小坂部姫

15話 眇目の男 三

4,067字 約8分 2012年1月28日 公開

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 狼藉者のかしらぶんは、小坂部の想像した通り、かの荏原権右衛門であった。彼は自分の股肱(ここう)としている横井弥兵衛を三人のあとに()けさせて、かれらが塩冶の屋敷へ入り込むのを見届けて、すぐにそれを主人に密告すると、師直の憤怒は一度に破裂した。親を裏切る不孝の娘は容赦なしに引っくくれ、主人にそむく不忠の家来は討ち果たせ、それも館へ帰るを待つまでもなく、途中に待ち受けて成敗せよ、塩冶へはすぐに討っ手を向けよと、大床を踏み破るるばかりに跳り上がって下知を伝えた。横着者の権右衛門は比較的安全な役目を引き受けて、小坂部や采女を途中に待ち伏せしていることになった。それも一旦は仕損じて、姫と采女を師冬の館へ追い込んでしまったが、表向きに掛け合って二人をうけ取るのは面倒だと思ったので、彼は途中に隠れひそんで根気よくかれらの帰って来るのを待っていると、案の通りにかれらは帰って来た。しかも師冬の家来が付いている。無事にかれらを館まで送り届けさせてしまっては、自分の手柄にならないばかりか、さらに主人のお叱りを受けるかも知れない。この上は同士討ちでもなんでも構わない。この暗まぎれに師冬の家来どもを追い払って、主人の命令を実行するのが早手廻しであると、あくまでも自分の都合ばかり考えている権右衛門は、味方と知りつつ無法に襲いかかったのであった。

 そんな事情を知らない師冬の家来どもは、この無法な敵を引き受けて闘った。こちらが比較的小人数であるだけに、かえって必死の太刀先きが鋭いので、権右衛門はあやうく斬りまくられそうになって、目当ての姫や采女をそっちのけに、この寒い夜に汗を流しながら挑み合っていた。

 この同士討ちは、小坂部に取っても思いもよらない幸いであった。かれは采女もささやき合って、闇にまぎれてこの場をぬけて行こうとした。采女の合図で、侍従もそっとそのあとに付いて行った。

「もう館へは帰られぬ。いずこへなりとも……。」と、小坂部は采女にささやいた。

 どこをあてとも無しに、三人は京の町を西に取って、七、八町ほども息もつかずに走りつづけた。ここまで来ればもう追い着かれる気づかいもあるまいと、三人は辻に立ってその行きさきを評議した。侍従はともかくも難波津(なにわず)へ逃げ下ろうと言った。采女は伯耆(ほうき)大山(だいせん)の霊験者のもとへひとまず落ち着こうと言った。その意見がなかなか一致しないので、小坂部も当座の判断に迷っていると、暗い中から声をかける者があった。

「わたくしと一緒においでなされませ。」

「あ。」と、小坂部は思わず叫んだ。それは、かの眇目の男の声に相違なかった。

「さっきも申した通りじゃ。唯わたくしと一緒においでなされませ。遠い異国ではござらぬ。ついそこの中国筋じゃ。お身のゆく所はそこよりほかはござらぬ。さあ、お越しなされませ。」

 小坂部はまだ返答に躊躇していたが、采女はもう彼を突き倒してゆくほどの勇気はなかった。眇目の男は不決断の人々を急き立てるように口早にまた言った。

「さあ早う。猶予している場合ではござらぬ。お身たちは狩場の鳥獣(とりけもの)じゃ。狩人に見付けられたら何とせらるる。さ、早う。」

 こう言うところへ、大勢の足音が近付いた。追っ手かと三人は屹と見かえると、それは十四五人であるらしく、この木枯しに松明を奪われたのか、但しはわざと灯を持たせないのか、暗い中をただひとかたまりになって、葬列のようにひそひそと歩んで来た。それをやりすごしながら、眇目の男はささやいた。

「あれは塩冶の奥方じゃ。丹波越しに本国の出雲へ落つるのじゃ。」

 星明かりに透かして視ると、なにさまその一と群れは女の輿を取り囲んでいるらしかった。よい道連れか、悪い道連れか、呼びかけて一緒に行こうか、行くまいかと、小坂部はしばらく思案していると、その心を覚ったように眇目の男はまたささやいた。

「あの人々と一緒に落ちたら、追っ手のかかるは知れたことじゃ。路を変えてお落ちなされ。」

 彼の言うことも道理であった。世を忍ぶ落人(おちうど)が大勢つながってゆくのは利益でない。もう一つには、この眇目の男が今夜の行動を考えると、彼はほとんど何もかも見透して、普通の人間とは思われないのである。小坂部はいっそ自分たちの運命を彼の手にゆだねて、行くところまで行って見ようと決心した。

 男は無言で先きに立って行った。小坂部はつづいて歩み出した。采女も侍従ももう争う気力もないらしく、唯おめおめとそのあとに引かれて行った。ひと口に中国筋といっても、果たしてどこへ連れて行かれるのか、三人は勿論知らなかった。かれらはもう夢のような心持で鼻綱を結われた牛のように、かの眇目の男の導くままに、引き摺られて行った。京を離れた頃には、夜ももう更けていた。

