一寸法師

13話 畸形魔(2)

9,979字 約20分 2017年10月28日 公開

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 小林紋三が明智を訪ねて様々の証拠品に驚いた日、小間使小松の失踪が発見された日、そして三千子の殺害事件がいよいよ警察沙汰になった日からもう三日目であった。

 その間には色々重大な出来事が起っていた。陰の事件としては斎藤という男が一寸法師の残虐極まる行動を見たのもその一つであったが、表だったものでは、明智の提供した証拠品がもととなって、実行的な警察は、先ず第一の嫌疑者として三千子に復讐を誓った北島春雄の行方を捜索して、ある木賃宿に潜伏中の彼を苦もなくとり押えた。北島は(なお)取調中で罪は確定しないけれど、三千子変死当夜のアリバイ(現場(げんじょう)に居なかった証拠)を立て得ないこと、変名で木賃宿に宿泊していたこと、その他申立ての曖昧な点が多々あって、若し外に有力な嫌疑者の現れない時は、前科者の彼こそ、さしずめ最も疑うべき人物に相違なかった。北島をあげると同時に、警察は第二の嫌疑者として小間使の小松の行方を捜索した。情人の蕗屋が大阪の実家に帰っているのだから、外に身寄りとてもない小松は、きっと彼をたよって行ったに相違ないという見込みで、その地の警察に取調べを依頼した上、こちらからも態々(わざわざ)一人の刑事が急行した。だがその結果、蕗屋の実家には数日来蕗屋もいなければ、小松の訪ねた様子もないことが確められたばかりで、それ以上のことはまだ分っていない。

 押入から発見された数々の証拠品によって、山野夫人が取調べを受けたことはいうまでもない。だが、彼女はその品々について全く覚えがなく、だれかが彼女を(おとし)いれるために用意して置いた偽証に相違ないと主張した。第一彼女を犯人とすれば、何故(なにゆえ)自ら進んで警察に捜索を依頼したり、素人探偵を頼んだりしたかが分らなくなる。それのみか、意外なことには、彼女にとっては実に有力な証人が現れた。というのは病中の山野大五郎氏が、当夜彼女が一度も寝室を出なかったことを明言したのだ。それによって山野夫人に対する嫌疑は一先(ひとま)ず解かれた形であった。

 だが、少くとも小林紋三だけは、その位のことで夫人の無罪を信ずることは出来なかった。中之郷O町の怪しげな家については、紋三がそれを口外しなかったのは無論だが、何故か明智までも沈黙を守っているらしく、警察は山野夫人とかの不思議な跛の男との密会事件を少しも知らない様子だった。紋三はそれを夫人のために(ひそか)に喜んでいたのだが、併し彼女に好意を寄せれば寄せる程、夫人に対するあの恐しい疑いは却て益々深まって行くのだった。

 日々の新聞紙が、山野家の珍事について書き立てたことはいうまでもない。百貨店の片腕事件が未曾有(みぞう)の珍事であった上に、被害者が若い娘であること、加害者が非常に曖昧なこと、その上一寸法師の怪談までそろっているのだから、あのセンセーションを巻起したのは誠に当然だった。事件が評判になるにつれて、山野家関係の人々が胸を痛めたのは勿論(もちろん)だが、中にも主人公の大五郎氏は、一人娘を失った悲しみに加えてこの打撃に、にわかに病勢が募り、それが又一家の者の心配の種となった。

 ところが、意外なことは、その最中に、山野夫人が又しても例の異様な男の誘いに応じ、二度目の密会をとげるために、今度は大胆にも昼日中(ひるひなか)家を(そと)にしたことであった。例によって彼女は片町へ行くといって出たのだが、それを聞いた紋三がもしやと思って、そっと片町の彼女の伯父のところへ電話をかけて問合せた結果、それが分ったのだ。紋三以外にはだれも知る者はなかった。

