探偵夜話

15話 山の秘密 四(2)

4,251字 約9分 2012年8月17日 公開

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「あなた、お起きなさいよ。大変よ。」

 親戚の娘にゆり起こされて、深田君は寝ぼけ(まなこ)をこすりながら顔をあげると、かれはいつの間にか蚊帳のなかに寝かされていた。枕もとの懐中時計を見ると、もう午前一時を過ぎていた。

「あなた、さっきの人が死んだんですとさ。」

「男か女か。」と、深田君はぎょっとして起き直った。

「男の人ですって……。警察から来るやら、大騒ぎですわ。」

 深田君は蚊帳を這い出して、すぐに上原の座敷へ行ってみると、座敷のなかには警部らしい人の剣の音がかっかっと鳴っていた。刑事巡査らしい平服の男も立っていた。蚊帳はもうはずしてあった。二つならべてある一方の蒲団の上には、寝みだれ姿の好子が真っ蒼な顔をして坐っていた。深田君は廊下からそっと覗いているのであるから、その以上のありさまはうかがい知ることが出来なかった。死人の姿は見えなかった。

 家の女中達もみな起きて来て、遠くから怖そうにうかがっていた。その中に深田君の座敷を受持ちの女中もいたので、一体どうしたのかと訊いてみると、今から小一時間も前に、この座敷でけたたましい叫び声がきこえた。不寝番がおどろいて駈け付けると、男は蒲団から転げ出して死んでいた。女は魂のぬけたような顔をしてその死骸をぼんやりと見つめていた。女のいうところによると、二人ともに眼が冴えて寝付かれないので、夜のふけるまで起き直って話していると、男は突然に空をつかんでばったり倒れてしまった。事実は単にそれだけで、彼女は出張の警官に対してそう申し立てたのである。しかしそこには何か不審の点があるらしく、女はなお引きつづいて警官の取り調べを受けているのであった。

 その話を聞いているうちに、刑事巡査らしい平服の男が廊下へ出て来て、深田君のたもとを軽くひいた。

「あなた、ちょいと顔を貸してくれませんか。」

「はい。」

 かれに誘われて、深田君は庭に出ると、明かるい月は霜をふらしたような白い影を地に敷いて、四つ目垣に押っかぶさっている萩や(すすき)の裾から、いろいろの虫の声が湧き出すようにきこえた。その葉末の冷たい露に袖や裾をひたしながら、二人はならび合って立った。

「あなたは今夜あの女にお逢いだったそうですね。」と、男は言った。「あなたはお一人ですか。」

 いわゆる親戚の娘を連れているだけに、こういう取り調べを受けるのは深田君に取ってすこぶる迷惑であったが、よんどころなしに何もかも正直に申し立てると、男は一々うなずいて聞いていた。

「すると、あの男と女は心中でもしそうな関係になっているんですね。」

「まあ、そうらしいんです。わたくしも意見してやろうと思っているうちに、つい酔っ払って寝込んでしまって……。」

「そうでしょう。お連れがありますから。」と、男はひやかすように言った。「男の死体は医師が一応調べたんですが、脳貧血、脳溢血、心臓麻痺、そんな形跡は少しも見えないで、どうも窒息して死んだらしいという診断です。男の(のど)のあたりには薄い爪の痕が二、三ヵ所残っています。そうすると、どうしても女に疑いがかかる訳ですが、女はなんにも知らないとばかりで、ちっとも口を明かないんです。一体あの女は気が少しおかしいんじゃありませんかしら。」

「御鑑定の通りです。あの女はどうもヒステリー患者だろうと思われます。」

「そうでしょう。」

 男はしばらく黙って考えていた。深田君も黙っていた。さっきのありさまから想像すると、女はあくまでも自分を置き去りにしたように男を怨んで、ヒステリー的の激しい発作(ほっさ)から突然に男の喉を絞めたのではあるまいか。男の喉に爪のあとが残っているというのが疑いもない証拠である。それでも深田君は念のために訊いた。

「で、なにか紛失品はなかったんですか。」

「それも一応取り調べたんですが、別に紛失したらしい物品もないようです。あの二人は小さい信玄袋のほかにはなんにも持っていないんですから。」と、男は説明した。「いや、あなたのお話でもう大抵判りました。ついては幾度もお気の毒ですが、あの座敷の方へもう一度行ってくれませんか。」

 重々迷惑だとは思ったが、深田君はそのいうがままに再びもとの座敷へ引っ返して来ると、好子はやはりおとなしく坐っていた。なにを訊いても固く唇を結んでいるので、警部も持て余しているらしかった。刑事巡査らしい男は深田君を案内して、好子の眼の前へ連れ出した。

「おい。いつまで世話を焼かせるんだ。」と、彼はさとすように好子に言い聞かせた。「おまえはこの人を知っているだろう。お前はゆうべこの人の見ている前で、上原という男にむしり付いたというじゃないか。」

「人を置き去りにしようとしたからです。」と、好子はほろほろと涙を流した。

「それが嵩じて、ここでも上原に武者ぶり付いたんだろう。もとより殺す気じゃなかったんだろうが、夢中で絞め付けるはずみに相手の息を止めてしまったんだろう。え、そうだろう。正直に言わないじゃいけない。」

