偸盗

7話 偸盗(7)

5,281字 約11分 1998年10月4日 公開

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 ぴしゃりと、蚊をたたく音が、それに次いで聞こえる。中には「ほう、やれ」と拍子をとったものもあった。二三人が、肩をゆすったけはいで、息のつまったような笑い声を立てる。――猪熊(いのくま)(おじ)は、総身(そうみ)をわなわなふるわせながら、まだ生きているという事実を確かめたいために、重い《まぶた》を開いて、じっとともし火の光を見た。(ともし)は、その炎のまわりに無数の輪をかけながら、執拗(しゅうね)い夜に攻められて、心細い光を放っている。と、小さな黄金虫(こがねむし)が一匹ぶうんと音を立てて、飛んで来て、その光の輪にはいったかと思うとたちまち羽根を焼かれて、下へ落ちた。青臭いにおいが、ひとしきり鼻を打つ。

 あの虫のように、自分もほどなく死ななければならない。死ねば、どうせ(うじ)(はえ)とに、血も肉も食いつくされるからだである。ああこの自分が死ぬ。それを、仲間のものは、歌をうたったり笑ったりしながら、何事もないように騒いでいる。そう思うと、猪熊(いのくま)(おじ)は、名状しがたい怒りと苦痛とに、骨髄をかまれるような心もちがした。そうして、それとともに、なんだか轆轤(ろくろ)のようにとめどなく回っている物が、火花を飛ばしながら目の前へおりて来るような心もちがした。

「畜生。人でなし。太郎。やい。極道(ごくどう)。」

 まわらない舌の先から、おのずからこういうことばが、とぎれとぎれに落ちて来る。――真木島(まきのしま)の十郎は、(もも)の傷が痛まないように、そっとねがえりをうちながら、(のど)のかわいたような声で、沙金(しゃきん)にささやいた。

「太郎さんは、よくよく憎まれたものさな。」

 沙金(しゃきん)は、(まゆ)をひそめながら、ちょいと猪熊(いのくま)(おじ)のほうを見て、うなずいた。すると鼻歌をうたったのと同じ声で、

「太郎さんはどうした。」とたずねたものがある。

「まず助かるまいな。」

「死んだのを見たと言うたのは、たれじゃ。」

「わしは、五六人を相手に切り合うているのを見た。」

「やれやれ、頓生菩提(とんしょうぼだい)、頓生菩提。」

「次郎さんも、見えないぞ。」

「これも事によると、同じくじゃ。」

 太郎も死んだ。おばばも、もう生きてはいない。自分も、すぐに死ぬであろう。死ぬ。死ぬとは、なんだ。なんにしても、自分は死にたくない。が、死ぬ。虫のように、なんの造作(ぞうさ)もなく死んでしまう。――こんな取りとめのない考えが、(やみ)の中に鳴いている藪蚊(やぶか)のように、四方八方から、意地悪く心を刺して来る。猪熊の爺は、形のない、気味の悪い「死」が、しんぼうづよく、丹塗(にぬ)りの柱の向こうに、じっと自分の息をうかがっているのを感じた。残酷に、しかもまた落ち着いて、自分の苦痛をながめているのを感じた。そうして、それが少しずつ居ざりながら、消えてゆく月の光のように、次第にまくらもとへすりよって来るのを感じた。なんにしても、自分は死にたくない。――

夜はたれとか(いね)

常陸(ひたち)(すけ)(いね)

(いね)たる(はだ)もよし

男山の峰のもみじ葉

さぞ名はたつや

 また、鼻歌の声が、油しめ()の音のような呻吟(しんぎん)の声と一つになった。とたれか、猪熊(いのくま)(おじ)(まくら)もとで、つばをはきながら、こう言ったものがある。

阿濃(あこぎ)のあほうが見えぬの。」

「なるほど、そうじゃ。」

「おおかた、この上に寝ておろう。」

「や、上で(ねこ)が鳴くぞ。」

 みな、一時にひっそりとなった。その中を、絶え絶えにつづく猪熊(いのくま)(おじ)のうなり声と一つになって、かすかに猫の声が聞こえて来る。と流れ風が、始めてなま暖かく、柱の間を吹いて、うす甘い凌霄花(のうぜんかずら)のにおいが、どこからかそっと一同の鼻を襲った。

「猫も化けるそうな。」

阿濃(あこぎ)の相手には、猫の化けた、老いぼれが相当じゃよ。」

 すると、沙金(しゃきん)が、(きぬ)ずれの音をさせて、たしなめるように、こう言った。

「猫じゃないよ。ちょっとたれか行って、見て来ておくれ。」

 声に応じて、交野(かたの)の平六が、太刀(たち)(さや)を、柱にぶっつけながら、立ち上がった。楼上に通う梯子(はしご)は、二十いくつの段をきざんで、その柱の向こうにかかっている。――一同は、理由のない不安に襲われて、しばらくはたれも口をとざしてしまった。その間をただ、凌霄花のにおいのする風が、またしてもかすかに、通りぬけると、たちまち楼上で平六の、何か、わめく声がした。そうして、ほどなく急いで梯子をおりて来る足音が、あわただしく、重苦しい(やみ)をかき乱した。――ただ事ではない。

