故郷七十年

48話 辻川の話 嫁盗み

1,236字 約2分 2018年7月31日 公開

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 折口君の報告はたしかこんな話であった。大阪の木津・難波・今宮の三郷では、明治の初年ごろまで「ボオタ」という嫁入りの風習があった。

「あの人もボオタで嫁(き)やはったのに、えらいええし(好い衆)になりやはったもんや」などといわれる人があって、「ボオタ」は家計不如意で嫁入支度の出来ない時に行われる嫁入りだった。夕方着飾って支度していると、男の人が来てだまって娘をつれてゆき、大きな声で「ボオタ、ボオタ」といってゆく。ざっとこんな話であった。私はこの報告を読んでハッと思い、大変学問が進んだような気がしたので、折口君に御礼をいったものであったが、「ボオタ」は「奪うた」ということなのである。これは男の方で「俺が連れて行くんだ」と公言することで、「ボオタ、ボオタ、ボオタ」と大きな声で懸声をしながら嫁さんを男の家に送りとどけるのである。この場合はもちろん娘の父親も母親も承知の上のことであった。家柄からいったら一荷なり二荷なり添えて嫁がせなければならない家柄であるが、こちらにはその力がないという時は、世間体をはばかって「ボオタ、ボオタ」といって女だけをつれてゆく。親は喧嘩して連れて帰っても仕方がないといって、放っておき、後に仲人に立つ者があって親子の対面をさせるという、いわゆる掠奪婚の形をした、一番貧しい結婚の形であった。そこであそこの家が一代身上で立派になったんだというような時に、裏店の者が、そねみ半分に「ボオタで来やはった」とうわさするのであった。

 掠奪結婚、われわれは嫁盗みといっているが、九州の長崎や博多の報告もあって、これは私どもの仲間の手によってだいぶ資料が集まっている。私はこれには三つぐらいの段階があると思っている。一つは本当に親の知らぬ間に男の友人らが加勢して、娘をつれて行ってしまうもの。一つは親が事情があって、くれてやると正式にいえない時に、盗まれたものなら仕方がないという形をとる場合、これは大阪には昔から例があった。徳川秀忠の娘千姫を、大阪城から救った者に与えると約束しながら、後になって千姫が救ってくれた坂崎出羽守の所に嫁がぬというので、盗まれたことにして本多忠刻に嫁がせたという話がある。そのため坂崎家は断絶してしまったほどである。このころからすでに、「ボオタ」という言葉を使っていたらしい。もう一つは折口君の報告のボオタのように、支度のできないという経済的理由のある時である。第一のものだけなら野蛮人でも持っているが、だんだんに発達して、ボオタのように貧しいのを隠すためとか、形式を略するためにするということまで変ってきたのは、婚姻史を書く上にまことに大切なことである。形は変らぬが、内容がすっかり異っているということは、折口君の報告によってはじめて気づいたことであった。

 人によっては婚姻史を仲人から書きはじめるものと思っているようだが、それは間違いではないかと私は思っている。ただ単に男女の間に約束をして、それですんだ時代もあったのである。

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