22話 悪魔の誓い 一
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眇目の男はまた言った。
「足利兄弟のたましいに天狗を宿らせて、日本の天下を二つに分けて争わせる。が、まだそればかりでは我々の務めは果たされぬ。その足利の味方の間にも更に内訌を起こさせて、味方同士を啖い合わせる。その手段として、われらは先ずお身の父の師直を呪うた。高師直は呪わるべき人じゃ。彼が好色の餓鬼となって、公卿殿上人の息女や女房をほしいままに掠め奪って、おのが妄婦として戯れ狂うのみか、果ては塩冶の妻に懸想して、その夫をほろぼしても、おのれの慾を遂げようと企つる。それもみな我々が悪魔を駆って、かれの魂に啖い入らせたのじゃ。お身たちがいかに救おうと燥っても狂うても、及ばぬことじゃ。お身の兄師冬、彼は師直ほどの無道人に生まれ付いたのではないが、これも呪われたる禍いは逃がれぬ。見よ、父は子を憎み、子は父に背いて、骨肉相食むの畜生道は眼のあたりじゃ。人妻に懸想してその夫をほろぼすほどの無道人に、誰が親しみ懐こうぞ。師直はわが子ばかりか、味方にも主君にも疎み憎まれて、その身の滅亡は疑うまでもない。それもせめては武士らしい、あっぱれ華々しい最期ともあることか、犬猫にも劣った見苦しい死に恥を晒して、屍は野末に捨てらりょうぞ。」
半分は夢のような心持で聴き惚れていた小坂部は、彼が一と息つくのを待ちかねてまた訊いた。
「では、この頃の世のみだれ、また父上が心の乱れ、それもこれも皆お身たちのなす業か。」
「疑うに及ばぬ。今いう通りじゃ」と、男はうす暗い中でうなずいて見せた。
「その儀ならば……。」
小坂部は思い切って懐剣をぬこうとしたが、その柄を握りしめているかれの手は怪しいように硬くなって、何者かにその腕を取りしばられているように感じられた。微かな蝋燭の灯の光りで屹と見かえると、いつの間に窺い寄ったのか、一羽の大きい蝙蝠がかれの右の臂の上に吸い付くように止まっているのであった。力まかせにそれを振り払おうとしても、蝙蝠はなかなか動きそうもないので、小坂部は焦れて更に懐剣の鞘を口にくわえた。そうして、左の手でそれを抜こうとすると、その手にも何物かがひらりと飛び付いて離れなかった。よく視ると、それは大きい眼の晃る梟であった。
両手の自由をうしなった小坂部は、いたずらに歯噛みをして眼の前の敵を睨みつめていると、眇目の男はしずかに笑っていた。
「はは、くどくも言うようじゃが、お前たちの運命はわが手のうちじゃ。いかに燥っても狂うても、及ばぬ、及ばぬ。お身はその懐剣に手をかけてなんとする。お身はわれらの味方でないか。」
「なんの、味方……。」
両腕に取りついている怪鳥を振り払おうとして、小坂部は幾たびか身をもがいた。
「味方にならねばその身はほろぶる。侍従や采女がよい手本じゃ。」
「さてはお身が采女を殺したか。」
「わが手では殺さぬ。おのずと亡びゆく運命に導いたのじゃ。お身の父も叔父も兄弟も家来も、遅かれ速かれ皆それじゃ。お身は日頃から賢いに似合わず、なぜその道理が判らぬぞ。われらに一度魅まれて、眼に見えぬ糸につながれたが最後、いかにもがいても狂うても所詮かなわぬということがまだ覚られぬか。覚ったら速かに心をひるがえして我々の味方になられい。」
「味方……。悪魔の群れの味方になれとか。」と、小坂部は罵るように叫んだ。「忌じゃ、忌じゃ。おのれらは国の仇、親兄弟の仇、夫の仇じゃ。」
「忌じゃとて是非がない。」と、男はまたあざ笑った。「われらがこの国へ渡来した子細はもう言うて聞かせた。しかも二十年三十年の短い月日ならば知らず、二百年三百年引き続いてこの国を掻き乱そうとするには、われ一人の力では及ばぬ。どうでも力強い味方がいる。その味方をたずねめぐるうちに測らずもお身に出逢うた。この日本国でこの役目を仕負するものは、いにしえには玉藻の前、今の世にはお身のほかにないと、この片眼で確かに睨んだ。殊にわれらが呪うている高師直の娘とあれば、いよいよ以って逃がれぬ約束じゃと思うたので、こうしてここまで誘い寄せたからは、忌が応でもお身はわれらの味方じゃ、悪魔の徒党じゃ。おとなしゅうして我が教えを受けられい。お身も幸い、われらも満足じゃ。」
