11話 十一
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女優志願の件も、本人の柄が向くまいと云ふことで、話の縁は切れたのだが、義雄はこれをお鳥にはツきりと告げなかつた。告げると直ぐ、また裁縫學校へ入れて呉れがうるさいにきまつてゐた。
學校に入れるどころではない、お鳥その物とも、どうせ手を切つてしまふのだと、義雄は思つた――その時期は、樺太へ出發する時で、その後は、こちらに治療の責任ある例の病氣その他に就いて何と云つてよこしても、もう、返事をしなければいい。ただ可哀さうだから、返してやりたいのは、あの質物で――‐事業の先發隊の用意の金をすべて持つて行かせたあとで、直ぐ、なほ追加の空鑵材料を送つた時、金に困つてゐたのを見て、案外にも、お鳥は自分の所有物を提供して多少の手助けをして呉れた。その所有物の中には、母のかたみだと云ふ桐に鳳凰か何かの縫ひをした玉子色の繻子の帶や、水淺黄の奉書紬の裾に浪千鳥の縫ひある衣物などもある。この衣物、この帶を締めて今年の一月元旦に、かの女は自分と共に並んで寫眞を取つたが、如何にも野暮臭い花嫁が現はれた。
「兎に角、あの品だけは、どうしても、出してやるよ」と、義雄は時々念を押した。
「あたいをさへ可愛がりやア、あんな物はやる、さ」と、お鳥は、不斷その品ばかりを心配してゐるにも拘らず、平氣で云つたことがある。
「まだ、ね」と、輕く受けて、「おれの一身を田舍婆々アのかたみ位でふん縛ることは勿體ないよ。」
「では、直ぐに質屋から出して來い」と、かの女は怒つた。
あれを出してやらうか、それとも暗に手切れ金のつもりで新らしい衣物を一つ買つてやらうか、どツちを選ばうかと考へる日が義雄に來た。
「おい、何か衣物を欲しいことはないか、ね?」
「買うて呉れる」と、かの女は急に喜んでやはらかに首をかしげたが、「では、セルが欲しい。」
その日、義雄は不時に這入つた原稿料をふところにして、かの女と共に白木屋へ行つた。二階は棚浚ひの爲めに賑はつてゐて、かの女は一方の端から他方の端まで熱心に見て歩いても、買ひたい物が澤山あつて、豫定額の中をどれで滿たせばいいのか分らなくなつた。
「どれにしよ」と、のぼせ加減にかの女はあとについて來た義雄を返り見たが、渠はかうして別れることばかり考へてゐたので、ただ腫れ物をそツとして置くやうな氣で返事をした。
「どれでも好きなものを買へばいいだらう。」
「‥‥」かの女は、渠をふり棄てるやうにして、反對の側に足を運ばせたので、渠は椅子に腰かけて、圓テブルの上のマチを取りあげた。
そして去年の暮の大晦日に、粗末なのだが、蒲團を一組買ひに出た時のことを思ひ出してゐた。案外安く買へたので愉快であつたので、その餘勢で麻布箪笥町の通りを赤坂の新町まで古道具屋や夜店などをひやかして歩き、古物の火鉢を約束したり、火ばしや餅あみを買つたり、――そしてそれがまかつたり、添へ物をさせたりするのが面白さに、入らない物まで値切つて見た。
「そんなに使たら、あとで困るぢやないか」と、お鳥の方から注意をした。が、それでもなほ、自分には、いろんなござ/\した物を買ひながら、店から店を渡る興味が盡きなかつた。
そして自分とお鳥とは、共に兩方の手に持ち切れないほど、日常の必要物や化粧品や食物の皮包を持つてゐた。
「けふの氣分は、然し、丸で違ふ」と、義雄はわざとゆツくり煙を吹きながら、お鳥を初め多くの婦人連がちよこ/\と屈んでは歩み、歩んでは屈み、順ぐりに同じ切れをいぢつては行く樣子を傍觀してゐた。
「ちよツと來てな」と、お鳥はあわただしく顏をしかめて呼びに來た、そして義雄が立ちあがると、あたりに人がゐるのも構はず、渠の袂をぐツと引ツ張つて、「ちツとも一緒に見て呉れへん――人に買はれてしもたらどうする!」
かの女は急いで白羽二重の夏帶地ばかりかかつてゐるところへ行き、その一つの端を攫んだと思ふと、一人の女の後ろを越えて、また向うにある一つの端を取つた。そして引き締つた笑がほで、
「どツちがええだろ?」
中に圍まれた女は、直ぐその下からくぐり出て、お鳥にちよツといやな目付きを投げた。
義雄は、かの女をしてぐづ/\と人の邪魔をさせて置くにも及ぶまいと思つたので、わけも無く自分の方のをあごを以つて示し、
「これがいいだらう」と、尤もらしく答へた。で、かの女は他方のを放したが、かの女の手に殘つたのは、竹に雀の墨繪が書いてあつた。
「では、これと下で見たセルとにしよか?」
「ぢやア、さうしなよ。」
渠はこの二つの品に半襟を一つ加へてやり、これが代金を拂つてから、食堂で木原店の汁粉を取り寄せた。