3話 二(2)
読み方を変える
然しその糸車ばかりは
何処かで蜂の鳴くやうに、
高く低く遠く近く
呟き唸つて
恰も黄昏の糸をつむぐがやう。
高い処にかゝつてゐる時計は
鱗形の彫をした黄楊の箱から、
消え行く時間に又一時間を加へ、
夜半の十二時になるまで
時は次第々々に進んで行く。
すると桃色と灰色の着物きて
煖炉の傍に黙つて坐つてゐた「月日」は
立上つて消えた火を掻き起す。
希望の焔はパツと燃え上つて、
黒ずんだ敷瓦を赤く色付け、
凍えた「月日」の手先をあたゝめた。
私は早くも這入つて来る「時」の入口から、
「月日」の新しい顔が私の思想に向つて、
微笑んでゐるやうな心持がした。
暮方の食事 シヤアル・ゲラン
歌ひながらに恋人は、飛ぶ蜂の翅きらめく光のかげ、暮方の食事にと、庭の垣根の果実と、白きパン、牛の乳とを準へ置きて、いざや、寄添ひて坐らんと、わが身のほとりに進み来ぬ。
雨は晴れたり。空気はうるほひ、木立の匂ひはみなぎりて、明け放ちたる窓の外、木葉に滴る雫の音は、室のすみ、いづこと知らず啼きいづる、虫の調にまじりたり。
食卓に肱つきて、さゝやかなる料理の皿もその儘に、二人ともども思ひに沈めば、言葉もなく唯だ折々に、恋人は、吹く風の冷き吐息に打顫ふ、あらはなる其の腕を、わが唇の上によこたへき。
くもりなき水晶の花瓶や、可笑しげにふくらみて、二人の顔のうつりたる、円き其横腹の面には、窓なる額縁に限られて、森の茂りと、古里の空の画こそ描かれたれ。
かしこにぞ、秋の空は紅に悲しめる。あゝ、長閑なるなつかしき此の恋の一刻よ。いつしかに黄昏は、花瓶の面にうつる空の色、二人が瞳子をくもらして、さゝやかの二人が世界の、物の彩色を消して行く。
わが顔押あてし、恋人の胸はとゞろけり。吹く風ぬれたる木立を動かせば、想に沈める二人は共に突とさめて、木の実の庭に、落る響に耳を澄ます。
かくて、吾等二人は、過来し方をふりかへる旅人か。また暮れ行く今日の一日を思ひ返して、燃え出る同じ心の祈祷と共に、その手、その声、その魂を結びあはしつ。
道のはづれに シヤアル・ゲラン
道のはづれに
日はしづむ。
手を取らん、
接吻せしめよ。
疑へる心の如く
この泉は濁りたり。
渇けるわれに
君が涙をのましめよ。
日は暮れたり。
鐘が鳴る。
われにあたへよ、
君が胸打ふるふ其恋を。
道はくだる。
幾里と長き真白の帯。
青き小山の
坂道つきぬ。
たゝずまん。行手なる
森をながめよ。
屋根はかすみて
村は夢む。
わが眠らんとするは
彼処なり。扉のかげ、
落る木の葉に埋るゝ
君が黒髪に抱かれて。
ありやなしや シヤアル・ゲラン
よしや反響のきかれずとも、物には凡て随ふ影あり。
夜来れば泉は星の鏡となり、
貧しきものも人の恵に逢ひぬべし。
澄みて悲しき笛の音に土墻は立ちて反響を伝へ、
歌ふ小鳥は小鳥をさそひて歌はしめ、
蘆の葉は蘆の葉にゆすられて打顫ふ。
憂ひは深きわが胸の叫びに答へん人心、
あゝ、そはありやなしや。
四月 ギユスタアヴ・カン
あゝ花開くうつくしき四月よ。
されど若し我が恋人われより遠く、
北の国なる霧の中にあらば、
何かせん、四月の新しき歌、
四月の白きリラの花、野ばらの花も、
梢を縫ひて黄金と開く四月の日光も。
あゝ花開くうつくしき四月よ、
わが恋人にまた逢ふ事の嬉しきかな。
あゝ花開くうつくしき四月よ。
恋人来れり。
四月のリラの花、黄金なす四月の日光。
始めてわれを慰めん。われ四月に謝す。
あゝ花開くうつくしき四月よ。
ロマンチツクの夕 伯爵夫人マチユウ・ド・ノワイユ
