吸血鬼

4話 茂少年

6,412字 約13分 2017年10月21日 公開

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 三谷と倭文子は、東京へ帰ってからも、三日に一度は、場所を打合わせて置いて、楽しい()()を続けていた。

 三谷の方は、学校を出てまだ勤め口も極まらず、親の仕送りで暮している下宿住いであったし、倭文子の方は何か打あけにくい事情があるらしく、住所さえ曖昧(あいまい)にしているので、お互に訪ね合うことはさし控えた。

 だが、二人の情熱は、時がたつに従って、衰えるどころか、愈々(こまや)かになって行ったので、そうした曖昧な状態を、いつまでも続けることは出来なかった。

「倭文子さん、僕はもう罪人(つみびと)の様な密会に()えられなくなった。君の境遇をハッキリさせて下さい。例の畑柳未亡人というのは、一体何のことです」

 三谷はある日、鹽原以来幾度も繰返した質問を、今日こそはという意気込みで持出した。「畑柳未亡人」というのは、死んだ岡田道彦が、ふと口を(すべ)らした、倭文子のもう一つの名前なのだ。

「あたし、どうしてこんなに臆病なのでしょう。きっと、あなたに見捨てられるのが、怖いからだわ」

 倭文子は冗談らしく笑って見せたが、どこか涙ぐんでいる様な調子であった。

「君の前身が何であろうと、そんなことで、僕の気持は変りやしない。それよりも、今の状態では、僕は君のおもちゃにされている様な気がするのだ」

「マア」

 倭文子は哀しい溜息をついて、暫く押し黙っていたが、突然、妙なやけくそみたいな調子になって、ぶっきら棒にいった。

「あたし、未亡人なのよ」

「そんなことは、とっくに想像している」

「それから、百万長者なのよ」

「……」

「それから、六つになる子供があるのよ」

「…………」

「ホラね、いやあな気持になったでしょう」

 三谷青年は、何をいっていいのかわからない様子で、黙り込んでいた。

「あたし、みんないってしまいますわ。聞いて下さる。アア、いっそのこと、今からすぐ、あたしのうちへいらっしゃらない? そして、あたしの可愛い坊やを見て下さらない? それがいいわ、それがいいわ」

 倭文子は、異様な昂奮(こうふん)に上気した(ほお)を、流れる涙も意識しないで、フラフラと立上ると、青年の意向を確めもせず、いきなり柱の呼鈴(ベル)を押した。

 間もなく、二人は何が何だか分らない、気違いめいた気持で、自動車のクッションに(ひざ)を並べていた。

 三谷は「そんなことで、僕の心が変るものですか」といわぬばかりに、じっと倭文子の手を握りしめていた。

 二人とも一言も口を利かなかった。だが、頭の中では、錯雑した想念のアラベスクが、風車(かざぐるま)の様に廻転していた。

 三十分程で、車は目的地に到着した。降り立った二人の前に、広い石畳(いしだたみ)と、御影石(みかげいし)の門柱と、締め切った()かし模様の鉄扉と、打続くコンクリート(べい)があった。

 門柱の表札には、(あん)(じょう)「畑柳」と記されていた。

 通されたのは、落ついた、併し非常に贅沢(ぜいたく)な飾りつけの、広い洋風客間であった。

 大きな肘掛椅子(ひじかけいす)の掛け心地は悪くなかった。三谷の椅子の真向うに、深々とした長椅子があって、派手な模様の天鵞絨(びろうど)クッションを背に、丸い肘掛へ、グッタリと(もた)れかかった倭文子の、匂わしき姿があった。

 倭文子の膝に肘をついて、長椅子の上に足をなげ出している、可愛らしい洋装の少年は、畑柳氏の忘れ形見、倭文子の実子の(しげる)ちゃんだ。

 くすんだ皮の長椅子の凭れをバックにして、倭文子の白い顔、派手なクッション、茂少年の林檎(りんご)の様に赤い頬。「母と子」と題する、美しい絵の様に眺められた。

 三谷は二人から目を上げて、彼等の頭の上の壁に懸っている、引伸ばし写真の額を見た。何となく人相の悪い四十恰好の男だ。

「死んだ畑柳ですの。こんなもの懸けて置いて、いけませんでしたわね」

 倭文子は神妙に詫言(わびごと)をした。

「それから、茂ちゃんも。この子も畑柳と同じ様に、あなたには、お目ざわりでしょうか」

「イイエ、決して。こんな可愛い茂ちゃんを誰が嫌うものですか。それにあなたに生写しなんだもの。

 茂ちゃんの方でも、小父(おじ)さん好きでしょう。ね、そうでしょう」

 そういって、三谷が少年の手を取ると、茂はニッコリ笑って、(うなず)いて見せた。

 窓の外には、ここの庭にも紅葉は色づいていたし、常緑木(ときわぎ)の茂みに、うらうらと暖かい日ざしが照りはえて、ほの白く、うら悲しく、夢見心地の一ときであった。

 倭文子は、茂少年の頬を愛撫(あいぶ)しながら、突然、彼女の身の上話を始めたが、周囲の情景がそんな風であったから、それさえも、何かしら、(あや)しき物語めいて聞こえたのである。

