20話 怒る透明人間 たすけてくれ!
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バードック町は、うしろになだらかな丘がある。丘のふもとのバスの停留所のすぐ前の酒場『銀ねこ』では、さっきからまるまるとふとったおやじが、むちゆうになって、ひとりの客をあいてに、さかんに、競馬の話をまくしたてていた。
あいての男は、おやじとはまるっきりはんたいの、やせてひょろひょろした顔いろのわるい男で、商売は馬車屋だ。
おやじの言葉に、ときどきあいづちをうちながら、ビスケットにチーズで、ちびちびと酒を飲んでいた。
「なんだい? 表のほうがだいぶさわがしいようじゃないか」
とめどのないおやじの話をうちきるように馬車屋が言って、立ちあがると、うす汚ないカーテンのすきまから、丘のほうをのぞいてみた。
「おい、なんだか、おおぜいの人が駈けていくぜ」
「どれどれ、ほんとうだ。火事かもしれねえな」
酒場のおやじが気のない調子で言ったとたん、ばたばたと足音が近づき、ドアをさっとひらいて、あの浮浪者のトーマスがとびこんできた。
髪をふりみだし、息をはずませて、上着のえりもはだけてしまっている。れいの古びたシルクハットは、とっくにどこかへすっとんだらしく、頭へのっかっていなかった。
飛びこんでくるなり、トーマスは恐怖におののきながら、大声でさけんだ。
「やつが追ってくるんだ。あっしのあとを追って……助けてくだせえ。透明人間に追われているんです」
「透明人間がくるって……そいつはたいへんだ。おいっ! ドアを閉めろ、ドアを閉めろ!」
酒場じゅうの者が色を失ってさわぎたてた。ちょうどきあわせていた警官は、さすがにほかの者たちよりは落ちついており、すぐに表のドアをしっかりとしめてやった。
おやじも台所のほうへすっ飛んでいくと、うら口のドアを力いっぱい、ひっぱってしめた。
「さあ、もう大丈夫だよ」
警官が言ったが、トーマスは泣きださんばかりの声をふりしぼって、
「あっしをかくしてくだせえ。どこかおくのほうの鍵のかかる部屋にかくしてもらいてえんです。やつがあっしを追っかけてくるんです。あいつはどんなところへでもはいってきますよ。あっしのことを殺そうと思っているんです」
「どんなやつかしらないが、ここまでくれば大丈夫だよ。ドアはしめたし、そちらに警官もいらっしゃるんだ」
すみっこで、ひとりで酒をのんでいた、黒いひげをはやしたアメリカなまりの男が言った。
と、そのとき、ドアがはげしくたたかれた。
「透明人間だ! はやくどこかへかくしてくだせえ。こんどみつかれば、きっと殺されてしまうんだ。おお、神さま!」
「この中へはいったらいいだろう」
おやじが、カウンターのはね板をあげた。トーマスはあわててとびこんだ。
その間じゅう、ドアをたたく音はひっきりなしにつづいた。
「だれだ?」
警官がどなりながらドアに近づいた。トーマスは、それをみると泣き声をふりしぼって、
「戸をあけねえでくだせえ。たのむからあけねえでくだせえ」
黒ひげの男が、
「外で戸をたたいているのが、透明人間だというのか。どんなやつか、見たいものだな」
その言葉がおわるかおわらないうちに、すさまじい音をたてて、表通りのほうの窓ガラスがわれた。
「きゃっ!」
トーマスがふるえあがって絶叫した。
「さあ、こちらへ来い」
おやじは気をきかせてトーマスをおくまった部屋にかくし、鍵をかけてやってから、もとのところへもどってきた。
外では、かけまわるたくさんの人の足音とさけび声がいりみだれて、たいへんなさわぎだった。
警官はドアに近より鍵穴から外をのぞき見しながら、
「ほんとに透明人間らしいな。警棒をもってくればよかった」
黒ひげの男も警官のあとにつづき、
「ねえ、かまわないから、かんぬきをぬいてドアをおあけなさい。やつがはいってきたら、ぼくがこいつに物を言わせましょう」
そして、手にしたピストルを警官の目のまえに、にゅっとつきだしてみせた。
ピストルをみると警官は、あわてて手をふり、
「とんでもない、そいつはこまるよ、きみ。そんなものをふりまわして、相手が運わるく死んでみたまえ、殺人罪になってしまうよ」
「へっへっへ、そんなことは心えていますよ。やつを殺してしまうようなへまはやりませんよ。足をねらいますよ。おれは足をねらう名人なんだよ。さあ、かんぬきをはずしなさい」
カーテンのすきまから外のようすをうかがっていたおやじは、あわててうしろをふりかえり、
「わたしをうたんでくださいよ」
と、どなった。
「さあ、こい!」
黒ひげの男は身がまえ、さっとピストルを背にかくした。
警官は、ちょっと思案していたが、いきなりかんぬきを、さっとひきぬいた。
しかし、ドアはしまったままで、人がはいってくるけはいはさらにない。
二分たち、三分たった。やはり、なんのかわったこともなかった。
三人が息をころしてドアを見つめていると、奥の部屋から、ひょいとトーマスが頭をだし、
「家じゅうのドアは、みんなしめてありますかい? 透明人間のやつは、きっとぐるっとまわって、開いてるドアをさがしてみますぜ。悪魔のように、ぬけめのねえやつですからね」
「そいつはたいへんだ。うち口のドアはあけたまんまだ。ちょっとわたしはいってくる。こちらはおまえさんたちにたのみますぜ」
ふとったおやじは、ころがるようにかけだした。トーマスは顔をひっこめ、ばたんとドアをしめ、鍵をしっかりとかけた。
やがて、かけもどってきたおやじは、手に大きな肉切包丁をぶらさげ、心配そうに、
「庭の木戸も通用口のドアも、みんなしめるのをわすれていたんだ。そのうえ、庭の木戸はあけっぱなしになっていたんだが……」
「透明人間が、そこからはいりこんだんじゃないか?」
気の早い馬車屋が、おやじが話しおわらないうちに、こわそうにさけんだ。
「調理場にお手伝いが二人いたが、だれもはいってきたけはいはなかったそうだ」
「しかし、ゆだんはならないぞ!」
警官はあたりを、ぐるぐると見まわしながらいった。黒ひげの男は、ぐっとピストルをにぎりなおして、調理場のほうをにらんだ。
そのとき、ぎ、ぎぎいっーと、おくの部屋のドアが、はげしくきしむ音がしたと思うと、あっと思うまもなく、ぱっと大きくあけはなされた。