 ところが、丁度その折を選んだ様に、夫人にとって実に危険なことが起った。夫人の秘密は遂に暴露する時が来たかと思われた。

 紋三は山野夫人が片町へ行っていないことを電話で確めたけれど、この前の様にすぐ後を追う元気はなかった。一方では夫人の安否が気遣われたが、又一方では、この間の晩の出し抜かれた気持を思い出すと、そうして心配しているのが馬鹿馬鹿しい様でもあった。妙な嫉妬みたいなものが、彼をひどく憂鬱にした。

 夫人の行先は中之郷O町の例の家に相違ないのだが、そこへ行って、もしいやなものを見る様だとたまらないと思った。といって夫人の帰るのを書生部屋で山木とにらみ合って待っているのは(なお)つらい。彼は兎も角山野家を出て、電車道の方へ歩いて行った。

「これは一層(いっそ)明智でも訪問して気を(まぎ)らした方がいいかも知れない。三日ばかり会わないのだから、探偵の方も余程進捗しているだろうし、それにこの間はなぜか隠す様にしていたが、どうやらO町の家の秘密を握っている様子だから、一つ詳しく聞出してやろう」

 紋三はふとそんな風に考えた。それというのが、彼はこの事件で夫人の勤めた役割を明智の口から早く聞きたかったのだ。

 明智は今日も宿にいた。いつの間に働くのだか分らない様な男だった。

「ヤア、丁度いい所だった」

 紋三が女中のあとについて部屋にはいると、例によって明智のニコニコ顔があった。

「実はね、三千子さんの事件が大体(かた)がついたのだよ。君にも知らせようと思っていた所なんだ」

「じゃ、犯人が分ったのですか」

 紋三はびっくりして尋ねた。

「それはとっくに分っていたさ。ただね、今日まで発表出来ない訳があったのだよ。それについて、実はこれから捕物に出かけるのだ、今に警視庁の連中が僕を迎えにくることになっている。僕が指揮官という訳でね。それに今日は珍しく刑事部長御自身出馬なんだ。心易(こころやす)いものだからね。僕が引っぱりだしたんだよ。だが、この捕物は十分それだけの値打がある。相手が前例のない悪党だからね。実際世の中には想像も出来ない恐しい奴がいるものだね」

「例の一寸法師じゃありませんか」

「そうだよ。だが、あいつはただの不具者じゃない。畸形児なんてものは、多くは白痴か低能児だが、あいつに限って、低能児どころか、実に恐しい智慧者(ちえしゃ)なんだ。希代(きだい)の悪党なんだ。君はスチブンソンのジーキル博士とハイド氏という小説を読んだことがあるかい。丁度あれだね。昼間は行いすました善人を装っていて、夜になると、悪魔の形相すさまじく、町から町をうろつきまわって悪事という悪事をし尽していたんだ。執念深い不具者の呪いだ。人殺し、泥坊、火つけ、その他ありとあらゆる害毒を暗の世界にふりまいていた。驚くべきことは、それが彼奴(あいつ)の唯一の道楽だったのだ」

「ではやっぱり、あの不具者が三千子さんの下手人だったのですか」

「いや、下手人じゃない。この間もいった様に下手人は別の所にいる。だが、あいつは下手人よりも幾層倍の悪党だ。我々はまず何をおいてもあいつを(ほろ)ぼさなければならない。それを今まで待っていたのは、もう一人の直接の下手人を(のが)さないためだったが、その方ももう逃亡の心配がなくなったのだ」

