故郷七十年

37話 辻川の話 大正文化と女の力

1,481字 約3分 2018年7月31日 公開

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 あらわな形の夫婦喧嘩のなくなったこと、それは婚姻制度の変化から来ていると見ていいと思うが、それこそ明治の歴史に書かずにおれないような気がしている。

 もとは相当な旧家で、由緒ある家ならば、親類までが寄り合って長い間かかって嫁を見つけた。また娘のたくさんある家では、そのうちで主婦になれる女を養成したものだ。尼将軍になった平政子なども、そんなにして育て上げられたのである。『大日本史科』の「年末雑載」に出ている女の人の文章は読みにくいもので、日本語の歴史のいちばんの難関になっているが、無駄のない、きりっとしたもので、理智的な婦人の意志表示ともいうべきものである。財政問題が多いが、これも主婦のやる任務が、これでおしまいになるからであろう。喧嘩をさせず、家は繁栄させるように、そしてすべての者が多少ずつは幸福になるようにという、細かい心づかいをしたものである。当時の女の人の感情がこもっていて、日本人の婦人生活を調べる資料として、こんなに良いものはないと思っている。このような古文書を通して日本の女性文芸を知ることは、民俗学と同じく、人の省みないものをとり上げることになる。

 明治から大正へと、社会の進歩を示す例として、第一に、今いったような夫婦喧嘩の変化が、私どもの母の時代にあったのである。

 第二には子供が綺麗になったこと。これは必ずしも女の力だけでなく、社会の文化が進んだからだが、私らの一代の間の出来事である。たんに鼻汁を出さなくなったばかりでなく、その容貌が綺麗になり、顔の長さも短かくなったように思う。私が大正十二年の暮、西洋から帰る船の中で、いっしょになった西洋人の親子に心ひかれたことがあった。デンマークの婦人で、三十五、六歳になる人が、男の子を一人連れて日本へ行くというが、見ているとじつによく子供を教育してあった。その子がハンカチーフを胸のポケットに入れて貰って、ちょっと悲しくなると、自分ですぐにそれを出して顔を拭いたりしていたが、後で母親が、船に乗ると子供が悪くなるといっていた。

 日本ではまだその少し前ごろまで、どの子もいわゆる二本鼻汁(ばな)を出していた。私どもも、親からやかましくいわれながら、着物の袖口が光っていた。中には氷の張ったようになっているのもあった。たえず鼻汁をシュッ、シュッと吸いこんだりしていた。その後、食物のせいか、気候によるものか、いつしかそんな現象が見られなくなった。田舎を歩いても、鼻汁を出している子供は、路傍にも見ることがなくなった。

 トラホームを患ったり、白癬(しらくも)の頭に出来た子供なども、もはや日本にはほとんどいなくなったようである。二本棒は体質からか、病的なものか、それとも習慣が手伝っていたのか。ともかく子供の綺麗になったのは、大正文化、または大正、昭和の文化の一つの産物に数えてよかろうと思う。子供のために着物の柄(がら)を親が考えるようになったのも、ほぼ時を同じくしている。西洋人のうち同情ある人が、もし度々日本へ来て写真をとっておけば、この文化の進歩にさだめし気づくに相違ない。

 私は田舎を歩く時に、子供の顔付と表情とに興味をひかれる。それからふだんから考えておいた質問を、学校帰りの子供四、五人に、答え易い、考え易い言葉で話しかけて見ることにしている。顔がきちんとして鼻汁などたらしていない良家の子と思われるのは、言葉の違いを気にして返事をしない場合が多かったが、近ごろはどこでも、子供たちが無邪気に、ひょいひょいと答えるようになって来た。

 明治以来の変遷で、日本も西洋と大分近くなったのは、注目すべき点であろう。

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