吉田松陰

22話 第十五 革命家としての松陰

4,445字 約9分 2017年8月4日 公開

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 松陰は死に向って奔(はし)れり、然(しか)れども吾人(ごじん)の観察は、容易に彼を死の手に渡す能(あた)わず。

 局面打破は、彼が畢生(ひっせい)の経綸なりき、果して然(しか)らば彼はこの経綸に孤負(こふ)せざる手腕と性行とを具有したるか。手腕はイザ知らず、性行に到りては、優にこれを有す。然(しか)り、彼は実に革命の健児なり。

 革命の大悲劇を演ずるには、三種の役者を要す、序幕に来(きた)るは予言者なり、本幕に来るは革命家なり、最後の打出しに来るは、建設的革命家なり。而(しこう)してこの種別よりすれば、吉田松陰は、実に第二種に属す。

 革命の予言者とは誰ぞ、宗教革命におけるイラスモス、英国革命におけるミルトン、仏国革命におけるモンテスキュー、ウォルテールの如きこれなり。彼らは手の人にあらず、眼の人なり、実行の人にあらず、理想の人なり。

 心怒りて目閃(ひら)めき、情悲んで涙落つ、思うは則ち動くなり。もしこの原則をして、社会の狂濤(きょうとう)たる革命に適用するを得ば、心理的の革命、中に勃興(ぼっこう)して、事実的革命、外に発作するなり。而(しこう)して二者の関係、電僅(わず)かに閃(ひら)めけば、雷乍(たちま)ち轟くが如く、霎時(しょうじ)に并(あ)い発するあり。あるいは肥料を植物に施したるが如く、その効験容易に察すべからざるものあり。惟(おも)うに革命の予言者なるものは、則ちこの心理的革命の打撃者にして、彼らが事実的革命における関係は、取りも直さず、理想と事実との関係を以て説明するを得べし。あるいは彼らが骨冷かに肉朽(く)ち、世人(せじん)の一半は彼等が名を忘却したる時において、始めて彼らの播(ま)きたる種子の収穫を見ることあり。あるいは革命の激流一瀉千里(いっしゃせんり)、彼らかえってその後に瞠若(どうじゃく)し、空しく前世界の遺物たることあり。かくの如く彼ら革命に先(さきだ)ち、あるいは革命と同時に、またあるいはその中幕以後においては、革命の長物(ちょうぶつ)たることありて、時と所との長短遠近あるに係(かかわ)らず、その予言者たるの実を変ぜざるなり。何となれば彼らが天職は、荒(こうけい)の暁に先(さきだ)ちて暁を報ずる如く、哀蝉(あいせん)の秋に先ちて秋を報ずるが如く、進撃を促すの喇叭(らっぱ)の如く、急行を催す鉄笛(てってき)の如く、時に先ちて時を報ずるにあればなり。

 もしそれ第二種のいわゆる革命家に到りては、大いに趣(おもむ)きを殊(こと)にするものあり、彼らは眼の人たるのみならず、手の人たるのみならず、眼に見る所、直ちに手にも行うの人なり。時の緩急(かんきゅう)を料(はか)らず、事の難易を問わず、理想を直ちに実行せんとするは、急進家なり、而(しこう)して革命家なるものは、それ急進家中の最急進家にあらずして何ぞや。

 彼らは余りに眼の人たるべからず、何となれば識見透徹する時においては、革命家の資格一半を消失すればなり。彼らは余りに手の人たるべからず、何となれば巨手鋭腕、結構建設の異能を有する時においては、また革命家の資格一半を消失すればなり。識見は人をして事の成敗、物の利害、事物自然の運行を悟らしむ。既にこれを悟らしむ、必らず避くるあり、もしくは待つあらしむ、而(しこう)して避くると待つとは、革命家の大敵なりと知らずや。栗の実りて自(おのず)から殻を脱するの時あるを知らば、また何ぞ手を刺されて自(みず)から殻を劈(さ)くを要せんや。豆の熟して自から莢(さや)を外るるを知らば、また何ぞ手を労して自から莢を破るを要せんや。而して彼(か)の革命家なるものは、生栗の殻を劈(さ)くものにあらずや、生豆の莢を破るものにあらずや。

 いわゆる第三種の建設的革命家が結構建設の手腕を要するは、革命の七、八合目以後に在(あ)るなり。クロンウエルの如き、ナポレオンの如き、アレキザントル・ハミルトンの如き、これみな撥乱(はつらん)反正(はんせい)の人にして、唱難鼓義(こぎ)の人にあらず。彼らは乱雑の外に秩序を見、波瀾の外に順潮を見、理想の外に実際を見、黒雲の外に太陽を見るなり。彼らは行わるる事の外は行うを欲せず、而(しこう)して彼らの行う所、みな実際に行わるる事なり。彼らは決して塗墻(としょう)に馬を乗り懸くるが如き事を做(な)さず、而してかくの如き事は、革命家の最も為さざるべからざる所なり。故に余り多くの識見と余り多くの手腕とは、共に革命家に不用なる、否なむしろ有害なる資格なりとす。

