10話 アル中種々相 結論(1)
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鬼も十八、番茶も出花という十八に達したから、ここ等でやめにしよう。まだこの他にいろいろあるが、あまり微に入り細を穿つと、自分の悪口を自分で書いているような、所謂自ら墓穴を掘ることになる。御退屈さまでした。僕も、メランコリックになって了いました。病人のことばかり書いていたので……。(「山・都会・スキー」)
我々が最も愛する山の本、バドミントン・ライブラリーのマウンテニヤリングに、マセウ氏が「一登山家の思い出」なる一章を寄せていることは、知っている人も多かろうと思う。今、この一章の中から、次の数行を書写し、それについて私が平素考えていることをいささか書きたいと思う。
He was a mountaineer of old school, and feats were not in his way. The woods, the meadows, and the flowers charmed him as much as the rocks and snows. He enjoyed a fine climb with all his heart, but seemed equally happy on a quiet day.
――彼は旧派の登山家であり、目覚ましい芸当というようなことは、彼の畠ではなかった。彼にとっては、森や牧場の花が、岩や雪と同じ程度の魅力を持っていた。彼は心からよき登攀を楽しんだが、然し静かな一日にあっても、同様に幸福そうに見えた。
右の翻訳において、feats を「目覚ましい芸当」としたについては、異議を申立てる人があるかも知れぬ。事実、この「芸当」なる言葉には多少侮蔑の念が入っているようであるが、これは三省堂の英和大辞典によったので、即ち該書には、
一、目ザマシイ芸当、力芸、離レワザ、妙技、早ワザ、軽ワザ、曲芸。
二、武勲、勲業、偉業、云々。
とある。それはとにかく mountaineering に於ける feats とは、如何なることを言うのであろうか。日本でいえば、槍の肩から穂先まで十三分三十秒で往復したとか、小槍のてっぺんにザイルを結びつけ、そのザイルを振子として、身自らを肩の小舎に投げ出したとか(若しそんなことが可能なりとせば)いうことがあれば、それは即ち feats であろう。これらは正に「芸当」であり、「離れ業」である。西洋でいうならば――西洋のことは知らぬが――この「彼」即ち Thomas Woodbine Hinchliff がしなかったようなことが feats なのであろう。
ウインパアのマッタアホーン、槙さんのアイガア、浦松氏のウェッターホーン等は、やはり feats だろうと思う。だが、これらは同じ feats でも、「早ワザ、軽ワザ、曲芸」等の同類項に入る性質のものではない。科学的の知識に基礎を置いているからである。もちろん空中ででんぐり返しを打つ曲芸でも、科学的の法則に従って行っているのは事実である。小槍からザイルで肩の小舎へ飛びつくのだって、若し出来るとすれば、それは物理的に可能だからである。曲芸は、多く練習によってこれを行い、行った結果である所の feats を、後から解剖して見て科学的の基礎が発見されるのであるが、曲芸に対する「勲業」、即ちウィンパーや槙さんがやったことは、最初から意識して科学的の法則を探究し、それを一歩一歩実行化したものである。
が、これは飛んでもない横路へ入り込んで了った。とにかく「彼」は旧式な登山家で、「曲芸」にせよ「勲業」にせよ、目覚ましいようなこと、人をあっといわせるようなこと、新聞や雑誌に出るようなことはしなかったのである。これで feats 問題は打切ろうと思う。私が今日ペンを執った最大原因は、実は「彼」のノンビリした態度に感心したからであった。
近頃我国の登山界には、非常にいやな傾向が見られる。むやみに山を急ぐことである。他の登山口はいざ知らず、大町口においては、これが顕著である。
私はこの夏、二度大町へ行った。第一回は六月の終りで、これは会社の用事で行ったのであり、第二回は八月の初め、休暇をとって行ったのである。