「それは一体だれです」

 紋三は息をつめて尋ねた。山野夫人の美しい笑顔が目先にちらついた。

 丁度その時宿の女中がはいって来て、明智に一枚の名刺を渡した。

「アア、刑事部長の一行がやって来たんだ。すぐ出かけなきゃならない。君も一緒に行って見るか。話の残りは自動車の中でも出来るんだが」

 明智はもう立上って着換えを始めていた。

 旅館の門前に警視庁の大型自動車が止っていた。一行は刑事部長の外に私服の刑事二名、そこへ明智と紋三とが同乗した。

「君の注意があったから、原庭署(はらにわしょ)の方へも手配を頼んで置いたよ。だが、危険なこともあるまいね」

 部長は彼程の地位にも拘らず、まだ肥らないで、狐の様な感じのやせた男だった。一見何か軽々しい様でもあったが、暫く見ていると妙なすご味が出た。普通こんな場合出て来る人でないだけに多少そぐわぬ感じがあった。

「何ともいえないね。不具者ではあるが、地獄から這い出して来た様な悪党だからね。実際人間じゃないよ。小人の癖に恐しく素早くて、猿の様に木昇りが上手だ。それに彼奴(きゃつ)一人ならいいんだが、仲間もいるし」

 明智は車の席につきながらいった。

「だが、感づいて逃げ出しゃしまいね。見張りは大丈夫かね」

「大丈夫、僕の部下が三人で三方からかためている。皆信用の出来る男だ」

 自動車が走り出すと、前の座席とうしろの座席では話が通じ(にく)くなった。自然明智は隣の小林紋三と話し合った。

「例の中之郷O町の(うち)だね。君はその後あの家を調べて見たかね。あすこは以前長い間一種の淫売窟(いんばいくつ)だったんだよ。非常に秘密な素人の娘や奥さんなんかを世話する家だった。その方の通人達にはかなり有名なんだけれども、近所の人達はまるで知らない。そのあとをあの怪物が借りたんだ。だから、よくそんな家にある様に、あの家には二階から秘密の抜道が出来ている。万一警察の手入のあった時の逃場だね。それが、押入の中から隣家との壁と壁の間を通って、飛んでもない所へ抜けているんだ。君があんなに見張っていて逃げられたのも無理ではないのだよ」

「そうとは知らなかった。馬鹿馬鹿しい訳ですね。一体どこへ抜けているんです」

 紋三は変にあっけない気がした。

「養源寺の裏手へ抜けているんだ。君は気づいていたかどうか。養源寺は中之郷A町にある。そのA町とO町とは背中合せじゃないか。つまりA町の養源寺から入ってO町へ抜けることも出来れば、O町の例の家から養源寺の寺内を通ってA町へ抜けることも出来るんだ。表通りを廻れば二三町もあるけれど、抜道からでは隣同志だ。ところが、養源寺といえば、いつか君が一寸法師の入るのを見た寺だ。ね、大体見当がつくだろう。これが彼奴(きゃつ)の手品の種なんだよ」

「なる程背中合せに当りますね。ちっとも気がつかなんだ」

「だが彼奴の逃道はもう一つあるんだ。同じA町の養源寺の墓場の裏手に、これも背中合せだが、妙な人形師の店がある。あの不具者はここの家からも出入(ではい)りしていたことが分った。つまり彼奴の住家(すみか)は、三つの違った町に出入口を持っている訳だ。彼奴があれだけの悪事を働いて、今日まで秘密を保つことが出来たのは、全くこの出没自在な出入口のお蔭といってもいい」

「すると、あの寺の和尚や、その人形師なんかも仲間なんですね」

「無論そうだね。仲間以上かも知れない」明智は例の人をじらす様ないい方をした。「そこで、今日はその三方の入口から包囲攻撃をやる訳なんだ」

「では(せん)だって山野の奥さんと一緒にO町の家へ入った男はだれです」紋三が尋ねた。「やっぱり仲間の一人でしょうか」

「その男は跛だったね」

「エエ、跛でした」

「じゃ、それがあの一寸法師なんだよ。顔に見覚えはなかったかい」

「鳥打帽子と大きな眼鏡で隠していて、それに暗かったのでよく分りませんが、だって、一寸法師がどうしてあんな大男になれるのです」

「そこだよ。その点が又、奴の悪事の露顕(ろけん)しなかった理由だよ。奴は暗の世界でだけ一寸法師で、昼間は普通の人間なんだ。恐しい手品だ」

「でも、どうしてそんなことが出来たのです」

「奴は子供の時分怪我(けが)をして両足に大手術をやったというのだ。つまり義足をはめている体なのだ。小人というものは首や胴体は普通の人間と変りはない。ただ足だけが不自然に短いものだということを考えて見給え」

