軍艦金剛航海記

3話

1,339字 約3分 2010年10月19日 公開

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 僕はいい加減に「さうでせう」とか何とか尤もらしい返事をした。「さうです。それは僕がですな、僕が確に保證します。いいですか、確にですな。」と、その人は、醉はない者にはわからない熱心さを以て、僕の杯と自分の杯とに代る代る酒をつぎながら、大分獨りで氣焔をあげた。が、生憎僕もさつきから、醉はない者には解らない眠氣に襲はれてゐた所だから、聞いてゐる中にだんだん返事も怪しくなつて來た。それがどうにか、かうにか、會話らしい體裁を備へて進行したのは、全く僕がイエスともノオともつかない返事をして、巧に先方の耳目を瞞著したおかげである。その瞞著した相手の憂國家が、山本大尉とわかつた今になつて見ると、默つてゐるのも可笑しいから、白状してしまふが、僕には、二十年以前の日本と今日の日本と、何がどうちがふんだか、實は少しも分らなかつた。尤もこれは山本大尉自身も醉がさめた後になつて見ると、あんまりよくは分らなかつたかも知れない。

 そこで好い加減に話を切りあげて、僕は外の連中と一しよに、士官室をひき上げた。さうしてMと二人で又上甲板へ出て見た。外では暗い空と海との間に榛名の探照燈が彗星のやうな光芒をうす白く流してゐる。艦は多分相模灘を航行してゐるのであらう。僕はハンドレエルにつかまつて、遙か下の海面を覗込んだ。が、微かに青く浪が光る丈で、何も見えない。「かうやつて下を見てゐると、ちよいと飛込みたくなるぜ。」僕はかう聲をかけた。するとMはそれに答へないで、近眼鏡をかけた顏を僕の側へ持つて來ながら、「おい、俳句が一つ出來た」と云つた。「どんな句が出來た?」「遠流びと舟に泣く夜や子規。と云ふんだ。S君の事をよんだんだがね。」二人は低い聲で笑つた。さうしてもう一度海を見て空を見て、それから靜にケビンへ寢に下りて行つた。

 エレヴエタアが止つたと思ふと、先へ來てゐた八田機關長が外から戸を開けてくれた。その開いた戸の間から汽罐室の中を見た時に、僕が先づ思ひ出したのは「パラダイス・ロスト」の始めの一章である。かう云ふと誇張の樣に聞えるかも知れないが、決してさうではない。眼の前には恐しく大きな(ボイラア)が幾つも、噴火山の樣な音を立てて並んでゐる。罐の前の通路は、甚だ狹い。その狹い所に、煤煙でまつ黒になつた機關兵が色硝子をはめた眼鏡を頸へかけながら忙しさうに動いてゐる。或る者はシヨヴルで、罐の中へ石炭を抛りこむ。或者は石炭桝へ石炭を積んで押して來る。それが皆罐の口からさす灼熱した光を浴びて、恐ろしいシルエツトを描いてゐる。しかも、エレヴエタアを出た僕たちの顏には、絶えず石炭の粉がふりかかつた。其上暑い事も亦一通りではない。僕は半ば呆氣にとられて、この人間とは思はれない、すさまじい勞働の光景を見渡した。

 その中に機關兵の一人が、僕にその色硝子の眼鏡を借してくれた。それを眼にあてて、罐の口を覗いて見ると、硝子の緑色の向うには、太陽がとろけて落ちたやうな火の塊が、嵐のやうな勢で燃え立つてゐる。それでも重油の燃えるのと、石炭の燃えるのとが素人眼にも區別がついた。唯、如何にもやり切れないのは、火氣である。ここで働いてゐる機關兵が、三時間の交代時間中に、各々何升かの水を飮むと云ふのも更に無理はない。

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