12話 畸形魔(1)
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もう夜の一時を過ぎていた。浅草公園もその時刻になると、流石に人足が途絶え、よいの内雑沓する場所だけに、余計さびしさが身にしみた。殊に仁王門を這入って右手の、五重の塔、経堂、ぬれ仏、弁天山にかけての一区劃は、宵の内からほとんど人通りがなかった。広い公園の中でもここだけがまるで取残された様に、異様に薄暗くさびしかった。
その五重の塔の裏手の、さびしいうちでも、もっともさびしい箇所に、何の樹だか、神木とでもいい相な大樹が枝を張っていた。遠くの安全燈の光は、五重の塔の表側の方にさえほとんど届かないのだから、その裏の木の下暗には無論影さえもない。公園中での魔所といってもよかった。不思議なことには、その辺では巡回のサーベルの音も、一晩に二三回位しか聞えないのだ。
その夜は空に星の光もなく、大樹の下は常よりも一層暗く、すさまじく見えた。時々ホウ、ホウと怪しげな鳥の鳴声が聞えて来た。
「オオ、兄貴、オオ、兄貴、寝たのかえ」
大樹の根許から、低い含み声が湧いた。そして、そこに敷き捨ててあった、腐ったこもがムクムクと動いた。一見してはただ一枚のこもが捨ててある様に見えるのだが、実はその下に一人の宿無しが出来るだけ身体を平べったくして寝ていたのだ。
「起きてる」
どこからか、もう一つの声が答えた。同じ様に圧し殺した囁き声だった。
「遅いじゃねえか。餓鬼共がよ。どじを踏みやしめえな」
「大丈夫、慣れてらあな。まあ寝ているがいい」
それ切り声はしなくなった。こもは元の様に、一枚の捨て菰に過ぎなかった。
暫く沈黙が続いた。雨雲が低くたれて、死んだように風がなかった。薄気味の悪い静けさだった。
やがて、かすかにかすかに物のきしる音が聞え始めた。それがほとんど十分間も絶えては続き、絶えては続きしていたが、五重の塔の大きな扉がそろそろと開いて、その真黒な口の中から、二人の青年が忍び出た。二人共荒い飛白の着物を着て、学生帽を冠っていた。
「誰だい。アア、お前達か、またうめえ仕事をやったな」
菰が動いて、最前の声が囁いた。
「うまくないよ。今日はぽっちりだよ」
青年達は縁を降りて、こもの方へ歩み寄った。
「俺はいいが、ここにいる定公に割前を忘れちゃいけないぜ」
もう一つの声がいった。よく見ると、大樹の黒い幹の根許に、一際黒く大きなうつろが口を開いていた。そのうつろの中に何者かが巣を食っている様子だった。
「分っているよ。ソラ、こんなのが三枚だ。くたびれちゃったから、少し息をつきに出て来たんだ。もう今夜はこれでおしまいだ」
青年達はこの塔の内部の、貴重な金具を取外して、それを売って生活していたのだった。賑やかな浅草観音の境内の、五重の塔の中に、こんな泥坊が忍び込んでいようとは、そこから一町とは距たぬ交番のお巡りさんでも、気がつかなんだ。
「ホウ、ホウ、ホウ」
突然少し甲高な鳥の声がした。
「オオ、合図だ。危ねえ危ねえ」
こもはそうつぶやいて動かなくなった。青年達も大急ぎで元のとびらの中へ隠れた。サーベルの音が塔の向うに聞え始めたころには、最早何の気勢も残っていなかった。
だが、彼等はそうしてお巡りさんの目を逃れることが出来たけれど、もう一つの目には少しも気がつかなんだ。塔の縁の下に紺の背広を着た一人の男が、最前からじっと彼等の様子をうかがっていた。
「オオ、兄貴、このごろ暫く顔を見せなかったが又どっか荒し廻ってたんじゃねえのか」
巡査の跫音が遠ざかるのを待って、こもが話しかけた。
「ウンニャ、ちっとばかり忙しいことがあってね。ここんところ、いたずらの方は手控えてるんだ。今日は久しぶりで、又赤いものが見たくなったもんだからね」
うつろの中の声が答えた。
「因果な病さね。……それはそうと、例の片腕の一件はおさまりがついたのかね」
「ウフフ、覚えていやあがる。お前だから何もかも話すがね。今世間じゃ大騒ぎさ。今日の新聞なんか、おれのまいた種で、三面記事が埋まってるんだ。今度こそ、いくらか溜飲が下ったてえものだ。だが、断るまでもねえ、人になんかこれから先もいうんじゃねえぜ。おらあな、一本の足を千住の溝の中へ、一本の足を公園の瓢箪池の中へ、一本の手を――呉服店の陳列場へ、一本の手をある家へ小包にして送ってやったあ。ウフフフフフ、そいつが今世間じゃ大評判なんだぜ。こんな心持のいいこたあねえ」
