小坂部姫

21話 天主閣 三

4,084字 約8分 2012年1月28日 公開

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 彼の声音(こわね)も態度も俄かに変わって来たので、小坂部もおもわずその顔を()あげると、男の鋭い片眼の光りは、都の辻で初めてかれを見た時とおなじように爛々と燃えていた。その強い光りに(ひとみ)を射られて、小坂部は彼に対する一種の恐怖と尊敬の念がまた(よみが)えって来た。

「お身のゆき先はほかにもある。」と、男はかさねて言った。「都の父や兄のところでない、死んだ男のところでない。あれをお見やれ。」

 彼は小坂部の手をとって、家の外へ連れ出した。秋の大空は鳶色に暮れかかって、蝦蟆(がま)の這っているような奇怪な形をした黒い雲のかたまりが西の方にたむろしていた。雲の真下には青黒い松の大樹が高く繁っていて、その枝や葉がくれに浮き上がっている古い城の白壁は、幾羽の鷺が(はね)をひろげて飛びかうようにも見られた。赤松律師則祐が初めに宮方となって旗揚げをした時に、この姫山の古城を修理したのであるが、建武中興の後に赤松は武家に付いて足利の味方になった。そうして九州に、関東に、その居所を移しているので、城はふたたび空城(あきじろ)同様になってしまった。

「あの城は……。」と、小坂部は空を仰ぎながら訊いた。

「姫山の城……かつては赤松の楯籠っていた城じゃが、今はおそらく守る人もあるまい。」と、男は説明した。「かしこに隠れたら十年二十年はおろか、百年千年棲んでいても、誰に見付け出さるる虞れはあるまい。お身の隠れ場所はかしこよりほかにない。さあ、行かれい。わしが案内する。」

 彼は先きに立って大股にあるき出した。小坂部はもうそれに(あらが)う気力はなかった。かれは牛飼いに牽かるる仔牛のように、素直に男のあとに付いてゆくと、彼は五、六町ほども細径(こみち)をたどって、城の大手らしい松並木の広い路に出た。昔は知らず、いまはここらを往来する者もないらしく、並木のあいだは一面の秋草に埋められて、おどろに乱れた(かや)は人の(たけ)を越えていた。その草むらの中には、雷火に打たれたらしい松の大樹の幹が横たわっていた。男は小坂部の手をひいて、足もとも見えない草や落葉や枯枝を踏み越えて行った。その足音におどろかされて、狐か狸か、草むらをくぐって逃げる獣の姿を小坂部は折りおりに見た。

 堀も大方は埋もれて、水の色も見えないほどに生い茂った高い草が夕風にさやさやと(なび)いていた。朽ちかかったあぶない橋を渡って、二人は大手の門を入ると、桝形の石垣もくずれ落ちて、大きい石がそこにも此処にもころげていた。男は草を分けてその石垣を這い登ると、眼の上には高い(いらか)が仰がれた。

「これは天主閣というのじゃ。」と、男は夕暮れの空に聳えている高い建物を指さした。

 それは古い寺に見る塔のようなもので、高さは二十丈を越えているらしく思われた。小坂部は天主閣という名すらも知らなかった。どこの城にも、どこの寺にも、今までこんな建物を見たことはなかった。

「城の中にこのような楼閣を築いたのは、日本にただ一つじゃ。」と、男はまた言った。「お身は知るまいが、今から二十幾年の昔、泉州堺の浦に異国の小舟が流れ着いたことがある。舟に乗っていたのは南蛮の人じゃ。無事に(おか)へは上がったものの、飢えと疲れで三人は死んでしもうた。残る二人はそこらをさまようて、この播州へ入り込んで領主の赤松に捕えられた。赤松も法師じゃで、頼りない南蛮人をむごうは取り扱わず、わが城中に留め置いてねんごろに養うているうちに、かれら二人の勧めにしたがって、新たに築いたのがこの天守閣じゃ。なんのためにこのような高い物を作ったかということはよく判らぬが、まず第一には物見の櫓で、次には日本に二つとないこのような楼閣を築きあげて、何がなしに近国の敵どもをおびやかす計略であったかも知れぬ。あの絶頂に登りつめて()おろしたら、四里四方の敵軍は眼の下で、小荷駄を運ぶ馬の鬣毛(たてがみ)のそよぐまでもありありと窺わるるのじゃ。それほどの構えをしたこの城に、宗徒の面々が必死となって楯籠ったら、なみなみのことでは攻め落とされまい。播州で赤松といえば敵にも味方にも畏れられたも無理はない。その名城も主人をうしのうて、今は狐狸の棲家、荒るるがままに任かしてあるが、白鷺の名を呼ばるる城の壁は、あめ風にくずれもせいで昔ながらに残っている。天主閣も昔のままじゃ。」

 小坂部は黙って古城の歴史を聴いていた。先刻見た蝦蟆のような奇怪な黒雲は、南蛮人が築いたという天主閣の上に、あたかも真っ直ぐに落ちかかっていた。

「判ったか。あの天主閣がお身の棲家じゃ。」

 男は先きに立って又あるき出した。小坂部は夢のように、そのあとに付いてゆくと、男は桝形を行きぬけて、閣の入口に立った。ゆうぐれの色はだんだんと深くなって、そこらになびく(すすき)の穂もただ薄白く見えるばかりであった。黒い雲のまん中には悪魔の眼のような大きい星がたった一つ赤く光っていた。

