鳥影

58話 其十三 一

1,177字 約2分 2007年2月25日 公開

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 智惠子の容體は、最初隨分危險であつた。隔離病舍に收容された晩などは知覺が朦朧になり、妄語(うはごと)まで言つた位。てつきりチブス性の赤痢と思つて加藤も弱つたのであるが、三日許りで危險は去つた。そして二十日過になると、赤痢の方はもう殆んど癒つたが、體が極度に衰弱してゐるところへ、肺炎が兆した。そして加藤の勸めで、盛岡の病院に入ることになつた。

 吉野は病める智惠子と共に澁民を去つた。彼は有ゆるものを犧牲に拂つても、必ず智惠子を助けねばならぬと決心してゐた。

 信吾去り、志郎去り、智惠子去り、吉野去つて二月の間に起つた種々の事件が、一先づ結末を告げた。

 八月も末になつた。そして、靜子は新しく病を得た。

 靜子の縁談は本人の希望通りに破れて了つた。この事で最も詰らぬ役を引受けたのは例の叔母で、月の初めに來た時、お柳からの祕かの依頼で、それとなく松原家を動かし、媒介者(なかうど)を同伴して來るまでに運んだのであるが、來て見るとお柳の態度は思ひの外、對手の松原中尉の不品行(志郎から聞いた)を楯に、到頭破談にして了つた。

 靜子は、何處といふことなく體が良くなかつた。加藤は神經衰弱と診察した。そして、毎日散歩ながら自分で藥取に行く樣に勸めた。で、日毎に午前九時頃になると、何がなしに打沈んだ顏をして靜子は、白ハンカチに包んだ藥瓶を下げて町にゆく姿が、鶴飼橋の上に見られた。

 そして靜子は、一時間か二時間、屹度清子と睦しく話をして歸る。

 或る日の事であつた。二人は醫院の裏二階の瀟洒(さつぱり)した室で、何日もの樣に吉野の噂をしてゐた。

 靜子は()うした機會(はずみ)からか、吉野と初めて逢つた時からの事を話し出して、そして、かの寫生帖の事まで仄めかした。

 清子は熱心にそれを聞いてゐた。

『靜子さん。』と清子は、(ぢつ)と友の俯向(うつむ)いた顏を見ながら、しんみりした聲で言つた。『私よく知つてるわ。貴女の心を!』

『あら!』と言つて靜子は少し顏を赤めた。『何? 清子さん私の心つて?』

『隱さなくても好かなくつて、靜子さん?』

『…………』

 默つて俯向(うつむ)いた靜子の耳が燃える樣だ。清子は、少し惡い事を云つたと氣がついて、接穗(つぎほ)なくこれも默つた。

『清子さん。』と、稍あつてから靜子は言つた。其眼は濕んでゐた。『私……莫迦だわねえ!』

『あら(そんな)! 私惡い事言つて……。』

『ぢやなくつてよ。私却つて嬉しいわ……。』

『…………』

 清子の眼にも涙が湧いた。

『ねえ、清子さん!』と又靜子は鼻白(はなじら)んで言つた。『詰らないわねえ、女なんて!』

眞箇(ほんと)よ、靜子さん。』と、清子は全く同感したといふ樣に言つて、友の手を取つた。

()う思つて、貴女(あなた)も?』と、清子の顏を見るその靜子の眼から、美しい涙が一雫二雫頬に傳つた。

『靜子さん!』と、清子は言つた。『貴女……私の事は誤解してらつしやるわね!』

 然う言つて、突然靜子の膝に突伏した。

『あら、貴女(あなた)の事ツて(なに)?』

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