うつろの中の悪魔は、この驚くべき事実をこともなげに打明けて、さもさも愉快でたまらぬという様に、奇怪な笑い声を漏した。笑い声の間には、無気味な歯ぎしりの音が混っていた。彼は歯ぎしりをかんで狂喜しているのだ。
こもは余りのことに返事も出来ないのか、暫く何の声も聞えなかった。
「てめえ、いいやしめえな。もしいおうもんなら、こんだ、てめえがあの通りの目に逢うんだぞ、いいか」
うつろの中から又しても気味の悪い笑い声だった。
「とんでもねえ、お前とおれの仲じゃあねえか。口が腐ってもいうもんじゃあねえ。それに、いつも兄貴にゃあ、厄介をかけてるんだからな」
「だろうな。そうなくちゃならねえ。おらあな、定公、自分でも分ってる。因果な身体に生れついたひがみで気狂いになっているんだ。こう、世間の満足な奴らがにくくてたまらねえんだ。奴らあ、おれに取っちゃ敵も同然なんだ。お前だからいうんだぜ。たれも聞いてるものはねえ。おれはこれからまだまだ悪事を働くつもりだ。運が悪くてふんづかまるまでは、おれの力で出来るだけのことはやっつけるんだ」
押し殺した声が、歯ぎしりと共に高まって、うつろの中に物すごく響いた。
そして又暫く沈黙が続いた。
「オオ、兄貴、半鐘だぜ。やっつけたな」
耳を澄せば遙に鐘の声が聞えた。
「定公、だれもいめえな」
「大丈夫だ」
それを聞くと悪魔は始めて、うつろの中からのっそりと姿を現した。醜い一寸法師だった。彼は注意深くあたりを見廻してから不具者にも似合わぬす早さで、大木の幹をよじ登り、枝から枝を伝わって、生茂った葉の中に見えなくなった。彼の手は、短い足の不足を補って、軽業師の様に自由自在に動いた。丁度猿の木登りといった恰好だった。
「燃える燃える。風がねえけれど、この分じゃあ十軒は確だ」
梢から悪魔の呪い声が、でも辺を憚かって、殆ど聞きとれぬ程に響いて来た。
火は公園から西に当って、十町程の手近に見えた。半鐘の音、蒸汽ポンプのサイレンの響が、活動街の上を越して伝わって来た。それに混って時々樹上の畸形児の狂喜のうなりが聞えた。
やがてハタハタと忍びやかな、然しあわただしい跫音がして、二人の汚ない少年が塔のうしろへ駈込んで来た。
「あれは、お前達がやっつけたのか」
「そうよ」こもの問に応じて一人の少年が気競って答えた。「うまく行きやあがった。風はねえけれど十軒は大丈夫だぜ」
その声を聞きつけたのか、大樹の葉がガサガサ鳴って、サルの様な畸形児が地上に飛び降りた。
「うまくやったな。定公、己あ又一寸見物と出かけるからな。ソラこれを餓鬼共に分けてやってくんな」
彼は大急ぎで懐中から一枚の紙幣を取出すと、それをこもの中から出ている手に握らせながら、口早にささやいた。そして、彼の小さな身体は飛びはねる恰好で、暗の中に消えて行った。塔の縁の下に隠れていた背広の男は、後に残った浮浪人共に見つからぬ様に反対の側からはいだして、一寸法師の跡を追った。
六区を抜けて広い通りに出ると、深夜ながら威勢のいい野次馬が、チラホラかけだしていた。軒にたたずんで赤い空を眺めている人々もあった。一寸法師とその尾行者は、それらの野次馬に混って走った。そんな際に、だれも畸形児に注意する者もなかった。又尾行者も相手に気づかれる心配なく、相当接近して走ることが出来た。
火事は合羽橋の停留所を過ぎて二三町行った清島町の裏通りにあった。まだ警官の出張も手薄で、野次馬共は自由に火事場に近づくことが出来た。燃えているのは長屋建のかなりの住宅だった。もう五六軒は火が廻っていた。
蒸汽ポンプの水を吸う音と、消防達の必死のかけ声の外には、妙に物音がしなかった。多勢の見物共は押し黙って、あちこちにかたまり合っていた。火は黙々として燃えた。風のない為に焔が殆ど垂直に立昇り、火の粉は見物共の頭上に落ちて来た。真赤な渦巻の中を縞の様にポンプの水が昇った。
