竜潭譚

3話 竜潭譚(3)

1,661字 約3分 2000年8月30日 公開

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 毒ありと疑へばものも食はず、薬もいかでか飲まむ、うつくしき顔したりとて、(やさ)しきことをいひたりとて、いつはりの姉にはわれことばもかけじ。眼にふれて見ゆるものとしいへば、たけりくるひ、(ののし)り叫びてあれたりしが、つひには声も()でず、身も動かず、われ人をわきまへず心地(ここち)死ぬべくなれりしを、うつらうつら()きあげられて高き石壇をのぼり、(おおい)なる門を入りて、赤土(あかつち)の色きれいに()きたる一条(ひとすじ)の道長き、右左、石燈籠(いしどうろう)石榴(ざくろ)の樹の小さきと、おなじほどの距離にかはるがはる続きたるを()きて、(こう)(かおり)しみつきたる太き円柱(まるばしら)(きわ)に寺の本堂に()ゑられつ、ト思ふ耳のはたに竹を()(ひびき)きこえて、僧ども五三人(ごさんにん)一斉に声を(そろ)へ、高らかに(じゆ)する声耳を(ろう)するばかり(かし)ましさ()ふべからず、禿顱(とくろ)ならびゐる木のはしの法師ばら、何をかすると、(こぶし)をあげて一(にん)天窓(あたま)をうたむとせしに、一幅(ひとはば)の青き光(さつ)と窓を射て、水晶の念珠(ねんじゆ)(ひとみ)をかすめ、ハツシと胸をうちたるに、ひるみて(うずく)まる時、若僧(じやくそう)円柱(えんちゆう)をいざり()でつつ、ついゐて、サラサラと金襴(きんらん)(とばり)(しぼ)る、燦爛(さんらん)たる御廚子(みずし)のなかに(とうと)(すがた)こそ拝まれたれ。一段高まる経の声、トタンにはたたがみ天地(てんち)に鳴りぬ。

 端厳微妙(たんげんみみよう)のおんかほばせ、雲の(そで)(かすみ)(はかま)ちらちらと瓔珞(ようらく)をかけたまひたる、(たま)なす胸に繊手(せんしゆ)を添へて、ひたと、をさなごを(いだ)きたまへるが、(あお)ぐ仰ぐ(ひとみ)うごきて、ほほゑみたまふと、見たる時、やさしき手のさき肩にかかりて、姉上は念じたまへり。

 滝やこの堂にかかるかと、折しも雨の降りしきりつ。(うずま)いて寄する風の音、遠き(かた)より(うな)り来て、どつと満山(まんざん)(うち)あたる。

 本堂青光(あおびかり)して、はたたがみ堂の空をまろびゆくに、たまぎりつつ、今は姉上を頼までやは、あなやと(ひざ)にはひあがりて、ひしとその胸を(いだ)きたれば、かかるものをふりすてむとはしたまはで、あたたかき(かいな)はわが(せな)にて組合(くみあ)はされたり。さるにや気も心もよわよわとなりもてゆく、ものを見る(あきら)かに、耳の鳴るがやみて、恐しき吹降(ふきぶ)りのなかに陀羅尼(だらに)(じゆ)する(ひじり)声々(こえごえ)さわやかに聞きとられつ。あはれに心細くもの(すご)きに、身の置処(おきどころ)あらずなりぬ。からだひとつ消えよかしと両手を肩に(すが)りながら顔もてその胸を押しわけたれば、(えり)をば()きひらきたまひつつ、()の下にわがつむり押入(おしい)れて、両袖(りようそで)(うち)かさねて深くわが(せな)(おお)(たま)へり。御仏(みほとけ)のそのをさなごを(いだ)きたまへるもかくこそと(うれ)しきに、おちゐて、心地(ここち)すがすがしく胸のうち安く(たい)らになりぬ。やがてぞ(じゆ)もはてたる。(らい)の音も遠ざかる。わが()をしかと(いだ)きたまへる姉上の(かいな)もゆるみたれば、ソとその(ふところ)より顔をいだしてこはごはその顔をば見上げつ。うつくしさはそれにもかはらでなむ、いたくもやつれたまへりけり。雨風のなほはげしく(おもて)をうかがふことだにならざる、静まるを待てば()もすがら暴通(あれとお)しつ。家に帰るべくもあらねば姉上は通夜(つや)したまひぬ。その一夜の風雨にて、くるま山の山中、俗に(ここの)(こだま)といひたる谷、あけがたに(そま)のみいだしたるが、(たちま)(ふち)になりぬといふ。

 里の者、町の人(みな)(こぞ)りて見にゆく。日を()てわれも姉上とともに(きた)り見き。その日一天(いつてん)うららかに空の色も水の色も青く()みて、軟風(なんぷう)おもむろに小波(ささなみ)わたる淵の上には、(ちり)一葉(ひとは)の浮べるあらで、白き鳥の(つばさ)広きがゆたかに藍碧(らんぺき)なる水面を横ぎりて舞へり。

 すさまじき暴風雨(あらし)なりしかな。この谷もと薬研(やげん)の如き形したりきとぞ。

 幾株(いくかぶ)となき松柏(まつかしわ)の根こそぎになりて谷間に吹倒(ふきたお)されしに山腹の(つち)落ちたまりて、底をながるる谷川をせきとめたる、おのづからなる堤防をなして、(すさ)まじき水をば(たた)へつ。(ひと)たびこのところ決潰(けつかい)せむか、(じよう)(はな)の町は水底(みなそこ)の都となるべしと、人々の恐れまどひて、(おこた)らず土を()り石を()せて堅き堤防を築きしが、あたかも今の関屋(せきや)少将の夫人姉上十七の時なれば、年つもりて、(ふたば)なりし常磐木(ときわぎ)もハヤ(たけ)のびつ。草()ひ、(こけ)むして、いにしへよりかかりけむと思ひ(まが)ふばかりなり。

 あはれ(つぶて)を投ずる事なかれ、うつくしき人の夢や驚かさむと、血気なる友のいたづらを(しか)(とど)めつ。年若く(おもて)(きよ)き海軍の少尉候補生は、薄暮暗碧(はくぼあんぺき)(たた)へたる(ふち)に臨みて粛然(しゆくぜん)とせり。

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