4話 四
読み方を変える
医術は文明と共に進むもので、野蛮人を文明に導くには、先づ医術の方から持ち込むことが多い。また衛生と云ふことも、開化の進むに随うて、益々重んぜられるもので、凡そ一国民の衛生思想の如何を見れば其国の文明の程度を推察することが出来る。併し、この大切な医術や衛生の進歩に対しても、自然は絶えず復讐し来つた様に思はれる。医術が進めば、昔し治らなかつた病気も治る様になり、消毒の方法が完全になれば、外科手術も次第に大袈裟なことが出来るやうに成るから、一個人の命を助ける術としては、誰も、其の進歩の有難さを感ぜぬ者は無いであらうが、扨て人類全体の生まれながらの体質に向つて、之が如何なる影響を及ぼすであらうかと考へると、此所にも自然は決して復讐せずには居らぬ様である。凡そ生物体には僅な傷や少量の毒物に対しては自ら之を治し、又は之に抵抗し得る性質が備はつてある。小さい切り傷や擦り傷が知らぬ間に自然と治り、少量の脳溢血や、肺炎の気胞内に溜まつた液などが、捨てゝ置いても自然と吸収せられて仕舞ふ如き、又は一度軽く済ませた病気に対して免疫性を得る如きは、其例であるが、医術的の治療には、自然の回復を待つ間、単に患者を保護することゝ、患者の回復力や抵抗力の足らぬ所を人為的に加へ補ふて命を保たしめることとが行はれる。而して、回復力や抵抗力の足らぬ体質の者を、人為的に助け、人並に寿命を保たしめる場合には、人間総平均の体質は、其ため幾分か降るべきは勿論であらう。血清療法の如きも、個人を助ける術としては恐らく大成功であらうが、人手を借りて、始めて漸く病毒に抵抗し得る体質の者は、生まれながらにして、自然に其の病毒に抵抗し得る体質の者に比して、強壮の程度の劣れるは勿論である故、若し血清の注射によつて、病を治療し又は予防することが長く且広く行はれたならば、一代毎に人類総体としての健康が極めて少し宛、降るものと見做さねばならぬが、若し人間生来の抵抗力が段々減ずるとしたならば、或は未来に於て、従来人体に対して無害であつた細菌のために侵されて、新しい病気の種類が続々殖える如きことは無いであらうか。血清療法や化学療法が充分に進歩し、区役所の世話も完全に行き届いて、今日は種痘、明日は実扶的里の血清注射、明後日は腸窒扶斯のワクチン療法、その次の日は発疹窒扶斯、その次の日は猩紅熱と、下層の人民まで強制的にやらせる時代には、また名も知らぬ新しい伝染病が幾つも生じて、病気に罹る虞は却つて今日以上に上る如きことは無いであらうか。此等は素より取り越し苦労であつて、今から何れとも慥に云ふことは困難であるが、今日已に何所の病院も満員である所を見れば、将来斯かることは決して無いと云ふ保証は更に出来なからう。
以上述べた所は、人間の身体に直接に関係したことである故、前の森林を切り払ふたために洪水が出ると云ふ類とは違ひ、自然の復讐としては一層重い方ではあるが、之れも決して防ぐ方法が無いではない。衣食住に就いても、今後成るべく自然の理法に適ふやうに改め、可愛い子に旅をさせる如くに、消化器にも時々硬い物を消化させ、他人の飯を食はすために若い者を奉公に出す如くに、皮膚も成るべく浮世の風に当てゝ辛抱させ、家屋なども庭園と交へ建てゝ、余り密集せずに、常に稍々新鮮な空気を呼吸して生活し得るやうにすれば、益々弱く成り行くことを多少は避けることも出来やう。また寄居蟹の腹の皮が薄く柔くても、介殻の内へ嵌め込んで居さへすれば安全である如く、人間も身体が少しづゝ弱く成つたとて、之に対する手当の方法さへ充分に備はれば何も直に差支へる程のことは無い。ただ、寄居蟹が何所へ行くにも必ず介殻を引きずつて行かねばならぬ如くに、無数の生命保存用品を絶えず備へ携へねばならず、其ため生活が非常に複雑になつて、常に多方面に注意を配らねばならぬと云ふ面倒を我慢さへすれば済む訳である。されば自然の復讐なるものも、人間の外囲に対し、又は人間の身体その物に対するものだけならば、敢へて絶望するに及ばぬ。素より出来るだけ之を防ぐやうに注意することは必要であつて、今後決して従来の過ちを再びせぬことは、損得の上にも自衛の上にも大切であるが、たとへ充分に自然の復讐を防ぎ得ずとも、急に危難の差し迫ることは無いから、民種改善学などを緩々と研究して理論を闘はして居る余裕が少しは有るかも知れぬ。