 だが、彼女の身の上話を、そのままここに写すのは、余りに退屈なことだから、この物語に関係ある部分丈けを、(ごく)かいつまんで、記して置くに(とど)めよう。

 十八歳の倭文子は、両親を失い、遠い縁者に養われる身であった故か、金銭と、金銭によって(あがな)い得る栄誉とに、珍らしい程、(はげ)しい執着を持つ娘であった。

 彼女は恋をした。だが、その恋を弊履(へいり)の如く打棄て、百万長者畑柳に(かた)づいた。

 畑柳は年も違った。容貌も醜かった。その上、金儲(かねもう)けの為に、法網(ほうもう)をくぐることばかり考えている悪者であった。だが、倭文子は畑柳が好きだった。彼が儲けてくれるお金は、畑柳その人よりも、もっと好きだった。

 だが、悪運の強い畑柳にも、遂に報いが来た。法網をくぐりそこねて、恐ろしい罪に問われ、獄舎の人とならねばならなかった。

 倭文子と茂とは、一年余りの月日を、淋しい日蔭の身で暮す内、獄中に発病した畑柳は、遂にそこの病舎で、この世を去った。

 畑柳にも、倭文子にも、遺産の分配を迫る程の親戚はなかったけれど、巨万の富と、まだ若い未亡人の美貌に引きよせられて、求婚者が次から次へと現れ、余りの(わずら)わしさと、富を目当の求婚のおぞましさに、茂は親切な乳母(うば)に任せ、たった一人で、偽名をして、気儘(きまま)な湯治に出掛けたのだが。

 そこで同じ宿に泊り合わせた三谷青年は、彼女の素性(すじょう)を少しも知らないで、彼女に烈しい思いを寄せた。それさえ好ましきに、あの毒薬決闘の際の、何ともいえぬ男らしい態度。倭文子の方でも、三谷青年を思い始めたのは、決して偶然ではなかったのだ。

「あたしが、どんなに慾ばりで、多情で、いけない女だかということが、よくお分りになりまして?」

 倭文子は、長い打あけ話を終って、やや上気した頬に、()(ばち)な微笑を浮かべていった。

「その最初の、貧乏な恋人というのはどんな人だったのです。忘れてしまった訳ではないのでしょう」

 三谷の口調には、一寸(ちょっと)形容しにくい、妙な感じが含まれていた。

「あたしその人にだまされたのです。初めはうまいことをいって、あたしを仕合(しあわ)せにしてやると約束して置きながら、ちっとも仕合せになんかならなかったのです。その人は貧しかったばかりでなく、ゾッとする様な、いやあな性質があったのです。でも、あたしを愛してはいたのですけれど、そうされればされる程、虫酸(むしず)が走る程いやでいやで仕方がなかったのです」

「その人が今どうしているか、どこにいるか、あなたは、ちっとも知らないのですね」

「エエ、八年も前の昔話ですもの。それに、あたしまだほんの子供でしたから」

 三谷は黙って立上ると、窓の所へ歩いて行って外を眺めた。

「で、つまり、これがあなたの愛想(あいそ)づかしなんですか」

 彼は外を眺めたまま、無表情な口調でいった。

「マア」倭文子はびっくりして、

「どうして、そんなことおっしゃいますの。ただ、あたし、あなたにあたしの本当の境遇を隠しているのが、苦しくなったからですわ。子供まである、獄死をした罪人(ざいにん)の妻が、あなたとこうしているのが、恐ろしくなったからですわ」

「そういうことで、今更、僕達が離れられると思っているのですか」

 倭文子にして見れば、離れられぬからこそ、身の上を打あけたともいえるのだ。それが分らぬ相手ではない筈だ。

 彼女も立って行って、三谷と並んで、窓の外を見た。少し赤みがかった日光が、立木の影を長々と投げている、美しい芝生に、いつの間にか、部屋を抜け出して行った茂少年が、彼の身体の二倍程もある、愛犬のシグマと、たわむれているのが見えた。