大町では対山館にとまる。対山館の百瀬慎太郎さんとは、親しい間である。従って――こんなことは書かなくてもいいようだが書くだけの理由はある――対山館における私は、お客様と友人をゴチャマゼにした変な存在なのである。多くの場合、私は三階の客間の床柱によっかかって傲然としていはせず、帳場附近でゴロゴロしている。不意にお客が入って来ると、いらっしゃい、おつかれ様! くらいなことはいう。殊に対山館食堂では、注文を聞く。時々帳場の前に置いてある絵葉書をくすねるが――これは脱線した。
夏の初めには、対山館へ登山に関する問い合せの手紙、端書、電報等が、ウンと来る、オホマチニコメミソロウソクアリヤという電報も来たというが、これは見なかった。これらの問い合せはいう迄もなく、大町を登山口とする山々に関するもので、十中八、九迄は私にも返事が出来る。そこで、慎太郎さんがあまり忙しい時には、私が返信を手伝う。もっとも必ず同君の検閲を受けてから投函するから、大丈夫間違いはない。
ところで驚くことは、これらの手紙をよこす人の殆ど全部が、何故だが非常に急いだ、切りつめた日程を立てている。山中の日程は、恐らく信濃山岳会の登山要項なり、あるいはそれに依った他の登山日程なりを、そのまま採用したものであろう。登山要項としては、無用な時間を日程につけ加える必要はないから、切りつめたと迄は行かなくとも、先ず普通、山に登れるだけの健康を持つ人の体力を標準に、どこからどこ迄何時間という風に発表する。それを採用するのは当然だから、第一日大町――大沢。第二日大沢――平。第三日平――立山温泉。第四日立山温泉――富山という日程を書いてよこされても、私は何とも思わぬが、一番びっくりするのは登山前後のあわただしさである。
関東方面からも関西方面からも、夜行を利用すると、早朝松本へ着く。信濃鉄道に乗換えて大町へ着くのが、先ず八時とする。駅から対山館まで十五分とすると、登山者の大部分は、案内者をやとう人であれば、八時四十五分には対山館を出て行こうとする。「何時何分大町着、直ちに出発するから間違えなく人夫一人準備してくれ……」という手紙がそれである。
人夫はもちろん朝早くから来て待っている。お客様の荷物を受取り、しょいこにくくりつけている間、お客様は対山館の食堂でお茶位のんでいる。多くの場合慎太郎さんが「ああお手紙は拝見しました。人夫はここにいます。黒岩といって、あっちの方面はよく知っています」という。お客様は黒岩に向って「よろしく」という。そこでガリガリズラズラ出かけて行って了う。人夫をやとわぬ人は、対山館に寄る必要はないが、それでも草鞋を買ったり、礼をいったりする為にちょっと顔を出す。この方は、然し、もっと早く、入口に腰をかけるだけで出て行く。朝飯は松本の汽車弁当。昼の弁当も汽車弁当を持って来るのが多い。
勿論目的は山である。だから大町みたいな麓には、いる必要もなければ、いたくもない……という気持も、分らぬことはない。だが夜汽車でゆられて来た、いい加減フラフラした頭で、いきなり高瀬なり籠川なりへ入って了って、何か面白いんだろう。せめて一日の「静かな日」を楽しむ余裕は、あってもよいと思う。
麓は山の始りである。麓に無関心で、いきなり山へ入り込むのは、女の心に無関心でいきなり身体を我が物にしようとするようなものである。もっとも、「だまされているのが遊び」の「遊び」をまだるっこしとなし、玉ノ井へ直行する方がいいといえばそれ迄の話。これは各人の自由ではあろうが、我々のとるところではない。
朝着いたら、対山館で靴をぬぐべきである。(対山館でなくてもよい。ほかに宿屋も多い。また大町ばかりの話ではない。が話の都合上、大町を主にして述べて行く。)そして部屋へ通り、ゆっくり顔でも洗い、荷物を全部部屋へはこんだ上、連れてゆく人夫に来て貰って、荷物のふわけ、その他を相談すべきである。
昼飯後は人夫をつれて大町公園にでも行き、目の前にそびえる山々の名を聞き、籠川と高瀬川と鹿島川との三つの谷をポイント・アウトして貰うとよい。
晩には湯に入り、食事後は人夫に安曇踊にでも案内して貰うがよい。
何故、右のようにした方がよいか?