夏よ久しかりけり。われ夏の恵み受けじといどみしが、今宵は遂に打ち負けて、身中つかるゝまでの快さ。
われ小暗きリラの花近く、やさしき橡の木蔭に行けば、見ずや、いかで拒み得べきと、わが魂はさゝやく如し。
よろづの物われを惑しわれを疲らす。行く雲軽く打顫ひ、慾情の乱れ、ゆるやかなる小舟の如く、しめやかなる夜に流れ来る。
列車は過ぎたり。燃るよろこびよ。その響空気をつんざく。神経は破れて死ぬべくも覚えつゝ、いかにせん、又生きんとする願ひになやむ。
あゝわれ此宵、わが肩によりかゝる、若き男の胸こそ欲しけれ。ロマンチツクなる事柳のかげにも優りたる吾心の懶き疲れを、かの人は吸ふべきに。
われ彼の人に、「誘ひしは君ならず。そはあらゆる夜のさま、わが胸をして鳩の如くにふくれしむ。
されど君はあまりに若ければ、黄金の血潮と溶け行く心、骨に徹する肉のかなしみ、われそを訴へん夜にのみ。
あらゆる樹木は官能鋭く、あらゆる夜は打ち解けて、絶えざる啜り泣きの声、烟りし空に上り行けり。
うるはしき夜のみ眺めて語りたまふな。傷しくも悩める君をのみわれは求むる。狂ひて叫ばん唇に、消えも失せなん心して、わが愛する人よ。泣きたまへ。唯泣きたまへ。」と語るべし。
九月の果樹園 伯爵夫人マチユウ・ド・ノワイユ
炎暑は地平線をくもらしたり。夏のあつさ。やはらかき毛織物。空気は重く閉して隙間もなし。いさましく機織る響の如く、蜜蜂の群は果実の匂ひに喧しくも喜び叫ぶ。われその蒸暑き庭の小径を去れば、緑なす若き葡萄の畠中の、こゝは曲りし道の果。家の戸口は開かれて、鍬、鋤、如露なぞは、黄き日光に照されし貧しき住居の門の前、色づく夕暮の中に横はりたり。
われ、凉しき隠家の中に進み入れば、果実の匂のいかに清凉なる。思はずためらひて、耳を澄す。ひやゝかなる円天井の陰には、そよとの風もなく、あたり蕭条に、心自ら長閑なれば、屋根低く凉しき尼寺か。夏の匂の漲り流るゝ、幽暗なる地下室にも譬ふべけん。庭と水との吐く熱気は、こゝに閉されて休み息へり。あゝ。寺院の静寂、清浄の安眠よ。
新しき梨と林檎の実とは、果樹園の群を去りて家の棚の上、空しき影の中に熟してあり。その酸くして甘き味ひは滴り、香気は池の水の如くに沈みて動かず。鳴きつかれし細腰蜂の唯一つ、物音遠く静かなる、狭き硝子窓の四角なる面に、黒き点を描きたり。
おびたゞしき果実の匂ひかな。この匂は藍色の大空と、薔薇色の土とを以て、暑き夏の造り醸せしものなれば、うつくしき果実の肉の中には、明け行く大空の色こそ含まれたれ。心も清く気も新なる歓びのその匂、その光、その流れ、大気と土壌の戯れより生れたる濃厚の液汁、溶けたる砂糖。手桶の底に生れたる君こそは、冷たき藁の上なる小さき神なれ。木の樽と鉄の鋤、緑色なる如露の友よ。いざ、深密なる君が匂ひの舞踊る、甘き輪舞の列にわれを取巻け。
あゝ、日毎暮るればこゝに来て、庭造る愛らしき器物、手籠、如露の傍近く、空想に耽れば、あゝわが若かりし折の思出。幸福を歌ふ啜り泣は、心の底より迸り出づ。われは静寂の来りて宿る果樹園の、うつくしく穏かなる生活を、今ぞ見たり、今ぞ知りたり、悟りたり。わが生命、そが為めに焼れたるおそろしき思ひを、いざ抛たん。
慾望よ、われを去れ。われは十二の月々に、鶯と駒鳥と、大麦の冠つけし神々と、額緑の夕蝉と、いと高くいと優しく、また美しく静かなる、女神 Pomone《ポモン》 の御手によりて、匂はされたる大空の見渡す晴光と、共に踊らん。
西班牙を望み見て 伯爵夫人マチユウ・ド・ノワイユ
