藪の中

5話 多襄丸の白状

3,094字 約6分 2012年3月25日 公開

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 あの(をとこ)(ころ)したのはわたしです。しかし(をんな)(ころ)しはしません。では何處(どこ)()つたのか? それはわたしにもわからないのです。まあ、お()ちなさい。いくら拷問(がうもん)にかけられても、()らない(こと)(まを)されますまい。その(うへ)わたしもかうなれば、卑怯(ひけふ)(かく)()てはしないつもりです。

 わたしは昨日(きのふ)(ひる)(すこ)()ぎ、あの夫婦(ふうふ)出會(であ)ひました。その(とき)(かぜ)()いた拍子(ひやうし)に、牟子(むし)垂絹(たれぎぬ)(あが)つたものですから、ちらりと(をんな)(かほ)()えたのです。ちらりと、――()えたと(おも)瞬間(しゆんかん)には、もう()えなくなつたのですが、(ひと)つにはその(ため)もあつたのでせう、わたしにはあの(をんな)(かほ)が、女菩薩(によぼさつ)のやうに()えたのです。わたしはその咄嗟(とつさ)(あひだ)に、たとひ(をとこ)(ころ)しても、(をんな)(うば)はうと決心(けつしん)しました。

 (なに)(をとこ)(ころ)すなぞは、あなた(がた)(おも)つてゐるやうに、(たい)した(こと)ではありません。どうせ(をんな)(うば)ふとなれば、(かならず)(をとこ)(ころ)されるのです。(ただ)わたしは(ころ)(とき)に、(こし)太刀(たち)使(つか)ふのですが、あなた(がた)太刀(たち)使(つか)はない、(ただ)權力(けんりよく)(ころ)す、(かね)(ころ)す、どうかするとお(ため)ごかしの言葉(ことば)だけでも(ころ)すでせう。成程(なるほど)()(なが)れない、(をとこ)立派(りつぱ)()きてゐる、――しかしそれでも(ころ)したのです。(つみ)(ふか)さを(かんが)へて()れば、あなた(がた)(わる)いか、わたしが(わる)いか、どちらが(わる)いかわかりません。(皮肉(ひにく)なる微笑(びせう)

 しかし(をとこ)(ころ)さずとも、(をんな)(うば)(こと)出來(でき)れば、(べつ)不足(ふそく)はない(わけ)です。いや、その(とき)(こころ)もちでは、出來(でき)るだけ(をとこ)(ころ)さずに、(をんな)(うば)はうと決心(けつしん)したのです。が、あの山科(やましな)驛路(えきろ)では、とてもそんな(こと)出來(でき)ません。そこでわたしは(やま)(なか)へ、あの夫婦(ふうふ)をつれこむ工夫(くふう)をしました。

 これも造作(ざうさ)はありません。わたしはあの夫婦(ふうふ)(みち)づれになると、(むか)うの(やま)には古塚(ふるづか)がある、その古塚(ふるづか)(あば)いて()たら、(かがみ)太刀(たち)澤山(たくさん)()た、わたしは(だれ)()らないやうに、(やま)(かげ)(やぶ)(なか)へ、さう()(もの)(うづ)めてある、もし(のぞ)()があるならば、どれでも(やす)()(うり)(わた)したい、――と()(はなし)をしたのです。(をとこ)何時(いつ)かわたしの(はなし)に、だんだん(こころ)(うご)かし(はじ)めました。それから、――どうです、(よく)()ふものは、(おそろ)しいではありませんか? それから半時(はんとき)もたたない(うち)に、あの夫婦(ふうふ)はわたしと一しよに、山路(やまぢ)(うま)()けてゐたのです。

 わたしは(やぶ)(まへ)()ると、(たから)はこの(なか)(うづ)めてある、()()てくれと()ひました。(をとこ)(よく)(かわ)いてゐますから、異存(いぞん)のある(はず)はありません。が、(をんな)(うま)()りずに、()つていると()ふのです。(また)あの(やぶ)(しげ)つてゐるのを()ては、さう()ふのも無理(むり)はありますまい。わたしはこれも(じつ)()へば、(おも)(つぼ)にはまつたのですから、(をんな)一人(ひとり)(のこ)した(まま)(をとこ)(やぶ)(なか)へはひりました。

