17話 山へ 五
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二百七十頁ばかりの本で、その百五十六頁に来て、初めて「山へ」という題がきまる。場所は目的の山、ツーグスピッツェを一目に見るパルテンキルヘン。内容的にいえば、第五章「葡萄酒と食物とについて」の第十三節。著者は原稿を書いている内に、かつてロンドンのコヴェント・ガーデンで食った朝飯のことを読者に知らせたくなる。ジェレミーの言葉で第十二節は終っている――
「そうかい、そんなら君のその下らぬ話を、何でも構わないから読者に話して了えよ。それが済んだら寝ることにしよう。」
第十三節 コヴェント・ガーデンの朝飯
「考えて見ると話すだけの価値は無さそうだが、要するに、ある時コヴェント・ガーデンで朝飯を食っていたらね、僕の真向いに、まるで無言劇の野蛮人が使用する藁の腰巻みたいな、だらりと下った髭を生やした男がいてね、茶托からコーヒーを飲んでいるんだ。見ると髭が何本か、心配のある触手みたいにコーヒーの表面を漂っている。と突然この男が――おめえの飲んでるなあ、そりゃ茶じゃねえかい? といった。僕はその通りだと白状した。すると――コーヒーの方がどんなにいいか判らねえ。飲んでみな……っていって、茶托を僕の唇にさし出した。かなたの岸には依然髭が漂流している。だが君、僕あそこのコーヒー飲んだよ。飲まないわけに行かないじゃないか。いや、まったく、恐ろしいことだった。」
「で、話というのはそれだけかい?」
「ああ、これだけだよ」
「そうかい」と彼は立ち上りながらいった。「僕あ寝るよ、あした僕等は山へ行くんだからね。」
「そうだ、それが……」と私は勝ち誇っていった。「僕のタイトルになるんだ。」
「何がさ?」
「山へ。」