19話 天主閣 一
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「あいつはやはり敵であった。」
弥兵衛らは顔を見あわせて溜め息をついた。かれらは権右衛門に率いられて、塩冶の一門と小坂部とを追って来たのであるが、塩冶の方は山名の追っ手に先を越されて、その功名を彼に奪われてしまった。しかし権右衛門の目的はむしろ小坂部を追い捕える方にあるので、彼はさのみそれを残念にも思わなかった。山名方がひと息ついて、敵の死に首、味方の手負い討ち死などをあらためているひまに、かれらは路を変えて何処までもと追いつづけて来ると、暗い森のほとりでかの眇目の男に出逢った。小坂部と采女とがそこの辻堂に休んでいることを彼から教えられて、権右衛門らはよろこび勇んで追って来ると、果たして目ざす相手の二人をそこに見付け出したのであった。
異国の眇目の男に対して、かれらも初めは油断しなかったのであるが、こうして自分たちのために忠義振りを見せてくれたので、かれらも思わず気を許した。それが油断のもとで、権右衛門も新九郎もかの甕から怪しい水を飲まされたのであった。二人が倒れると共に、彼はどこへか形を隠してしまった。眇目の男はやはり彼等の味方ではなかったのである。
それに気がついて、かれらが今更のようにうろたえ騒いでいるひまに、小坂部も急に気がついた。かれはこの隙きを見て、捕われの采女を救おうと思った。焚火はだんだん消えかかって、あたりがうす暗くなっている上に、家来の幾人は眇目の男のゆくえを探して、堂のうしろへ駈けて行った。残りの者は采女を打ち捨てて、半死半生の権右衛門と新九郎とを介抱している。その隙きを見すまして、小坂部は再び懐剣に手をかけたと思うと、兎のように飛び出して采女のそばへ寄って、彼を厳重にいましめてある捕り縄を手早く切りほどいた。
「この間に早く……。」
かれにささやかれて、采女はすぐに起ち上がると、権右衛門らの介抱に気を取られていた家来共もすぐに気がついて、あわてて彼を取り押さえようと駈け寄って来たが、さきに采女を縛める時に彼等は不用意にもその太刀を奪い取るのを忘れていたので、縛めから放たれた采女は早くも太刀をぬいた。小坂部も懐剣をかまえて男を庇うように立った。先刻とおなじ闘いが再びここで繰り返されることになったが、何分にも小坂部という邪魔者があるので、かれらは妄りに踏み込んで撃つことを躊躇しなければならなかった。この騒ぎを聞きつけて、堂のうしろからも他の家来どもが引っ返して来た。
こちらはもとより闘う意思はないので、采女は姫の手をひいて暗いなかを逃げ去ろうとすると、消えかかる焚火のうすい光りをたよりにして、かれらは強情に追って来た。まだ七、八間とは逃げ延びないうちに、二人は再び敵に追い囲まれて、どうでも太刀撃ちをしなければならない破目に陥ったので、年の若い采女は逆襲の態度でむらがる敵の中へ斬り込んで行った。それを救おうとして続いて駈けむかった小坂部は、樹の根につまずいて小膝をつくところへ、二、三人が飛びかかって押さえつけてしまった。
姫を押さえてしまえば、かれらの行動は自由である。かれらはもうなんの遠慮も斟酌もなしに、采女を押っ取りこめて撃ってかかった。
「采女を殺すなら、まずわたしを殺せ。」と、小坂部は両手を押さえられながら、喉の裂けるような声で叫んだ。
「采女を殺せば、わたしもすぐに自害する。おのれら、主殺しになりたいか。」と、小坂部はまた叫んだ。
しかし彼等はその嚇しに耳をかさないらしく、四方から采女を押しつつんで闘った。焦れて、狂って身をもがいて、小坂部は叫びつづけた。
「采女……采女……。」
一人で多勢を相手にしている彼に取っては、自分の名を呼ぶ恋人の声が強い力をあたえたに相違ない。采女は闇にひらめく太刀や長巻の光りを掻いくぐって、勇ましく闘った。小坂部はつづけて呼んだ。
「采女……采女。」
