25話 佐々のロケット何処
読み方を変える
トロトロと睡ったらしい。
なにしろ大隅学士は、連日連夜の奮闘で、身体は綿のように疲れていた。しかし刻々に危難が自分の上に今にも落ちてきそうに見えるときには、緊張していた。だが今は、怪博士のロケットも爆破し、博士邸の番人である岩蔵も彼に降服し、この博士邸は今や彼の支配下にあるようなものだった。
彼は危難から解放せられた形で、ただ友人の身の上を案じながら、外に手段もないので、五分間置きに電子望遠鏡を覗くだけの仕事しかなかったので、そこで精神の緊張が解け、そこへ疲労感が急にあふれてきて、さてこそトロトロと睡ったものらしかった。
「あッ、これは失策った……」
大隅は、周章てて椅子の背から身体を起すと、電子望遠鏡を覗きこんだ。友の機影はどの位まで焦点を外したかと思いながら、注意して距離調整用のクランクを徐かに廻していった。ところが……どうしたものか、どの位クランクを廻していっても、佐々砲弾のロケットは出てこなかった。
「これはいかん……」
彼は顔色をかえた。しかしそれはもう遅かった。いつの間にか、佐々砲弾の乗っていたロケットの機影は、望遠鏡から外れてしまったのだった。彼は愕いて、あれやこれやと調整し得られるものを操ってみたが、遂に求める機影は入って来なかった。……そのうちに東の空がだんだんと白んできた。そしてやがて夜は明け放れた。然し彼の望遠鏡は遂に何の手懸りをも掴む事が出来なかった。
「ああ、砲弾はどこへ飛んでいったのだろうッ……」
と、大隅理学士は、怜悧で勇敢であった同志の身の上を懐って、ハラハラと泪を流したのだった。
爽やかな朝の微風の中に立った彼は、ようよう生き返ったように思った。彼は広い庭をトコトコと歩いて、門脇にある番人の岩蔵の小屋に行ってみた。
岩蔵はもう起きていた。そして傍のベッドの上には、武夫の父河村が、胸一杯に、部厚な繃帯を巻いて、唇は色うすく、顔色は土のように蒼ざめていたけれど、気持よげにスヤスヤと睡っていた。この分なら、大丈夫恢復するだろうという岩蔵の言葉に、彼はホッと安心の胸を撫で下ろした。河村こそは、やがて恢復すれば、この怪事件について参考になることをふんだんに喋ってくれるだろうと思われたので、彼は嬉しくなったのである。
そこで大隅理学士は、あとを岩蔵に頼んでおいて、久しぶりに、下宿していた村の方へ帰ることとなった。彼はトボトボと、なだらかな坂道を下りていった。僅か三、四日見なかったばかりの矢追村だったのに、彼はもう三、四ヶ月も来なかったような気がするのだった。
下宿では、朝日を浴びて洗濯ものを乾していたお内儀が、彼を見つけると頓狂な声をあげて近づいてきた。
「あらまア、大隅先生。わたしゃ心配していましたがナ。貴方さまは一体どうなすったというの……」
「イヤ突然だったけれどもネ、ちょっと東京へ出かけたんです。知らせる間もなくてどうも……」
といったけれど、大隅の洋服はヨレヨレになりところどころ鍵裂きや泥に汚れて、一と目でそれと、連日の悪戦苦闘を物語っていた。
「へえ、東京へ……」
とお内儀は妙な顔をして首をかしげたが「それからあのお連れの佐々さんはのう」
「ああ、佐々君か。彼も一緒に東京へ行ったんだが、そのうち帰ってくるだろう」
「そんなに宿へも知らさんし、支度もせんでお出掛けになるとは、一体どんな御用かいのう」
大隅は只苦がりきって、ゴロリと畳の上に横になった。
「なアもし大隅先生。……もしわたしの思い違いなら許して貰いますが、先生がたはあの魔の森へお入りじゃったのではないかのう。もしそうなら、ぜひ悪魔払いのお呪いをせんと、生命がないでのう」
大隅はお内儀の声が、だんだん遠くに小さくなってゆくのを感じた。彼は疲労のためにそのままグッスリと熟睡に陥ったのであった。彼の疲労はちょっとやそっとでは恢復しそうもなかったのである。
それからどの位経ったかしらないが、大隅学士は、突然金切り声を聞きつけて、ハッと眼が覚めた。
ドタドタドタと梯子段に尻餅をつきながら転げ落ちてゆくような音、そして、
「ウーム」
という呻り声。
彼は何事が起ったのかと吃驚して跳ね起きた。愕いたことに、もうすっかり夜になっていた。頭の上には五燭の電灯が一つ点っていて、室内には蚊いぶしの匂いがプンプンしていた。彼は階段の方へ二、三歩行きかけたが、そのとき何だか室内に人の気配を感じた。
「誰もいない筈なのに、誰だろう?」
と思って、室内をグルッと見廻したが、そのとき窓のところから何ものとも知れず真白なものがフワリと外へ飛び出していった。