「子供と同じ様に、あなたにも罪はないのです。僕はそういうことで、あなたに対する心持が、変りはしない。それよりも、僕にはあなたの富が恐ろしい。あなたの最初の人と同じ様に、僕も貧乏な書生っぽでしかないのですから」

「マア」

 倭文子は、三谷の肩に手を置いて、頬と頬とがすれ合う程も、近々と相手の顔を()つめながら、マアよかったといわぬばかりに、美しく美しく笑って見せた。

 丁度その時、邸の塀外から、俗っぽい、(ふえ)太鼓(たいこ)の音楽が聞えて来た。

 一番早くその音に気づいたのは、シグマだ。彼は何か不安らしく、耳を動かしてその方を眺めた。茂少年も犬の様子に誘われて、聞き耳を立てた。

 音楽が門の前あたりで止ったかと思うと、チンドン屋の鹽辛声(しおからごえ)が幽かに聞え始めた。

 三谷と倭文子とは、茂少年がいきなり門の方へ、駈け出して行くのを見た。シグマも御主人のお(とも)をして、あとになり先になり走って行った。

 門の外では、珍妙な風体(ふうてい)のチンドン屋が、お菓子屋の広告の、(つら)ね文句を呶鳴(どな)っていた。

 胸には太鼓、その上に箱があって、お菓子の見本が並んでいる。着物は友禅(ゆうぜん)メリンスを滅茶滅茶に()()わせた、和洋折衷(わようせっちゅう)の道化服、頭には、普通の顔の倍程もある、張りぼての、おどけ人形の首丈けを、スッポリかぶって、その黒い洞穴(ほらあな)みたいな口から、鹽辛声がボウボウとひびいて出る。

 チンドン屋の声は、人形の首をスッポリと冠っていたせいか、やすものの蓄音器みたいに、変に鼻にかかって、(ほとん)ど意味が分らぬ程であった。

 だが、意味は()(かく)、歌の様な節廻しが面白く、その上、異様の風体の珍しさに、茂少年は、門の外へ駈け出して、思わずチンドン屋の(そば)へ寄って行った。

「坊ちゃん、ホラ、このお菓子を差上げます。サァ、召上れ。頬っぺたがちぎれる程、おいしくてたまらないお菓子!」

 張りぼての顔を、おどけた調子で振り動かしながら、太鼓の上の見本のお菓子を差出した。

 茂少年は、サンタクロースの様に、親切な小父(おじ)さんだと思って、喜んでそのお菓子を受取ると、別にお腹がすいていた訳ではないが珍らしさに、早速(さっそく)口へ持って行った。

「おいしいでしょ。サア、これからこの小父さんが、太鼓叩いて、笛吹いて、飛び切り面白い歌を歌って聞かせますよ」

 ヒューヒュラ、ドンドン。頭でっかちのおどけ面が、肩の上でクルクルクル。友禅メリンスの道化服が、ピョンピョコ、ピョンピョコ、操り人形みたいに、面白おかしく踊り出した。

 踊りながら、チンドン屋は、段々畑柳邸の門前を離れて行く。茂少年は、余りの面白さに、つい我を忘れて、まるで夢遊病者みたいに、そのあとからついて行く。

 踊るチンドン屋を先頭に、可愛らしい洋服姿の茂。そのまたあとには、小牛の様なシグマ。いとも不思議な行列が、(さび)しい屋敷町を、どこまでもどこまでも歩いて行った。

 それとは知らぬ、客間の倭文子。チンドン屋の音楽が、段々遠ざかって、とうとう聞えなくなってしまったのに、いつまでたっても、茂少年が帰って来ないので、ふと心配になり出した。

 女中を呼んで、門前を探させて見たが、茂は勿論、愛犬のシグマさえ、どこへ行ったのか、影も形も見えぬという。何とやら(ただ)ならぬ感じだ。

 倭文子も、三谷も、召使達も、青くなって、邸の内外隅まで探し廻ったが、どこにも姿はない。そこへ、所用があって外出していた、乳母(うば)のお(なみ)が帰って来て申訳(もうしわけ)がないと泣き出す騒ぎである。

 まさかチンドン屋に連れ去られたとは想像もしなかったが、こんなに探しても見つからぬ所を見ると、()しや人さらいの所業ではないかと、誰の考えもそこへ落る。

 警察へ届けるか、イヤ、もう少し待って見ようと、ゴタゴタしている間に、時間は容赦なくたって行く。

 やがて日が暮て、戸外が暗くなるにつれて、不安は(つの)るばかりだ。(はて)しも知れぬ暗闇の中を、母の名を呼びながら、さまよっている茂少年の、哀れな姿が見える様で、悲しい声が聞える様で倭文子はもう、居ても立ってもいられぬ気持である。

