59話 其十三 二
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二人は暫時言葉が無かつた。
靜子はそれを、屹度兄の信吾の事と察した。が、兄の事を思ふだけに、何と訊いて可いか解らなかつた。
稍あつてから、『え? 何の事私が誤解してるツて?』と靜子が又言ふ。
『言はずに置くわ、私。』と、思ひ切り惡く言つて、清子は漸く首を上げる。
『あら何うして?』
『兄の事……ぢやなくつて?』
清子は羞し氣に俯向いた。
『清子さん、私何も貴女の事惡くなんか思つてやしなくつてよ。』
『あら然うぢやなくつてよ。それは私だつて能く知つててよ。』
二人は懷し氣に眼を見合せた。
『私此の家に嫁た事、貴女可怪いと思つたでせう?』と稍あつて清子は極り惡相に言つた。
『でもないわ……今になつては。』と、靜子は心苦し氣である。靜子は、あの事あつて以來兄信吾の心が解りかねた。そして、その兄の不徳を、今一つ聞かねばならぬといふ氣がすると、流石に兄妹であれば辛くない譯に行かぬ。が、又、目の前の清子を見ると、この世に唯一の自分の友が此人だと言ふ限りない慕しさが胸に湧いた。
『濟まないわ、このお話するのは!』
『マ清子さん!……貴女其に……私になら何だつて言つて下すつたつて可いわ。貴女許りよ、私姉さんの樣に思つてるのは!』
『……私ね……眞箇の姉妹になりたかつたの、貴女と。』然う言つて清子は靜子の手を握る。
『解つてよ。』と、靜子は聞えるか聞えぬかに言つて、眤と眼を瞑ぢた。其眼から涙が溢れる。
『嬉しいわ、私は。』と清子は友の手を強く引く。二人の涙は清子の膝に落ちた。
そして言つた。『私信吾さんに逢つて頂いてよ、此方の方の話があつた時……忘れないわ、去年の七月二十三日よ、鶴飼の上の觀音樣の杜で。』
『…………』
『私甚に……男の方は矢張り氣が強いわねえ!』
『何と言つて其時、兄が?』
『……此家へ來る事を勸めて下すつたわ、あの、兄樣は。』
『マ然う!』靜子は強く言つて。そして、『濟まなかつたわ清子樣、眞箇に私……今迄知らなかつたんですもの。』と言うなり、清子の膝に泣伏した。
『何も其樣に!』と清子も泣聲で言つて、そして二人は相抱いて暫く泣いた。
『詰らないわね、女なんて!』と、稍あつて靜子はしみじみ言ふ。
『眞箇ねえ』と清子は應じた。
二人の親しみは増した。
九月が來た。
信吾の不意に發つて以來、富江は長い手紙を三四度東京に送つた。が、葉書一本の返事すらない。そして富江は不相變何時でも噪いでゐる。
肺を病んだ五尺足らずの山内は、到頭八月の末に盛岡に歸つて了つた。聞けば智惠子吉野と同じ病院に入つたといふ。
濱野の家――智惠子の宿では、祖母の病が惡くもならず癒くもならぬ。
お利代は一生懸命裁縫に勵んでゐる。時には智惠子から習つた讃美歌を、小聲で小供らに歌つて聞かしてる事もある。村では好からぬ噂を立てた。それはお利代も智惠子に感化れて、耶蘇信者になつたので、早く祖母の死ぬ事を毎晩神に祈つてゐるといふので。――そして、祖母の死ぬのを待つて凾館の先の夫の許へ行くのだ、と傳へられた。
快く晴れた或日の午前であつた。昌作は浮かぬ顏をして町を歩いてゐた。そして郵便局の前へ來ると、懷から二枚の葉書を出してポストに入れた。――昌作は米國に行くことも出來ず、明日發つて十里許りの山奧の或小學校の代用教員に赴任することになつた。――その葉書は盛岡の病院なる智惠子と山内に宛てたもの。山内には手短く見舞の文句と自身の方の事を書いたが、智惠子への一枚には、氣取つた字で歌一首。
『秋の聲まづ逸早く耳に入るかゝる性有つ悲むべかり』
澁民村に秋風が見舞つた。
附記。この一篇は作者が新聞小説としての最初の試作なりき。囘を重ぬる六十囘。時歳末に際して豫期の如く事件を發展せしむる能はず、茲に一先づ擱筆するに到れるは作者の多少遺憾とする所なり。他日若し幸ひにして機會あらば、作者は稿を改めて更に智惠子吉野を主人公としたる本篇の續篇を書かむと欲す。