三枚続

40話 四十

1,127字 約2分 2012年4月8日 公開

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 と見れば白髪を振乱し、(おとがい)細って()せさらぼい、年紀(とし)六十に余るのが、(しし)の落窪んだ胸に骨のあらわれたのを()いはだけて、細帯ばかり、跣足(はだし)でしかも(まなこ)が血走り、薪雑木(まきざっぽう)引掴(ひッつか)んで、飛出したと思うと突然(いきなり)

「火事だ、」と叫んで、軍鶏を打とうとしたが、打外した。

 蔵人は咄嗟(とっさ)(かわ)して、横なぐれに退(すさ)ったが、脚を揃えて、背中を持上げるとはたと(ばば)(つっ)かけた。

「火事だ、」

 また(わめ)いて(くだん)の薪雑棒を振廻す、形相あたかも狂者のごとく、いや、ごとくでない、正に本物である。(けだ)し小金も(たま)って、家だけは我物にしたというから、人一倍、むしろ十倍、宵啼(よいなき)神経(こころ)を悩まして、六日七日()も寝られず、取り詰めた(はて)が逆上をしたに違いはないので。

 白髪は飛んで、翼は乱れた。あれよと見る間に、婆と軍鶏と、とんと当り、(さっ)と分れて、月下にただぐるりぐるりと廻った。

(うぬ)、業畜生、」と激昂(げっこう)の余り三度目の声は皺嗄(しわが)れて、滅多打に振被(ふりかぶ)った、小手の下へ、恐気(おそれげ)もなく玉の(かんばせ)、夜風に乱るる洗髪の島田を()と入れて、敵と身体(からだ)の擦合うばかり、中を割って引懸(ひっか)けにぐいと結んだ帯の背後(うしろ)へ、軍鶏を(かば)ったのはお夏である。

「お婆さん何をなさるんです。」

 ちょいと横顔で振返って、

(しっ)!」

 軍鶏も(すく)むようであった。婆は恐しい目をしながら、胸に波を打たせて肩で呼吸(いき)だ、歯を喰緊(くいし)めて口が利けず。

 かかる処へ殺気を籠めて、どかどかと寄せて来た、お夏と蔵人とを中に、婆の右左へかけて取巻いたのは土蔵の前に居た連中(てあい)

「何だ、火事だ。」

「火事だ?」と口々に尋ねたが、これは事件(ことがら)緒口(いとぐち)を引出そうとするに過ぎない、皆々は云うまでもなく、その間の消息を解していた。

「こ、こ、こいつじゃ、火事はこいつじゃ。」

 人数(にんず)が襲い(きた)ったので思わずおさえていた(たもと)(ゆる)んだ、お夏の手を振放して、婆は蔵人に躍りかかった。

「何をするんですよ。」

 遮ろうとするお夏の帯を、ぐいと留めた者がある。同時に婆を突退(つきの)けて、

「まあ、待ちなさい、」と一名。

 発奮(はずみ)をくらい、婆は尻餅をついて、熟柿(じゅくし)のごとくぐしゃりとなったが、むっくと起き、向をかえると人形町通の(かた)へ一文字に駆け出した、且つ走り、且つ声を絞って、

「火事じゃ、火事じゃ。」

「あれ。」

 嬰児(あかんぼ)を懐にしっかと(おさ)え、片手を上げて追懸けたのは、嘉吉の(うち)女房(かみさん)である、亭主その晩は留守さ。

「さてお夏さん、思切っておくんなさい、二三日前から薄々様子は知っていなさろうがね、町内じゃあ大抵気にするッたらないんだから、一番(ひとつ)ね、思切って私等(わたしども)(とり)をおくんなさい。何も宵啼をすりゃこうと、政府(おかみ)からお(ふれ)が出たわけじゃないけれども、()うがすかい、心持だ。悪いことは()いませんや、お前さんのお(ため)にその方が()かろうと思うからね。」

 お夏は黙って(かこみ)の中に居るのである。

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