5話 多襄丸の白状
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あの男を殺したのはわたしです。しかし女は殺しはしません。では何處へ行つたのか? それはわたしにもわからないのです。まあ、お待ちなさい。いくら拷問にかけられても、知らない事は申されますまい。その上わたしもかうなれば、卑怯な隱し立てはしないつもりです。
わたしは昨日の午少し過ぎ、あの夫婦に出會ひました。その時風の吹いた拍子に、牟子の垂絹が上つたものですから、ちらりと女の顏が見えたのです。ちらりと、――見えたと思ふ瞬間には、もう見えなくなつたのですが、一つにはその爲もあつたのでせう、わたしにはあの女の顏が、女菩薩のやうに見えたのです。わたしはその咄嗟の間に、たとひ男は殺しても、女は奪はうと決心しました。
何、男を殺すなぞは、あなた方の思つてゐるやうに、大した事ではありません。どうせ女を奪ふとなれば、必、男は殺されるのです。唯わたしは殺す時に、腰の太刀を使ふのですが、あなた方は太刀を使はない、唯權力で殺す、金で殺す、どうかするとお爲ごかしの言葉だけでも殺すでせう。成程血は流れない、男は立派に生きてゐる、――しかしそれでも殺したのです。罪の深さを考へて見れば、あなた方が惡いか、わたしが惡いか、どちらが惡いかわかりません。(皮肉なる微笑)
しかし男を殺さずとも、女を奪ふ事が出來れば、別に不足はない譯です。いや、その時の心もちでは、出來るだけ男を殺さずに、女を奪はうと決心したのです。が、あの山科の驛路では、とてもそんな事は出來ません。そこでわたしは山の中へ、あの夫婦をつれこむ工夫をしました。
これも造作はありません。わたしはあの夫婦と途づれになると、向うの山には古塚がある、その古塚を發いて見たら、鏡や太刀が澤山出た、わたしは誰も知らないやうに、山の陰の藪の中へ、さう云ふ物を埋めてある、もし望み手があるならば、どれでも安い値に賣り渡したい、――と云ふ話をしたのです。男は何時かわたしの話に、だんだん心を動かし初めました。それから、――どうです、慾と云ふものは、恐しいではありませんか? それから半時もたたない内に、あの夫婦はわたしと一しよに、山路へ馬を向けてゐたのです。
わたしは藪の前へ來ると、寶はこの中に埋めてある、見に來てくれと云ひました。男は慾に渇いてゐますから、異存のある筈はありません。が、女は馬も下りずに、待つていると云ふのです。又あの藪の茂つてゐるのを見ては、さう云ふのも無理はありますまい。わたしはこれも實を云へば、思ふ壺にはまつたのですから、女一人を殘した儘、男と藪の中へはひりました。
藪は少時の間は竹ばかりです。が、半町程行つた所に、やや開いた杉むらがある、――わたしの仕事を仕遂ぐるのには、これ程都合の好い場所はありません。わたしは藪を押し分けながら、寶は杉の下に埋めてあると、尤もらしい《うそ》をつきました。男はわたしにさう云はれると、もう痩せ杉が透いて見える方へ、一生懸命に進んで行きます。その内に竹が疎らになると、何本も杉が竝んでゐる、――わたしは其處へ來るが早いか、いきなり相手を組み伏せました。男も太刀を佩いてゐるだけに、力は相當にあつたやうですが、不意を打たれてはたまりません。忽ち一本の杉の根がたへ、括りつけられてしまひました。繩ですか? 繩は盜人の難有さに、何時塀を越えるかわかりませんから、ちやんと腰につけてゐたのです。勿論聲を出させない爲にも、竹の落葉を頬張らせれば、外に面倒はありません。
