鳥影

49話 其十 四

1,414字 約3分 2007年2月25日 公開

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 今年の春の巴里のサロンの畫譜を披いて、吉野は何か昌作に説明して聞かしてゐた。

 一通りの挨拶が濟むと、富江はすぐ立つて、壁に立掛けてある書きかけの水彩畫を見る。信吾はゴロリと横になつて、その畫のことを吉野と語る。

『昌作さん。』と富江が呼びかけた。『貴方昨日町へ被行(いらし)つて?』

『行つた。山内へ見舞に。』

奈何(どう)でしたの、御病氣は?』と笑つてゐる。

『それや可哀想ですよ。()たり起きたりだが、今年中に死ぬかも知れないなんて言つてるもの。』

(そんな)に惡いかねえ。それや可哀想だ。何しろあの體だからなア。』と、信吾は別に同情した風もなく言ふ。

『盛岡に歸るさうだ。四五日中に。』

『昌作さん。』と富江は又呼んだ。そして急しく吉野と信吾の顏を見して、

『好い物上げませうか、貴方に?』

『何です?』

『好い物なら僕も貰ひたいな。』

『信吾さんにはいや。ねえ昌作(さん)、上げませうか?』

『何だらうな!』と昌作は躊躇する。

『二人が喧嘩しちや可けないから僕が貰ひませうか?』

と吉野は淡白に笑ふ。

『ねえ昌作さん、誰方にも見せちや可けませんよ。』

『可し、志郎と二人で見る。』

(いゝえ)貴方(あなた)一人で見なくちや可けないの。』と言ひながら、富江は何やら袂から出して掌に忍ばせて昌作に渡す。

 昌作は極り惡るさうにそれを受けた。そして、『可し、可し。』と言ひながら庭下駄を穿いて、『オイ、志郎! 好い物があるぞ。』と聲高に母屋の方へ行く。

『あら可けませんよ。人に見せちや。』と富江は其後ろから叫んで、そして、面白さうにホホホヽと笑つた。

 二人は好奇心に囚はれた。『何です、何です?』と信吾が言ふ。

『何でもありませんよ。』と、濟し返つて、吉野の顏をちらと見た。

『怪しいねえ、吉野君。』

『ハツヽヽ。』

豈夫(まさか)! 信吾さんたら眞箇(ほんと)に人が惡い。』と何故か富江は少し(つゝま)しくしてゐる。

 其處へ、色のいゝ甜瓜(まくはうり)を盛つた大きい皿を持つて、靜子が入つて來た。『餘り甘味(おいし)しくないんですけど……。』

『何だ? 甜瓜(まくはうり)か! 赤痢になるぞ。』と信吾が言つた。

『マ兄樣は!』と言つて、『眞箇(ほんと)でせうか神山(さん)、赤痢が出たつてのは?』

眞箇(ほんと)には眞箇(ほんと)でせうよ。隔離所は三人とか收容したつてますから。ですけれど大丈夫ですわねえ、餘程離れた處ですもの。』

『ハヽヽヽ。神山さんが大丈夫ツてのなら安心だ。早速やらうか。』と信吾が最先に一片摘む。

 軈て、裾短かの筒袖を着た志郎と昌作が入つて來た。

『やあ志郎さん、今まで晝寢ですか?』と吉野が手巾に手を拭き乍ら言つた。

(いゝえ)、僕は晝寢なんかしない。高畑へ行つて號令演習をやつて來て、今水を(かぶ)つたところです。』

『驚いた喃。君は實に元氣だ!』

 昌作は何か亢奮してる態で、肩を聳かして胡座(あぐら)をかいた。

『何だい彼物(あれ)は、昌作さん?』と信吾が訊く。

『莫迦だ喃!』と昌作は呟く樣に言つて、眤と眼鏡の中から富江を見る。『然し俺は山内に同情する。』

 富江は笑ひながら、『あら可けませんよ、此處で(しやべ)つては。』

『僕も見た。』と志郎は口を入れた。『オイ昌作さん、皆に報告しようか?』

『言へ、言へ。何だい?』と信吾は弟を唆かす。昌作は默つて腕組をする。

『言はう。』と志郎は快活に言つて、『あれは肺病で將に死せんとする山内謙三の艶書です。終り。』

『まア、志郎さんは酷い!』と、流石に富江も狼狽する。

『艶書?』と、皆は一度に驚いた。

『それが怎うしたの、志郎さん!』と靜子が訊く。

 呆れてゐる信吾の顏を富江は烈しい目で凝視(みつ)めてゐた。

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