珊瑚集 仏蘭西近代抒情詩選

2話 二(1)

6,826字 約14分 2021年12月3日 公開

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きれ長き君が眼(まなこ)の緑の光ぞなつかしき。

いと甘かりし君が姿もなど今日の我には苦(にが)きや。

君が情(なさけ)も暖かき火の辺(ほとり)や化粧の室(へや)も、

今のわれには海に輝く日に如(し)かず。

さりながら我を憐(あわ)れめ、やさしき人よ。

母の如(ごと)かれ、忘恩の輩(ともがら)、ねぢけしものに。

恋人か将(は)た妹(いもと)か。うるはしき秋の栄(さかえ)や、

又沈む日の如く束の間の優しさ忘れたまふな。

定業(さだめ)は早し。貪(むさぼ)る墳墓はかしこに待つ。

あゝ君が膝にわが額を押当てゝ、

暑くして白き夏の昔を惜しみ、

軟くして黄(きいろ)き晩秋の光を味はしめよ。

腐肉  シヤアル・ボオドレヱル

わが魂などか忘れん、凉しき夏の

晴れし朝(あした)に見たりしものを。

小径(こみち)の角、砂利を褥(しとね)に

みにくき屍(しかばね)。

毒に蒸(む)されて血は燃ゆる

淫婦(いんぷ)の如(ごと)く脚空(そら)ざまに投出(なげいだ)し

此れ見よがしと心憎くも

汗かく腹をひろげたり。

照付くる日の光自然を肥(こや)す

百倍のやしなひに

凡(すべ)てを自然に返すべく

この屍を焼かんとす。

青空は麗しき脊髄(せきずい)を

咲く花かとも眺むれば、

烈(はげ)しき悪臭野草(のぐさ)の上に

人の呼吸(いき)をも止(とど)むべし。

青蠅(あおばえ)の群(むれ)翼を鳴らす腐りし腹より

蛆虫(うじむし)の黒きかたまり湧(わき)出でゝ、

濃き膿(うみ)の如くどろ/\と

生ける襤褸(らんる)をつたひて流る。

此等のもの凡(すべ)て寄せては返す波にして、

鳴るや、響くや、揺(ゆら)めくや。

吹く風に五体はふくらみ

生き肥(こゆ)るかと疑(あやし)まる。

流るゝ水また風に似て

天地怪しき楽(がく)をかなで、

節(ふし)づく動揺(うごき)に篩(ふるひ)の中なる

穀物の粒の如くに舞(まい)狂へば、

忘られし絵絹(えぎぬ)の面(おも)に

ためらひ描(えが)く輪郭の、

絵師は唯(た)だ記憶をたどり筆をとる、

形は消えし夢なれや。

巌(いわ)の彼方(かなた)に恐るゝ牝犬(めいぬ)。

いらだつ眼(まなこ)に人をうかゞひ、

残せし肉を屍より

再び噛(か)まんと待(まち)構ふ。

この不浄この腐敗にも似たらずや、

されど時として君も亦(また)、

わが眼の星よ、わが性の日の光。

君等、わが天使、わが情熱よ。

さなり形体の美よ、そもまた此(かく)の如けん。

終焉(しゅうえん)の斎戒(さいかい)果てゝ、

肥えし野草(のぐさ)のかげに君は逝き

白骨の中(うち)に苔むさば、其(そ)の時に、

あゝ美しき形体よ。接吻(くちづけ)に、

君をば噛(か)まん地虫に語れ。

分解されしわが愛の清き本質(まこと)と形とを

われは長くも保(たも)ちたりしと。

月の悲しみ  シヤアル・ボオドレヱル

月今宵(こよい)いよゝ懶(ものう)く夢みたり。

おびたゞしき小布団(クッサン)に翳(かざ)す片手も力なく、

まどろみつゝもそが胸の