 この観察にして果して大過なしとせば、松陰の如きは、豈(あ)に誂向(あつらえむ)きの革命家にあらずや。彼は眼の人として横井、佐久間に譲り、手の人として大久保、木戸に譲る。而して彼が維新革命史上、一頭地を抽(ぬき)んずる所以(ゆえん)のものは、要するに見る所直ちに行わんと欲するがためにあらずや。彼は冒険好奇の人なり、その自(みず)から品題するや曰く、「吾が性は迂疎(うそ)堅僻(けんぺき)にして、世事において通暁する所なし。独り身を以て物に先んじ、以て艱を犯し険を冒(おか)すを知るのみ」と。また曰く、「人の為す能(あた)わざる所を為し、人の言う能わざる所を言うは、余を舎(お)きてその人無きなり。これを舎(お)きて余が事無きなり」と。その亡邸、蹈海(とうかい)、要撃(ようげき)、その他一として彼が生活、この言を自証せざるはなし。彼は甚だ性急なり、幾分か独断的なり、彼は冷淡ならず、彼は手を袖にして春風落花を詠ずるが如き、優長なる能(あた)わず。青山に対して時事を談ずるが如く、幽閑なる能(あた)わず。感情中に溢れ、動物的元気外に漲(みなぎ)る。彼はある場合においては、他人の喧嘩を買うを辞せず、如何なる場合においても、自家の意を枉(ま)げ志を屈するが如きことなし。彼は世路(せいろ)の曲線的なるに関せず、自(みず)から直線的に急歩大蹈(たいとう)せり。彼は顛倒を辞せざるのみならず、かえって顛倒を一の快楽に加えたり。彼は自(みず)から愛惜せず、彼は匹夫(ひっぷ)の為すべき刺客を以て自から任ぜしことあり。彼(か)の横井、佐久間、もしくは大久保、木戸の徒をしてこの際に処せしむ、彼ら如何に迫切なる死地に陥るも、豈(あ)に自(みず)から甘(あまん)じて刺客列伝の材料とならんや。彼(か)れ平生(へいぜい)日本の国士を以て任ぜり、而(しこう)してその為す所かくの如く、為さんと欲する所かくの如し。彼実に自(みず)から愛惜する所以(ゆえん)を解せざるなり。彼は信念堅固、道心不抜なり。彼自(みず)から信ずる頗る厚く、自から為す所、言う所、一として自から是認せざるはなく、則ち自から反して縮(なおく)んば千万人といえども、吾往(ゆ)かんの気象なり。彼は真理の存在を信ぜり、精神の不朽を信ぜり、天を信ぜり。その「身は家国に許し、死生は吾久しく斉(ひと)しうす」といい、その「身はたとえ武蔵の野辺に朽ちぬとも留め置かまし大和魂(やまとだましい)」といい、「我、今国のために死す、死すとも君親に背かず、悠々たり天地の事、感賞は明神に在(あ)り」というが如き、みな直覚的宗教心を顕彰(けんしょう)するものにあらざるはなし。彼は誠実なり、恐るべきほど誠実なり、「至誠にして動かざるは、古(いにしえ)より未(いま)だこれ有らず」といい、「天下は大物なり、一朝の奮激の能(よ)く動かす所に非(あら)ず、それただ積誠これを動かし、然る後動くこと有るのみ」というが如き、その真気の惻々(そくそく)として人を動かすを知るべし。

 彼既にかくの如し、これ豈(あ)に天産的の革命家にあらずして何ぞや。軽浮(けいふ)にして慓悍(ひょうかん)なるもの、慧猾(けいかつ)にして狡獪(こうかい)なるもの、銭を愛するもの、死を恐るるもの、愧(はじ)を知らざるもの、即ちハレール、セイーの徒の如きは、以て革命家の器械となるを得べし。然(しか)れどもその主動力たるものは、一種宗教的殉道者(じゅんどうしゃ)の大精神あるを要す。然(しか)り、彼(か)の薄胆(はくたん)狂妄(きょうもう)なるロベスピールすらなお一片の殉道心(じゅんどうしん)を有したりしなり。