 (やぶ)少時(しばらく)(あひだ)(たけ)ばかりです。が、半町(はんちやう)(ほど)()つた(ところ)に、やや(ひら)いた(すぎ)むらがある、――わたしの仕事(しごと)仕遂(しと)ぐるのには、これ(ほど)都合(つがふ)()場所(ばしよ)はありません。わたしは(やぶ)()()けながら、(たから)(すぎ)(もと)(うづ)めてあると、(もつと)もらしい《うそ》をつきました。(をとこ)はわたしにさう()はれると、もう()(すぎ)()いて()える(はう)へ、一(しやう)懸命(けんめい)(すす)んで()きます。その(うち)(たけ)(まば)らになると、何本(なんぼん)(すぎ)(なら)んでゐる、――わたしは其處(そこ)()るが(はや)いか、いきなり相手(あひて)()()せました。(をとこ)太刀(たち)()いてゐるだけに、(ちから)相當(さうたう)にあつたやうですが、不意(ふい)()たれてはたまりません。(たちま)ち一(ぽん)(すぎ)()がたへ、(くく)りつけられてしまひました。(なは)ですか? (なは)盜人(ぬすびと)難有(ありがた)さに、何時(いつ)(へい)()えるかわかりませんから、ちやんと(こし)につけてゐたのです。勿論(もちろん)(こゑ)()させない(ため)にも、(たけ)落葉(おちば)頬張(ほほば)らせれば、(ほか)面倒(めんだう)はありません。

 わたしは(をとこ)片附(かたづ)けてしまふと、今度(こんど)(また)(をんな)(ところ)へ、(をとこ)急病(きふびやう)(おこ)したらしいから、()()てくれと()ひに()きました。これも圖星(づぼし)(あた)つたのは、(まを)()げるまでもありますまい。(をんな)市女笠(いちめがさ)()いだ(まま)、わたしに()をとられながら、(やぶ)(おく)へはひつて()ました。(ところ)其處(そこ)()()ると、(をとこ)(すぎ)()(しば)られてゐる、――(をんな)はそれを一目(ひとめ)()るなり、何時(いつ)()(ふところ)から()してゐたか、きらりと小刀(さすが)()()きました。わたしはまだ(いま)までに、あの(くらゐ)氣性(きしやう)(はげ)しい(をんな)は、一人(ひとり)()(こと)がありません。もしその(とき)でも油斷(ゆだん)してゐたらば、一突(ひとつ)きに脾腹(ひばら)()かれたでせう。いや、それは()(かは)した(ところ)が、()()三に()()てられる(うち)には、どんな怪我(けが)仕兼(しか)ねなかつたのです。が、わたしも多襄丸(たじやうまる)ですから、どうにかかうにか太刀(たち)()かずに、とうとう小刀(さすが)()(おと)しました。いくら()()つた(をんな)でも、得物(えもの)がなければ仕方(しかた)がありません。わたしはとうとう(おも)(どほ)り、(をとこ)(いのち)()らずとも、(をんな)()()れる(こと)出來(でき)たのです。

 (をとこ)(いのち)()らずとも、――さうです。わたしはその(うへ)にも、(をとこ)(ころ)すつもりはなかつたのです。(ところ)()()した(をんな)(あと)に、(やぶ)(そと)()げようとすると、(をんな)突然(とつぜん)わたしの(うで)へ、氣違(きちが)ひのやうに(すが)りつきました。しかも()()れに(さけ)ぶのを()けば、あなたが()ぬか(をつと)()ぬか、どちらか一人(ひとり)()んでくれ、二人(ふたり)(をとこ)(はぢ)()せるのは、()ぬよりもつらいと()ふのです。いや、その(うち)どちらにしろ、()(のこ)つた(をとこ)につれ()ひたい、――さうも(あへ)(あへ)()ふのです。わたしはその(とき)猛然(まうぜん)と、(をとこ)(ころ)したい()になりました。(陰鬱(いんうつ)なる興奮(こうふん)