乾きし庭の面に日は照りて、夕立にうたれたるダリヤの初花は、緑なす長き茎をば白き家の壁に倚せかけたり。海はとゞろきわたりて、若き牧神の如く吹く風は、其手に押ゆる衣を剥ぎて、路上に若き女を辱めんとす。あたゝかく、うつら/\と暮れて行く Basque《バスク》 の里の夕まぐれ。われは彼方に、忽如として入日に染りかがやける、怪異なる西班牙をこそ望み見たれ。
地平線の上に腕を長くさしのべなば、われは燃るかの土と紅色の石榴とに触れもやせん。金光燦爛たる国土かな。鳥飛ばず、曇りもえせず、色もあせざる空の下。乾きて黄き Toboso《トボソ》 の谷の、身も焼けぬべきそゞろ歩きよ。唐辛の紅色と、黄橙の焔の色に、絹の衣裳を染めなして、音騒がしき西班牙の、いらだつ舞ひのとゞろきや。又われは聞かずや。血まぶれの Tourbadour《トルバドル》 華美ないさみの若者が、屠る牡牛に 〔Are`nne〕《アレエヌ》 の桟敷も崩れん叫び声。
〔Tole`de Andalousie〕 の国々よ。燃上る其の声もなき狂熱を、君いづこよりか齎せし。おそろしき痴情の狂ひかな。いとし男の血に渇きたる 〔Pasiphae'〕《パヂファエ》 は、命あらばさぞと覚ゆる壮漢が、刺されて流す血に酔ひて、情慾と恐怖の身ぶるひに、快楽と敬神の念ひを合せ味ひしが、
わが身はこゝに仏蘭西の、やさしき大気の中につゝまれて、心おどろき胸重し。ほゝゑめる静けき Basque《バスク》 の山と水。雲は集りて、〔Gue'thary〕《ゲタリー》 のいたゞきに息へり。われ Rodrigue《ロドリグ》 を思ひ、聖女 〔The're`se〕《テレズ》 を思ふ。さはやかなる匂を帯びて夕暮は、影と光に色ある砂を混ずる時、甘きタマリの一株毎に並びたる、けはしき山のうしろより、Irun《イラン》 をさして行く汽車の笛の響の聞えたり。
神聖なる西班牙。あゝ今宵われ、君得まく思ふ心の乱れに堪へぬかな。
菊花の歌 シヤアル・グランムウラン
だりやの花萎れ葡萄畠の取入れ終りて、
餌にあかぬ鴫の鳴く音も絶えにけり。
さま/″\なる果実こと/″\く熟し
木苺の実摘尽されて花園今はあれにけり。
空かきくもりて霧立ちまよへば、
かの暮方の懐しさと寂しさとは夜明の空にも漂ひ
黄ばみし芝生に薔薇は落ちて
その花びらの跡だにもなし。
さりながらこの揺落とこの風と、
またこの悲しき日かげに灰色したる空こそよけれ。
菊の花にはいとはしき蠅と、
蛾の接吻もなければ。
霜枯れし叢にそもこの花のひらめき出る
清くも澄みし黄色と橙紅色の目ざましや。
その中に東雲の霞とばかり
垂れて緋総に似るもあり。
さればや君が襟元黒髪にたばさむ花も
野路の菊花のあざやかに色もさま/″\めづらしければ、
よしや手づから恋しき人の捧げて来つる花束とても、
かの有りふれし巷の花にてあらば何かせん。
誇顔なる百合の花、冷に造りしやうなる椿の花束、
何となく恐しき罪の戯れいざなふを、
野にさく菊の花束は露持つ冷き風にゆらめきて、
蒸暑き夜宴の都には因縁なし。
都の人の寒さに弱き歩みは早くも火を追ひ、
去りて跡なき荘園のしづけき小径、
風の嘆きのさびしさに、薄らぐもりの空を見て、
この花ひとり安らかに咲きぞみだるゝ。
そは唯詩人のみ。十一月葡萄の畑も牛飼ふ野辺も黄ばむ時、
静に来りて菊の花打眺るは唯詩人のみ。
心なき世の交を忌みおそれ
胸打明けし友の庵をたづぬる如く。
あまりに泣きぬ若き時 フヱルナン・グレヱ
わけなき事にも若き日は唯ひた泣きに泣きしかど、
