11話 三十四
読み方を変える
「おほほほ、大層勉強するわねえ、まあ、お待ちよ。あれさ、そんなに苦しい思いをして引くりかえらなくっても可いんだよ、可いんだよ。」
と圧えつけるようにいうと、ぴょいと立直って頭の堆く大きく突出た、紅の花の廂の下に、くるッとした目を《みは》って立った。
ブルブルッと、跡を引いて太鼓が止む。
美女は膝をずらしながら、帯に手をかけて、揺り上げたが、
「お待ちよ、今お銭を上るからね、」
手帳の紙へはしり書して、一枚手許へ引切った、そのまま獅子をさし招いて、
「おいでおいで、ああ、お前ね、これを持って、その角の二階家へ行って取っておいで。」
留守へ言いつけた為替と見える。
後馳せに散策子は袂へ手を突込んで、
「細いのならありますよ。」
「否、可うござんすよ、さあ、兄や、行って来な。」
撥を片手で引つかむと、恐る恐る差出した手を素疾く引込め、とさかをはらりと振って行く。
「さあ、お前こっちへおいで、」
小さな方を膝許へ。
きょとんとして、ものも言わず、棒を呑んだ人形のような顔を、凝と見て、
「幾歳なの、」
「八歳でごぜえス。」
「母さんはないの、」
「角兵衛に、そんなものがあるもんか。」
「お前は知らないでもね、母様の方は知ってるかも知れないよ、」
と衝と手を袴越に白くかける、とぐいと引寄せて、横抱きに抱くと、獅子頭はばくりと仰向けに地を払って、草鞋は高く反った。鶏の羽の飾には、椰子の葉を吹く風が渡る。
「貴下、」
と落着いて見返って、
「私の児かも知れないんですよ。」
トタンに、つるりと腕を辷って、獅子は、倒にトンと返って、ぶるぶると身体をふったが、けろりとして突立った。
「えへへへへへ、」
此処へ勢よく兄獅子が引返して、
「頂いたい、頂いたい。」
二つばかり天窓を掉ったが、小さい方の背中を突いて、テンとまた撥を当てる。
「可いよ、そんなことをしなくっても、」
と裳をずりおろすようにして止めた顔と、まだ掴んだままの大な銀貨とを互に見較べ、二個ともとぼんとする。時に朱盆の口を開いて、眼を輝すものは何。
「そのかわり、ことづけたいものがあるんだよ、待っておくれ。」
とその○□△を楽書の余白へ、鉛筆を真直に取ってすらすらと春の水の靡くさまに走らした仮名は、かくれもなく、散策子に読得られた。
君とまたみるめおひせば四方の海の
水の底をもかつき見てまし
散策子は思わず海の方を屹と見た。波は平かである。青麦につづく紺青の、水平線上雪一山。
富士の影が渚を打って、ひたひたと薄く被さる、藍色の西洋館の棟高く、二、三羽鳩が羽をのして、ゆるく手巾を掉り動かす状であった。
小さく畳んで、幼い方の手にその(ことづけ)を渡すと、ふッくりした頤で、合点々々をすると見えたが、いきなり二階家の方へ行こうとした。
使を頼まれたと思ったらしい。
「おい、そっちへ行くんじゃない。」
と立入ったが声を懸けた。
美女は莞爾して、
「唯持って行ってくれれば可いの、何処へッて当はないの。落したら其処でよし、失くしたらそれッきりで可んだから……唯心持だけなんだから……」
「じゃ、唯持って行きゃ可いのかね、奥さん、」
と聞いて頷くのを見て、年紀上だけに心得顔で、危っかしそうに仰向いて吃驚した風でいる幼い方の、獅子頭を背後へ引いて、
「こん中へ入れとくだア、奴、大事にして持ッとんねえよ。」
獅子が並んでお辞儀をすると、すたすたと駈け出した。後白浪に海の方、紅の母衣翩翻として、青麦の根に霞み行く。