 暫くすると、元の客間に集まって、不安な顔を見合わせていた倭文子達の所へ、一人の書生が、真青になって、惶しく駆け込んで来た。

「確かに誘拐(ゆうかい)です。シグマが帰って来ました。こいつは坊ちゃんの為に、こんなに傷つくまで忠実に闘ったのです」

 書生の指さすドアの外を見ると、小牛の様なシグマが、全身あけに染まって、悲しいうなり声を立てながら、グッタリと(よこた)わっていた。

 ハッハッという、せわしい呼吸。ダラリと垂れた舌、ともすれば白くひきつって行く眼。数ヶ所にパックリ口を開いた、むごたらしい傷口。

 倭文子は、廊下に寝そべっている、真赤なものを見た刹那(せつな)、どこか遠い所で、同じ運命にあっている、いたいけな我が子の聯想(れんそう)の為に、フラフラとめまいがして、倒れ(そう)になるのを、やっとこらえた。

 彼女には、血みどろのシグマが、むごたらしく(あえ)いでいるのが、いつまでたっても茂少年の、のたうち廻る姿に見えて仕方がなかった。

 畑柳家には、執事(しつじ)の様な役目を勤めている、斎藤(さいとう)という老人がいたのだけれど、あいにく不在の為に、三谷が代って、警察へ電話を掛け、事情を告げて、茂少年の捜索を依頼した。

 警察からは、係りの巡査が出向くという返事であったが、その用件をすませて、受話器を掛けるか掛けないに、またけたたましいベルが鳴った。

 まだその卓上電話の前にいた三谷が、再び受話器を耳に当てて二言三言うけ答えをしている内に、彼の顔が真青になった。

「誰ですの? どこからですの?」

 倭文子が心配に息をはずませて尋ねた。

 三谷は送話口を手で押えて、振返ったが、ひどくいい()く相に躊躇している。

「何か心配なことですの? 構いません、早くおっしゃって下さい」

 倭文子がせき立てる。

(たしか)に聞き(おぼえ)がある。贋物(にせもの)ではありません。あなたのお子さんが、自身で電話口に出ていらっしゃるのです。だが……」

「エ、何ですって? 茂が電話口へ? あの子はまだ電話のかけ方もよく知りませんのに。……でも聞いて見ますわ、あの子の声は、あたしが一番よく知っているのです」

 倭文子は駆け寄って、まだ躊躇している三谷の手から、受話器を奪い取った。

「エエ、あたし、聞こえて? 母さまよ。お前茂ちゃんなの? どこにいるの?」

「ボク、ドコダカ、ワカラナイノ。ワカラナイシ、ヨソノオジサンガ、ソバニイテ、コワイカオシテ、ナニモイッテハ……」

 バッタリ声が切れた。突然、その怖い小父さんが、少年の口を手で(ふさ)いだらしい様子だ。

「マア、本当に茂ちゃんだわ。茂ちゃん。茂ちゃん。サア、早くお話し母さまよ。あたし、お前の母さまよ」

 辛抱(しんぼう)強く声をかけていると、暫くして、また茂のたどたどしい声が聞えて来た。

「カアサマ、ボクヲ、カイモドシテクダサイ。ボクハ、アサッテ、ヨルノ十二ジニ、ウエノコウエンノ、トショカンノウラニ、イマス」

「マア、お前、何をいっているの、お前の側に悪者がいて、お前にそんなことを(しゃべ)らせているのね。茂ちゃん。たった一言、たった一言でいいから、今いる場所をおっしゃい。サア、どこにいるの?」

 だが、少年の声は、まるで聾の様に、倭文子の言葉を無視して、子供らしくない、恐ろしいことを喋っている。

「ソコヘ、十マンエン、オサツデ、カアサマガ、モッテイラッシャレバ、ボクカエレルノ。十マンエンオサツデ。カアサマデナクチャ、イケナイノ」

「アア、分った分った。茂ちゃん安心おし、きっと助けてあげるからね」

「ケイサツヘ、イイツケルト、オマエノコドモヲ、コロシテシマウゾ」

 アア、何ということだ。「お前の子供」というのは、(はなし)ている茂少年自身のことではないか。

「サア、ヘンジヲシロ。ヘンジヲシナイト、コノコドモガ、イタイメニアウゾ」

 その言葉が切れるか切れないに、ワーッという、悲しい子供の泣き声が聞えた。

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