叫び疲れて、女の声がだんだんにうら枯れてゆくと共に、男の力もだんだんに弱って来たらしく、彼の太刀先きがしどろもどろになって来るらしいのが暗い中でも想像されるので、小坂部は気が気でなかった。もう半狂乱のかれは、自分の手を取りしばっている憎い家来どもの腕に噛み付いて、無理にその手をふり放そうとあせり狂ったが、家来どもは意地にかかって主人の娘を厳重に押し据えていた。
「采女……采女……。」と、小坂部は息も絶えだえになるほどに叫びつづけた。
この場合、かれは救いの神ほとけはいうもおろか、悪魔の手にでも縋り付いて男の危急を救いたかった。異国の眇目の男――それがかれの胸に突然うかんだので、小坂部はどこを的ともなしに闇の空を仰いで呼んだ。
「異国のお人……。早く来てくだされ。異国のお人……。助けてくだされ。異国のお人……。」
それに応えるように、どこからか闇を剪って一つの礫が飛んで来て、采女を囲んでいる敵の一人の真っ向を強く撲った。つづいて大きい石がばらばらと飛んで来て、先きに立っている二、三人は忽ちに眼鼻を撲たれた。天狗礫とでもいいそうな、この不意撃ちにかれらも慌てた。相手は暗い中に忍んでいるので、どこの誰と見定める便宜もないが、それがかの怪しい異国の男の仕業であるらしいことは誰にも想像された。小坂部にも無論にそう信じられたので、かれは嗄れた声をふり絞って叫びつづけた。
「異国のお人……異国のお人……。采女……采女。」
救い主の礫もつづいて飛んで来て、三人、五人、それからそれへと撃ちすくめられた。眼がくらんで倒れるのもあった。顔を押さえて立ちすくむのもあった。無事な者共も恐れをなして、思わず二、三間もあとへ退くと、礫はさらに小坂部の方へも飛んで来て、かれの手を押さえている一人は眉間を撲ち割られた。ほかの二人もおどろいて手をゆるめると、それを待ちかねていた小坂部は懐剣を掴んでいる手を振り払って、一人の胸のあたりを突いた。
礫はつづいて飛んで来た。両手で投げるのか、あるいは他に加勢があるのか、礫は一人の手から飛んで来るとは思われないほどに、絶え間なしにばらばらと落ちて来るので、家来共はもう防ぐすべがなかった。かれらは眼に見えない敵に撃ち悩まされて、おそろしい礫の下をくぐりながら、惣崩れになって逃げ出すと、魂のあるような礫は執念ぶかく彼等のあとを追って行って、逃げおくれた一人の脳天を烏帽子越しに撃ち砕いた。それを介抱するひまもなしに、ほかの者どもは這々のていで逃げ散った。
「火を焚け……。早く、早く……。」
もとの辻堂の前まで無事に逃げ戻って、弥兵衛はかれらに指図した。何分にも暗いので、礫のぬしと闘うことが出来なかったのであると弥兵衛は残念がった。もう大方は灰となっている焚火をかき散らして、かれらはあり合う枯枝をそれに積みかさねると、火は再び勢いを得て、何かの秘密をつつんでいるような古い辻堂を紅く照らした。堂の前には権右衛門と新九郎とが口からおびただしい泡をふいて死んだ蟹のように倒れていた。二人はもう息がなかった。
「姫と采女とを取り逃がし、あまつさえ大勢の手負いや死人を出しては、屋形へ戻って申し訳があるまい。」と、弥兵衛は大息をついた。「もう一度引っ返して追わねばならぬぞ。」
ほかの者どもは顔を見あわせているばかりで、すぐに返事をする者がなかった。そのおびえたような顔色を苦々しそうに睨みながら、弥兵衛は枯枝の一つを把って先きに立つと、ほかの者共もよんどころなしに付いて行った。坂東育ちの猛者と誇るかれらも、眼に見えない怖ろしい礫にはひどく脅かされたらしく、不安ながらに再びあゆみ出すと、そこに脳天を砕かれたのや、真っ向を割られたのが四、五人も倒れていた。ほかにも傷ついて唸っているのがあった。
姫や采女の姿はそこらに見えなかった。
「まだ遠くは行くまい。すぐに追え。」
ゆく手を照らすように、弥兵衛がたいまつ代わりの枯枝を高くあげると、一つの礫が大きい灯取り虫のように空を飛んで来て、その火を礑と叩き落としたので、弥兵衛もぎょっとした。ほかの者どもは恐怖の叫びをあげて、一間あまりも逃げ戻った。