「そんなことはありません。」

「だって、ほかに誰もいない以上は、お前が手を出したと認めるよりほかはない。お前はどうしても知らないと強情を張るのか。」

「知りません。」

 男は深田君の方を見返って、なにか言ってくれと眼で知らせるらしいので、深田君はいよいよ迷惑した。しかしどう考えても、好子がその加害者であるらしいので、かれも一応の理解を加えてやろうと思った。

「好子さん。さっきは失礼しました。上原さんというかたはどうも飛んだことでしたね。一体どうしてこんなことになったんでしょう。あなたが傍にいてなんにも知らないはずはないでしょう。上原さんの喉には爪のあとが付いていたというじゃありませんか。」

「どうだか知りません。」と、好子はまた泣いた。

 男をうしなった悲しみの涙か、男を殺した悔みの涙か、その白いしずくの色を見ただけでは深田君には判断が付かなかった。

「今もいう通り、あなたが上原さんを殺す気でないことは判っています。」と、深田君はまた言った。

「勿論、あなたが上原さんを殺すはずがありません。しかし物事には時のはずみということがあります。時のはずみで心にもない事件が出来(しゅったい)する例はたくさんあります。あなたが腹立ちまぎれに上原さんの胸倉でもつかんで、それがなにかのはずみで……。ねえ、そんなことじゃないんですか。それならば早く正直に言った方があなたのためです。もともと殺す料簡でしたことではない、あなたと上原さんとはまた特別の関係にもなっているんですから、別に重い罪にもなるまいと思われますが……。」

 噛んでふくめるように言って聞かせても、好子はどうしても白状しなかった。しまいには声をあげて泣くばかりであった。もう仕方がないので、警官は彼女を警察へ引致(いんち)しようとすると、好子は気違いのようにまた叫んだ。

「どうしてもあたしを人殺しだというんですか。あたしがなんで、上原さんを……。あたしはそんな女じゃありません。上原さん、上原さん。あなた後生(ごしょう)ですから、もう一度生き返って来て、あたしのあかしを立ててください。それでなければいっそあたしを殺してください。上原さん、上原さん。あなたとうとうあたしを置き去りにして行ったんですね。置き去りにした上に、あたしをこんな目に逢わせるんですか、上原さん……。」

 好子は声のつづく限り、悲しげな叫びをあげながら曳かれて行った。

 好子が出て行ったあとで、深田君も悲しい暗い心持になった。宵に自分が他愛なく酔い倒れてしまわなければ、このわざわいを未然に防ぎ止めることが出来たかも知れない。自分の不用意のために、見す見すかの男と女とを暗いところへ追いやってしまったのである。そうした悔恨に責められながら彼はぼんやり起ち上がろうとすると、どうしたはずみか彼は一方の蒲団の端につまずいて、足の爪さきに蛇のようなぬらぬらしたものを踏みつけた。時が時だけに彼はひやりとして、あわてて電灯の光りに透かしてみると、それはみみずの太いようなものであった。上原の死体はさきに警察に運び去られていたが、その敷き蒲団の下にこんな薄気味のわるい虫がひそんでいたことを誰も発見しなかったのであろう。深田君は身をかがめてよく見ると、虫はもう死んでいた。それは一尺ほどの蛔虫であった。

 深田君も子供の時にたびたび蛔虫に悩まされた経験があるので、ひと目見てそれが蛔虫であることをすぐに覚った。ここに一匹の蛔虫が横たわっている以上、それが人間の口から吐き出されたに相違ないと思った。上原の病身らしい顔付きから想像して、彼が蛔虫の持ち主であることも考えられた。

「いいものを見付けた。なにかの証拠になるかも知れない。」

 かれはその蛔虫をハンカチーフに包んで、すぐに警察へ持って行った。

「話はこれっきりだ。」と、深田君は言った。「この蛔虫一匹で万事が解決してしまったんだよ。好子は結局無関係とわかって放還された。」

「じゃあ、上原という男はどうして死んだのだ。蛔虫に殺されたのか。」と、わたしは訊いた。

「まさにそうだ。僕も毎々経験したことがあるが、蛔虫という奴は肛門から出るばかりじゃない、喉の方からも出ることがある。僕も叔母の家へ遊びに行っている時に、口から大きい奴を吐き出して、みんなを驚かしたことがあった。上原もその蛔虫に苦しめられていて、その晩も口から一匹吐き出した。つづいてもう一匹出ようとする奴を、女の手前無理にのみ込もうとしたらしい。一旦出かかった虫は度を失って、もとの食道へは帰らずに気管の方へ飛び込んで、それから肺へ(もぐ)り込んで、かれを窒息させてしまったのだ。こんな例はまあ珍らしい。最初に一匹吐き出したのを、女が早く見つけていたら、飛んだ冤罪を受けずとも済んだかも知れなかったが、男がそっと隠してしまったのでちっとも気が付かなかったらしい。僕が提出した蛔虫が証拠となって、結局その死体を解剖すると、気管の奥からも大きい蛔虫が発見されて、ここに一切の疑問が解決されることになったのだ。上原の喉の傷は、その前に好子に引っ掻かれたのか、あるいは本人が蛔虫を吐き出す苦しまぎれに自分で掻きむしったのか、どっちにしても死因がすでに判明した以上は深く穿索すべき問題でもあるまい。上原という男は可愛い女を置き去りにして、蛔虫と一緒に死のうとは、その一刹那まで夢にも思っていなかったろう。一寸さきは闇の世の中……むかしの人は巧いことを言ったよ。」

 深田君は今更らしい嘆息をした。

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