30話 未完成の秘話
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大隅学士は、それを待っていたようにして、一膝のりだした。そして病床の河村の耳の傍に口を持ってゆくと、ソッと何事かを囁いたのだった。
「……ウム、そうだったか。お前さんは、伜が村の奴等に見殺しにされようとするのを、助けようと……」河村の言葉がグッと詰った。
「……いやア、俺は悪かった。一年間も、家のやつをうっちゃって置いて遊んでいたのだからなア。それも辻川に貰った礼金があんまり多すぎたもので、つい悪い心を起して、女房子供を捨てて遊び廻っていたんだ。それもこれも、みな辻川の奴のためだ。……しかし今はもう後悔している。こんなに傷を負っても、家に帰らないのは、せめても女房子供にこの上の苦労をかけないためだ。……それだのに、伜が辻川のやつに、この邸に監禁されているなんて……」
河村は悲歎と憤慨とを、両眼からはふり落ちる涙に托して、嗚咽した。
「そこで河村さん」と大隅は彼の肩にやさしく手をあてて云った。「武夫君を助けるためには、どうしても貴方から外国船の秘密についてお話を聞かなきゃうまくゆかないのです」
「何を……。ハハア、お前さんは、俺をうまくひっかけて、例の話を聞きだそうというつもりだな。おお危い。誰がそんな手に引懸るものかい」
と、たちまち変る河村の態度に、大隅はなおも屈せず、遂に云った。
「じゃ、話す話さんはとにかく、武夫君の哀れな姿を見て下さい。僕は、あまりにも悲惨だから、武夫君を却って苦しませると思って、その後彼に会わないでいるのです。もうこうなれば仕方がありません。それは貴方をも新たに悲しませることになるかもしれないが、武夫君を救うためには、それも已むを得ない。さあ、ではこれからソッと武夫君を見せてあげますから、私の背中におんぶなさい」
大隅の真心が通じたのか、この重傷者は、とうとう大隅に身体を預けた。
二人が入口に出ると、そこにいると思った岩蔵はどこに行ったか姿が見えなかった。大隅は河村をおんぶしたまま、庭づたいに、あの大きな檻のある森の方へヨチヨチと歩いていった。
さすがの父親も、木立の隙間から、電灯明るく輝く檻の中を望んで、男泣きに泣いた。伜がこうまで悲惨な化物になっているとは、檻を望むまでは知らなかった。彼は大隅の注意によって、一生懸命声を呑んだ。再び病床のところへ帰って来た河村は、さっきとはまるで別人のように大隅に対しては従順になっていた。
「……知らなかった、知らなかった。あっしは貴方に恥かしい。お礼を云いますよ、お礼を……」
「……では、教えて下さい。辻川博士と外国船との間には、どんな取引が行われたのです」と大隅は、この機会を逃がしてはと、問いかけた。
「それはよく知らない。イヤこれは本当に知らないんだ。俺たちは、辻川博士の命令に従って、荷物を船に搬んだり、船から荷物をこの邸へ持ってきたりしただけだ」
「ほう、何を船から持ってきたんです」
「なにかわけの分らない器械だった。そいつは函の中に入っていたので中身は判らない。しかし辻川博士は大喜びだった。その外国船の大将と幾度も握手をして喜んでいた」
「その外国船の大将というのは誰です」
「ドクトル、シュワルツコッフ」
「えッ、なんですって、……ドクトル、シュワルツコッフ!」シュワルツコッフ博士といえば、あの白幽霊のウラゴーゴルが残していった名前だ。あのシュワルツコッフが、一年前にこの沖へ来航してきたのか。
「それはいいが、この邸から船へ搬んだ品物というのが、たいへんな品物なんだ」
「ええッ、たいへんな品物というと……」
「そいつは袋の中に入っていた。グニャリとした品物さ。その中身を知っているものは俺ばかりだろう。俺はソッと開けてみて愕いたのだ」
「一体それは何だったんです。早く云って下さいッ」大隅は胸がつまるように感じた。
「それはネ……それはこうなんだ。辻川博士の……」
と、まで云ったとき、河村は突然「呀ッ」と叫んで、話を中断した。そのとき、彼の額から、パッと黄色い煙が立ちのぼり、額の真中に痣のような一銭銅貨大の赤い斑点が現れた。彼はウムと呻ると、右手でその額を押えた。するとその手から、また黄煙がサッと上って、手の甲の上に、同じような赤い斑点が現れた。河村は見るも物凄い形相となり、真紅な口をガッと開いたかと思うと、両手で虚空をつかんで、そのまま絶命した。実に悲惨とも凄絶ともいいあらわし難い彼の最期だった。
「何者だッ!」
大隅は話し半ばに怪しき方法によって河村を虐殺した者のあるのを悟り、奮然として、門番の小屋から外に飛びだした。岩蔵に違いない!
ところが彼は、屋外に出てみて、オヤと叫んだ。――岩蔵が今木立の奥にある玄関のところから、庭園の砂利の上をノコノコこっちに歩いてくるのを見た。
「彼が殺ったのだろうか? これは不思議だ」
門番の小屋から三百メートルほども離れたところを歩いている岩蔵が、どうして河村を殺害することができたのだろう。その岩蔵は、大隅の姿を認めると、急ぎ足でこっちへ近づいて来た。
「オイ、どうしたのだ」
と、大隅はイザといえば彼に躍りかかるつもりで、声をかけた。
「……イヤ、お客さんが見えたので……」
「客が見えた。客とは誰か?」
「……ドクトル、シュワルツコッフ」