その「哀傷」何事ぞ今はよそ/\しくぞなりにける。
哀傷の姫は妙なる言葉にわれをよび、
小暗きかげにわれを招ぐもあだなれや。
わがまなこ、涙は枯れて乾きたり。
なつかしの「哀傷」いまはあだし人となりにけり。」]
折もしあらば語らひやしけん辻君の
寄りそひ来ても迎へねば
わかれし後は見も知らず。
何事もわかき日ぞかし。心と心今は通はず。
沈みし鐘 スチユアル・メリル
われは過ぎ去りし太古の世の君王にやあらむ。
其国の都は海の底に沈みて音もなし。
黒がねの声なき鐘も過ぎにし世には幾たびか
響も高く幾代の春を告げわたりしに。
われは幾代のむかし消え失せし
あまたの妃の名をも知りたりけむ。
そは静けき夜半に散り失せし
萎れたる花にも似たりけり。
わが尊き宝を積み載せし重き船
沈みて行きし果はいづこぞ。
その時よりして我は波の底深く宝を探る
狂へる人とこそはなりにけれ。
そのむかし我に従ひし夥多の蛮民
空高くわが勝利を叫びてわが為に黒き喪の旗を、
都に立てし其の過ぎし世の光栄を、
何故にわれは今また見むことを願へるや。
今われは冷なる眼に、
月の光を望みて、剣を片手に、
大空に我名をしるし留めむものと、
次の世の来るを待ちつゝあるか。
さはさりながら勝利の望み、
今わが胸は幽憤の思にふさがれたり。
移り行く代々の勝利。我は既にいくたびか、
あらしに消ゆる喇叭の声を聞かざりしか。
過ぎにし幾代の春を告げたりし黒がねの鐘の声。
今その鐘は沈みていづこに在りや。
我こそは実に、その国の都は海の底に沈みて声もなき
過ぎにし太古の代の君王なりけれ。
夏の夜の井戸 スチユアル・メリル
寐入りし少女の夢さへ覚ます月の光に
吠ゆる飼犬はたゞ真青な影かとばかり。
焔の雫の小さな星一ツ
旅籠屋の井戸の底に落ちたのを、
恋知りそめた子供のやうに
私等二人は眺めてゐた時。
お前の髪を解きほごす素早い私の指先から、
長いお前の髪毛は
旅籠屋の井戸の中へと流れ込んだ。
忘れはせまい。蟋蟀は庭の小高い処から、
綱に引き掛けた洗濯物の
風にも動かず干されてある
河辺の方まで啼きしきつてゐた。
「恐れ」がさまよひ歩くと云はれた
向うの小山の森はいとも静けく
夜の暗さにつゝまれて
酒場で酒呑む人の高声も
しんとした冬の夜のやうに
錫の器や瀬戸物や
硝子の盃照す灯火と共に消えてゐた。
お前は何やら小声にさゝやいたが、
私は其の囁きをお前の唇の、
この六月に咲く赤い花弁の上に押潰して、
顫へるお前の両手をばお前の胸から引取つて、
私も同じやう何やらお前に云つたのだけれど、
今は早何と云つたのか覚えてはゐない。
あらはなるお前の腕に
私は抱かれてゐる間もなく
森に通ふ街道に、それは宛ら
沈黙と血の中に揉み消したいと思ふやうな
物狂はしい思出の夢かとばかり、
突然聞える酔払つた人達の騒ぐ声。
お前と私は、それなり、別れてしまつたのだ。
星の雫の降りそゝぐ井戸のほとりに。
奢侈 アルベヱル・サマン
奢侈は生命の樹になる死の果実。
羨望の歯の根を動す禁制の果実。
倦怠の沙漠に坐せる黄金の怪獣。
老いにし「慾情」と「夜」より生るゝ汚れし女。
七重なる綾羅の下にちりばめし「悪徳」の金剛石。
火の火。血の血。骨の中なる髄の髄。
地の底の魔薬を持てる浮浪の魔女。
脳漿を吸ひ取り精気を挫ぐ魔女。
斯くぞ譬へん。幽遠神秘の「奢侈」。
あゝ偉なる哉、暗黒の宮殿のこの「奢侈」。
奢侈は荘麗の位に即く肉感の祭典。
耻辱の冠。汚濁の肩衣。
裸形。紅色の気高き女体美の庭。
霊魂をむせび泣かしむる肉の天国。