ふくらみ撫(な)づる美女の如(ごと)。

軟かき雪のなだれの繻子(しゅす)の背や、

仰向(あおむ)きて横(よこた)はる月は吐息も長々と、

青空に真白く昇る幻影(まぼろし)の

花の如きを眺めやりて、

懶き疲れの折々は下界(げかい)の面(おも)に、

消え易き涙の玉を落す時、

眠りの仇敵(きゅうてき)、沈思の詩人は、

そが掌(てのひら)に猫眼石の破片(かけ)ときらめく

蒼白(あおじろ)き月の涙を摘(つみ)取りて、

「太陽」の眼(まなこ)を忍びて胸にかくしつ。

そゞろあるき  アルチユウル・ランボオ

蒼(あお)き夏の夜や

麦(むぎ)の香(か)に酔(え)ひ野草(のぐさ)をふみて

小みちを行かば

心はゆめみ、我(わが)足さはやかに

わがあらはなる額(ひたい)、

吹く風に浴(ゆあ)みすべし。」]

われ語らず、われ思はず、

われたゞ限りなき愛

魂の底に湧出(わきいず)るを覚ゆべし。

宿なき人の如く

いや遠くわれは歩まん。

恋人と行く如く心うれしく

「自然」と共にわれは歩まん。

ぴあの  ポオル・ヴヱルレヱン

しなやかなる手にふるゝピアノ

おぼろに染まる薄薔薇色(うすばらいろ)の夕(ゆうべ)に輝く。

かすかなる翼のひゞき力なくして快(こころよ)き

すたれし歌の一節(ひとふし)は

たゆたひつゝも恐る恐る

美しき人の移香(うつりが)こめし化粧の間(ま)にさまよふ。

あゝゆるやかに我身をゆする眠りの歌、

このやさしき唄の節(ふし)、何をか我に思へとや。

一節毎(ごと)に繰返す聞えぬ程の REFRAIN《ルフラン》 は

何をかわれに求むるよ。聴かんとすれば聴く間もなく

その歌声は小庭(こにわ)のかたに消えて行く、

細目にあけし窓のすきより。

ましろの月  ポオル・ヴヱルレヱン

ましろの月は

森にかゞやく。

枝々のさゝやく声は

繁(しげり)のかげに

あゝ愛するものよといふ。

底なき鏡の

池水(いけみず)に

影いと暗き水柳(みずやなぎ)。

その柳には風が泣く。

いざや夢見ん、二人して。

やさしくも、果(はて)し知られぬ

しづけさは、

月の光の色に浸(し)む

夜(よる)の空より落ちかゝる。

あゝ、うつくしの夜(よ)や。

道行  ポオル・ヴヱルレヱン

寒くさびしき古庭に

二人の恋人通りけり。

眼(まなこ)おとろへ唇ゆるみ、

さゝやく話もとぎれとぎれ。

恋人去りし古庭に怪しや

昔をかたるものゝかげ。

――お前は楽しい昔の事を覚えておいでか。

――なぜ覚えてゐろと仰有(おっしゃ)るのです。

――お前の胸は私の名をよぶ時いつも顫(ふる)へて、

お前の心はいつも私を夢に見るか。――いゝえ。

――あゝ私等(わたしら)二人唇(くち)と唇とを合(あわ)した昔

危(あやう)い幸福の美しい其の日。――さうでしたねえ。

――昔の空は青かつた。昔の望みは大きかつた。

――けれども其の望みは敗(やぶ)れて暗い空にと消えました。

烏麦(からすむぎ)繁つた間(なか)の立ちばなし、

夜(よる)より外(ほか)に聞くものはなし。

夜の小鳥  ポオル・ヴヱルレヱン

鶯は高き枝より流れに映る己れが姿を眺め水に落ちしと思ひて槲の木の頂にありながら常に溺れん事のみ恐れき。(シラノ・ド・ベルジユラツク)

