可愛い山

12話 アル中種々相 結論(3)

8,230字 約16分 2016年3月17日 公開

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    TO

HER WHOM I MET

 ON THE ROCKS

と、三行にわけて印刷してある。申す迄もない、デディケーションで、著者ジョージ・D・アブラハムはこの本を「岩の上で逢ったところの彼女に」ささげているのである。

 私はアブラハム氏の私生活を知らないから、「岩の上」の彼女が誰だか、もちろん判らぬが、このデディケーション、ちょっと気になる。気が利いているような、思わせぶりなような、変な文句ではないか。高等学校の山岳部員が感激しそうである。いや、事実、高等学校時代の吾人は、大いに感激して、いろいろと岩頭の彼女を空想したものである。だがその頃、富士や筑波はいざ知らず、いわゆる日本アルプスに登る女は至って少数であった。たまに登る人は奥さん方で、これでは著述をデディケートするわけにも行かない。

 その後十数年、今日では大分女の登山者が増加した。女学生の洋服、女子スポーツの隆盛が今後ますます若い娘をして登山せしめるようになるものと思う。すると、これからさきの若い登山家たちは、「岩の上で逢った彼女」に、著書なり一生涯なりを捧げる機会を多く持つようになるので、これはまことにうらやましい話だ。何もここで婦人問題を論じようとは思わないが、元来登山なるものは、平素運動をしている人にとっては、その性の如何を問わず、大して過激なものではない。というより、登山は、プランの立てように依っては、比較的楽な、愉快なスポーツである。だから、夏休みなり何なりに、夫婦でルックサックを背負って山に出かけることはまことに面白いと思う。

 余程以前、ウェールスの山、スノードンに登ったことがある。この山、高さは僅か三千五百七十呎だが――それでもイングランドとウェールスでは一番高い――、実にいい形をしているので、普通「ブリティッシュ・マウンテンスの女王」と呼ばれている。殊にワッツ・ダントンの小説『エルウイン』に出て来るので、私は大分昔から、いわゆる憧憬を持っていた。

 ところでこのスノードンは、ロック・クライミングで有名な山であると同時に山岳鉄道が麓から絶頂まで走っていて、おまけにその絶頂にはホテルが建っている。アブラハムの言によれば「絶頂に達する(ガリース)の中の若干は、今や頂上ホテルのゴミ卸樋(シュート)になって了い、如何に登山術を心得た人でも、スノードンの秀麗なる北側面を殆ど絶え間なく落ちて来るジンジャ・ビアの空瓶や、鰯の空缶や、その他の物品を避けるだけの技能は持ち合わさぬ」のであり、また「ラスキンのいわゆる『山の憂鬱と山の栄光』とは不信心な旅行者の群をはこび上げる、キーキーいう煙だらけな山岳鉄道によって攪乱されている」のである。私もこの「不信心な旅行者」の一人として、ある美しい秋の日の午後、スノードンの峰に立った。別に弁解するのでもないが、その後一月足らずで日本へ帰る時だったので、金も無く時間も無く、とても悠々と山を登っている訳に行かなかったのである。

 やがて汽車が出るというので、停車場の方へ足を運んだ時、突然横手の岩角から、かなり大きなルックサックとロープとを背負った男があらわれた。登山服、登山靴、汗ばんだ顔。ああ、ガリースの一つを登って来たのだなと思う間も無く、続いて今度は、まったく男と同じような身なりをした女が顔を出した。頭をキリッと絹のハンカチで捲いている。引きしまった身体つき、日に焼けた頬。その晩は恐らくホテルで泊るのであろう。下山する汽車には目もくれず、大股に絶頂の方に歩いて行った。

 私と一緒の汽車で下りる人々は、いずれも不思議そうな、好奇的なまなざしで両人を見送っていたが、私はうらやましかった。時間さえあれば、金の方はどう都合つけても、エルウインの路をたどってスノードニアを歩いて見たいと思った。

 それから日本へ帰ってからのある夏。私は久しく登る機会を得なかった鹿島槍を再び訪れるべく、信州大町へ向った。暑い七月の終り、寝不足な身体を信濃鉄道のせまい窓にもたらせて、松本から大町まで、汽車の速度の極めて遅々たるのに、いささか癇癪を起こしていると、とあるステーションで、こちらの汽車を待避していた列車。キャー、ワーという黄色い叫び声にびっくりして見ると、丁度真向に当る車室は一杯の女学生である。鼠色によごれた上衣、紺のスカート、ナイト・キャップみたいな帽子、中には鉢まきをしている娘もある。「白馬登山の女学生が帰って来た!」と同室の地方人の話に、なる程この連中、白馬へ行ったのかと知ると同時に、汗くさい、日向っ臭い女学生数十名に、一どきに絶頂を踏んづけられた白馬が可哀そうになった。「岩の上の彼の女」は単数にかぎる。若し「彼女等」になるならば、せいぜい二人か三人までのこと。数十名の彼女等に取りかこまれた日には、如何なる Lusty knight of Alpenstock も、たじたじになることであろう。