聞けば聞くほど、かれらの怖ろしい巧みを小坂部は憎まずにはいられなかった。それと同時に塩冶の滅亡、侍従と采女の死、それらの争われぬ証拠を見せられて、かれは悪魔の大いなる力を認めない訳にも行かなくなった。かれは悪魔の難題に対して、おなじく難題を以って答えた。
「お身はそれで満足かも知れぬが、親に叛き、夫と離れて、わたしに何の幸福があろう。お身にそれほどの大きい力があらば、死んだ采女は生かして返しゃれ。」
「ほう、安いこと。采女を生かして戻せば、お身はまことに味方になるか。」
男は片手に蝋燭をささげて、まず暗い部屋の隅々を照らした。そうして、その灯を高くかざして、何か口のなかに呪文を唱えていると、今までうす暗く顫えていた小さい灯の光りがだんだんに強く燃えあがって、その黄いろい光りは紅くなり、紫になり、青に変わったかと思うと、部屋のなかは月夜のように一面に青白くなった。その青い光りを浴びて、まぼろしのような物の影が正面の壇の前にぼんやりとあらわれたのを、小坂部は眼を据えてじっと透かして見ると、そのまぼろしの姿はどうもかの采女らしく思われた。
「あ、采女……。」
思わず駈け寄ろうとするかれを、男はしずかにさえぎった。
「騒いではならぬ。采女はあのように生きて戻った。さあ、約束じゃ。お身も疑わずに味方になれ。」
言ううちに、まぼろしの姿はいよいよ明かるくなって、采女の白い顔も、だんだら染めの小袖も袴も、たしかにそこに浮き出して来た。小坂部は堪まりかねてまた呼んだ。
「采女……采女……。」
「姫上……」と、まぼろしの采女は低い声で答えた。
「生きて来やったか。死んだは嘘か……。再び生きて戻りましたか……。ほんに生きたか。」
また駈け寄ろうとする小坂部の肩をつかんで、男はひき戻した。
「もう疑うところはあるまい。味方になるとすぐにお言やれ。」
かさねがさねの証拠を見せられて、かれはもう争う気力をうしなってしまった。それでもまだ思い切って応とは言い渋っていると、男は赤児の手から玩具を奪うように、小坂部の掴んでいる懐剣をもぎ取って、蝋燭を床の上に置いた。小坂部はそれらの事には眼をくれないで、ただ一心に采女の顔や形を見つめていると、男が何かの合図をすると共に、一匹の黒い猫が飛び出して来て、彼の足もとにおとなしくうずくまった。彼はその黒猫の襟首を引っ掴んで、片手で懐剣の鞘を払ったかと思ううちに、短い剣は猫の喉笛に突き刺された。
男はさらに壇の上から一つの土器のようなものを持ち出して来て、まだ死に切らないでうごめいている猫の傷口から真っ紅な鮮血を絞り出して、土器へなみなみと注ぎ込んだ。
「われわれの味方になるしるしじゃ。これを啜れ。」
黒猫の生き血を盛った器は小坂部の眼さきに突き付けられた。そのなまぐさい血の臭いを避けるように、かれは鼻をしかめながら采女の方をうかがうと、まぼろしの人はそれを飲めと勧めるようにうなずいて見せた。
「血を啜って誓うが我々の教えじゃ。なぜ啜らぬ、早う飲みゃれ。」と、男も催促した。
「早うお飲みなされ。」と、采女も声をかけたようにきこえた。
小坂部はもう考えている余地はなかった。かれはその土器を把って一と息にぐっと飲むと、かれの両腕に止まっていた蝙蝠も梟もいつの間にか飛びのいてしまった。
「見事じゃ。それでこそわれらの味方じゃ。」と、男は声をあげて笑った。
床の上の蝋燭はその笑い声に吹き消されたようにふっと消えると、采女のすがたも闇にかくれた。獣のなまぐさい生き血を啜って、小坂部はなんだか眼がくらんで来たように感じられた。血に酔わされたかれは次第に夢のような心持になって、暗い床の上に俯伏したとまではおぼろげに記憶していたが、それから後はなんにも知らなかった。