第一、一日の休養は必要ある。誰だって一晩中汽車に乗っていれば疲れる。身体が余計疲れる人と、頭が余計疲れる人との別はあろうが、疲れることは事実である。そんな疲れた心身で、登山の第一歩を踏み出しては勿体ない。
次に、登山前に山を見て置くことは、必要である。大体を見ずに、いきなり細部へとつついて行くことは、莫迦気てもいるし、危険も多い。
ここにいう迄もないが、大町から見ると、蓮華の長い尾根が一つ手前へのびて、籠川の谷と高瀬の谷とを別けている。誰が見ても、これは間違いのない事である。然るに、この籠川の谷へ、どうしても入れぬ人がある。田の畦や林の中をクルクル廻って、大町へ帰って来るのはまだしも、高瀬の谷へ入って了い、気がついて尾根を越したら日が暮れたナンテのもある。如何にもウソみたいだが、現に今年そういうことをした青年がある。私は実にナイーヴな、可愛い所のある彼の手紙を持っている。
何故こんな莫迦な真似をするか。つまり大体を見ず、五万分の一の地図ばかり見て行くからである。山に入る登山家山を見ず、足もとばかり見て行くからである。
勿論案内なり人夫なりをつれて行けば、このようなことは絶対にないが、それにしても、先ず地形の大体を見るということは、RECONNOITRING の第一条件として、養成しておくべき習慣である。
第三に、これは人夫をつれて行く場合の話であるが、せめて一日はゆっくりして、彼、或は彼等と知り合いになっておく方がよい。人夫をつれぬ人は、ことさら登山前の休養を要するし、また登山路その他について、慎太郎さんなり、あるいは帳場附近でゴロゴロしている者共(たいてい二、三人はいる。慎太郎さんの弟の孝男さんとか、彼等の友人とか)に、よく地図について説明して貰うべきである。
時間できりつめる人々は、同時に経費の上でも極度のきりつめを行う。この点でもノンビリした所が更にない。即ち、案内者をやとう方がいいのだが、費用がないから連れずに行くとか、小舎へ泊る費用を倹約して携帯天幕をひっかぶって野営するとか、ひどいのになると、「案内をやとう費用が無い。二十日乃至二十五日間に、大町を出発して立山方面へ向う登山者中、案内を連れて行く人があったら至急乞御通知。あとからついて行く」とかいうのもある。
ガイデッドとガイドレスとの優劣問題は、ここに論じるべくあまりに長く且つ専門的であるが、「案内者は必要と思うが費用がない」場合には、全然山へ入らぬがよい。この論断があまりに苛酷ならば、案内者を必要としない山へ入るべしと、モディファイしてもいい。例えば天気のいい日に白馬へ登るとか、燕へ行くとか、上高地から槍へ行って帰って来るとかすればよい。
ここで一言したい。私は山の案内者を、単に、路の案内をするだけの者と思うことは、大間違いであると信じている。路は判っていても、「山」を知らぬ我々は、濃霧にまかれたりすると、路まで判らなくなる。小さな事故にも面喰って、更に大きな事故を引き起したりする。案内者を連れて行った登山者に、如何に事故がすくなく、またあったにしても程度が軽微であったかは、統計的に立証出来るであろう。
以上長々と、時間と費用とを切りつめること、即ち山を急ぐことについて饒舌を弄したが、このような人は、実際山へ入っても只無茶苦茶に目的地へ着くことばかり考えていて、はたから見ると、まるで一刻も早くこの苦難から逃れたいとあせっているかの如くである。麓の牧場、中腹の森、岩角の花……それらは全然目に入らぬらしい。いや、事実、目に入る時間もないであろう。これが多いのを見ると、Hinchliff の如きは「旧派」――現にそう書いてある――で山を急ぐ人々が「新派」なのかも知れぬ。新旧いずれが優れているか判らぬが、私には旧派の方がうれしい。私自身は、断然旧派に属する。
私はここ数年間毎夏必ず山に登っている。登り始めたのはもっと昔のことだが、途中で外国へ行っていた為に中絶した。それから、これも高等学校時代に一度か二度やったことのあるスキーを改めてやり出した。ところが登山もスキーも、私が中絶していた間に長足の進歩をなし、いろいろな道具類が容易に手に入るようになった。それで私も若干の道具を持っているが、これらが登山期及びスキー期以外に如何なる役目を演じているかを考え、何とかこじつけて「山の道具とホーム・エコノミックス」といったような小論文をでっち上げて見ようと思う。うまく行くかどうかは、やって見なくては判らぬ。
山及びスキーの道具として、最もポピュラーなのはルックサックであろう。御承知の如き四角な袋で背中に負うように幅の広い紐がついており、そしてよく出来た物は軽くて完全な防水がほどこしてある。
