故郷七十年

29話 辻川の話 頼母子のこと

1,105字 約2分 2018年7月31日 公開

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 何代も学問をして来た家にしては不思議なことであるが、父はいつも風呂敷包みをさげて、本を借りて来ては読んでいた。そこに何か訳がなくてはならないが、永久の謎である。

 私の家は何でも、辻川と但馬との間のどこかの街道端にあったのを買ってきたときいている。そこで問題は、どうしてそんな、小じんまりしてはいても、がっしりした家を買って来る金があったかということになる。地面は元のまま持ち続けていたのだし、毀れかかった旧屋は二束三文だろうし、結局どうも中産階級の金融方法であった頼母子(たのもし)に頼ったのではなかったかと想像している。誰か親切で頭のいい顔役が一人、主催者になってくれたのではなかろうか。そして私ら子供たちが大人になりかけ、世の中のことが判るようになったころには、もう返していたのかと思う。それから十年後に、長兄がはじめて東京に出る時にも、この頼母子のお蔭で楽に出られたようであった。

 頼母子のことを東京方面では無尽というが、これは単にいつまでもある、すなわち永久の意味で、助け合うとか恩恵とかいう意味はない。ずっと西の方に行くと「モヤイ」というが、それも単に共同労働の意味しかない。頼母子という言葉は非常にふるく、足利時代はもちろん、鎌倉時代でも探せばあるだろう。つまり親類中の助け合いの力では足りない場合に、親類以外の友人というものが、知人の難儀を見るに忍びないで、才覚をしてまわしてやるのである。

 入用な人を助けるために、例えば十二人の人が十三回金を集め、一回分はまずその人にただで回してやって、利子などは取らない。お互に信頼して融通し合うわけである。無尽の方には後に取りのき無尽といって、くじ引きが当ると金を取って、その後はもう掛け金をしないという賭博のような弊害のあるものが出て来た。私は昔風の頼母子講を非常に面白いと思って、大学のころ研究してみるつもりでいたことがある。頼母子というのは要するに、一人の力ではとても助けられないのを、例えば十人共同して一軒の家を助ける、つまり共同して助け合うという仕組である。

 私の生れた松岡の家が、少なくとも二度は、非常に純粋な昔風の頼母子の恩恵に浴したように思われる。しっかりした世話人が必要だったが、長兄が家を出た時には、辻川の隣部落の井ノ口にいた、四十歳を少し越えた、大変義侠心と智力とのあった人が、兄を信用し愛して、その役を引受けてくれたことを憶えている。私の家の建てかえの時にも、誰かそのような人が尽力してくれたものであったろう。

 その井ノ口の人の一家は、その後不幸続きで、第一に私と同年輩だった友人が病死し、それから後継の子供などがつぎつぎに病死してしまった。

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