故郷七十年

19話 布川時代 お茶の舟

1,238字 約2分 2018年7月31日 公開

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 近ごろ『利根川』という本を出した飯島博というお医者があるが、ずっとこの川の上流の、埼玉と茨城との県境の、埼玉県側にある宝珠花(ほうしばな)というところの人ではなかったろうか。

宝珠花ではお八重がかさだ お八重買う奴 みなかさだ

 子供のころこんな言葉を船頭が口にしていたのを、かさということも知らずに、固有名詞が二つもあるので、子供心に面白く思ってきいた。下総が利根川流域にとんがり出している辺である。茶屋女の沢山いた所で、船頭たちが下流に来てから、そこのことを思い出して歌ったものであろう。

 下野の方から利根川に合流する鬼怒川と、その東の方、益子(ましこ)の脇を通って南流する小貝川とがある。鬼怒川は主として奥州の荷物を利根の方へ出すための水運で、宇都宮の東北にあたる阿久津という所まで持って来た荷物を、そこから鬼怒川の舟に乗せる。そして陸路を節約するわけである。それに大利根まで運びこめば、後はどこへでも自由に水運を利用できるわけであった。その盛りの時代は短かかった。

 どちらかというと、上から運ぶものが少なかったので、仕方なく舟の空荷を利用して石を運んだ。下総の方には石が乏しく、沢庵の重しの石までが輸入品であった。こんなおかしな話まであった。利根川の下流では船頭たちが船荷を何でも少し、くすねる癖があった。細いサシ(俵にさし込んで中の穀物を検査する道具)を持っていて、それで中身をいくらか、くすねてとるのを楽しみにしていた。ところが、船荷に沢庵石ではどうにもならない。そこでくやしまぎれに、みなが寄ってたかって石をなめたというのである。

 さて益子から南流する小貝川は泥沼から来るので、利根に合流すると穢くもあるし、臭くもなってしまう。ただ一つ鬼怒川だけは、実にきれいな水の流れであった。奥日光から来るその水は、利根川に合流しても濁らなかった。船から見ても、ここは鬼怒川の落ち水だという部分が、実にくっきりと分れていてよく判る。利根川の真中よりは千葉県の方へ寄った所に、鬼怒川の流れがある。

 布佐の方ではあまり喧しくいわないのに、布川では、親の日とか先祖の日には、このきれいな鬼怒川の水をくみに行った。布川は古い町なので、一軒一軒小さな舟を持っていて、普段は使わないで岸に繋いでおくが、こういうものの日には小舟で行ってくんできて、その水でお茶をのむことにしていた。普段は我慢して、布川の方へ寄って流れている上州の水をのんでいるのである。上州の水が豊に流れているその向う側に小貝川の水が流れ、それを通り越して千葉県によった所に、鬼怒川の流れが、二間幅か三間幅に流れているのであった。

 布川のこの小舟は、向う岸に渡るためのでもなく、上の村と下の村とをつなぐものでもなかったらしく、「お茶のお舟」として、澄んだ川水をくむだけであった。

 布川の町も利根川の改修工事によって、やがては川底になってしまうかもしれない。七十年前の利根川筋を知る私どもは、そこにわく一種の愛情を断ち切るわけには行かないのである。

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