霧たち籠(こ)むる河水(かわみず)に樹木の影は

   烟(けむり)の如(ごと)くに消ゆ。

その時影ならぬ枝の間(あいだ)より何処(いずこ)とも知らず

   夜(よ)の小鳥は泣く。

あゝ旅人よ。いかに此(こ)の青ざめし景色は、

   青ざめし君が面(おもて)を眺むらん。

いかに悲しく、溺れたる君が望みは、

   高き梢(こずえ)に嘆くらん。

暖き火のほとり  ポオル・ヴヱルレヱン

暖き火のほとり、灯火(ともしび)のせまきかげ、

片肱(かたひじ)つきて頭(かしら)支ふる夢心地、

愛する人と瞳子(ひとみ)を合(あわ)すその眼とその眼、

語らふ茶の時、閉(とざ)せる書物、

日の暮れ感ずるやさしき思ひ。

くらきかげ、静けき夜(よる)をまつ時の

いふにいはれぬ心のつかれ、

あゝわが夢心地、幾月のまちこがれ。

幾週日(いくしゅうじつ)の遣瀬無(やるせな)さ、

猶(なほ)ひたすらに其等(それら)を追ふ。

返らぬむかし  ポオル・ヴヱルレヱン

あゝ遣瀬(やるせ)なき追憶の是非もなや。

衰へ疲れし空に鵯(ひよどり)の飛ぶ秋、

風戦(そよ)ぎて黄ばみし林に、

ものうき日光(ひかげ)漏れ落(おつ)る時なりき。

胸の思ひと髪の毛を吹く風になびかして、

唯(ただ)二人君と我とは夢み夢みて歩(あゆ)みけり。

閃(ひらめ)く目容(まなざし)は突(つ)とわが方(かた)にそゝがれて、

輝く黄金(こがね)の声は云ふ「君が世の美しき日の限りいかなりし」と。

打顫(うちふる)ふ鈴の音(ね)のごと爽(さわやか)に響(ひびき)は深く優しき声よ。

この声に答へしは心怯(こころおく)れし微笑(ほほえみ)にて、

われ真心の限り白き君が手に吻(くち)づけぬ。

あゝ、咲く初花(はつはな)の薫りはいかに。

優しき囁(ささや)きに愛する人の口より漏るゝ

「然(しか)り」と頷付(うなづ)く初めての声。あゝ其(そ)の響はいかに。

偶成  ポオル・ヴヱルレヱン

空は屋根のかなたに

   かくも静(しずか)にかくも青し。

樹(き)は屋根のかなたに

   青き葉をゆする。

打仰ぐ空高く御寺(みてら)の鐘は

   やはらかに鳴る。

打仰ぐ樹の上に鳥は

   かなしく歌ふ。

あゝ神よ。質朴なる人生は

   かしこなりけり。

かの平和なる物のひゞきは

   街より来(きた)る。

君、過ぎし日に何をかなせし。

   君今こゝに唯(た)だ嘆く。

語れや、君、そもわかき折

   なにをかなせし。

沼  ピエエル・ゴオチエ

茂りし林の奥深く

黒く声なく沼は眠れり。

一度(ひとたび)も微風(そよかぜ)は水の面(おもて)を拭(ぬぐ)はず、

いさゝかの波の動きも其(そ)の底より起(おこ)りし事なし。

枯れたる枝の繁きがもとに

空には隠れ日に遠く、

重き月日の平和の底、

山毛欅(ぶなのき)の暗き木蔭(こかげ)に沼は眠れり。

秋のあらしに、影の中(うち)