「足もとがあぶない。(すべ)るまいぞ。」

 男は小坂部に注意しながら、細い階段をのぼろうとすると、うす暗い中から一羽の大きい鳥が(はね)をひろげて飛んで来て、男の左の肩のあたりに吸い付いた。

「今戻ったぞよ。」と、男は人に言うように声をかけた。鳥は大きい蝙蝠(こうもり)であった。

 一階を登りつくすと、そこにはかなりに広い部屋があった。男は一種の口笛を吹くと、それに(こた)えるようにほうほうという啼き声がきこえて、又もや一羽の鳥がどこからか飛んで来た。闇に光っているその大きい眼を見て、それが(ふくろう)であるらしいことを小坂部は覚った。

 梟は男の右の肩に止まった。こうした奇怪な動物に迎えられて、男は更に三階へのぼってゆくと、天井のあたりから黒いような獣がひらりと飛び降りて来て、男の足もとに絡み付いた。その啼き声を聞いて、それが猫であるらしいことを小坂部は覚った。それから四階五階六階と登ってゆく毎に、何かしらぬ出迎えをうけたが、闇は深いのでその正体は判らなかった。十階の頂上まで登りつめて、もう疲れ果ててしまった小坂部は、倒れるように小膝をついてそこにうずくまると、男は細い蝋燭をとぼした。その弱い光にぼんやりと照らし出された部屋の四方は、一面のあつい壁であるらしく、正面には一種の大きい厨子(ずし)のようなものが取り付けられて、その下には白く黄いろい石のようなものが五つ六つ積みかさねてあった。男は片手に蝋燭をかざしながら、その厨子の前にひざまずいて、うやうやしく礼拝した。なんだか知らないが、小坂部も思わず(こうべ)を垂れた。

 男は口の中で何かしばらく呪文(じゅもん)を唱えているらしかったが、やがて蝋燭を床に置いて、しずかに小坂部の方に向き直った。彼の肩に取り付いていた二つの鳥は、いつの間にか姿を消してしまった。

「ここはお身が永久(とわ)棲家(すみか)じゃ。」と、彼はおごそかに言った。「身も魂もここに封じられた以上は、ふたたび人間の()に帰ろうとて帰られぬ。また帰るべき家もない。お身が父の高武蔵守師直、養い子の三河守師冬、かれらは遠からずしてことごとく滅亡じゃ。それも武士らしい、華やかな勇ましい最期ともあることか、世に死に恥を晒すような見苦しい死にざまじゃ。呪われたものは是非がない。」

「して、それは誰の呪いでござりまする」と、小坂部は彼の顔を屹と見つめた。

「われらの尊む夜叉羅刹(やしゃらせつ)の呪いじゃ。五万年の昔、阿修羅(あしゅら)は天帝と闘うて、すでに勝利を得べきであったが、帝釈(たいしゃく)矢軍(やいくさ)に射すくめられて、阿修羅の眷属(けんぞく)はことごとく亡び尽した。しかもその魂は八万奈落の底に沈んで、ひそかに末法の代の来たるを待っているうちに、まず唐土(もろこし)の世が乱れた。遠くは春秋戦国に始まって、秦ほろび、漢ほろび、つづいて三国、つづいて六朝、唐はわずかに二百九十年の代を保ったが、その間にも兵乱は()む時なく、さらに五代の乱れとなる。(そう)は金に苦しめられ、金は元にほろぼされ、宋もまた元にほろぼされた。これらの禍いはみな阿修羅の呪いで、その教えを奉ずるわれわれは身も魂も阿修羅にささげて、人の幸いを見れば移して禍いとし、世の治まれるを見れば更に乱れを起こそうと謀る。それがわれわれの一生の務めじゃ。元が唐土を一統した勢いに乗じて、この日本を征伐しようと企てた時、われわれの祖父(じい)や父は手を()ってよろこんだが、日本は神の国じゃで悪魔の呪いも仇となった。こうして五十年六十年を送る間に、日本にも世の乱るるきざしが見えそめたので、われわれの味方は、この国に渡来して、まず鎌倉の北条を呪うた。呪われた高時入道の魂には天狗が棲んで、驕慢放埓の果てに一族一門みな亡び尽くしたので、味方は勝鬨をあげて故郷に帰ると、日本はふたたび太平のむかしに(かえ)ろうとする。かくてはならぬと新たに選み出されたのが我らじゃ。」

 聞くもおそろしい悪魔の呪詛(のろい)である。小坂部はまた訊いた。

「お身の味方というは唐土におよそ幾人でござりまする……。」

「はは、幾人……」と、男は肩をゆすって大きく笑った。「幾百人、幾千人、とても数え尽くさりょうか。この教えを奉ずるものは、親が子に伝え、子が孫につたえ、子々孫々の末までも、悪魔の心を心として、世を呪い、人を呪うを務めとするのじゃ。ある者は世を逃がれて岩窟にかくれ棲むもある、ある者は博学の秀才として世に時めくもある。大商人(おおあきうど)として燕京のまん中に老舗を構えているものもある。ほかには僧もある、道士もある。漁師もある、百姓もある。うわべは唯の人として世に住みながら、ひそかに先祖以来の教えを堅く守って、たがいに機密を通じているのじゃ。その幾千人の中から選ばれてこの国に渡来したわれらは、まず足利尊氏の兄弟を呪うて、かれらを第二の北条に仕立てた。こうして、ふたたび日本の世をかき乱して、邪魔になる忠臣の正成をほろぼし、義貞を殺し、悪魔はいよいよ威勢を振うて、津々浦々に兵乱やむ時なく、家は焼かれ、人は疲れ、天も(くら)く、地も(くら)く、世は常闇(とこやみ)となることを祈っている。こうまで言い聞かせたら、われらの身の上も、われらの望みも、大方は判ったであろうが……。」

 小坂部は息をつめて、その一言半句を聞き洩らすまいと耳を傾けながら、片手は胸に忍ばせた懐剣の柄を固く握りしめていた。

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