「義足ですって、そんな馬鹿げたことで、うまく分らないでいたのですか」

「馬鹿馬鹿しいだけに、(かえっ)て安全なのだ。ただ義足といったのでは、本当に思えないだろうが、僕はその実物を見たのだ。詳しいことは今に分るがね。それに、一寸法師を見たのは君一人で、山野家の人達にしろ一寸法師なんて特殊な人間は頭にない。最初から一人の義足をはめた不具者で通っていたのだよ」

「じゃ、その義足をはめた男というのは一体だれです」

「養源寺の和尚さ」

 話の通じ(にく)い自動車の上では、これだけの会話を取交すのもやっとだった。紋三にはまだ明智のいうことがよくのみ込めなかった。余り変な話なので、馬鹿馬鹿しい様な、からかわれている様な気さえした。だがその疑いを確めない内に、車はいつの間にか本所原庭警察署の建物の前に止っていた。

 署では署長を始め彼等の来着を待構えていた。一同車を降りて二三の打合せを済ませると、そこの刑事なども同勢(どうぜい)に加わって、徒歩で程近いO町に向った。刑事部長は署長室に(とど)まって吉報を待つことにした。

 刑事達は刑事部長の手前、素人探偵の指図に従わねばならなかった。彼等は養源寺、O町の家、人形師の住居(すまい)三手(みて)に分れて、それぞれ入口に張番をした。そこには明智の部下の者がさっきから彼等の来るのを待っていたのだ。

「私が合図をするまでは、どんな奴でも逃さない様にして下さい。女であろうが子供であろうが、家から出る者は一応止めて置いて下さい」

 明智は何度もくり返して頼んだ。そして彼自身は紋三と一人の刑事を従えて養源寺の門内に入って行った。

 庫裏の障子を開けると、汚ない(じい)さんが(かまど)の前で何かしていた。

「君は向うの菓子屋のお爺さんだったね」明智が声をかけた。「お住持(じゅうじ)はお留守かね」

「ヘエ、おいでになりますよ。どなた様で」

「忘れたのかい。二三日前に君の店で買物をしたんだが。実は今日は警察の御用で来たんだが、一寸お住持をここへ呼んでくれ給え」

 爺さんはかしこまって、奥の方へ住持を探しに行ったが、暫くすると変な顔をして戻って来た。

「どうも見えないんですよ。ちっとも気がつきませなんだが、いつの間にお出ましなすったのか」

「そうかい。兎も角一度上らせてもらうよ。警察の御用なんだからね」

 明智はそういったまま、手早く靴を脱いで上に上った。爺さんは呆気(あっけ)にとられて、止めようともしなかった。紋三と刑事も明智に習って靴を脱いだが、その時紋三は今まで忘れるともなく忘れていた事柄を、ハッと思い出した。和尚が見えないのは裏からO町の例の家に行ったのに相違ない。そこには山野夫人が来ているのだ。もし和尚が見つかれば、夫人も一緒に恥をさらす羽目(はめ)になるのは知れている。恥どころか退引(のっぴき)ならぬ証拠を握られるのだ。

 紋三はそれと同時に、ある驚くべき事実に気がついた。今までは夫人を脅迫している男が何者とも知れなかったので、一種の嫉妬を感じていたに過ぎないのだが、明智の明言する所によれば、その男こそ()の不気味な一寸法師に外ならぬのだ。夫人はどんな弱味があって、あの様ないまわしい者と密会を続けているのかと思うと、夫人までがえたいの知れないものに見えて来た。