衣(ころも)剥(は)がれし梢は、

濁りて曇りし鏡の上に、

冷(ひやや)かなる其の冠(かんむり)をぬぐまもあらず、

落(おつ)る木(こ)の葉の一(ひと)ひらごとに

皺(しわ)の刻みは眠れる水にひろがりて、

凋落(ちょうらく)を迎ふる水の面(おもて)に、

落(おつ)る木の葉はゆるやかに流る。

一羽の小鳥も水飲まんとて来(きた)りし事なく

いかなる眼(まなこ)も其の水底(みなそこ)を覗(うかが)ひし事なし。

――茂りし林の奥深く

黒く声なき沼は眠れり。

池  ヱドモン・ピカアル

わが胸は湿りし土地に水は死したる古池か。

凍りし風其処(そこ)に絶え間なき叫びを放つ。

恐ろしき襲撃の跡を留(とどむ)る落雷の木立に、

岸のながめの哀れなるかな。

忘られし恋と消失せし友の誼(よし)みと、

酷(むご)き運命(さだめ)のいたましき宝物(ほうもつ)は、徐(おもむ)ろに

黒き泥土(でいど)と色さめし花と共に、

眠りたる此(こ)の花瓶(はながめ)の底に朽ちて行く。

陰鬱(いんうつ)なる一隅(いちぐう)かな。されど寂(せき)たる此(この)深淵の中(うち)よりは、

もしそれ、吾(わ)が弱き心、測量の綱を抛(なげう)ちて、

沈滞の濁水(だくすい)を突如として打つ時は、

震動起りて一道の光閃(ひらめ)き渡り、

底知れぬ愁情を照す睡蓮(すいれん)の花の星、

数ある記憶の明るき色、水の面(おもて)に浮びて来(きた)る。

音楽と色彩と匂ひの記憶  ヱミル・ヴオオケヱル

音楽と色彩と匂(にお)ひの記憶われに宿る。

逝きし日を呼び返さんとせば、

花をつみとれ。われに匂ひの記憶あり。

音楽の記憶われに宿れば、

怪しき律のうごきは

ノスタルヂヤのわが胸に昔を覚(さま)す。

花をつみとれ。楽(がく)を奏(かな)でよ。

何人(なんぴと)か、何事か。忘れしものを思起(おもいおこ)すに、

われには色の記憶あり。

われ思出(おもいい)づ、紅(くれない)の黄昏(たそがれ)に、

わが恋人は打笑みわれは泣きけり……

われには色の記憶ぞ宿る。

秋のいたましき笛  アア・ヱフ・ヱロオル

秋のいたましき笛は泣く、

おだやかならぬ夕まぐれ。

空は涙を啜(すす)る時

ぬれし樹木(じゅもく)はをのゝきぬ。

花はおもむろに枯れしぼみ、

小鳥は飛び去る彼方(かなた)の野辺。

そこには四月の色もある

うれしき歌の聞ゆべし。

寒さ恐るゝ君は悲しく、

わが生命(いのち)の君は小径(こみち)を行く。

色蒼(あお)ざめて旅する君は

声も曇りし歌を求むる。

あゝ二人して喜び聴きし其(そ)の歌は

秋と云ひなば返り来じ。

何時(いつ)の日かわれは又笑(わら)ひて眺めん、

今ははや涙となりし君が眼(まなこ)を。

仏蘭西の小都会  アンリイ・ド・レニエエ

起き出でゝわれ朝(あした)に街を出づれば

道の敷石に足音高くひゞきて

太陽の若き光は古びたる瓦(いらか)を暖め

Lilas《リラ》 の花は家々の狭き庭に咲く。

人の歩みに先(さきだ)ちて足音の反響は

梢(こずえ)そびゆる苔(こけ)の土塀(どべい)の長きに伝はり、

磨(す)り減りし敷石は白き砂道(すなみち)に連(つらな)りて

場末の町より野辺に走れり。

やがて険しく登る山道より

日に照らされて岡のふもとに、

悄然(しょうぜん)として狭く貧しく静(しずか)なる我が生(うま)れし街の

見馴れたる懐しき屋根の見ゆるかな。

長々と彼処(かしこ)に我が街は横(よこた)はる。流るゝ河ありて、

その水は二度居眠りて二つの橋の下を過ぎ、

散歩の道に茂りし木立は街にそびゆる

鐘撞堂(かねつきどう)の石と共に古びたり。

うらゝかに澄渡(すみわた)りて狭霧(さぎり)なき空気に

わが街は太き響をわれに送り来(きた)る。