わたしは男を片附けてしまふと、今度は又女の所へ、男が急病を起したらしいから、見に來てくれと云ひに行きました。これも圖星に當つたのは、申し上げるまでもありますまい。女は市女笠を脱いだ儘、わたしに手をとられながら、藪の奧へはひつて來ました。所が其處へ來て見ると、男は杉の根に縛られてゐる、――女はそれを一目見るなり、何時の間に懷から出してゐたか、きらりと小刀を引き拔きました。わたしはまだ今までに、あの位氣性の烈しい女は、一人も見た事がありません。もしその時でも油斷してゐたらば、一突きに脾腹を突かれたでせう。いや、それは身を躱した所が、無二無三に斬り立てられる内には、どんな怪我も仕兼ねなかつたのです。が、わたしも多襄丸ですから、どうにかかうにか太刀も拔かずに、とうとう小刀を打ち落しました。いくら氣の勝つた女でも、得物がなければ仕方がありません。わたしはとうとう思ひ通り、男の命は取らずとも、女を手に入れる事は出來たのです。
男の命は取らずとも、――さうです。わたしはその上にも、男を殺すつもりはなかつたのです。所が泣き伏した女を後に、藪の外へ逃げようとすると、女は突然わたしの腕へ、氣違ひのやうに縋りつきました。しかも切れ切れに叫ぶのを聞けば、あなたが死ぬか夫が死ぬか、どちらか一人死んでくれ、二人の男に恥を見せるのは、死ぬよりもつらいと云ふのです。いや、その内どちらにしろ、生き殘つた男につれ添ひたい、――さうも喘ぎ喘ぎ云ふのです。わたしはその時猛然と、男を殺したい氣になりました。(陰鬱なる興奮)
こんな事を申し上げると、きつとわたしはあなた方より殘酷な人間に見えるでせう。しかしそれはあなた方が、あの女の顏を見ないからです。殊にその一瞬間の、燃えるやうな瞳を見ないからです。わたしは女と眼を合せた時、たとひ神鳴に打ち殺されても、この女を妻にしたいと思ひました。妻にしたい、――わたしの念頭にあつたのは、唯かう云ふ一事だけです。これはあなた方の思ふやうに、卑しい色慾ではありません。もしその時色慾の外に、何も望みがなかつたとすれば、わたしは女を蹴倒しても、きつと逃げてしまつたでせう。男もさうすればわたしの太刀に、血を塗る事にはならなかつたのです。が、薄暗い藪の中に、ぢつと女の顏を見た刹那、わたしは男を殺さない限り、此處は去るまいと覺悟しました。
しかし男を殺すにしても、卑怯な殺し方はしたくありません。わたしは男の繩を解いた上、太刀打ちをしろと云ひました。(杉の根がたに落ちてゐたのは、その時捨て忘れた繩なのです。)男は血相を變へた儘、太い太刀を引き拔きました。と思ふと口も利かずに、憤然とわたしへ飛びかかりました。――その太刀打ちがどうなつたかは、申し上げるまでもありますまい。わたしの太刀は二十三合目に、相手の胸を貫きました。二十三合目に、――どうかそれを忘れずに下さい。わたしは今でもこの事だけは、感心だと思つてゐるのです。わたしと二十合斬り結んだものは、天下にあの男一人だけですから。(快活なる微笑)
わたしは男が倒れると同時に、血に染まつた刀を下げたなり、女の方を振り返りました。すると、――どうです、あの女は何處にもゐないではありませんか? わたしは女がどちらへ逃げたか、杉むらの間を探して見ました。が、竹の落葉の上には、それらしい跡も殘つてゐません。又耳を澄ませて見ても、聞えるのは唯男の喉に、斷末魔の音がするだけです。
事によるとあの女は、わたしが太刀打を始めるが早いか、人の助けでも呼ぶ爲に、藪をくぐつて逃げたのかも知れない。――わたしはさう考へると、今度はわたしの命ですから、太刀や弓矢を奪つたなり、すぐに又もとの山路へ出ました。其處にはまだ女の馬が、靜かに草を食つてゐます。その後の事は申し上げるだけ、無用の口數に過ぎますまい。唯、都へはいる前に、太刀だけはもう手放してゐました。――わたしの白状はこれだけです。どうせ一度は樗の梢に、懸ける首と思つてゐますから、どうか極刑に遇はせて下さい。(昂然たる態度)