私はルックサックを二つ持っている。一つは墺国製でノッペラ棒だが、他は日本製で外側にポケットが二つあり内側の背中に当る所にもポケットがある。この日本製の奴が最近非常に役に立った話をする。
この前の日曜日に妻子を連れて熱海へ行った。あるいは一晩泊るような都合になるかも知れないと思ったので、子供の寝間着やその他こまごました物を中型のスーツケースに入れたが中中入り切れぬ。女房はあけびのバスケットをもう一つ持って行くといい出したが、上の子が四つで下は赤坊なのだから荷物が二つになっては大変である。そこで私はルックサックを持ち出して、これに荷物全部を楽々と入れ、そして出かけた。
汽車に乗ると子供づれだから中々手がかかる。キャラメルがほしくなったり、おしめが入用になったり、水っぱなをふく為に紙を出したりしておやじ立ったり坐ったりだったが、ルックサックの有難さに、網棚の上にあげて置いた儘で必要の品を出すことが出来る。キャラメル? キャラメルは右の外ポケットに入れておいた! とばかりに、棚の上に手をのばせば、手さぐりでキャラメルが取れる。……といった次第である。品物によって入れるポケッ卜をきめておき、それを手さぐりで取り出すのは狭いテントの内などで自然癖になることでもあるが、一々棚からカバンを下し、蓋をあけて内部をかき廻すことに比べて非常に便利である。おまけ万一汽車が崖から落ちたなんて時には、赤坊や上の子供ぐらいはスッポリと入るから、背中に背負えば両手を使って岩角を登ることも出来る。
次に便利なのはスイス製の畳み提灯である。これは雲母とアルミニュームとから出来ていて非常に軽く、雨にも風にも消えぬ。停電の時、急用が出来て雨中外出する時等にも適しているが、殊に便利なのは軽いので口で柄を啣え得ることである。夜、高い戸棚の奥に入っている品を探す時大いに役立つ。
以前住んでいた大阪郊外の家は電力で井戸水をタンクに入れ、そこから家々にパイプで配水する仕掛けになっていたが、このスイッチがどうかして故障を起すと、誰か梯子を登ってスイッチ・ボード迄行かなくてはならぬ。一度とても偉い雨風吹き降りの夜、故障が起ったことがある。提灯は駄目、懐中電灯では片手しか使えぬ、大騒ぎをしていた時、畳み提灯を口に啣えて梯子を登った私が見事故障を直した(といったところでちょっとしたレヴァーを引張るだけの話だが)ことがある。
それから飯をたく飯盒、焚火の上にかけてうまい飯が出来るのだから、大地震の後なぞは定めし調法だろうと思うが、そんな経験はしたくない。
今度はスキーの話になって、スキーその物ばかりは如何にこじつけても家庭内にあっては何の役にも立たぬが、修繕用の七つ道具、プライヤ、スパナー、ねじ廻し等はどの家庭に備えつけてあってもいい品物である。またスキーの裏に白蝋を塗る小さな鏝(内部に固形アルコールを入れて熱する)はちょっとしたアイロニングに非常に能率的である。我々階級のサラリーマンはよく経験するが、出がけになってソフトカラーに鏝がかかっていないことを発見し、急いで電気アイロンを出すと停電で駄目だなんてことがある。そうでなくとも何故昨夜鏝をかけておかなかったとばかり女房の横っ面を張ったりする代りに、メタをポキンと半分に折ってマッチで火をつければ、カラーの一本や二本なら食卓の上ででもアイロニングが出来る。どうだ、お前は俺がスキーの道具ばかり買って子供の靴下を買わないとて腹を立てたが、パラ一丁あれば云々とばかり、家庭円満。
ここらで結論を開始すると、そもそも山の道具類はすべて自然のエレメントに対抗して負けぬように出来ている――負けるのもあるが、それは製作者が悪い。また軽く、且つ使用法によっては、いろいろな用途に役立つ。この事を頭に置いて我々の実生活を考えると、我々は家屋によって雨風等から離れて住み、電灯によって夜と昼とを同じもののように思い、汽車は切符代さえ払えば完全に目的地まで我々をつれて行くものと信じているのだが、さていつ地震があって家が潰れるか分らず、暴風雨の夜モモンガーが高圧線にひっかかって東京中が闇になるか知れず、汽車が決して崖から転り落ちぬものとは神様でも断言出来まい。つまり我々――殊に都会人――はあまり文明なるものに馴れて、常に我々の周囲にある自然のエレメントのポテンシャル暴力を忘れて了っている。で、一朝その暴力があらわれると、かかる場合に対して造られた山の道具が非常に役に立つということになる。そこで皆さん山に登らなくっても山の道具だけはお買いなさいなんて莫迦なことは決して申さぬが、如何なる大都会にも自然の暴威は手をのばすことを忘れてはいけません……とまア、変な決着になって了ったが、実は今朝パラでカラに鏝を当てたことから思いついて以上の如き雑文一篇。