洗濯屋の杵(きね)と鍛冶屋(かじや)の槌(つち)の音、

打騒ぐ幼児(おさなご)の甲高(かんだか)くやさしき叫び。

変りなきわが街の浮世には思出(おもいで)もあらず、

繁華(はんか)光栄の美麗もなくて、

わが街はいつの世までも

今見る如(ごと)く小(ちさ)き都(みやこ)に過ぎざらん。

わが街は耕せし野辺、高原、荒れし野に、

又は牧場(まきば)の間(なか)に立つ数ある街の一つなれば、

何(いず)れとわかぬ小(ちさ)きフランスの街の名に、

旅する人はわが街の名さへ知らで過ぎぬべし。

然(しか)れども朝(あした)より夕(ゆうべ)に移る散歩(そぞろあるき)の

長き思ひの一日(ひとひ)は過ぎて、

麦(むぎ)の畠(はたけ)のかなたに日はかくれ、

林に通ふ細道くれそめて、

物のあいろもわかぬ夜、

歩む足音険しき道にとゞろきて

堰(せき)越す水音(みずおと)遥(はるか)に聞え

吹く風運河の木立に騒ぐ時、

つかれて我は帰りくる街近く

ふと仰ぐあたりの家の窓。

帷幕(とばり)さへなきガラス越(ご)し、ランプの壺(つぼ)に

石油の黄金色(こがねいろ)なす灯火(ともしび)の燃ゆるを見れば、

杖(つえ)にて捜(さぐ)る夜の道、自(おの)づと足も急がれて、

われ思ひ知る。わが墳墓の国土(こくど)、

懐しき眼(まなこ)に闇の中(うち)よりいとも優しく

わが手をとりて引くが如(ごと)しと。

葡萄  アンリイ・ド・レニエエ

死なんとばかり我は悩みし其(そ)の夢知れる恋人よ。

さま/″\のかなはぬ望みに飢ゑつかれ

葡萄(ぶどう)の棚に熟(みの)りたる葡萄つまんと我は久しく、

種まく人の如(ごと)く唯(た)だ徒(いたずら)に腕を振りけり。

然(しか)るに君は優しき夢に微笑(ほほえ)みて眠り給へる、

其の情(すげ)なくも静(しずか)なる眠りぞ憎くき。

爽(さわやか)なる朝風は爽なる朝(あした)のひゞきを伝へ

夜(よ)は紅(くれない)の東雲(しののめ)かけて明け行けり。

いざ行かん。望(のぞみ)の光我等(われら)を導く美しき小山の方(かた)に。

苗植ゑしわが手づからに待焦(まちこが)れたる果物(くだもの)と

うつくしき葡萄の総(ふさ)をわれは摘むべく。

されどもし、些(いささ)かの草の芽だにもなかりせば、

待つと云ふかの禍(わざわい)の夢の中(うち)、いつも変らぬ

空しき夜明(よあけ)を眺むべく夕暮に山を下らん。

われはあゆみき  アンリイ・ド・レニエエ

久しくもわれは歩みき。落ちかゝる夜(よ)に

朝見し夢のかず/\も早(は)や既に消えんとす。

そは君ならずや。一筋道(ひとすじみち)の其(そ)の端(はて)に美しき眺め横(よこた)ふ

遥(はるか)なる館の方(かた)にわれを導きたまひしは。

かしこには不可思議なる月の光に照されて

眠れる昔(いにしえ)の花園の咲きて簇(むらが)る花の中

屋根に鐘鳴る高楼(たかどの)に聳(そび)えし塔の数多く

美しき異禽(いきん)を養ふ家も見えたり。

錦(にしき)の小禽(ことり)その棲木(とまりぎ)に居眠れば

池の底には黄金(こがね)の魚(うお)のひらめきて

噴水のほとばしり切々として囁(ささや)きたり。

苔(こけ)を踏む君が歩みに君が裳(もすそ)は鳴り響きて

見えざる鍵(かぎ)の秘密を知れる柔かき

君が双手(もろて)はわが手を取りて扶(たす)けしものを。

夕ぐれ  アンリイ・ド・レニエエ

夕暮の底遠くして海のほとりに

われ嘗(かつ)て都をのぞみき。

鮮かなる銀色(ぎんしょく)と褪(さ)めたる紅(くれない)の

夕暮の底遠くして海のおもてに

その影を流す大理石と黒鉄(くろがね)の

都をわれは嘗てのぞみき。

扉と家をもわれは見たりき。

(血の夕暮はその時海にあり)

