落第と退校

4話

1,327字 約3分 2020年5月2日 公開

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 私が最も愉快に勉強することの出来たのは、ドイツ国に居た三ヶ年間であつた。此所ではヤレ本科だとか、ヤレ撰科だとか云ふ様なケチな区別はなく、大学に於ける学科の撰択は全く生徒自身の随意であつて、聴きたい講義だけを聴き、聞きたくない講義は聴かずに済む。私は正規の手続きを経て、本式の学生となつたが、国中に大学が数多くあつて、どの大学から、どの大学へでも随意に移ることが出来た。初め一年間はフライブルグの大学に居たが、動物学の教授、ワイスマンの学説を余り感服しなかつたので、次の年にはライプチツヒの大学に移つて、後の二年間は、ロイカルト教授の許で研究した。斯様に或る一人の学者を目指して、その教を受けるためにその人の居る大学に入学する場合には、真に自分はその人の門弟であるとの感じが起る。特にその人の日々云ふて聞かせることが、一々、尤と納得せられるときには、益々、その人を自分の師として尊む心持ちが出て来る。この意味で私が、自分の師と思ふて居るのはロイカルト一人だけである。国内に大学が、ただ一つより無く、何学を修めるにも、その大学に入るの外に道のない様な場合には、生徒は単にその学科を修める方便として入学するに過ぎぬ故、偶々その時に務めて居た教師と生徒との関係は殆ど、渡し船の船頭と、乗り合せた客との関係に似て居る。ドイツ国の如くに二十幾つもの大学があつて、何所の大学には何の誰、何所の大学には何の誰と同じ専門の学者が多数に居る所では、生徒は銘々、自分の附きたいと思ふ先生の所へ行くことが出来る故、その間の関係は最初から特別である。その上、課目の撰択が勝手であるから、思ふ様に勉強が出来る。自分から進んでする勉強は、斯かる条件の下に最もよく出来るものであらうと考へる。

 二つの大学で、合せて、三年間学んだ後に、私はドクトルの学位を得るための試験を受けた。論文も、口頭試験も、Summa cum laude といふ最高等の評語を以て合格した。外国の学位には、随分如何はしいものがあるとの理由で、今日では、外国の学位は殆ど何の価値もない如くに言ひ触らされ、有つても無くても世間からは同様に見做される様になつたが、私がライプチツヒで受けた試験は、その頃の日本の大学の卒業試験よりは大分、程度が高かつた様に記臆して居る。併し、之はいづれにしても、態々云ひ立てるほどの事柄ではない。ドイツ国から帰つてからの経歴に就いては、別に云ふことも無いから、何も書かぬ。

 今日私が交際して居る知人の中には、二度落第して退校になつた様な人は一人もない。して見ると、私は多数の人の中の稀な例外であつた。身体に稀な例外の点があれば、之を畸形と名づける。私は身体は畸形ではないが、頭は確に畸形であるに違ひない。予備門で二度目に落第したときに、友人等は私に、歴史の先生の家に歎願に行けと親切に勧めて呉れたが、私は却つてそれをうるさく思ひ、半日ほど上野の森の中を散歩して、帰つて来てから友人等に、先生の家へ三度行つたが三度とも留守であつたなどと出鱈目を云ふた。之なども、今から考へて見ると、畸形の証拠とも思はれる。恐らく、今日以後も、畸形のまゝで押し通すより外に途は無からう。

(大正十五年四月)

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