 酒の話を書いたからには、煙草のことも書かねば義理が悪い――という訳でもないが、筆のついでに一言して見たい。

 G・W・YOUNG氏の編纂した『マウンテン・クラフト』は、いろいろな意味において私の愛読書である。読み物としての面白味からいえば、ジョージ・アブラハム氏の著書の方に遥かに面白いのがあるが、登山のテクニックに関する知識を得る点から見ると、このマウンテン・クラフトが一般的の役に立つような気がする。

 話はいささか横路に入るが、ヤング氏がこの本に書いた緒言は愉快な言葉で始っている――「この本はマウンテニヤスの為に書かれたものである。而してマウンテニヤとは登山をする人だけを指すのでは無く、好んで山の周囲を歩き、好んで山のことを読み、且つ考える人の誰もをいうのである。」

 私はこの言葉が非常に気に入った。そこでマウンテニヤなる英語は果して何を意味するのか、調べて見ようと思い、手近の辞書類をひっくり返して次の結果を得た。

 第一に三省堂の「模範新英和大辞典」。これによると名詞の一が「山住みの人、山人(やまびと)」。二が「登山者」。別に「山に登る」なる自動詞があげてある。

 次に中学校時代かに使用した斎藤秀三郎氏の「英和中辞典」を見ると「山国の人、山人、登山(業)者」としてある。三省堂のに比較すると自動詞以外は殆ど同じだが、ただ「登山(業)者」として、登山者と登山を職業にする者とをわけたところが面白い。

 これ丈で沢山なのだが、どうせ乗りかけた船だと、机の引き出しに入っているのだしするから、ウェブスターのリットル・ジェム・ディクショナリイを引いて見ると、マウンテンには「丘より高い高所」と説明してあるが、「マウンテニヤ」は只かかる語があることを示してあるだけで説明はしてない。

 そこで最後に英語の字引としてはこれ以上のものが無いといわれる、ジェームス・マレー喞の「新英語辞典」を、図書館に出かけて読んで見ると、

(一)山間の土民、あるいは住人。

(二)マウンテン党の一員。

(三)登山(マウンテン・クライミング)に熟練せる人、あるいは登山を職業とする人。

と、こう三通り出ている。第二を除くと斎藤さんのと同じになる。しかもこの(二)は、フランス革命時代の山岳党(la montagne)のことだから、この場合吾人とは無関係なのである。

 かくの如くどの辞書によっても、マウンテニヤとは山間に住む人か、山に登る人かになるが、ヤング氏の緒言があるので、私もこんな風なことをマウンテニヤの為に書いていると意識することが出来て、甚だ有難いのである。

 ところで道草ばかり食っていないで、煙草の話にうつると、「マウンテン・クラフト」の第一章が「管理と指導」「食料飲料」と二つ区分があって、その次に「喫煙」の項が出ている。この章はヤング氏自身が執筆しているが、同氏の意見によると、煙草を吸うとか吸わないとかいう問題は各人がそれぞれ決定すべきことで、別に一定の規則は立てられぬ。但し実際山を登りながらパイプを吸うことは「肺にとって不愉快、パイプ・ステムにとって費多し」と書いている。続いて次のような文句が現れて、大いに私をよろこばせる。私ばかりでなく、世のパイプ党、並びにマウンテニヤ達をよろこばせそうだから書いて見る――

「パイプは食物、飲料、あるいは睡眠の、よき一時的代用品となる。それは待つことのつめたき幾多の瞬間を慰め、困難に際しては心をやすめてくれる助言者になる。煙草を吸い得ること、従って登山者の真の親交を特長づけるところの努力なき沈黙中に彼自身を支持し得ることは、如何なる登山仲間も持っていねばならぬ資格である。」

 この訳は、夏目さんの「巨人引力」みたいだが、意味は判るだろうと思う。またヤング氏が恐らくパイプを好むであろうことも想像出来る。パイプを吸うものは沈黙を愛する――これは登山家ばかりではない、誰でもそうである。もちろんパイプを啣えたまま話をすることは出来ぬからであろう。

 それはそうとして、まったく、目的の峰に達した時、ルックサックを下に置いてから、手頃の岩に腰をかけて吸う一服は、恐らく最もうまい煙草の吸いようであろう。ことに天気がよくて、遠近の山々がいわゆる手に取るように見える時なぞは、どの山が何だとか、どこの尾根がどうとかしゃべられると、うるさくて仕方がない。かかる時には、只、黙って紫の煙を空に吹き上げるに限る。