 紋三がそんなことを考えている内に、明智はずんずん本堂の方へ踏み込んで行った。ガランとした本堂にはもう夕暗(ゆうやみ)が迫って、赤茶けた畳の目も見えない程になっていた。妙な彫刻のある太い柱、一方の隅に安置された塗りのはげた木像、大きな位牌(いはい)の行列、奇怪な絵のかけ物、香のにおい、それらの道具だてが、底の知れない不気味さを醸し出していた。無論人の気勢はなかった。

 明智は注意深く堂の隅々、物の陰などをのぞき廻って、二三の広い部屋を通り過ぎ、最後に庭に降りると、石燈籠(いしどうろう)や植木の間もくまなく調べた上、板塀の開き戸を開けて、墓地の方に出て行った。紋三達は縁側の下にあった庭草履(ぞうり)穿()いてそのあとに続いた。

 墓地ももう大方暗くなっていた。往来に面した方の生垣(いけがき)の破れ目から、そこに明智の部下の者が見張っているのが、ちらついて見えた。紋三はいつかの晩、その破れ目から墓地の中へ忍び込んだことを思い出さずにはいられなかった。

「ホラ御覧なさい。あすこの黒板塀が細く破れているでしょう。丁度あの向側(むこうがわ)が人形師の安川の仕事場になっているのですよ。あなたすみませんが、暫くあすこを見張っていて下さいませんか。僕達はこちら側のO町に面した家を一応調べて見ますから」

 明智は刑事の方をふり向いて、丁寧にいった。刑事はいなむ訳にも行かぬので、指図に従って板塀の方へ歩いて行った。O町の例の家の側はまばらな竹垣になっていて、少し無理をすれば、どこからでも出入りが出来る様に見えた。

「君、一寸ここを見給え」

 明智はふと立止って、墓地の一方の隅の銀杏(いちょう)の木の根許を指さした。そこには木の幹の陰に大きな穴があって、その中にゴミがうずたかく積っていた。

「これはお寺のゴミ捨場になっているらしいのだが、僕は二三日前の晩ここへ忍び込んで、このゴミの中をかき探したり、新しい墓地をあばいて見たりしたのだよ。三千子さんの死骸がこの辺に隠されているかと思ったのだ」明智は何でもない事の様にいった。「それはね、ホラ山野の邸から三千子さんを運び出すのに、だれかが衛生夫に化けてゴミ車を利用した形跡のあったことは君も知っているだろう。ゴミ車は吾妻橋の所で行方(ゆくえ)が分らなくなったのだが、君から一寸法師のことを聞いたものだから、あのゴミはひょっとしたらここへ運ばれたのではないかと疑ったのだよ。そして早速この寺の附近で聞合せて見ると、丁度その朝早く、一台のゴミ車が寺の門をくぐったことが分ったのだ。死骸を隠すのに墓地程屈竟(くっきょう)な場所はない。うまいことを考えたものだと思った。併し僕が探した時には、もうどっかへ移されて死骸はなかったのだが」

「すると衛生夫に化けたのもやっぱり彼奴(きゃつ)だったのですか」

「いやあの不具者には重い車なんかひけない。それは彼奴じゃないよ」

 彼等は低い声で話しながら竹垣の方へ歩いて行った。竹垣をくぐるとすぐの所にずっと石垣が続いて、そこから地面が一段高くなっていた。明智はその石垣を攀昇(よじのぼ)って、板塀と土蔵との庇間(ひあわい)の薄暗い中へ入って行った。五六間行くと突当りになってそこに別の塀が行手をふさいでいる。明智はポケットから細い針金を取り出し、正面の塀のある個所にさし込んでゴトゴトやっていたが、間もなくくるるの外れる様な音がして、塀の一部分がギイと開いた。隠し戸になっていたのだ。

 隠し戸の内部は、壁と壁の間の、人一人やっと通れる程の狭い通路になっていた。彼等は手探りでその中へ入って行った。紋三はふと子供の時分の隠れん坊の遊びを思い出していた。そんな風に恐しいというよりは、何か可憐な感じがしたのだ。