駘蕩たる夜気を動す千丈の髪。
暗澹たる香気の妖術。黒き薫り。
滔々たる血の流れの歌。酔倒の欷歔。
快感の身顫。柔き接触の弥増る緩き波動。
神経を痺らす柔き接触……終知られぬ柔き接触。
眼光に溢るゝ柔き接触……魂も消え入る柔き接触。
堪へぬ甘味の花蔭より奏る楽の音……消え行く心。
響なき絃を弾ずる歓喜の撥の疲労。
あゝ唇よ唇よ。消え行く接吻。歯に噛む接吻。
痴情の寝屋の死の如くに深き唇。
かくぞ譬へん。幽遠神秘の「奢侈」。
あゝ偉なる哉。哀傷の空の赤き星なるこの「奢侈」。
奢侈は人骨の裏に潜める細き毒蛇。
鋏の尖のごとくにとがりし慾望。
不吉の時を歌ふ酔へる警鐘。
清浄を嫉視する夜陰の尼なる魔界の天使。
覚醒に憤る不眠症の荊棘。
睡眠の高き壁に蠢く悪魔が夜宴の大壁画。
乱れ打つ四竹の拍子につれて少しく開く綾羅の帷。
羨望の神タンタルを驚す空虚の盃。
燃る氷塊。凍る焔。
歓楽の野獣眠るむさくろしき厩。
かくぞ譬へん。幽遠神秘の「奢侈」。
あゝ偉なる哉。《みひら》きて浮世を目戍る貪婪の眼の「奢侈」。
奢侈は熱帯の激烈なる幻想。
羽毛の飾と槍とを連ねし蛮土の王侯。
驚くべき GANGES 河の畔なる翡翠の宮殿。
広大なる庭園。香気の湖水。埋れし黄金。
酷熱の赤道の恐るべき芽生月。
群飛ぶ甲虫の金色なす寂寞。
羊毛と鋭き香気の眩暈と。
緑なす毒の沼池を照す血色の月。
かくぞ譬へん。幽遠神秘の「奢侈」。あゝ偉なる哉。
恐怖すべき暗黒の偶像なるこの「奢侈」。
奢侈は面蒼白き狂乱の帝王が頭の飾。
髪赤く丈高き娼婦の頸かざり。
節奏と舞踊と擬容劇の女王。
黄金にて築く 〔DE'CADANCE〕《デカダンス》 の凱旋門。
雄々しき虎と大理石とに取巻れし、
淫楽の皇帝のおそろしき夢。
潤へる血の花。快楽と哀傷と。
花のうてなに甘さの限りを吸ひたる「死」。
炎々たる焔の中なる楽器のさま/″\。
墳墓の緑色なす灯火に親しむ「死」。
日輪の国の滅亡。無上の尊称。
偉大なる昂奮刺戟の宗教。
燐光の技術によりて閃き出し瞬間の、
最終の遊宴……最終の呼吸……糸の如き臨終の喘咽。
かくぞ譬へん。幽遠神秘の「奢侈」。あゝ偉なる哉。
癩病の崩れの金光燦爛たるこの「奢侈」。
奢侈は肉慾の胸より吐出さるゝ熱き呼吸。
欲求と呼ばれし轟く身顫の赤き海。
快感の葡萄園。熟して重き葡萄の総。稀有の珍味。
相俟つて互の性慾を狂奔せしむる性慾の酒。
恋愛の痛を鎮る妙薬。怨恨を激する昂奮剤。
心の旅路に彷徨ふ巡礼者の泊り宿。
瞬間によりて生じたる永遠の衝動。
幻想の怪獣走りつゝ水を飲む溢るゝ噴井戸。
世捨し人々の心を澄す処。懼るゝものゝ懼れぬ心。
奴隷の鴉片。癩病者の牝犬。
渇ける唇に触れて離れぬ曇りなき水瓶。
強者の弱点。弱者の強所。
悔恨を殺す夜半の毒草。
死者の口をも開しむべき胡蘆の水入。
暴飲の海に帆を揚げて漕ぎ出る
漠々たる郷愁の楼船。
鼻孔を開き毛を逆立て、
虚無に向ひて突進する騎士の牝馬。
彼方遥けく燃残る GOMORRHE《ゴモル》 の塔と、
SODOME《ソドム》 の庭の焔を望む硫黄の湖水。
この身の終を覚悟して見上る苦悩の大空。
殉教者。苛まれし心に満る歓喜の涙。
火焔の中に坐して汚れし祭典する悪魔の王が、
永劫無窮の祈願を凝らす闇の塔。
死を致す涜罪の食慾。渇きと饑。
底なき淵。影なき日輪。端なき渦巻。
神経の神経、酸素の酸素なる「奢侈」。
呪はれし自滅の恋なる終の「奢侈」。
渾然を望む痙攣。絶対の中なる饗宴。
世界の最後。天体回転の終局なる「奢侈」。