59話 催涙液
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準備時間の十分間は、はやくもたった。クイーン・メリー号が海上に出たというので、うれしまぎれに、恐ろしいのもわすれて甲板に出ていた人たちの間をぬって、避難の密令は伝えられ、一同は急いで船内にかえってきた。そしてドアをかたくおろし、こんどは甲板上の怪物がどうしてもはいりこめないようにした。
マルラ秘書は数名の屈強な船員をひきつれ、いつのまにかクーパーのところへかえってきた。そして、籠城作業をきびきびとやってのけた。
「クーパー事務長、これだけしておけば、もう大丈夫です」
と、ドアのところへたてかけたベッドや重い長いすなどをしめして、自信ありげに目をかがやかした。
クーパーは、そとにしめだされた海底超人がこれからどんなさわぎをえんずるだろうかと、気が気でない。
まどはすべて内がわから、棒と書籍とフトンとで補強しておいたが、そのうちの一つがわずかにすきをもっていて、ガラス越しに光弾下に青白く光る甲板がそこから見えた。クーパーは、生つばをのんで、なりゆきいかにと見つめていた。
催涙液が空中から降ってきたのは、それから、ものの五分とたたない後だった。
十数台もの飛行機がごうごうたる爆音をあげ、マストにぶつかりそうな低空飛行でとおりすぎたかと思うと、しばらくしてから、待ちにまったさわぎが起こったのである。
砂糖のまわりによりあつまっていたアリの大群の上へ、つめたい雨だれが、ぽつんとおちてきたときのさわぎのように、甲板の上にかたまっていた海底超人たちが、にわかに上を下への大乱闘をはじめた。
上へとびあがる者、走ってえんとつにぶつかる者、組みあったままころげまわる者、まるい頭をまるでふりこのようにゆりうごかす者、――いやたいへんなさわぎである。
さだめし、きいきい声をたてていることと思うが、まどがみな厳重にふさがっているので、クーパーの耳には、なにも聞こえない。
ぶよぶよした坊主あたまの上には、しだいに濃い褐色のきりがおりてきた。
飛行機から放出した催涙液が、どんどんおちてくるのだ。
坊主頭の上には、見る見るくろずんだきたないしみが目立ってきた。醜怪な触手のようなものが幾本となく坊主あたまをさすっている。
ラスキン大尉の作戦は、すっかり図にあたったのだ。
さすがの海底超人も、催涙液のため、眼を刺戟されて、涙が、とめどもなく出て、すっかりまいってしまった。
さきを争って、舷側から海面へどぼんどぼんところげおちる。中には、もう舷側をこえる元気さえなくなって、甲板上にへたばるものさえ出てきた。
海底超人側に敗戦の色はしだいに濃い。
ラスキン大尉の指揮する空軍部隊は、くりかえしくりかえし、この液をまいた。
クーパー事務長は、このありさまをくい入るようにながめている。
本船の左舷後方の海面にうかんでいるはずの「鉄の水母」は、今なにをしているのであろうか。