風は明(あかる)き煖炉(だんろ)の火も見ゆる

戸口の篝火(かがりび)をいらだゝしめ

はたとばかりに扉(とぼそ)をとざしぬ。

「死」と「望み」とは過ぎ去りぬ。

暗き空の下、褪めたる銀色の海の面(おもて)に

その影と影とは漂(ただよ)ひぬ。

わが身には此(こ)の時よりして

海に昇る夕暮の悲しかりけり。

秋  アンリイ・ド・レニエエ

枝より枝を渡る風は

明(あかる)き夏とまた暗き日に、

黒き梟(ふくろう)と白き鳩鳴く

老木(おいぎ)の梢(こずえ)をゆする。

木(こ)の葉(は)に滴(したた)る雨の声、

やさしくも又ものうきは

さすらふ身には一歩(ひとあし)々々

「悲しみ」の忍び泣く音(ね)と聞かれずや。

緑より黄に、黄よりして紅(くれない)に

又黄金色(こがねいろ)より黄金のいろに

木々の梢(こずえ)の老い行けば、われは

秋より秋に散りて行くわが「過去」を思ふ。

林は聳(そび)えたる頂(いただき)よりして頂に

紅(くれない)の槲(かし)と緑の松を動(うごか)せども

吹く風は厳(おごそ)かに声を呑(の)みたり、

かの「苦(くるし)み」と「海」の如(ごと)くに。

正午  アンリイ・ド・レニエエ

正午(まひる)なり……真白き道は海に走れり。

明(あかる)き日の光窓より入(い)りて、

まだ暑からぬ部屋の床板(ゆかいた)に、

出入(でいり)の人の歩みにつきて落(おち)散りし

乾きてかゞやく砂を照す。

日曜と夏との匂(にお)ひに空気は爽(さわやか)なり。

日にやけし布と松脂(まつやに)の薫(かお)りよ。如何(いかん)となれば、

布(ぬの)荒き日蔽(ひおい)には枝に下(さが)りし

松の実の影(かげ)描(えが)かれたり。

静(しずけ)さは其(それ)さへもいと遠く思はるゝ迄(まで)の静(しずけ)さに、

想(おもい)は去りて心空しき折からに

しづ/\と身(み)を動(うごか)して PARESSE《ものうし》 と呼ぶ女姿(おんなすがた)は

更によく倦みし休みを味(あじわ)はんと、

伏目遣(ふしめづか)ひの優しき眼(まなこ)を閉ぢ合せ、

長々と横(よこた)はる柳細工(やなぎざいく)の椅子の上、

真裸(まはだか)の快(こころよ)さ、人目に触れぬ嬉しさに窃(そ)とほゝゑむ。

告白  アンリイ・ド・レニエエ

まことの賢人は永遠(とこしえ)の時の間(あいだ)には

一切の事凡(すべ)て空しく愛と雖(いえど)も猶(なお)