ホースを漏れる水の為に、雨降り挙句の様な泥道を、右往左往する消防夫達に混って、狂喜の一寸法師がチョコチョコと走り廻った。彼の奇怪な顔は火焔の為に真赤に彩られ、大きな口が顔一杯にいとも不気味な嘲笑を浮べていた。彼こそはこの世に火の禍を持って来た小悪魔ではないかと思われた。
背広の男は一方の群集に混って、凝っとその様子を眺めていた。彼の顔も焔の色に染って、異常な緊張を示していた。
だが、やがて蒸汽ポンプの威力は、さしもの火勢を徐々に鎮めてゆき、見物達も安心したのか、一人去り二人去り、段々人数が減って行った。
一寸法師は先程からの狂乱にグッタリと疲れて、しかし同時にすっかり堪能した恰好で群集の列にまぎれて元来た道を引返した。いうまでもなく背広の男は尾行を続けて行った。
一寸法師は暗い町の軒下から軒下を縫って、鼬の様にす早く走った。足の極端に短い彼にしては驚くべき早さだった。その上、子供の様に脊が低いのと、着物の色合が保護色めいて黒っぽい為に、チラチラと隠顕自在のとらえ所のない物の怪の様で、ともすれば見失い相になるのだ。背広の男はやっとの思いで尾行を続けた。
畸形児は暗い所暗い所と選って、公園をつき切ると、やっぱり吾妻橋を渡って、本所区の複雑な町々を、幾つも曲った末、一軒の不思議な構えの家の格子戸の中へ消えた。
一寸小広い町で、世に忘れられた様な古めかしい商家などが軒を並べている中に、その家は殊更風変りだった。普通の不商屋の張出になった格子窓の一部を小さなショーウインドウに改造して、そのガラス張りの中に、三つ四つ大きな人形の首が並べてある。目を金色に塗った赤鬼の首だとか、生きている様にこちらを向いて笑いかけている大黒様の顔だとか、すごい様な美人の青ざめた首だとか、それが薄ぼんやりした五燭程の電燈に照されて、塵だらけのガラスの中に、骨董品の様に並んでいるのだ。外の商家ではすっかり戸を締切って、軒燈の外には何の光も漏れていないのに、このみすぼらしいショーウインドウだけが、戸もないのか、路上に夢の様な光の縞を投ているのが、一層物凄い感じを与えた。
背広の男は、青ざめた顔で、その不思議な家を眺め廻した。彼は一寸法師がこんなところへ入ったことを意外に思っている様子だった。標札をすかして見ると、「人形師安川国松」とやっと読めた。
一寸法師は、中に入って格子戸に締りをすると、ほっと息をついた。だが、彼は尾行者のあることなぞは少しも気づいていなかった。気違いめいた興奮の為にほとんど我を忘れた体に見えた。
入った所には縦に長い土間が続いて、その横に、旧式な商家に見える様な障子のない広い店の間があった。片隅には人形細工に使用する箱だとか道具などがゴタゴタと積み重なり、正面の八角時計の下には、びっくりする様な大きな土製のキューピー人形が、電燈に照らされて、番兵然と目をむいていた。ちらと見た瞬間には、生きた人間がこちらを睨みつけているのかと疑われる程だ。畳なども赤茶けて凡てが古めかしい中に、この人形だけが際立って新しく、桃色の肌がつやつやと輝いていた。
畸形児は、土間の突当りの開き戸をあけて、裏の方まで通り抜けになっている細い庭を、奥の方へ入って行った。
「だれだえ」
すぐ横手の障子の中から寐ぼけた声が尋ねた。
「おれだよ」
一寸法師は簡単に答えて、さっさと歩いて行った。障子の中の人は、別段それを咎めようともしない。そのまま怪物の姿は庭の奥の暗の中へ消えてしまった。
表に取り残された背広の男は、戸の隙間から家の内部を覗いたり、ぐるっと町を廻ってその家の裏手を調べて見たり、方々の標札を覗き廻って町名番地を確め手帳に控えたり、殆ど二時間許りの間、執念深くその辺をうろついていたが、やがて東が白む頃、やっと断念したものか、疲れた足を引ずって元来た道を引返した。
吾妻橋を渡ると、彼はふと気がついた様にそこの自働電話に入り、一寸手帳を見て赤坂の菊水旅館の番号を呼んだ。相手が電話口に出るまでに十分程もかかった。
「菊水さんですね」彼は意気込でいった。「早くから起して済みません。明智さんいらっしゃるでしょう。大至急御知らせしたいことがあるのです。まだ御寝みでしょうけれど、一寸起してくれませんか。僕? 斎藤ですよ」
彼は明智の出て来るのを、足踏みしながら待つのだった。