19話 怒る透明人間 空中を飛ぶ金貨
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このことがあって二日ほどたったとき、またまた船員は、世にもふしぎなできごとにであった。
船員は、じぶんの部屋でゆっくりとコーヒーをすすっていた。
たっぷり砂糖をほうりこんだ、濃いコーヒーをうまそうに飲みながら、かたわらの新聞をながめていると、
「おおい、あにき、あにきいるかい」
と、われるように戸をたたく者がいる。
「だれだい? しずかにしろ、戸がこわれるじゃないか。戸をたたくのをやめて入ってこい」
ころがりこんできたのは、かれのなかまのわかい船のりだった。
「なんだい、ひどくあわてて……どんな大事件が起こったっていうのかい? えっ、おまえ、透明人間にでもぶつかったというのかね?」
船員はなかまの顔を、にやにや笑って見ながら声をかけた。
「いいや、透明人間じゃない。だが、おなじようにへんなふしぎなことなんだ」
「ふしぎなこと? まあいいから落ちつきなよ。コーヒーをごちそうするから、ゆっくり話したらどうだい」
やがて、熱いコーヒーがはこぼれ、わかい船のりはひと息つくと、まだこうふんのさめないようすで話しだした。
「おどろいたの、なんのって、きょうのようにおどろいたことは、いままで一度だってありはしねえよ、あにきだってその場にいあわせたら、きっと目の玉がひっくりかえるほどおどろくにちがいないよ」
「おれがおどろくか、おどろかないか、そんなことはいいけど、その話というのはどんなことなんだい? おまえはかんじんのことはちっとも話してねえぜ」
「うん、それだよ。おれが朝はやくセント・マイクル小路を歩いていたんだ。まだ時間が早かったので、街はしいんとしていて、通っている人は、おれのずっと先を歩いている年よりきりで、ほかに人かげは前にも後にも見えなかった。おれはこんど乗っていく船や、ゆく先の港のことを考えて歩いていた。その時、どういうきっかけだったかわからないが、ひょいとよこの壁に目をやった」
「うん、それで……」
「そのとたんに、おどろいたねえ。ひとにぎりの金貨が、壁にそって空中をふわふわととんでいるんだ。それを見たときのびっくりしたこと……おれは思わずなんども目をこすったよ。が、なん度見なおしても、ほんものの金貨だ。かなりの早さで飛んでいくんだ。じっと見つめているうちに、すこしおどろきがおさまると、欲がむらむらっと起こったんだ」
「その金貨を、じぶんのものにしようとしたのかい?」
船のりはいつのまにか、わかいなかまのふしぎな話にひきずりこまれて、熱心にきいていた。
「おはずかしいが、そうなんだ。あたりに人はいない、金貨は持主がいるようではなし、ちょうど手のとどくところをとんでいるんだ。おれは、一枚や二枚ちょうだいしたって、たいして悪くはあるまいと考えたので、ひょいと手をのばして、その金貨をつかもうとした」
「うまくつかめたのか?」
「いいや、手をのばしたとたん、いきなり強い力でなぐり倒されて、その場にばったりとたおれてしまった。ひどく腰をうってのびてしまったが、かろうじて痛みをこらえて立ちあがったときには、金貨はちょうちょうが舞うように、ふわふわとマイクル小路のかどを消えていったんだ」
「おまえ、夢でも見ていたのじゃないか? ゆうべ、ぐっすり眠ったのかい?」
船のりが疑ぐりぶかい調子でいうと、わかいなかまは、不平そうにほおをふくらし、
「いやになるなあ、あにきまでがそんなことを言うのですかい? おれの腰は、その時すごい力でなぐり倒されて、いやっというほど地面にうちつけたので、いまでもずきんずきん痛んでますよ。おれだってさっきまで、金貨が空中をふわふわ飛ぶなんてことがあるとは思ってませんでしたよ。だけど、はっきりじぶんの目でみたんです。これよりたしかなことはありませんよ。おれは金貨がマイクル小路のかどに消えてゆくまで、じっと見ていて、その足であにきのところへかけつけてきたんだよ」
