8話 柳島
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僕等は川蒸汽を下りて吾妻橋の袂へ出、そこへ来合せた円タクに乗つて柳島へ向ふことにした。この吾妻橋から柳島へ至る電車道は前後に二三度しか通つた覚えはない。まして電車の通らない前には一度も通つたことはなかつたであらう。一度も?――若し一度でも通つたとすれば、それは僕の小学時代に業平橋かどこかにあつた或可也大きい寺へ葬式に行つた時だけである。僕はその葬式の帰りに確か父に「御維新」前の本所の話をして貰つた。父は往来の左右を見ながら、「昔はここいらは原ばかりだつた」とか「何とか様の裏の田には鶴が下りたものだ」とか話してゐた。しかしそれ等の話の中でも最も僕を動かしたものは「御維新」前には行き倒れとか首縊りとかの死骸を早桶に入れ、その又早桶を葭簀に包んだ上、白張りの提灯を一本立てて原の中に据ゑて置くと云ふ話だつた。僕は草原の中に立つた白張の提灯を想像し、何か気味の悪い美しさを感じた。しかも彼是真夜中になると、その早桶のおのづからごろりと転げるといふに至つては、――明治時代の本所はたとひ草原には乏しかつたにもせよ、恐らくまだこのあたりは多少所謂「御朱引き外」の面かげをとどめてゐたのであらう。しかし今はどこを見ても、唯電柱やバラツクの押し合ひへし合ひしてゐるだけである。僕は泥のはねかかつたタクシイの窓越しに往来を見ながら、金銭を武器にする修羅界の空気を憂鬱に感じるばかりだつた。
僕等は「橋本」の前で円タクをおり、水のどす黒い掘割り伝ひに亀井戸の天神様へ行つて見ることにした。名高い柳島の「橋本」も今は食堂に変つてゐる。尤もこの家は焼けずにすんだらしい。現に古風な家の一部や荒れ果てた庭なども残つてゐる。けれども磨り硝子へ緑いろに「食堂」と書いた軒燈は少くとも僕にははかなかつた。僕は勿論「橋本」の料理を云々するほどの通人ではない。のみならず「橋本」へ来たことさへあるかないかわからない位である。が、五代目菊五郎の最初の脳溢血を起したのは確かこの「橋本」の二階だつたであらう。
掘割りを隔てた妙見様も今ではもうすつかり裸になつてゐる。それから掘割りに沿うた往来も、――僕は中学時代に蕪村句集を読み、「君行くや柳緑に路長し」といふ句に出合つた時、この往来にあつた柳を思ひ出さずにはゐられなかつた。しかし今僕等の歩いてゐるのは有田ドラツグや愛聖館の並んだ、せせこましいなりに賑かな往来である。近頃私娼の多いとか云ふのも恐らくはこの往来の裏あたりであらう。僕は浅草千束町にまだ私娼の多かつた頃の夜の景色を覚えてゐる。それは窓ごとに火かげのさした十二階の聳えてゐる為に殆ど荘厳な気のするものだつた。が、この往来はどちらへ抜けても、ボオドレエル的色彩などは全然見つからないのに違ひない。たとひデカダンスの詩人だつたとしても、僕は決してかう云ふ町裏を徘徊する気にはならなかつたであらう。けれども明治時代の諷刺詩人、斎藤緑雨は十二階に悪趣味そのものを見出してゐた。すると明日の詩人たちは有田ドラツグや愛聖館にも彼等自身の「悪の花」を――或は又「善の花」を歌ひ上げることになるかも知れない。