「まだまだ油断はならぬ。疲れても歩みつづけられい。」と、男は三人に注意した。「あすの朝までが命の瀬戸じゃ。」

 かれらは木枯しに吹きさらされながら、方角も判らぬ暗い寒い夜の路を歩みつづけた。その途中で五、六騎の武者が(ひづめ)の音を忙しくして駈け通るのを見た。塩冶の追っ手か、自分たちの追っ手かと、三人は胸をおどらせたが、騎馬武者はかれらに気がつかないように通りぬけてしまった。長い夜もやがて明けるかと思う頃に、ふたたび七、八騎の駈けぬけてゆくのを見た。自分たちの身の上に引きくらべて、塩冶の奥方の運命を小坂部はおぼつかなく思いやった。木枯しがだんだん吹きやむと共に東の空もうす明かるくなって来たので、三人は自分たちのあゆんでいる路筋がおぼろげに判って来た。かれらは(ひだ)の多い丘の裾を縫って、かなりに大きい山川のふちを辿っているのであった。ゆうべの木枯しのなごりで、幾曲がりする川の流れは()かれるほどの黒い落葉に埋もれていた。どこやらで鷄の声も遠くきこえた。

「さだめて空腹(ひもじ)いことでござろう。わたくしが(かて)を求めてまいります。そのあいだ、しばらくここに休息なされ。」

 男は三人を案内して、丘を少しく登ってゆくと、大きい紅葉が五、六本茂っている間に、赤土をくりぬいた低い横穴が見いだされた。土が崩れ落ちた洞穴(ほらあな)ではない、おそらく遠い昔の人がわざわざ作り設けた棲家であろう。入口は一間ぐらいの広さで、奥行きは三間ほどの深さをもっていた。穴の中には勿論なんの調度らしいものも見いだされなかったが、入口の方には自然に吹き寄せられた落葉がうずたかく積もって、つめたい湿(しめ)っぽい土の上に天然の筵を敷いているようにも見えた。疲れ切っている三人は土蛛(つちぐも)のようにその穴に這い込んで、落葉の上にべったりと坐った。

 男はすぐに戻るといって、川づたいに何処へか出て行った。ゆうべから夜通し歩きつづけて、飢えと疲れと寒さとに弱り果てた三人は、顔を見あわせたままで暫く黙っていた。

「あの男は何者であろう。」

 采女はつぶやいた。敵か味方か気違いか、あるいは一種の聖者か邪教徒か、なんだか正体の知れない異国の眇目の男に、自分たち三人はその運命を托しているのである。ゆうべから今朝までの出来事をそれからそれへと考えると、小坂部はまだ夢を見ているようにも思われてならなかった。

「何者か、わたしにも判らぬ。」

「判りませぬ。」と、采女は鸚鵡返しに答えた。「しかし唯者ではござりませぬ。時の破目(はめ)で、こうして誘われては来たものの、彼奴(あやつ)いよいよ不審と見ましたら斬って捨つるまでのことでござりまする。」

 彼は太刀の柄を片手に握りしめながら言った。その不審は小坂部の胸にもいっぱいに満ちていた。しかしかれのいだいている不審は、単に彼を敵視するという以外に、もっと大きな怖れを含んでいるのであった。夜はすっかり明け放れて、川むこうの崖に垂れかかっている蔦の美しく紅いのも鮮やかに見えるようになった。川の中には小さい岩がところどころにそそり立って、先刻までは黒くばかり見えた落葉が、あけぼのの光りに紅く黄いろく輝いて渦巻いていた。

「ほう、美しい。」と、小坂部は穴の入り口から身をかがめて、水のおもてを()おろした。

「よい景色でござりまする。」

 采女も侍従も同時に言った。それと同時に水が欲しいという欲望が誰の胸にも忽ち浮かんだ。

「水を汲んでまいりましょうか。」と、采女は小坂部に言った。

「汲んで来てたもるか。」

「すぐにまいりまする。」

 穴からくぐり出た釆女は、そこらの落葉を踏みしだいて、水を汲む(うつわ)らしいものを探しあるくと、そこには乾いた栗の(いが)が幾つもころげていた。その中から成るべく大きそうなのを三つほど拾って、采女は丘を降りようとすると侍従もあとから這い出して来た。

「わたしも一緒に行きまする。」

「お身はあぶない。それがしが汲んで来るのを待っておいやれ。」

「いえ、その岸で汲みまする。」

 渇き切っている侍従は、あえぎながら采女のあとを追って行った。狭い路を横ぎって嶮しい岸を降りて、采女が岩づたいに川のまん中の方へ渡ってゆく間に、侍従は彼から受け取った栗の毬の一つを持って、岸からうつむいて(すく)おうとしたが、かれの手は水のおもてまで届きそうもなかった。水の月を掬おうとする猿のように、かれはいたずらに手を伸ばしてあせっているうちに、采女は足場の好い岩の上に渡り着いて、玉のように清らかな水をすくっていた。

 それを見ると、侍従はもう堪まらなくなった。かれの渇いた喉はいよいよ焼けそうになって来たので、かれも(すそ)をかかげて岸を降りて、あやうい岩の上を覚束ない足どりで踏み越えてゆくと、岩と岩との間には()かれた落葉が一面に重なり合ってただよっていた。水の上とは知らないで、かれはその落葉に片足を踏みかけると、忽ちからだの中心をうしなって、水の中にずぶずぶと吸い込まれてしまった。あっという声を聞いて、采女があわてて見かえった時には、かれの姿はもう早瀬にまき込まれていた。

「侍従どの。」と、采女はおどろいて呼んだ。

 その声を聞き付けて、小坂部も穴から抜け出すと、いつの間に帰って来たのか、眇目の男は紅葉の木の下にたたずんで、この不意の出来事を冷やかに眺めていた。

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