四つの都

5話 四つの都 五 矢野名曲堂。

537字 約1分 2013年7月30日 公開

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古い名曲レコードの売買や交換をしているこぢんまりした店である。ベートーヴェンのデス・マスクの他に船のウキが壁に掛っているのが印象的である。

客が音楽をきいているので、新吉は口を利くのを憚って、黙ってこそ/\と奥へはいる。ビッコの気味。

鶴三も、黙って「お帰り」は眼で言っている。

音楽(第五交響楽)がやんだので、鶴三は、はじめて声を掛ける。

鶴三「新坊、怪我したんじゃねえか」

新吉(振り向いて)「うゝん、せえせん」

そして、こそこそ奥へはいる。

鶴三「それならいゝが。明日は名古屋の工場へ行くんだ。どこも痛い所のないようにして行かなくっちゃ働けねえぞ」

客は始めて口を利く。客というのは蜂谷十吉だ。

十吉「葉子ちゃん、今日はなぜ雨が降ってるか、知ってるかい」

葉子「誰かゞ来てるさかいやわ」

十吉「誰かって、誰だい?」

葉子(指して)「あんた」

十吉(平気な顔をして)「文久三年に品川沖でアンタという名の鯨がとれた事がある、こんな髭を生やしとった」(と鼻の下を指す)

葉子「嘘ばっかし」

奥へ去る。

鶴三「鯨といえば、わたしが欧洲航路の船乗りをしていた時に印度(〔インド〕)洋で……」

十吉「あんたは、船の話しかしないんだね、昔の夢だよ」

鶴三(レコードを外してブラシを掛けながら奥へ声をかける)「新坊、銭湯へ行って来な」

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