 少し行くと先に立った明智が「梯子(はしご)だよ」と注意した。彼等は危い梯子を音のしない様に気をつけながら(のぼ)っていった。上った所に一間位の細長い板敷があって、そこで行止まりになっていた。左右とも板ばりで、幅は身体を横にしなければならない程狭かった。

「ここが丁度押入の裏側に当るのだよ」明智がささやき声でいった。「静にしていたまえ」

 彼等は暫くの間、その真暗な窮屈(きゅうくつ)な場所でお互いの呼吸を聞き合った。紋三は押入の向側に山野夫人を想像すると、身体がしびれる程気がかりだった。どうか帰ったあとであってくれればいいと祈る一方では、あの醜い一寸法師と並べて、夫人の取乱した様子を見てやりたいという、うずく様な気持もあった。

 部屋の方からは暫くは何の物音も聞えて来なかったが、やがてピッシャリと障子をしめる音がして「百合枝さん、だれかに感づかれる様なことはしまいね」男の太い皺嗄声(しわがれごえ)が聞えた。「エ、だって、今窓からのぞいてみると、表に変な奴がウロウロしているぜ。うるせい奴等だ。この間も妙な若造が家の中へ上り込んだって話だし、危ねえ、危ねえ。もうここの家も見切り時だ。だが、(やっこ)さん達まさか抜道まで知りゃあしまいな」

 薄い板張と襖があるきりなので、向うの話声は手に取る様に聞えた。

「早く(にが)して下さい。もし見つかる様なことがあったら、ほんとうに取返しがつかないんだから」

 平常(へいぜい)と違ってひどくぞんざいな調子だけれど果して山野夫人の声だった。

「それは己にしたって同じことだ。だが、まだまだ心配することはない。己の力はお前も知っているだろう」

 その圧えつける様な太い声が、あの畸形児かと思うと変な気がした。声だけは人並以上に堂々としているのが、滑稽でもあり、物すごくも感じられた。

「それじゃ引上げようか。持物を忘れない様に気をつけるんだ」

 その声が段々こちらへ近づき、畳を踏む音と一緒に、そっと襖を開ける気勢がした。

 明智は暗の中で紋三の腕を握って合図をすると、板ばりの一部に手をかけて音のしない様に引外(ひきはず)した。ポッカリと四角な穴が開いて、薄い光が差して来た。紋三はいきなり顔を合せるのかと思い、ハッと身構えをしたが、穴の向うには幾つも行李(こうり)が積んであって、まだ相手の姿は見えなかった。

 やがて一番上の行李がソーッと取のけられ、そのあとへ一本の腕がニョイと出て、二番目の行李の紐をつかむとズルズルと向うへ引っぱって行った。紋三の腕を握っている明智の手がピクピク動いた。

 行李がのけられた。その向うから和尚の坊主頭がバアと覗いた。二三尺の距離で八つの目がぶっつかった。

「ワッ」

 という様な音だった。四人が同時に何事かを叫んだのだ。

 和尚はいきなり奥の四畳半の方へ逃げた。明智が行李を蹴散(けち)らして追いすがった。四畳半の窓を開けると物干場(ものほしば)がある。階下に見張りがあるため逃げ場は屋根の(ほか)にないのだ。畸形児は素早く窓の外に出ると、物干場の手すりを足つぎにして、二階の屋根に攀上った。一足おくれた明智は、屋根からぶら下っている相手の足をつかんだ。だが、その足は暫くもみ合っている内にすっぽりと抜けて明智の手に残った。白い靴下で覆われた人形の足の様なものだった。

 猿の様に木登りのうまい畸形児にとっては、屋根の上こそ屈竟の逃げ場所だ。彼は僧形(そうぎょう)白衣(びゃくえ)の裾を(ひるがえ)して急勾配(こうばい)の屋根をはった。

