阿難と呪術師の娘

6話 第八場 その二

1,812字 約4分 2021年3月1日 公開

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(食事を終った教団の人々は、めいめい食器を始末し、その辺を清潔に掃除し、威儀を正して左右に引退(しりぞ)く。食物の残りを入れた壺ひとつだけ、内庭の中央に残し置く。しばらくは静けさの中に黎明(れいめい)が育まって行く。いつの間にか朝の小鳥、栗鼠(りす)、鳩、小猿などが壺に集まり来て、仲よく残りものを食べる。食べ終って去る。釈尊の居室の裡にて金鈴の音。東西僧堂にて頗(すこぶ)る大きな鼓(く)を鳴らす音。それを合図に教団の人々左右より出で来り、二列に内庭に立つ。再び金鈴の音ありて後居室の扉開く。正面に釈尊、定印を結び思惟の膝を組み居る。一同座具を延べて三拝する。左側、男僧の列の先頭に立つ舎利弗(しゃりほつ)、進み出でて先ず恭(うやうや)しく問候(もんこう)する。)

舎利弗 ――世尊、御機嫌はよろしゅう御座いますか。お身体に何も御異状は御座いませんか。

釈尊 ――有難う、わしは別段に異常も無い。お前達は何うであるか。

舎利弗 ――恐れ入ります、一同無事で御座います。

(右側、尼僧の列の先頭より曇弥(きょうどんみ)が出でて問候する。)

曇弥 ――世尊、衆生をお救いになる御心配のほかに、お心を悩ますことも御座りませぬか。お慈悲を受け付けぬ者達以外に、お心を痛めるものも御座いませんか。

釈尊 ――有難う。わしは別段その他に悩みも無い。お前達は何うである。

曇弥 ――恐れ入ります。わたくし共もみな心の清々しさにおらして頂いて居ります。

釈尊 ――それは何より結構なことである。それではこれからいつもの通り、朝の訓話を始めるから、一同席につき心を静めて聴くがよい。

(列の人々一拝し、おのおの座具の上に座を占める。)

釈尊 ――静かな朝である。穢(けが)れなき朝である。闇は虹の曳き初めた空の雷のように遠く離れて行き、眠りは拭わるる鏡の曇りのように淡く姿を消して行く。日の出ずるも間も無い事であろう。

 仏の子等よ。心を調(ととのえ)てこの朝を考え見よ。朝とはどのようなものであるか。闇さえ退(しりぞ)ければおのずから朝が来る。眠りさえ打払えば眼はおのずと覚める。

 迷いと覚(さと)りの関係も丁度そのようなものである。悟が先にあって迷いを打退けるのではない。迷いさえ退けばそこに自然と悟りが明るみを増して来るのだ。日出でなばすべての色像を現わし、池を照し蓮華を開かせる。

 わしは昨日舎衛城へ行って演若という気狂いの話しを聞いた。そうだ、あれをお前達に今話して聞かせよう。演若は或朝、鏡で顔を映して見た。粗忽(そこつ)にも鏡の見当を間違えて、自分の頭や顔を鏡の中へ映し入れなかった。

 演若は鏡の中に頭の無いのに驚いて、自分を化物と思い込んだ。それから彼は気狂いになった。城の中で誰知らぬものも無い程、わめき廻って彼は自分の頭を探した。

 演若の頭は矢張り自分の胴の上について居るのだ。彼は心の迷いからそれを無いものと思い取った。

 然し気が付けば頭は矢張り自分の元の処に在る。

 われわれ人間が生命を自覚するということも丁度それと同じである。生命と云っても別に他から取り付けるようなぴかぴか光ったものがある訳ではない。人々に備わって居る所の精神、肉体、この価値を曇りなく認めることが生命である。認めて、過不及なく使って行く事が生命である。

 演若は自分の粗忽から、自分で自分の頭を失うたと思った。演若の心がそう思っても演若の頭は元より演若の肩の上に据わって居るのである。人間は多く自分で自分の価値に盲目である。彼の盲目よりして、自分の価値を或は有利に若(も)しくは不利に計算するとしても、人間の価値はもとより人間の価値通りに存在して居るのである。人間の価値を外より価値付けるものと計算してはいけない。また内より無理に燃やし出す思いをしてはいけない。人間の焔は既に在る。劫初より未来永遠に向って燃えて居る。消すことも出来ないし、燃やし増すことも出来ない。それは常住不常の想いを絶して燃えて居る。生老病死の姿を採りながら一筋に燃えて居る。現実に於ては今云うところの人間精神肉体の価値である。

 諸仁者。朝の人は最早(もはや)闇を捨てた。朝の人は最早眠りを退けた。お前達も迷いと慾を退けるがよい。しかる時に期せずして、朝の人は日の出を望むであろう。お前等も生命の光に照されるであろう。

(釈尊の説法が終ると教団の人々は立ちて三拝する。それから次の誓願文を唱える。)

大衆 ――御教に帰依(きえ)し奉る。誓って御教の如く解し行じ持ち、また普(あまね)く一切に施さん。南無生命体。南無生命相。南無生命用。

(唱え終り、座具を修め、威儀を整えて退場。小間)

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