「どうじゃ。阿濃(あこぎ)めが、子を産みおったわ。」

 平六は、梯子(はしご)をおりると、古被衣(ふるかずき)にくるんだ、丸々としたものを、勢いよくともし火の下へ出して見せた。女の(にお)いのする、うすよごれた布の中には、生まれたばかりの赤ん坊が、人間というよりは、むしろ皮をむいた(かえる)のように、大きな頭を重そうに動かしながら、醜い顔をしかめて、泣き立てている。うすい産毛(うぶげ)といい、細い手の指と言い、何一つ、嫌悪(けんお)と好奇心とを、同時にそそらないものはない。――平六は、左右を見まわしながら、抱いている赤子を、ふり動かして、得意らしく、しゃべり立てた。

「上へ上がって見ると、阿濃め、窓の下へつっ伏したなり、死んだようになって、うなっていると、阿呆(あほう)とはいえ、女の部じゃ。(しゃく)かと思うて、そばへ行くと、いや驚くまい事か。さかなの(はらわた)をぶちまけたようなものが、うす暗い中で、泣いているわ。手をやると、それがぴくりと動いた。毛のないところを見れば、(ねこ)でもあるまい。じゃてひっつかんで、月明かりにかざして見ると、このとおり生まれたばかりの赤子じゃ。見い。蚊に食われたと見えて、胸も腹も赤まだらになっているわ。阿濃も、これからはおふくろじゃよ。」

 松明(たいまつ)の火を前に立った、平六のまわりを囲んで、十五六人の盗人は、立つものは立ち、伏すものは伏して、いずれも皆、首をのばしながら、別人のように、やさしい微笑を含んで、この命が宿ったばかりの、赤い、醜い肉塊を見守った。赤ん坊は、しばらくも、じっとしていない。手を動かす。足を動かす。しまいには、頭を後ろへそらせて、ひとしきりまた、けたたましく泣き立てた。と、齒のない口の中が見える。

「やあ舌がある。」

 前に鼻歌をうたった男が、頓狂(とんきょう)な声で、こう言った。それにつれて、一同が、傷も忘れたように、どっと笑う。――その笑い声のあとを追いかけるように、この時、突然、猪熊(いのくま)(おじ)が、どこにそれだけの力が残っていたかと思うような声で、険しく一同の後ろから、声をかけた。

「その子を見せてくれ。よ。その子を。見せないか。やい、極道(ごくどう)。」

 平六は、足で彼の頭をこづいた。そうして、おどかすような調子で、こう言った。

「見たければ、見るさ。極道とは、おぬしの事じゃ。」

 猪熊の爺は、濁った目を大きく見開いて、平六が身をかがめながら、無造作につきつけた赤ん坊を、食いつきそうな様子をして、じっと見た。見ているうちに、顔の色が、次第に(ろう)のごとく青ざめて、しわだらけの(まなじり)に、涙が玉になりながら、たまって来る。と思うと、ふるえるくちびるのほとりには、不思議な微笑の波が漂って、今までにない無邪気な表情が、いつか顔じゅうの筋肉を柔らげた。しかも、饒舌(じょうぜつ)な彼が、そうなったまま、口をきかない。一同は、「死」がついに、この老人を捕えたのを知った。しかし彼の微笑の意味はたれも知っているものがない。

 猪熊(いのくま)(おじ)は、寝たまま、おもむろに手をのべて、そっと赤ん坊の指に触れた。と、赤ん坊は、針にでも刺されたように、たちまちいたいたしい泣き声を上げる。平六は、彼をしかろうとして、そうしてまた、やめた。老人の顔が――血のけを失った、この酒肥(さかぶと)りの老人の顔が、その時ばかりは、平生とちがった、犯しがたいいかめしさに、かがやいているような気がしたからである。その前には、沙金(しゃきん)でさえ、あたかも何物かを待ち受けるように、息を凝らしながら、養父の顔を、――そうしてまた情人(おとこ)の顔を、目もはなさず見つめている。が、彼はまだ、口を開かない。ただ、彼の顔には、秘密な喜びが、おりから吹きだした明け近い風のように、静かに、ここちよく、あふれて来る。彼は、この時、暗い夜の向こうに、――人間の目のとどかない、遠くの空に、さびしく、冷ややかに明けてゆく、不滅な、黎明(れいめい)を見たのである。

「この子は――この子は、わしの子じゃ。」

 彼は、はっきりこう言って、それから、もう一度赤ん坊の指にふれると、その手が力なく、落ちそうになる。――それを、沙金(しゃきん)が、かたわらからそっとささえた。十余人の盗人たちは、このことばを聞かないように、いずれも()をのんで、身動きもしない。と、沙金が顔を上げて、赤子を抱いたまま、立っている交野(かたの)の平六の顔を見て、うなずいた。

(たん)がつまる音じゃ。」

 平六は、たれに言うともなく、つぶやいた。――猪熊(いのくま)(おじ)は、(やみ)におびえて泣く赤子の声の中に、かすかな苦悶(くもん)をつづけながら、消えかかる松明(たいまつ)の火のように、静かに息をひきとったのである。……