「小林君、そこの窓から刑事を呼んでくれ給え」

 いい残して明智も屋上に這上(はいあが)った。長い(むね)の上を、夕暗の空を背景にして、畸形児の白衣と明智の黒い支那服とがもつれ合って走った。

 屋根が尽きると、畸形児は電柱や塀を足場にして次の屋根へと移った。ある時は一間ばかりの所を、両手で電線につかまって渡りさえした。一寸法師の軽業(かるわざ)だ。

 そうなると明智はとても(かな)わない。(わずか)の所を、一寸法師の真似が出来ないばかりに、大廻りしなければならないのだ。見る見る二人の距離は遠ざかって行った。

 正体をあばかれた畸形児は、もう死にもの狂いだった。逃げたとて、逃げおおせる見込はないのだけれど、そんな事を考える余裕はない。彼はせめて人形師安川の家までたどりつこうとあせるのだ。

 やがて、畸形児の行手に一軒の湯屋(ゆや)の大きな屋根が立ちふさがった。うしろを見れば、追手はいつの間にか二人になっている。ぐずぐずしている内にはまだ人数がふえるかも知れないのだ。彼は思い切って湯屋の小屋根に飛び降りると、軒伝いに小さくなって走り出した。だが、やっとの思いで曲り角まで達した時、騒ぎを聞きつけて先廻りをした一人の刑事が、向うの屋根からピョイピョイと飛んで来るのが見えた。そして、彼の姿を見つけると、いきなり大きな声で怒鳴り出した。絶体絶命だ。

 一寸法師は最後の力を(しぼ)って、(とい)伝いに湯屋の大屋根に登った。だが、その一際高い棟の上でホッと息をつく間もなく、追手達は同じ屋根の両方の端にとりついていた。最早や逃げる場所がなかった。そこから飛び降りて頭をぶち破るか、おとなしく繩を受けるかだ。

 追手達は身構えをしながら、瓦を一枚一枚這寄(はいよ)って来た。畸形児ののぼせ上った目には、それが三匹の大トカゲの様に見えた。彼はあてもなくキョロキョロと四方(あたり)を見廻した。すると、ふと目についたのは、湯屋の煙突だった。黒く塗った太い鉄の筒が、すぐ(そば)(かわら)の中から、(そら)ざまに生えていた。彼はいきなりその煙突にとりつくと、得意の木登りでスルスルと登って行った。

 追手は同じ様に煙突を登る()をしなかった。彼等はその下に集って、瓦のかけらを木の上の猿に投げつけた。そして気長に相手の疲れるのを待つ積りだ。

 だが畸形児には別の考えがあった。煙突には船の帆柱の様に、頂上から太い針金が三方に出て、その一本が狭い空地を越して、向う側のゴミゴミした長屋の屋根に届いていた。彼はケーブルカーの様にその針金をすべって、向う側に渡る積りなのだ。もしそれがうまく行けば、そこは複雑な迷路みたいな町だし、夕暗のことだから、うまく逃げおおせることも、満更(まんざら)不可能ではなかった。

 命がけの軽業が始まった。白衣の怪物が空に浮いた。針金を握って足を離すと、ハッと思う()にツルツルと五六間滑った。針金がピュウンとうなって、煙突が弓の様に曲った。

 針金が手の平に食い入って、(やすり)の様に骨をこすった。畸形児は(なかば)も滑らぬ内に、痛さに耐え難くなった。もう針金を握る力がなかった。ふと下を見ると、そこの空地にはいつの間にか五六人の人が空を見あげて立騒いでいた。たとい向うまで滑りついたところでもう逃亡の見込はないのだ。「駄目だ」と思うと指が伸びた。一瞬間、畸形児の目の前で世界が独楽(こま)の様に廻った。

 墜落した一寸法師は、そのまま気を失った。空地にいた人達が声を上げてそのまわりに()せ寄った。

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