空の色風の戦(そよ)ぎの如(ごと)く消ゆべきを知りて

砂上(さじょう)に家を建つる人なり。

されば賢人は焔(ほのお)の燃え輝き消(きゆ)るが如(ごと)くに、

開きては又散る薔薇(そうび)の花を眺め

殊更に冷静沈着の美貌(びぼう)を粧(よそお)ひて

浮世の人と物とに対す。

疎懶(そらん)の手は暁(あかつき)の焔と

夕炎(ゆうばえ)の火をあふらざれば

夕暮は賢者に取りて傷(いたま)しき灰ならず

明け行く其(そ)の日は待つ日なり。

移(うつり)行くもの消(きえ)行くものゝ中(うち)にありて

我若(も)し過ぎ行く季節に咲く花の枯死(かれし)すは、

これそが定命(じょうみょう)とのみ観(かん)じ得(え)なば

亦(また)我も賢者の厳粛にや倣(なら)ひけん。

然(しか)るに纏綿(てんめん)たる哀傷の心切(せつ)にして

われは悔いと望みと悲しみに

又慰め知らぬ悩みの闇の涙にくれて

わが身を挫(ひし)ぐ苦しみの消ゆる事のみ恐れけり。

いかにとや。砂上の薔薇(そうび)の香気(かんばせ)も

吹く風の爽(さわやか)さ、美しき空の眺めさへ

永遠(とこしえ)の時の間(あいだ)にも一切の事凡(すべ)て空しからずと、

我が哀れなる飽かざる慾の休み知らねば。

庭  アンリイ・ド・レニエエ

庭に来よ。黄昏(たそがれ)は庭に木(こ)の葉(は)と

土と花、潤(うるお)ふ影との薫る時なり。

揃(そろ)ひし黄楊(つげ)の並木の蔭(かげ)、狭き小径(こみち)は行(ゆ)く程に

いよ狭くいよ安らかに君が歩(あゆ)みを導かん。

庭の外なる野や道や危(あやう)き辻(つじ)や、

鏡なす池の水とて何かあらん。

やがて萎(しお)れん其(そ)の茎にあか/\と咲く薔薇(そうび)のみ

唯(ただ)わづかあぢきなき君が浮世の形見なり。

ありとあらゆる「過ぎし日」は活(い)ける夜(よ)につれ

庭の中(うち)にぞ蘇(よみがえ)る。敵意ある群集は

肥えし野草(のぐさ)や濡(ぬ)れし道暗き林にはびこるを、

こゝのみは静けく優しき庭の隅。

土塀(どべい)に添へる果樹の列、黒き腕長く差伸べて

君をば守る此処(ここ)ばかり心安けく歩(あゆ)めかし。

  アンリイ・ド・レニエエ

沈黙の碑、美の墳墓よ。

「悲しみ」は其(そ)の《かめ》に灰となりにし

夏の果実と秋の葡萄(ぶどう)を収めたる

この懐しき重荷のために声を呑(の)みたり。

消えし時間と死したる季節と、

一度(ひとたび)は酔(え)ひつ栄えつ、烈(はげ)しく強く豊(ゆたか)なる

薫をかぎしさま/″\の思ひ出(いで)、

猶(なお)其(そ)の底に残りてあれば、そがために

君は夏の形見の灰を収めし黄金(こがね)の《かめ》を携(たずさ)へて

いと暗き青春に彷徨(さまよ)ふ。あゝ「悲しみ」と呼ぶ君、

道行く女姿(おんなすがた)よ。われ君を迎ふるも亦(また)此(こ)れが為(た)め。

沈黙の碑よ、美の墳墓よ。

年の行く夜  アンリイ・ド・レニエエ

丈(せ)の高いランプが

私のうつむいた机の上

開(ひら)いた書物の間(なか)に突立つて

音もなく燃えてゐる。

何かぢつと見詰めてゐるやうな

物哀れな老耄(ろうもう)した「月日」が

書斎の中をあちこち彷徨(さまよ)ひ歩く

其(そ)の足音ももう聞えない。

低くかざす其手(そのて)を暖めやうと

明(あかる)い煖炉(だんろ)の傍(そば)に坐りかける老耄(ろうもう)した「月日」は、

着てゐる冬と云ふ灰色の着物の為(た)めに、

何となく謙遜(けんそん)らしく我慢づよく

而(しか)も又真面目(まじめ)らしく見えた。

丁度私が想(おもい)の底を過ぎて

其の灰の上を歩くやうに思はれる軽い足音に、

老耄した「月日」の姿は

何となく優しく又何となく厳格(おごそか)にも見える。

夏と秋との手籠(てかご)は

向うの壁の上に掛けられてあるが、

時々に其の籠を編む柳の枝の弾(はじ)けて破れ、

茎も葉も枯れてしまつた花瓶(はながめ)の

蘆(あし)をば風がゆすぶる。

其の度々に私ははつと思つて

耳を澄まして」]

老耄した「月日」の顔を眺めると、

彼(か)の老女は灰色の着物を着たまゝ身動きもせず、

真直に伸びて鞭(むち)のやうに閃(ひらめ)く

柔かな柳の若枝の一条(ひとすじ)々々折りまげて、

笑つた夏の日

花籠を編みながら歌つた

その忘れた昔の歌をうたひもせぬ。

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