どうぎて)西山省吾氏(にしやましようごし)噴火(ふんか)犧牲(ぎせい)になつた。少年讀者(しようねんどくしや)東京(とうきよう)上野(うへの)博物館(はくぶつかん)(をさ)めてある血染(ちぞ)めの帽子(ぼうし)上着(うはぎ)とを(わす)れないようにされたいものである。

 東北地方(とうほくちほう)活火山(かつかざん)鳥海山(ちようかいざん)(たか)二千二百三十米(にせんにひやくさんじゆうめーとる))、岩手山(いはてさん)(たか)二千四十一米(にせんしじゆういちめーとる))、岩木山(いはきさん)(たか)千六百二十五米(せんろつぴやくにじゆうごめーとる)(とう)がある。いづれも富士形(ふじがた)單式火山(たんしきかざん)であつて、歴史年代(れきしねんだい)(おい)(あま)活溌(かつぱつ)でない噴火(ふんか)數回(すうかい)乃至(ないし)十數回(じゆうすうかい)繰返(くりかへ)した。享和年間(きようわねんかん)鳥海噴火(ちようかいふんか)享保年間(きようほねんかん)岩手噴火(いはてふんか)とに(おい)ては、鎔岩(ようがん)流出(りゆうしゆつ)せしめたけれども、それも(きは)めて少量(しようりよう)であつて、(やま)中腹(ちゆうふく)までも(たつ)しないくらゐであつた。

 大島(おほしま)といふ名前(なまへ)火山島(かざんとう)伊豆(いづ)渡島(おしま)とにある。伊豆(いづ)大島(おほしま)(ゆう)する火山(かざん)三原山(みはらやま)(たか)七百五十五米(しちひやくごじゆうごめーとる))と()づけられ、噴火(ふんか)(ふる)歴史(れきし)(ゆう)してゐる。爆發(ばくはつ)(ちから)(すこぶ)輕微(けいび)であつて、活動中(かつどうちゆう)(おい)ても、中央火口丘(ちゆうおうかこうきゆう)(ちか)づくことが容易(ようい)である。渡島(おしま)大島(おほしま)歴史年代(れきしねんだい)數回(すうかい)噴火(ふんか)繰返(くりかへ)したが、兩者(りようしや)(とも)火山毛(かざんもう)(さん)することは注意(ちゆうい)すべきことである。(たゞ)しいづれも暗黒針状(あんこくしんじよう)のものである。

 北海道(ほつかいどう)には本島(ほんとう)だけでも駒ヶ岳(こまがたけ)(たか)千百四十米(せんひやくしじゆうめーとる))、十勝岳(とかちだけ)(たか)二千七十七米(にせんしちじゆうしちめーとる))、有珠山(うすさん)(たか)七百二十五米(しちひやくにじゆうごめーとる))、樽前山(たるまへさん)(たか)一千二十三米(いつせんにじゆうさんめーとる))の活火山(かつかざん)があつて、いづれも特色(とくしよく)ある噴火(ふんか)をなすのである。その(うち)樽前(たるまへ)明治四十二年(めいじしじゆうにねん)噴火(ふんか)(おい)て、火口(かこう)からプレー(しき)鎔岩丘(ようがんきゆう)()()し、それが(いま)なほ存在(そんざい)して時々(とき/″\)その彼方此方(かなたこなた)()()ばす(ほど)小爆發(しようばくはつ)をつゞけてゐる。また有珠山(うすさん)明治四十三年(めいじしじゆうさんねん)噴火(ふんか)數日前(すうじつぜん)から地震(ぢしん)先發(せんぱつ)せしめたので、(とき)室蘭警察署長(むろらんけいさつしよちよう)飯田警視(いひだけいし)爆發(ばくはつ)未然(みぜん)(さつ)し、機宜(きゞ)(てき)する保安上(ほあんじよう)手段(しゆだん)()つたことは特筆(とくひつ)すべき事柄(ことがら)である。十勝岳(とかちだけ)近頃(ちかごろ)まで死火山(しかざん)(かんが)へられてゐた火山(かざん)(ひと)つであるが、大正十五年(たいしようじゆうごねん)突然(とつぜん)噴火(ふんか)をなし、雪融(ゆきど)けのため氾濫(はんらん)(おこ)し、山麓(さんろく)村落(そんらく)生靈(せいれい)流亡(りゆうばう)せしめたことは、人々(ひと/″\)記憶(きおく)になほ(あら)たなものがあるであらう。

樽前岳の鎔岩丘

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