(おじ)も、とうとう死んだの。」

「さればさ。阿濃(あこぎ)を手ごめにした(ぬし)も、これで知れたと言うものじゃ。」

死骸(しがい)は、あの藪中(やぶなか)へ埋めずばなるまい。」

(からす)餌食(えじき)にするのも、気の毒じゃな。」

 盗人たちは、口々にこんな事を、うす寒そうに、話し合った。と、遠くで、かすかに、鶏の声がする。いつか夜の明けるのも、近づいたらしい。

「阿濃は?」と沙金が言った。

「わしが、あり合わせの(きぬ)をかけて、寝かせて来た。あのからだじゃて、大事はあるまい。」

 平六の答えも、日ごろに似ずものやさしい。

 そのうちに、盗人が二人三人、猪熊(いのくま)(おじ)死骸(しがい)を、門の外へ運び出した。外も、まだ暗い。有明(ありあけ)の月のうすい光に、蕭条(しょうじょう)とした(やぶ)が、かすかにこずえをそよめかせて、凌霄花(のうぜんかずら)のにおいが、いよいよ濃く、甘く漂っている。時々かすかな音のするのは、竹の葉をすべる露であろう。

生死事大(しょうじじだい)。」

「無常迅速。」

「生き顔より、死に顔のほうがよいようじゃな。」

「どうやら、前よりも真人間らしい顔になった。」

 猪熊の爺の死骸は、斑々(はんぱん)たる血痕(けっこん)に染まりながら、こういうことばのうちに、竹と凌霄花との茂みを、次第に奥深く()かれて行った。

       九

 翌日、猪熊のある家で、むごたらしく殺された女の死骸が発見された。年の若い、(ふと)った、うつくしい女で、傷の様子では、よほどはげしく抵抗したものらしい。証拠ともなるべきものは、その死骸(しがい)が口にくわえていた、朽ち葉色の水干の(そで)ばかりである。

 また、不思議な事には、その家の婢女(みずし)をしていた阿濃(あこぎ)という女は、同じ所にいながら、薄手一つ負わなかった。この女が、検非違使庁(けびいしちょう)で、調べられたところによると、だいたいこんな事があったらしい。だいたいと言うのは、阿濃が天性白痴に近いところから、それ以上要領を()る事が、むずかしかったからである。――

 その夜、阿濃は、夜ふけて、ふと目をさますと、太郎次郎という兄弟のものと、沙金(しゃきん)とが、何か声高(こわだか)に争っている。どうしたのかと思っているうちに、次郎が、いきなり太刀(たち)をぬいて、沙金を切った。沙金は助けを呼びながら、逃げようとすると、今度は太郎が、(やいば)を加えたらしい。それからしばらくは、ただ、二人のののしる声と、沙金の苦しむ声とがつづいたが、やがて女の息がとまると、兄弟は、急にいだきあって、長い間黙って、泣いていた。阿濃は、これを()()のすきまから、のぞいていたが、主人を救わなかったのは、全く抱いて寝ている子供に、けがをさすまいと思ったからである。――

「その上、その次郎さんと申しますのが、この子の親なのでございます。」

 阿濃(あこぎ)は、急に顔を赤らめて、こう言った。

「それから、太郎さんと次郎さんとは、わたしの所へ来て、たっしゃでいろよと申しました。この子を見せましたら、次郎さんは、笑いながら、頭をなでてくれましたが、それでもまだ目には涙がいっぱいたまっておりましたっけ。わたしはもっとそうしていたかったのでござりますが、二人とも、たいへんに急いで、すぐに外へ出ますと、おおかた枇杷(びわ)の木にでもつないでおいたのでございましょう、馬へとびのって、どこかへ行ってしまいました。馬は二匹ではございません。わたしが、この子を抱いて、窓から見ておりますと、一匹に二人で乗って行くのが、月がございましたから、よく見えました。そのあとで、わたしは、主人の死骸(しがい)はそのままにして、そっとまた床へはいりました。主人がよく人を殺すのを見ましたから、その死骸もわたしには、こわくもなんともなかったのでございます。」

 検非違使(けびいし)には、やっとこれだけの事がわかった。そうして、阿濃は、罪の無いのが明らかになったので、さっそく自由の身にされた。

 それから、十年余りのち、尼になって、子供を養育していた阿濃は、丹後守何某(たんごのかみなにがし)の随身に、驍勇(きょうゆう)の名の高い男の通るのを見て、あれが太郎だと人に教えた事がある。なるほどその男も、うす痘瘡(いも)で、しかも片目つぶれていた。

「次郎さんなら、わたしすぐにも駆けて行って、会うのだけれど、あの人はこわいから……」

 阿濃(あこぎ)は、娘のようなしなをして、こう言った。が、それがほんとうに太郎かどうか、それはたれにも、わからない。ただ、その男にも弟があって、やはり同じ主人に仕えるという事だけ、そののちかすかに風聞された。

(大正六年四月二十日)

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