「呀ッ……」
彼は恐ろしさよりも好奇心が先に立って、すぐ窓のところへ駈けつけた。するとその白いものの尾のようなものが、欄干にダラリと懸って、蛇のようにスルスルと外へ出てゆくところであった。彼はウヌと呻ってその白いものをギュッと掴えた。
「ギャッ……」
と悲鳴を挙げたのは、白い怪物ではなくて大隅学士の方だった。彼がその白い尾に触るか触らないうちに、彼の身体はドーンと後方へ跳ねとばされた。もうすこしひどくやられると、壁の真中に叩きつけられるところだった。
「何だろう? 人間かそれとも妖怪か?」
彼は再度跳ね起きると、欄干のところへ突進していった。そして暗い外を見た。白い怪物はたしかにまだそこにいた。しかし彼が顔を出すのと一緒に、暗闇の中に紛れこんで、スーッと姿を隠してしまった。
「うぬ、逃がすものか……」
何が何やら分らないながら、彼は追駈けてゆく決心を定めた。そして梯子段を下へトントンと駈け下りて行ったが、そこには、宿のお内儀が倒れていた。
その身体を跳び越えて、彼は往来へ飛んでいった。そしてそこら中、あっちへ走り、こっちへ駈けしたが、その白い怪物の姿を遂に見失った。彼はスゴスゴと、宿の方へ引返した。
お内儀はようやく気がついたものと見え、梯子段の下に半身を起し、腰のあたりを痛そうに撫でていた。
「おお、お内儀さん。今のは、あれは何ですかネ」
「ナ、何ですかって、わたしもあんな恐いもの知らへんがのう。どう見ても幽霊じゃ。先生が寝とらす周りをグルグルと何遍も廻っていたがのう」
「ナニ僕の寝ている周りをグルグル廻っていた?……やっぱりあれは幽霊かなア」
大隅学士はドキンとした。果してあれは幽霊であろうか。日本の幽霊は、ああいう場合、糞落ちつきに落ちついて、背後をふりかえり、痩せ細った手首をフラフラと動かして空間に小さな円周などを描き、恨めしそうな顔をヌーッとこっちへ出すといったのが定石なのであるが、今見た幽霊の方は、掴もうとしたのに、ドンと恐ろしい一撃を加えて、スーッと逃げだしていった。その激しい力や活溌な行動からいって、むしろ何か生き物に近い感じがする。もしそれが幽霊だとすると、よほど生前活溌な武将ででもあったにちがいない。……
と、そこまで考えて来たときに、彼はハッと胸を衝かれたように思った。
(もしや、あれは佐々砲弾の幽霊ではないかしら? それともあの怪力の辻川博士の亡霊だろうか?)
大隅学士は、俄かに失った友のことを考えて、胸をしめつけられるように感じた。しかしあの佐々砲弾が、まさか幽霊になろうとは考えられない。第一、幽霊なんぞというものは、この頃すっかり流行らなくなっているのだ。ただどうも腑に落ちないことは、この夏の矢追村においては、次から次へと、常識では到底考えられないことが頻発しているのだった。幽霊もその常識では考えられない。一つの現象として考えれば、考えられないこともなかったけれど、果してこの科学文明の世に、時代色濃い幽霊などが現れてよいものであろうか。
宿のお内儀は、ヨロヨロした足どりで、土間に下りて、息ぎれの水を飲みにいった。
そのとき、ワイワイという人声がして、大勢の足音が門の前を通りかかった。
「おう、おばア、いるかア……」
と、一人が戸口から声をかけた。
「おう、甚平さんか。……うちでは、えらいことじゃ。今しがた、二階のところをナ、白い着物を着た幽霊がフワフワと飛んでいたのじゃ」
「ナニ白い幽霊が。……お前の家にもか?」
「アレお前の家にもかって、他へもあの幽霊が出るのかの?」
「いや、いま村中はその幽霊のことで大騒ぎじゃ。太郎作のところへ出たのが最初で、それから小学校の用務員室に出る、酒屋の喜十の店先に出る……そんなわけであっちからもこっちからもの注進で、その図々しい幽霊は六ヶ所に現れよったのじゃ。おばアのところのを入れると、都合七軒になる。いま村の衆で自警隊を組み、幽霊狩りを始めているところじゃ」
「おンや、そんなら幽霊の出たのは、わたしのところばかりじゃないのじゃな」
「そうだともそうだとも。なんじゃ知らぬが、昨夜大戸神灘の沖合に落ちた大火柱といい、今夜の幽霊さわぎといい、どうもこの矢追村には怪かしがついているようじゃ」
「おお、昨夜の火柱のう。わたしゃあんな気味の悪い火の柱は生れて始めて見たわい。寿命が縮まったが、それに昨夜の今夜じゃ。村長さんに頼んで、村中の総お祓いをしてもろうたらどうかいなア……」
「うん。わしももう生きた心地がないのじゃ。……ドレ皆の衆に追いつかにゃ……」
そういって、故老古花甚平は、外へ出ていった。