「そうか、では、まんざらうそでもなさそうだし、おまえが寝ぼけていたわけでもないんだね。とすると、ずいぶんふしぎな気味のわるい話じゃないか」
「そうなんだよ。おれも金貨が見えてる間は無我むちゅうだったが、金貨が消えてしまったとたん、ぞっとしたね。がたがたとふるえてきて、どうしてもとまらねえんだ。このごろは変なことばかり続くじゃないか。透明人間だなんて恐ろしいやつのことを、新聞がでかでか書きたてたと思うと、金貨が空中をとびまわる。おれはなんとなくおそろしくてしかたがないよ」
船のりは、その時、なぜともなく宿屋の前で会ったシルクハットをかぶったみょうな男のことと、そのとき空中からきこえた声のことをふっと思いだした。
(おれも頭がどうかしているのかな。あのときふいに空中から声がきこえてきたような気がしたが……そら耳だと思っていたが、もしかすると、ほんとに空中からきこえたのかもしれないぞ。金貨が空中を飛ぶなら、空中から声がきこえてもふしぎではないかもしれん)
ひとりで考えこんでしまった。わかいなかまもだまりこんで、やけにたばこばかりすっていた。
金貨が空中を飛ぶということは、事実だったらしい。
その証拠にポート・ストウ村では、一日じゅう、ほうぼうの物かげやへいのそばを、金貨がふわふわと飛んでいた。
そのようすを見たという人はいく人もあった。
「ええ、そうですよ。人もいなければ動物もいません。ただ金貨だけがふわふわとかなりの速さで飛んでるんですよ。わたしが近づいたとたんに、どこへともなく消えてしまったんです」
かれらは口をそろえて言った。
「そしておどろくじゃありませんか。その金貨は、どうも、ほうぼうの金庫やぜに箱からとびだしてきたものらしいんですよ。村の銀行の金庫からも、ちょうど片手でつかめるほどの金貨と、紙できちんと巻いた貨幣とが、ふいに空中に舞いあがり、おどろく行員をしり目に、ふわふわと飛んで銀行をでてゆき、表通りにとびだすと、そのまま見えなくなってしまったそうだ」
ふしぎなことのあったのは、銀行だけではなかった。
食料品をうっているこじんまりした店では、客につり銭をわたすために主人が銭箱のふたをあけた。そのとたん、主人はすぐ身近に人のけはいがせまるような感じをうけた。
「おやっ?」
主人は、あたりを見まわしたが、もちろん、店さきでまだ卵を熱心に見くらべている客よりほかに、だれもいなかった。
主人が銭箱からつり銭をつまみだそうとすると、さっと銭箱の中のひとつかみの金貨が空中へ舞いあがった。
「きゃっ!」
主人は悲鳴をあげて、舞いあがった金貨のゆくえを見まもるばかりだった。主人の悲鳴におどろいた客も、空中をとびながら店をでて大通りへ金貨が逃げていくのを見ると、すっかりたまげて、つり銭もうけとらず、いちもくさんにわが家へ逃げていった。
ポート・ストウ村は、ひっくりかえるようなさわぎになってしまった。
ほうぼうの店や宿屋から、手につかめるほどずつの金貨が空中をとんで消えていった。
あちらの通りや、こちらの街かどで、人びとは金貨の飛んでいるのを見かけたが、人が近づくとふしぎなことに、金貨はさっと身をひるがえすようにかき消えてしまった。
こうして、ほうぼうの金庫や銭箱から舞いあがってきた金貨のゆくえを知ったら、村の人たちは、いまよりもっとおどろいたにちがいない。
金貨は人目をさけて、街の通りを飛びつづけて村はずれまでやってくると、そこの小さな宿屋のまえで、おどおどとあたりを見まわして心配そうに立っている、古びたシルクハットをかぶった男のポケットに、吸いこまれるようにはいっていった。