 私はパイプとシガレットとを山に持って行く。シガレットは上衣のポケットに入れておいて時々吸うが、パイプはルックサックに入れて、大休みする時、例えば目的地に達した時か、昼飯の時かに吸うようにしている。一日中雪を踏んだり岩を匐ったりして野営地に着く。先ず上衣を脱いで厚いスウェッタアを着込み、天幕を張ってから、パイプを啣えて焚火の傍らに坐る時の気持は、ちょっと説明出来ない。説明を試みてもそれは山を知らぬ人にはピッタリ来まいと思う。かかる時、煙草を吸わぬ人が、しみじみと「ああ、俺も煙草が吸えたら……」と、よくいうことだけを記してこの稿を終えよう。

 僕が持っている山の本のことを、何ということなしに書いてみようと思う。

 先ず第一にウインパアの『スクランブルス』の初版をあげねばなるまい。どうもそれが順序であるような気がする。ロンドンのバンパスで買った。幾らだか覚えていないが、Rev. J. J. Muir というスコットランドの名前が書いてある。

 Rev. で思い出すのはウェストンさんだが、そのことは後廻しとして、『スクランブルス』の初版に関連して不思議な本が二冊、僕の書架におさまっている。大きさはどちらも二三×一六センチ、表紙の背には Scrambles amongst the Alps by Edward Whymper ――一方のは背の下に J. B. Lippincott Co. とあるが、一冊には何ともしてない。『スクランブルス』に間違いないのだが、タイトル・ページをあけると SCRAMBLES AMONGST THE ALPS,/BY/EDWARD WHYMPER;/AND/DOWN THE RHINE,/BY/LADY BLANCHE MURPHY/WITH ILLUSTRATION/PHILADELPHIA:/J.B. LIPPINCOTT & CO. と、これはリッピンコットの方だが、もう一つには出版者の名は明記してなく、ただ巻尾の広告が THE BURROWS BROTHERS CO., CLEAVELAND, OHIO 出版の書物で、速記術とかなんとか、そんな風な詰らぬ本の間に、この本の名も見えていることでバロウス兄弟が出版したことが知られる。どちらにも出版のデートは無く、頁数は『スクランブルス』だけが一六四(原書は四三二)、活字は小さくし、行間をつめ、新聞一コラムぐらいの幅で二段ぐみにしたものである。リッピンコットの方は挿画など、まだまだ鮮明だが、バロウスの方はぐちゃぐちゃで、これを Mutilation といわずして何ぞやである。買価一弗、買ったのが一九三二・六・一二、場所はフィラデルフィアの LEARY ――日本人にはいいにくい名だ。いやに詳細をきわめるようだが、実は本の中から受取が出て来たのだ。その頃の米国は相当ひどいことをやったもので、パイレート版の見本によかろうと思って買って来た。研究したい方には貸して上げてもいい。

 貸すといえばウエストンさんの『日本アルプス』が見つからぬ。誰かに貸した覚えはあるのだが……これにはウエストンさんが聖書の中の文句を書いてくれた。

 コンウエーの『カラコラム・ヒマラヤ』(二冊本。署名入。百二十一部限定)は、自慢してもいいだろう。誰が持っていたのか、名前は書いてないが、おそらくこまかく読んだもので、二冊とも巻頭の白紙は、旅程の書きぬきでベッタリ埋っているばかりか、第二巻の最後のインデックスに Lamayuru, 617-20, 662 とある最後の2が1に直してある。本もそうまで読めば本格的だ。恐らくはカラコラムに入ろうとしたか、又は入った人が、調査の材料にしたのであろう。

 登山のテクニックを書いた本では、バドミントンがとてもうれしい。もちろんバドミントンはその後改訂されはしたが、一八九二年のもので、一九三四年に出版されたロンスデール・ライブラリイのマウンテニヤリングとは比較にはならぬであろうが、ごろんと横になって読むにはもって来いである。我々四十前後の者にとって、バドミントンの名が大きな魅力を持っていること、これは否定出来ぬ事実である。

 テクニックに関する数冊を比較すると面白い結果が出るであろうが、あまり専門的になる危険があるから、それはやめにしよう。アブラハムの The Complete Mountaineer など、今では「ケジックの写真やか」とか何とかいわれて、誰も相手にしないが、相当これで我々の血をわかしたものである。

 How to Become an Alpinist なんて本、今日でも読む人があるかしら。著者はバーリンガム。タイトル・ページにも口絵の写真にも、The Man who Cinematographed the Matterhorn としてある。先生曰く、

 そもそも、誰でもがアルピニストになれるものではない。身体がズングリしてよく働く心臓を持つ人々のみが、このような激しい骨折仕事をなすべきである。めまいをする傾向の者は牝牛がしばしば訪れる頂上にかぎって登るべし。肉体的且つ精神的に資格ある初心者は、高さと断崖とに馴れる迄は簡単な登高を、騾馬路を外れずに行うべし。そこで馴れたら山羊路を歩いてもよろしい。

