二階から

10話 十 お染風

1,075字 約2分 2008年12月29日 公開

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 この春はインフルエンザが流行した。

 日本で初めてこの(やまい)流行(はや)り出したのは明治二十三年の冬で、二十四年の春に至ってますます猖獗(しょうけつ)になった。我々はその時初めてインフルエンザという病名を知って、それは仏蘭西(フランス)の船から横浜に輸入されたものだという噂を聞いた。しかしその当時はインフルエンザと呼ばずに普通はお染風(そめかぜ)といっていた。何故(なぜ)お染という可愛(かあい)らしい名を冠らせたかと詮議すると、江戸時代にもやはりこれに()く似た感冒が非常に流行して、その時に誰かがお染という名を付けてしまった。今度の流行性感冒もそれから縁を引いてお染と呼ぶようになったのだろうとある老人が説明してくれた。

 そこで、お染という名を与えた昔の人の料見は、恐らく恋風というような意味で、お染が久松に()れたように、(すぐ)に感染するという謎であるらしく思われた。それならばお染には限らない。お夏でもお(しゅん)でも小春でも梅川でもいい(わけ)であるが、お染という名が一番可愛らしく婀娜気(あどけ)なく聞える。猛烈な流行性を()って往々に人を(たお)すようなこの怖るべき病に対して、特にお染という最も可愛らしい名を与えたのは(すこぶ)る面白い対照である、流石(さすが)江戸児(えどっこ)らしい所がある。しかし例の大虎列剌(おおこれら)が流行した時には、江戸児もこれには辟易(へきえき)したと見えて、小春とも梅川とも名付親になる者がなかったらしい。ころりと死ぬからコロリだなどと智慧(ちえ)のない名を付けてしまった。

 既にその病がお染と名乗る以上は、これに(とりつ)かれる患者は久松でなければならない。そこでお染の闖入(ちんにゅう)を防ぐには「久松留守(ひさまつるす)」という貼札(はりふだ)をするがいいということになった。新聞にもそんなことを書いた。勿論、新聞ではそれを奨励(しょうれい)した訳ではなく、単に一種の記事として昨今こんなことが流行すると報道したのであるが、それがいよいよ一般の迷信を(あお)って、明治二十三、四年頃の東京には「久松留守」と書いた紙札を軒に貼付けることが流行した。中には露骨に「お染御免」と書いたのもあった。

 二十四年の二月、私が叔父と一所に向島の梅屋敷へ行った、風のない暖い日であった。三囲(みめぐり)堤下(どてした)を歩いていると、一軒の農家の前に十七、八の若い娘が白い手拭をかぶって、今書いたばかりの「久松るす」という女文字の紙札を軒に貼っているのを見た。軒の(そば)には白い梅が咲いていた。その風情は今も眼に残っている。

 その(のち)にもインフルエンザは幾度も流行を繰返したが、お染風の名は第一回限りで絶えてしまった。ハイカラの久松に着くにはやはり片仮名(かたかな)のインフルエンザの方が似合うらしいと、私の父は笑っていた。そうして、その父も明治三十五年にやはりインフルエンザで死んだ。

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