 こんな(こと)(まを)()げると、きつとわたしはあなた(がた)より殘酷(ざんこく)人間(にんげん)()えるでせう。しかしそれはあなた(がた)が、あの(をんな)(かほ)()ないからです。(こと)にその一瞬間(しゆんかん)の、()えるやうな(ひとみ)()ないからです。わたしは(をんな)()(あは)せた(とき)、たとひ神鳴(かみなり)()(ころ)されても、この(をんな)(つま)にしたいと(おも)ひました。(つま)にしたい、――わたしの念頭(ねんとう)にあつたのは、(ただ)かう()ふ一()だけです。これはあなた(がた)(おも)ふやうに、(いや)しい色慾(しきよく)ではありません。もしその(とき)色慾(しきよく)(ほか)に、(なに)(のぞ)みがなかつたとすれば、わたしは(をんな)蹴倒(けたふ)しても、きつと()げてしまつたでせう。(をとこ)もさうすればわたしの太刀(たち)に、()()(こと)にはならなかつたのです。が、薄暗(うすぐら)(やぶ)(なか)に、ぢつと(をんな)(かほ)()刹那(せつな)、わたしは(をとこ)(ころ)さない(かぎ)り、此處(ここ)()るまいと覺悟(かくご)しました。

 しかし(をとこ)(ころ)すにしても、卑怯(ひけふ)(ころ)(かた)はしたくありません。わたしは(をとこ)(なは)()いた(うへ)太刀打(たちう)ちをしろと()ひました。((すぎ)()がたに()ちてゐたのは、その(とき)()て忘れた(なは)なのです。)(をとこ)血相(けつそう)()へた(まま)(ふと)太刀(たち)()()きました。と(おも)ふと(くち)()かずに、憤然(ふんぜん)とわたしへ()びかかりました。――その太刀打(たちう)ちがどうなつたかは、(まを)()げるまでもありますまい。わたしの太刀(たち)は二十三(がふ)()に、相手(あひて)(むね)(つらぬ)きました。二十三(がふ)()に、――どうかそれを(わす)れずに(くだ)さい。わたしは(いま)でもこの(こと)だけは、感心(かんしん)だと(おも)つてゐるのです。わたしと二十(がふ)()(むす)んだものは、天下(てんか)にあの(をとこ)一人(ひとり)だけですから。(快活(くわいくわつ)なる微笑(びせう)

 わたしは(をとこ)(たふ)れると同時(どうじ)に、()()まつた(かたな)()げたなり、(をんな)(ほう)()(かへ)りました。すると、――どうです、あの(をんな)何處(どこ)にもゐないではありませんか? わたしは(をんな)がどちらへ()げたか、(すぎ)むらの(あいだ)(さが)して()ました。が、(たけ)落葉(おちば)(うへ)には、それらしい(あと)(のこ)つてゐません。(また)(みみ)()ませて()ても、(きこ)えるのは(ただ)(をとこ)(のど)に、斷末魔(だんまつま)(おと)がするだけです。

 (こと)によるとあの(をんな)は、わたしが太刀打(たちうち)(はじ)めるが(はや)いか、(ひと)(たす)けでも()(ため)に、(やぶ)をくぐつて()げたのかも()れない。――わたしはさう(かんが)へると、今度(こんど)はわたしの(いのち)ですから、太刀(たち)弓矢(ゆみや)(うば)つたなり、すぐに(また)もとの山路(やまぢ)()ました。其處(そこ)にはまだ(をんな)(うま)が、(しづ)かに(くさ)()つてゐます。その()(こと)(まを)()げるだけ、無用(むよう)口數(くちかず)()ぎますまい。(ただ)(みやこ)へはいる(まへ)に、太刀(たち)だけはもう手放(てばな)してゐました。――わたしの白状(はくじやう)はこれだけです。どうせ一()(あふち)(こずゑ)に、()ける(くび)(おも)つてゐますから、どうか極刑(ごくけい)()はせて(くだ)さい。(昂然(かうぜん)たる態度(たいど)

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