 牝牛、騾馬、山羊と三段にわけたあたり、「鹿も四肢、馬も四肢」と叫んだ源氏の大将より、よほど動物学の知識はあるが、これ、少々コハイみたいな訓示である。

 一番はじめに米国のパイレート・エディションの話を書いたが、米国だからとて、ちゃんとした本も出している。その例の一つが、ティンダル教授の著述をアップルトンが出したもの(1896)INTERNATIONAL SCIENCE SERIES の第一巻が同教授の The Form of Water であるが、立派にオーソライズされているし、又スクリブナア The Out of Door Library の Mountain Climbing(1897)の如き、コンウェーをはじめ一流どころの書き下しである。

 僕は蔵書家でも愛書家でもないらしい。こう書いて来て、まだティンダルの本があったような気がし、書架をさぐったら Hours of Exercise in the Alps が出て来た。ウインパアの版画が二枚入った一八七一年の初版で、これは大切な本として扱わねばならぬと思った。一弗と鉛筆で書いてある。やはり例の Leary で買ったものだ。忙しい旅の最中に買い込み、ろくに調べもしなかったのである。

 とても面白いのは、一度紹介したこともあるが Anthony Bertram の To the Mountains という本だ。ひとりで面白がっていやがると思われては心外だから、ここに書いておくが、深田久弥氏に話したら是非かしてくれとのこと。大分経ってから同氏わざわざ自身で返しに来られ、面白かった礼として『わが山々』をくれた。バートラムの『山へ』はツーグスピッツェ、もちろん山としては大したことはないのだが、本全体の構成が実に奇抜で、ちょっとトリストラム・シャンデイといった点があり、写真はつまらぬがカットが素晴らしい。丸善で偶然ひろった本である。

 I have heard a man complain of German Girl because, when she reached the summit, she cried, “Ah, that is beautiful, that is wonderful. I must my sausage eat.”

 But how right she was! Only those who go up in funiculars stand and blather. When you have climbed, when you have conquered, then indeed should you sit down and your sausage eat. Let joy be unconfined ……

 僕はこよなく、この本を愛する。

 まだこの他に英語の本は沢山あるが、カタログをつくるのではあるまいし、この辺でいい加減に打ち切ることにしよう。さて英語の次はドイツ語だが、これはあまりよく出来ないので、よほど、さしせまった必要がない限り精読せず、従って厚い本は写真のきれいなのや挿絵が沢山入っているものという、甚だ恐縮な次第である。

 薄い本は相当あるが、その一つの DAS SKIBUCH 一九二二年ウインで出版され、エマ・ボルマンという婦人の木版画と詩とを満載している。詩の方は手紙の型式になったスキーの教則だというが、大したこともなく、それより木版画の方を御紹介したいが、文章ではちょっと手に負えぬ。一本杖、両杖半分ぐらいの時代で、とても変てこりんな漫画式のものだが、おかしなことに、現代日本の各ゲレンデで、この本にあるような変てこりんなシーロイファを、ちょいちょい見受ける。

 ヘンリ・ヘックの『雪・太陽・スキー』は私の好きな本の一つだ。大分知られているので、改めて紹介する必要もあるまいが、高山の春を書いたもの、写真が――製作技術はあまりよくないが――実にいい場所を撮影してあり、我々をして、ひたすらに山を思わせずにはおかない。――例えば十三頁にある「太陽の中で憇ふ(アロサ)」の如き、ゆるい傾斜の草原には一面にクローカス、花咲く草地に接して雪田、その雪にスキーを立て、草原には若い男女が五人ねころがっている。雪田の向うは雪が残る岩山……僕等は、何度「ああ、いいなあ!」と叫んだことだろう。この本の写真は、みんなきれいで、みんな小さく、「見てくれ」のおどかしが一向に無い。

 およそ溌剌、颯爽たる女性スキーヤァを見たかったら、ドイツの雑誌 DER WINTER を買いたまえ。この頃は少々地味になって来たが、三、四年前までは、素晴らしい色刷りの表紙で、素晴らしいシーロイフェリンが、素晴らしいポーズをしていた。こんな人達と一緒にスキーに行ったら、Stemm! Stemm! とソプラノ……むしろアルトかな……でいうのが、Je t'aime, je t'aime! と聞えそうで――この辺でやめておこう。四十を越しての被恋妄想など、おかしくも何ともないから。

「シュテム!」と「ジュテム!」なんざ、中々芸がこまかいだろう。残念ながら、僕の思いつきではなく、フランスの雑誌に出ていたと教えてくれた人があったのだ。その話を応用して書くと、どこかでそれを発見し、「原稿料を半分頂戴」といって来たには恐れ入る。今度は印税を半分と来るだろう。油断もすきもならぬ世の中だ。

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