 然(しか)りといえども彼はこれら資格の外に、なお特別の本色を有す、曰く、不穏(ふおん)の精神これなり。パスカルいえるあり、「もし人安んじて一室に静坐するを得ば、世上(せじょう)禍害の大部は出(い)で来(きた)らざるべし」と。而(しこう)して松陰は自(みず)から安んじて一室に坐する能(あた)わざるなり。彼は治世の能臣たる能わず。彼の性質として固(もと)より維新後に生存し得る能わず、仮りに一の不思議力は、彼を明治年間に伴(ともな)い来ることありとするも、彼は維新の元勲(げんくん)として、巨冠を戴き、長裾を曳き、以て廟廊(びょうろう)の上に周旋(しゅうせん)する人にあらず。もし大胆に評せば、彼はその性質において化学的激変を来(きた)さざる以上は、自(みず)から殺すにあらざるよりは、人より殺さるるの人たるなり。

 彼は静坐せねばならぬ獄中においてすら、無事なる能(あた)わず、獄中の人を教化し、獄則を改良し、あるいは獄卒、監守、典獄の類まで、これを同化して自家の門弟たらしむるなり。その獄中より兄に与うる書中にも、「獄中は多閑の地に候所、読書に取かかり候えば、かえって多忙に苦しみ申し候」と。而(しこう)してその無聊(ぶりょう)に堪えざるや、書を獄外に飛して同志を鼓舞し、あるいは金を父兄に募りて、獄中の仲間を饗応(きょうおう)し、あるいは書を鈔(しょう)し、あるいは文を草し、あるいは詩歌(しいか)を詠じ、そのいよいよ無聊(ぶりょう)に堪えざるや傭書檄を発し、筆耕を以て多閑を消ぜんとするに至る。いわゆる「死已(すで)に名無く生また懶(ものう)し、英雄恨み有り蒼天に訴う」の如き、また以て彼が懊悩(おうのう)の情を察するに足らん。看よ、生また懶(ものう)しの三字、如何に多量の不穏(ふおん)なる精神を含むか。吾人(ごじん)は嘗(かつ)て上野動物園鉄檻中の虎を見る毎に、幾分か生また懶しの消息を諒するを得るなり。

 彼自(みず)から記して曰く、「前日、某氏の別筵(べつえん)に、一老生、佯(いつわ)りて酔態を作(な)し、抗然として坐客を品題して曰く、某は十万石の侯なり、某は十五万石の侯なりと。各々低昂ありて、頭より尾に到る。最後に一寅次の名を拈出(ねんしゅつ)して曰く、これ三千石を過ぐべからず、過ぐれは則ち叛かんと。ああ一老生及びその主とその賓と、みな余が平生のいわゆる知己なり。老生は酔語し、主賓(しゅひん)は酔聴す、何ぞ道理有らん」と。これ彼が満腔(まんこう)の不平を《の》べたるなり。然(しか)れども吾人(ごじん)を以てこれを見れば、一老生の言、実に彼が急所を刺すものあるを覚う。嘉永三年彼が二十一歳の時、九州漫遊の途に上るや、熊本に行き横井小楠の塾を過(よ)ぐ。門人彼が年少にして風采揚がらざるを見て、彼を軽易(けいい)す。彼の去るや小楠門人に告げて曰く、「もし彼をして一万石の城主たらしめば、天下を顛覆せんものは、必らず他人ならず」と。吾人(ごじん)は実にその言の確的なるを疑う能(あた)わず、彼は如何なる場合においても、為すあるの人なり、彼は如何なる場合においても、為さざる能わざるの人なり。彼の眼中成敗利鈍なし、利害得失なし、ただ為すあるは、為さざるに優るの一念あるのみ。彼は無事を以て死よりも苦痛となせり、彼の為すや止(や)むを得ずして為すにあらず、自(みず)から喜んで為すなり。彼曰く「人間僅か五十年、人生七十古来稀、何か腹のいえるような事を遣(や)りて死なねば、成仏(じょうぶつ)は出来ぬぞ」と。これ実に彼が最後の白状なり。

 維新革命史中において、建設的革命家たる標式は、独り島津斉彬(しまずなりあきら)においてこれを見る。勝海舟彼を評して曰く、「天資温和、容貌整秀、以て親しむべく、その威望凜乎(りんこ)犯すべからず。度量遠大、執一の見なく、殆んど一世を籠罩(ろうとう)するの概あり」と。彼が水戸に処し、徳川氏に処し、朝廷に処し、浮浪に処し、幕吏(ばくり)に処し、鎖港開国に処し、公武合体に処するを見るに、百難を排して一世を平かにし、千紛を除いて大計を定むるの雅量ありしが如し。然(しか)れども天年を仮さず、空しく一方においては調和塩梅(あんばい)の勝海舟、他方においては善断の南洲、剛厳の大久保らをして、僅かにその後を善くせしむるに到る。而(しこう)して彼(か)の松陰が一方において横井たり佐久間たる能(あた)わざると同時に、他方において大久保たり勝たる能わざるは、則ち松陰の松陰たる所以(ゆえん)にあらずや。

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